第550話 八木発案の新事業
「おぉ、これは確かに攻めにくそうな城だね」
『戦いが長引くのは必至……』
フェルシアーヌ皇国の第三皇子カレグが立て籠もったジョベラス城に来ています。
険しい岩山を利用して建てられた城へ攻め入るには、北東と南、二本の尾根筋の道を辿るしかありません。
その他は、岩が剥き出しの急斜面で、金属鎧を身に着けて登るのは不可能でしょう。
フレッドが調べたところによると、場内には大量の食糧と爆剤が備蓄されているそうです。
『爆剤の保管庫も、食料の保管庫も警備は厳重……』
第一皇子レーブは、カレグの行動を見越して工作員を潜入させているようですが、カレグもまたレーブの行動を予見して、二つの倉庫は生え抜きの兵で守りを固めているそうです。
『この程度の読み合いは予想した上で、戦術を組み立てられねば一国の皇帝にはなれませんぞ』
「まぁ、そうだよね。国の舵取りをする人なんだから、当然先を読む能力が無ければ国が立ち行かなくなるだろうね」
ラインハルトの意見には全面的に賛成ですし、僕には絶対に務まりそうもありません。
「これで、カレグが立て籠もったまま何週間も経過したら、呼応する貴族が出て来るのかね?」
『さて、それはどうでしょうな。ここに次期皇帝の内示を受けたモンソが釘付けになっていても、皇都では現皇帝の容体が快方に向かっております。皇帝からの呼び出しに応じないカレグに呼応するという事は、皇帝に対して叛意があると思われても仕方ない行為です。反逆者の汚名を着てでも支持するほどの人望がカレグにあるかどうかですな』
カレグを支持している貴族は、フェルシアーヌ皇国の北西部に領地を持つ者が多いそうです。
これまでにも、キリア民国との交易で利益を上げている地域のようですが、国境を接する領地は話が違うみたいです。
『キリアと国境を接する二つの家は、どちらもカレグを支持していない……』
「その二つの家は位の高い貴族なの?」
『その通り……しかも武門の家柄……』
ファジョーリ公爵家、テルツァーノ公爵家は、皇家が国境に配置した家とあって、生粋の愛国者だそうです。
平和的な交易は行うが、領土の侵略に対しては一切妥協しないようです。
「では、今の時点ではキリアが助太刀に来る可能性は低い訳だね」
『フェルシアーヌに侵攻するだけの余裕は、今のキリアには無いはず……』
カレグに爆剤を供給しているキリア民国は、ヨーゲセン帝国との戦争を継続している状態なので、フェルシアーヌにまで手を出せば両面作戦を強いられる事になります。
それに、キリア民国は食料の一部をフェルシアーヌからの輸入に頼っているらしいので、対立は事実上不可能でしょう。
「てことは、武力による侵攻は難しいから、第三皇子であるカレグに取り入って、フェルシアーヌをキリアよりにしようって考えているのかな?」
『どうやらそのようですな。フェルシアーヌはキリアとヨーゲセンの争いに関しては中立を貫いているようです。キリアは一時期ヨーゲセンに攻め入りましたが、併吞には至らず押し戻されているようですので、現状打破の一策と考えておるのでしょうな』
「フレッド、モンソの軍勢はどうなってるの?」
『まだ到着したばかり……ただ、南側に陣を敷くみたい……』
モンソが率いている軍勢は、ジョベラス城がある岩山をグルっと取り囲めるほどの大軍勢ではないので、必然的に尾根筋の道を固める形になるようです。
「北東側には配置を行わないの?」
『尾根筋の道を降りた場所が狭く、背後が川なので陣を敷くのに適さない……』
尾根を降りても川沿いを少し進まないと平地に渡るための橋が無いそうで、陣を敷くなら橋の手前になってしまうようです。
『元々、カレグを城から出すのが目的だから、一方を開けておくのは予定通り……』
「これから陣を敷いて、それから十日はレーブの工作員も動かない……いっそ僕らでジョベラス城の食糧庫に火を点けちゃおうか?」
『それはなりませぬぞ、ケント様』
「やっぱり? モンソの手腕を見るのが目的だものね」
『いいえ、燃やすなど勿体ない、燃やすくらいならいただいてしまいましょう』
「そっちか……でも、確かに燃やしてしまうのは勿体無いよね」
『モンソの手際が悪いと判明したら、我らの手で食料を全て運び出し、ついでに爆剤も全て頂いてしまいましょう』
食料や爆剤を運び出す算段をしているラインハルトとフレッドが、やけに楽しそうに見えるのは気のせいでしょうかね。
いずれにしても、あと十日ほどは膠着状態が続きそうですし、フレッドに監視を頼んで帰ろうかと思ったら、ヴォルルトが僕を呼びに来ました。
「わふぅ! ご主人様、クラウスが呼んでるよ」
「クラウスさんが? 分かった、すぐに戻るよ。じゃあフレッド、引き続き監視をお願い」
『りょ……』
クラウスさんからの呼び出しは久しぶりな感じですけど、ヴォルザードで何か起こったんでしょうかね。
ヴォルルトを目印にして移動すると、クラウスさんはギルドの執務室にいました。
「ケントです、入ります……」
執務室の中に闇の盾を出して踏み出すと、一仕事終えたヴォルルトはアンジェお姉ちゃんにお腹を撫でられて、恍惚とした表情を浮かべていました。
まぁ、アンジェお姉ちゃんの撫でテクならば納得だけど、君はちょっと緩みすぎじゃないかい。
「ケント様……まさかお姉様に撫でられたいとか思ってませんよね?」
「そ、そんな事は思ってないよ、でも、リーチェにだったら……」
「もう、ケント様ったら……」
ちょっと眉を吊り上げて歩み寄ってきたベアトリーチェですが、機嫌を直したようで笑顔を浮かべてハグしてきました。
うん、お出掛け前にもしたけれど、何度したって良いよね。
「俺は、リーチェとイチャイチャさせるために呼んだんじゃないぞ……」
せっかく愛情を確かめ合っていたのに、無粋な声が邪魔をします。
「おっと、そうでした……おはようございます、お義父さん」
「フェルシアーヌの方は大丈夫なのか?」
「えぇ、暫くは膠着状態になりそうなので、フレッドに監視を任せてあります」
「そうか、じゃあ、そっちに座ってくれ」
「はい……って、八木? こんな所で何やってんの?」
クラウスさんやアンジェお姉ちゃんに気を取られて、八木がいるのに気付きませんでした。
てか、最近影が薄くなって良い傾向だと思っていたのに……夏が近づくと出てくるGみたいだよね。
「何をやってるじゃねぇよ、今日は俺様プロデュースによる新事業のプレゼンだからな」
「えぇぇ……八木が考えて新事業ぉ……?」
「なんだ、なんだ、その嫌そうな顔は、これは日本とヴォルザードの友好を深め、さらには環境問題にも寄与する素晴らしいアイデアなんだぞ」
「クラウスさん、本気でコレの考えを聞く気ですか?」
「まぁ、そう嫌そうな顔すんな。駄目なら中止にすれば良いだけだ」
クラウスさんは、ニヤニヤといつもの少し締まりのない笑みを浮かべて、何やら企んでいるように見えます。
「そうだ、そうだ、コレ扱いしやがって。そもそも、国分が俺様を放置してるのが悪いんだぞ」
「えー……ヴォルザードには自分の意志で残ったんだから、その後の面倒までは見ないよ」
「ちげぇよ! 出産関連のヴォルザードと日本の違いをまとめてレポートにすれば、領主様の相談役になれるって言ったのはお前だろう」
「えー……そんな事言ったっけ? それでレポートは上手く採用されたの?」
「バーカ、お前はホントに馬鹿だな。俺に人様の命に係わるような事案を任せられる訳ないだろう」
「確かにそうだけど、胸張って言う事じゃないでしょ」
「うるせぇ、それから数々の没ネタを積み重ねて、ようやく物になりそうな事業を思い付いたんだ。責任もって協力しやがれ」
ちらりとクラウスさんに目をやると、まぁ、そんな感じだと頷いています。
普段チャラけて見えるクラウスさんですが、街のこととなれば真剣ですし甘くはありません。
この感じだと、八木はずいぶん駄目出しを食らったみたいですね。
「で、何を始めようって考えてるの?」
「ズバリ! レンタサイクルだ!」
「えっ、レンタサイクル?」
「そうだ、まずはレンタサイクルで自転車を普及させ、ヴォルザードで自転車産業を興すんだよ」
「自転車かぁ……確かに自転車は無いけど、もしかして日本から持ち込むの?」
「そうだ、それも、回収されて持ち主の現れない放置自転車を整備したものだ」
「えっ、新品じゃないの?」
「お前は、何を聞いていたんだ。言っただろう、環境問題の解決にも寄与するんだって」
「でもさ、回収した自転車じゃ、メーカーも形もバラバラじゃないの?」
「まぁ、当然だな。だが、そこは抜かりは無いぜ、絶対に必要となる主要部品、タイヤ、チューブ、ブレーキが共有できる物に限定するんだ。タイヤを26インチ限定にすれば、ママチャリだろうとシティーサイクルであろうとタイヤは一緒だろう? フレームの形が少々違っていたって、他の部品は共用できるだろう」
「なるほど、言われてみればそうかも……」
自転車は、バイクや自動車に比べれば比較的構造は簡単ですが、タイヤやチューブ、ブレーキパッドやワイヤーなどはヴォルザードの技術で作るのは難しいでしょう。
中でもタイヤとチューブの製作は難しそうですから、それを一種類に限定してしまうのは良いアイデアだと思います。
「でもさ、なんで販売じゃなくてレンタルなの?」
「国分、お前、得体の知れない物をいきなり買うか?」
「それは……買わないね」
「だろう? そもそも自転車の無い世界に持ち込むんだ、いきなり売れる訳がない。だからレンタルから始めて便利さを実感してもらうんだよ」
「なるほど……でも上手くいくかね」
「ふふん、国分よ、ここヴォルザードだぞ。日本とは違うんだよ、日本とは……」
うわぁ、勝ち誇ったような八木の顔が滅茶苦茶ムカつきますねぇ……。
「そんなの分かってるよ。でも、これまで自転車が無かったってだけで、上手くいくとは限らないじゃないか」
「バーカ、お前はホントに馬鹿だな。ヴォルザードだぞ、魔法が使えるんだぞ」
「あっ、身体強化?」
「それだよ、それ、それ、セルフでアシストが付いちゃうんだぜ、しかも規制無しだ。俺様の試算では、バイク並みの速度で走れる。しかも、訓練次第では長距離だって走れるようになる。馬車で三日も四日も掛かっている道程だって、下手すりゃ一日で行けるようになるんだぞ」
どうだとばかりに胸を張る八木は、正直ドーンしてやろうかと思ってしまいますが、たしかに身体強化魔術が使える世界では、自転車の価値は計り知れないものがあります。
ここで、僕らの話を黙って聞いていたクラウスさんが、おもむろに話に加わりました。
「どうだ、ケント。そのジテンシャって奴は、ヴォルザードにとって有用か?」
「そうですね。たぶん、解決しなきゃいけない問題が沢山出て来ると思いますが、間違いなく有用な道具だと思います」
「問題は何だ?」
「事故……整備……ですかね。身体強化を使って自転車を走らせると、相当なスピードが出ます。お年寄りや子供と衝突すれば、酷い怪我を負わせかねません」
「馬と同等以上の法律で規制するか……」
ヴォルザードでは、商店が立ち並ぶ目抜き通りなどには馬の乗り入れが禁止されています。
自転車に適用するには厳しい気もしますが、日本よりも危険度が上がるので、規制を強めておいた方が良いような気もします。
「クラウスさん、とりあえず法律については実物を見てからの方が良くありませんか?」
「そうだな、確かに実物を知らないのに規制もないな」
「八木、自転車を手に入れる伝手はあるの?」
「勿論だ、梶川さんに相談済みだぜ」
「えっ? 梶川さんにどうやって連絡取ったの?」
「それは、お前のところのコボルトを拝み倒してだな……」
どうやら、マルト達が八木の口車に載せられて、僕のスマホを貸してしまったようです。
うん、こんな形で情報漏洩するとは思っていませんでした。
僕が言っておかなかったのが悪いのですが、次からは端末は貸し出さないように言っておきましょう。
久々に梶川さんに電話を掛けると、ワンコールで繋がりました。
「やぁ、国分君ご無沙汰だね」
「申し訳ありません、八木が勝手に連絡したみたいで」
「いやいや、うちとしてはヴォルザードと良好な関係を築く役に立てるならば問題ないよ」
「それで、リサイクルの自転車の件なんですが」
「八木君との交渉で、ゴブリンの魔石一個で十台ということで話が付いているよ。とりあえず、百台程度なら、今週中に用意できると思う」
なるほど、魔石と交換ならば、たくさんの自転車を確保できる。
しかも、それが放置自転車ならば日本としても有難い……なるほど、八木にしては良く考えてあります。
「分かりました。こちらで台数の打ち合わせをしてから、改めて連絡させていただきます」
「了解した。連絡はメールでも構わないからね」
「はい、よろしくお願いします」
とりあえず、何台から事業を始めるのか、それを決めてからじゃないと話が進みません。
「それで、何台から始めるの?」
「ズバリ! 五百台だ!」
「置く場所は?」
「えっ、それは……」
「僕は預かったりしないからね」
「ちょっ、お前の家は無駄に広いんだから、チャリの五百台ぐらい……」
「駄目、これは八木が主導で始める事業なんだろう? だったら、キチンと責任持ちなよ」
「そうだな、ケントの言う通りだ。ジテンシャを持ち込むのは許可するし、新しい事業を始めるのも許可するが、ユースケ、お前が責任を持って進めろ」
僕には反論できるけど、マジモードのクラウスさん相手では八木も黙るしかありません。
スタートの台数は二十台、事業を始める店舗や料金などが決まり次第、梶川さんに連絡して持ち込む事になりました。
さてさて、八木発案の異世界レンタサイクル、上手くいくんでしょうかね。
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