第549話 苦労人ジョーは悩ましい

※今回は近藤目線の話になります。



 Tシャツにハーフパンツ、ジョギングシューズをつっかけてシェアハウスを出る。

 シェアハウスのある倉庫街は、魔の森から流れて来た湿気を含んだ空気で霞んでいた。


 靄が晴れて倉庫街が動き出すまでには、まだ一時間以上あるだろう。

 屈伸し、アキレス腱を伸ばしてから、ゆっくりと走り始める。


 オーランド商店の依頼で、マールブルグまで行って戻ってきた翌日という事を差し引いても体が重たく感じる。

 今回の依頼では魔物も盗賊も現れず、ただ馬車に揺られてマールブルグまで往復してきたようなものだった。


 まぁ、その裏側では規格外の同級生が暗躍して、五十人を超える盗賊を一網打尽にしているのだが、俺達が楽をしてきた事に変わりはない。

 行きはいつもと同じだったが、帰りにリバレー峠を通った時には、マールブルグの守備隊が盗賊捕縛の件を宣伝して回っていた。


 総勢五十人を超える一番大きな盗賊団を捕えた、今後も取り締まりを強化していく……そう言われれば、小規模な盗賊共は恐れを抱いて動きにくくなる。

 街道の安全が確保されるのは良い事だが、何もせずに座っているだけでは体が鈍ってしまう。


 体が鈍ると分かっていても、いつ襲撃があるのか分からないのだから、依頼の最中は疲労を残すようなトレーニングは出来ない。

 だから、ヴォルザードに戻ってきたら、次の依頼が始まる前に鈍った体を戻しておく必要がある。


 新旧コンビは打ち上げと称して昨晩は遅くまで飲み歩いていたようだし、鷹山はシーリアさんとリリサちゃんに夢中だが、みんなにもトレーニングをやらせよう。

 いざという時に、自分のイメージする動きができなければ、冒険者に待っているのは死だ。


 最近ちょっと楽をしすぎて、みんな体だけでなく気持ちも緩んでいる気がする。


「このままだと、マジであの世行きになりかねないぞ……」


 ペースを上げて鈍った身体に喝を入れ、不安を振り払うように走る。

 体が暖まって、汗が噴き出してくると徐々に動きが軽くなってきた。


「まだ完全に錆びた訳じゃない」


 錆び付かせるどころか、俺達はまだまだ鍛えなきゃいけない立場だ。

 一端の冒険者を名乗るなら、せめてBランクには昇格しなければならないし、その上も目指すべきだろう。


 国分みたいな規格外の能力は無いけれど、自分たちのスキルを向上させていけば、それだけ死ぬ確率も減るし、収入アップにも繋がる。

 鷹山には子供に良い暮らしをさせたいだろう、父親のいない子供にしていいのかと発破をかけ、新旧コンビには女にもてるぞと餌をぶらさげて鍛えよう。


 城壁の上にのぼって、黙々とサーキットトレーニングをこなす。

 楽してきた体が悲鳴を上げるが、手を抜くつもりはない。


 ヘトヘトに疲労したところで、最後に全力ダッシュを繰り返す。

 疲労困憊の状態で手に負えない敵と遭遇した時、恥も外聞も投げ捨てて逃げるためのダッシュだ。


 俺は今、丸腰の状態でロックオーガに追われているという想定で、止まろうとする足を腕を振って無理やり動かす。

 荒くなる呼吸、破裂しそうな心臓、生き残るために最後まで足掻けるように気力を振り絞った。


「はぁ……はぁ……きっつい……」


 ダッシュを終えると足がプルプルして、生まれたての小鹿のようだったが、クールダウンを兼ねてスロージョギングでシェアハウスに戻る。

 新旧コンビは……戻っていてもまだ起きて来ないだろうから、先に鷹山に太い釘を刺しておくか。


 だが、その前に水浴びをして着替えたい。

 シェアハウスのドアに手を掛けようとしたら、内側から急に開けられてぶつかってしまった。


「痛っ……」

「ごめん……って、ジョー汗だくじゃん」

「おはよう、綿貫。ちょっと鈍ってたから、一絞りしてきた」

「さっすが! 他の男どもに爪の垢を煎じて飲ませてやんなよ」

「そんなんじゃないさ、やっておかなきゃ自分の身が危うくなるからやってるだけだよ」

「そうだとしても、鷹山も新旧コンビもあの様じゃねぇ……」

「達也達、戻って来てるの?」

「二日酔いで頭が痛いって唸ってたよ」

「あいつら……ってか、綿貫は出掛けるんじゃないのか?」

「そうだよ、あたしは今日も仕事だからね」

「おぅ、無理しない程度にな」

「分かってるって、いってくるね」

「いってら!」


 そういえば、今日は安息の曜日で一般的な仕事は休みだが、綿貫が働きにいっている食堂や、相良が働いている服屋などは営業している。

 その代わりに闇の曜日に休むそうだ。


 シェアハウスに入ると、相良と本宮も朝食を食べ終えて出掛けるところだった。


「おはよう、ジョー」

「おぅ、いってらー」

「うわっ、凄い汗……」

「鈍ってる証拠だな」

「えぇぇ、ジョーは大丈夫でしょう」

「でも、油断できないからな」


 相良と本宮も、バタバタと出掛けていった。

 こっちに残った女子達は、みんな逞しいし充実しているように見える。


 じゃあ、俺達は充実していないのかと聞かれれば、勿論充実していると答えるが、まだやれる事があるような気がしている。

 何か物足りない様に感じるのは、やっぱりロレンサがいなくなったからだろうか……。


 水浴びをして着替えたら、鷹山一家と一緒に朝食にした。

 シェアハウスの料理の殆どは、シーリアさんと母親のフローチェさんの手によるものだ。


 管理費、食費を払うだけで、食事を用意してもらえるのは本当にありがたい。

 しかも、リーゼンブルグの王様に見初められるとあって、フローチェさんはかなりの美人だ。


 その美貌はシーリアさんに受け継がれているし、娘のリリサちゃんにも受け継がれていくのだろう。

 生まれた直後はサルみたいだと思っていたが、やはり西洋系の顔立ちで日本人とは違った可愛らしさがあり、鷹山が溺愛するのも納得だ。


「リリサは嫁にやらんからな」

「朝っぱらから何言ってんだ鷹山。俺だってお前をお義父さんなんて呼びたくねぇよ」

「本当か? 俺のいない時に口説いてたりしないだろうな?」

「口説くって……言葉も分からない赤ん坊相手にどうしろってんだ?」

「だったら、なんで俺とジョーとで、こんなに反応が違うんだよ」

「知らねぇよ、理由があるなら教えてもらいたいぐらいだ」


 鷹山が、ウザ絡みしてくるのには理由がある。

 俺が近くにいると、妙にリリサちゃんの機嫌が良くなるのだ。


 まだこのぐらいの時期では、ハッキリ目も見えていないはずだから、声の響きとかが関係しているのだろうか。

 鷹山は、おしめ替えの度にギャン泣きされ、抱っこしてもムズがられるのに、俺が近くにいると機嫌が良いのが気に入らないようだ。


「ったくよぉ……俺がこんなに愛しているのに、ジョーばっかりって、おかしいだろう」

「だから、俺のせいじゃないし、そういう不機嫌そうな声の響きが駄目なんじゃねぇの?」

「不機嫌そうな声か、なるほど……リリサぁ、パパでちゅよぉ~、チューしましょう、チュー……」

「ふぎゃぁぁぁぁぁ!」

「あぁ、ゴメン、ゴメン……驚いちゃったねぇ」


 まったく、何をやってるんだか……シーリアさんにも呆れられてやがる。

 そのシーリアさんが、ふっと俺に視線を向けてきた。


「ジョーさん、リリサとチューしてみます?」

「はぁぁ?」

「……ふ、ふぎゃぁぁぁぁぁ」


 あれっ、今一瞬リリサちゃんが泣きやんだような気がしたが……。


「何言ってるんだ、シーリア。駄目に決まってるだろう」

「でもシューイチ、変な男に嫁に出すならジョーさんみたいにシッカリした人の方が良くない?」

「いや、それは……って、駄目だ、駄目、駄目! リリサは嫁になんかやらん!」

「ふぎゃぁぁぁぁぁ! ふぎゃぁぁぁぁぁ!」


 まったく、何なんだろう、この親子コントは……。


「鷹山、リリサちゃんが可愛いのは分かったから、少し体を動かしておけよ。お前が怪我なんかしたら、シーリアさんもリリサちゃんも悲しむからな」

「お前、そんな事を言って俺を追い出して、その間に……」

「シューイチさん、いい加減になさい……」

「は、はい……お義母さん」

「リリサも元気が良いのはいいけれど、そろそろ泣き止まないとね……」

「ふぎゃっ……んまぁ……まぁ……」


 鷹山一家の家長は、表向きには鷹山なのだが、実質的にはフローチェさんが握っているらしい。

 まぁ、鷹山は基本アホだし、シーリアさんが一人で手綱を握るのは大変そうだから、フローチェさんがラスボス的な存在でいてくれる方が良いのだろう。


 鷹山は自分の部屋に引き上げて、リリサちゃんをあやしながら筋トレをするらしい。

 まぁ、城壁の上は、今日はカップルでいっぱいになっているだろうから、ランニングは明日にするしかないだろう。


 新旧コンビは、朝飯も食わずに自分たちの部屋で寝込んでいるようだし、気晴らしに街でもブラついて来ようかと思ったら人が訪ねて来た。


「こんにちは、こちらにジョーさんという方がお住まいだと伺ったのですが……」

「ジョーは俺だけど、何か?」


 訪ねて来たのは、俺達と同じぐらいの年代の女性で、どこかで見たような気がする。


「初めまして、私ヴェリンダといいます。ちょっと教えていただきたい事がありまして……」


 これは、また国分についてかと思ったら、女性は意外な名前を口にした。


「教えるって……何について?」

「はい、ギリクさんについてです」

「あぁ、ギリクさんが指導してるパーティーの人?」

「はい、そうです」

「どうぞ、入って……中で話そう」

「ありがとうございます」


 立ち話では終わらなそうに感じたので、共用のリビングに招き入れた。

 多分、指導が厳しすぎるから、もう少し優しくしてもらう方法とかを聞きに来たのかと思いきや、ヴェリンダはまたしても意外な話を口にした。


「それで、ギリクさんの何が聞きたいの?」

「そうですね……どうやったらギリクさんを口説けますかね?」

「はぁぁ? い、今なんと……?」

「どうしたら、ギリクさんに振り向いてもらえますかね?」


 何を言われているのか一瞬分からなかったが、どうやらヴェリンダは本気のようだ。

 ギリクは、ヴェリンダ達のパーティーが暮らしている家に同居しながら指導を続けているそうで、これまでにも色々とモーションを掛けているらしいのだが、反応が思わしくないらしい。


「お風呂上りに、寝酒としてリーブル酒を持って行ってるんですけど……その時に、薄いネグリジェだけで、下着を着けていかなくても無反応で……もしかして、ギリクさんって男性の方が好きなんですか?」

「いや、そうじゃないと思うけど……俺も人から聞いただけでよくは知らないんだけど、なんか家庭環境が影響してるらしいぞ」


 国分から少し聞いた話では、数人の姉からオモチャにされて育ったのが影響しているらしい。

 もしかすると、女性の裸とかは見慣れていて、性的な興奮の対象で無くなっているのかもしれないと告げると、ヴェリンダは何度も頷いていた。


 この様子では、相当際どい姿で迫ったのに、無反応だったのだろう。


「別に全部見せても構わないんですけど……それでも相手にされなかったら、さすがにショックですし……」

「ギリクさんが、どんな恋愛観を持っているとか俺には分からないけど、あの人は基本的に他人から舐められるのを極端に嫌うのと、おだてられると意外に面倒見が良かったりするから、その辺りを上手く組み合わせてみるしかないんじゃない?」

「たとえば、どんな感じでしょう?」

「いや、それは自分で考えてよ。俺が言った通りにやって上手くいかなかったら困るし」

「お願いします。たとえばで良いんで……」

「そう言われてもなぁ……経験無いんですか? とか……女にここまで言わせて逃げたりしませんよね……とか?」

「なるほど、なるほど……」

「いや、そのまま使うなよ。というか、俺から聞いたとか間違っても言うなよな」

「分かってます、凄く参考になりました。ありがとうございました」


 ヴェリンダは何度も頷きながら、決意に満ちた表情で帰っていった。

 何をやらかすのか不安でしかないし、変なとばっちりを食らうのは勘弁してもらいたい。


 それにしても、あのギリクに惚れるとか、世の中には物好きもいるものだ。

 はぁ……俺も彼女とか作った方が良いんだろうか。

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