第546話 皇位継承

 おはようございます。

 と言っても、ヴォルザードではもうすっかり夜が明けて、街は動き出している時間です。


 帰宅したのが夜明け近い時間だったので、この時間に起きても寝足りない気分ですが、時差ボケにめげずに頑張りましょう。

 まずは、寝ぼけた頭をシャッキリさせるために、風呂でも浴びましょうかね。


 我が家の大浴場は、掃除の時間を除いて二十四時間入れます。

 といっても、美緒ちゃんとかフィーデリアが滞在しているので、入り口には女湯、男湯の表示をしています。


 誰も利用していないのを確認して、表示を男湯に切り替えて、大浴場を独り占めしましょう。

 脱衣所の棚に着ていた服を放り込み、タオル一枚もって浴場へと入ります。


 湯舟に入る前に、洗い場で頭と体を洗います。

 日本からコボルト便で取り寄せた、植物由来100パーセントのシャンプーで頭を洗っていると、入り口の戸が開く音が聞こえてきました。


 あれ? 入り口の表示は男湯にしてきたはずだけど、もしかして掃除の時間なのかな。

 てか、頭が泡泡で目が開けられないんですけど……。


「ケント様、お背中をお流しいたします」

「セラ……?」

「はい、また父が無茶なお願いをしたようで、申し訳ございません」

「あぁ……まぁ、バルシャニアの安全のためだから、仕方ないよ」

「ユイカさんとマノンさんにもご迷惑を掛けてしまって……」

「それは、僕が勝手にやったことだから、お義父さんのせいじゃないからね」

「ですが……」

「ごめん……泡が口に入りそうなんで、先に頭を流させて」

「はい……」


 頭の泡を洗い流して、セラに背中を流してもらってから、一緒に湯舟に浸かりました。

 今日はマルト達が入って来なかったのは、セラが話をしたがっていたからでしょう。


「正直に言うとね、昨晩はどこまで手を出すべきなのか悩んで、お義父さんから頼まれたフェルシアーヌの皇帝の治療はしなかったんだ」

「でも、エルヴェイユにはいらしたのですよね?」

「うん、行ったけど、フェルシアーヌの治癒士や薬師が対応していたし、明日……もう今日か、には目覚める見込みだったから手は出さなかった」

「そうですか、色々とご配慮をいただいて、ありがとうございます」

「僕が自分で考えて行動しようと思った切っ掛けは、以前セラがたしなめてくれたからだよ」

「えっ……」


 セラフィマは、意外そうな表情を浮かべてみせました。

 もしかして、あの時の話は忘れていたのかな。


「シャルターンの内乱に首を突っ込んだ時に、何がしたいのですか? って、言ってくれたよね。だからキチンと考えて行動しようと思ったんだ」

「あの時は、出過ぎた事を申し上げて……」

「ううん、全然出過ぎた事じゃないよ。僕らは家族なんだから、駄目だと思った事は指摘してくれた方が良いに決まってるよ」

「私の話は、お役に立ったのでしょうか?」

「勿論! すごく役に立ってるよ。これからは、僕がやりたいと思う気持ちを優先するつもり。でも、それは僕個人を優先するんじゃなくて、家族のみんなが第一で、みんなが暮らすヴォルザード、みんなの家族、みんなの故郷を優先して行動するって事なんだ」


 悪いけど、フェルシアーヌ皇国の内情なんて、家族の危機やヴォルザードの危機に比べたら、優先順位は遥かに下になります。

 もしまた、戦いが起こって多くの怪我人が出たとしても、ヴォルザードで大きな事故や災害が起こっていたら、治療の手伝いには行きません。


 冷たいと思われようが、横暴だと言われようが、僕は僕の大切な人達を優先します。


「では、フェルシアーヌの件からは手を引かれるのですか?」

「ううん、今はヴォルザードも平和だし、他に優先順位の高い事件や事故なども起こっていないからフェルシアーヌの件は見届けるつもりだよ」

「優先順位を明確になさるのですね?」

「そういうこと、だから今の僕が最も優先すべき事は……セラと愛し合うことかな」

「ケント様……」


 もうみんな働いている時間だけど、お義母さんからも孫の顔を催促されてますし、明るい時間からいたしてしまいました。

 今夜は早く帰ってきて、唯香やマノン、ベアトリーチェとも愛し合わないといけませんね。


 美緒ちゃんとフィーデリアには、眠り薬でも盛っておきましょうかね。

 いや、冗談ですよ。一服盛るなんて……ちょっとしか考えてませんからね。


 お風呂から出た後、セラフィマと一緒に昼ご飯を食べてからエルヴェイユに向かいました。

 影に潜ったところで、ラインハルトに状況を尋ねました。


「ラインハルト、どうなってる?」

『皇帝エグンドは既に目を覚ましました。探り出した話では、エグンドは大量の血を吐いて倒れたようですぞ』

「あぁ、それじゃあ、あの胃潰瘍は治療によって回復してきた状態なのかな?」

『恐らくは、そうなのでしょうな』


 胃の内部で大量出血を起こし、大量吐血し、その結果極度の貧血をおこして意識を失ったのでしょう。


『目を覚ましたエグンドは、昨夜見掛けた三人の重鎮より現状の報告を受けております』

「ちゃんと忖度無しの説明をしてるのかな?」

『あれだけの被害を起こしているのですから、庇いだてする理由は無いでしょうな』


 皇帝エグンドは、昨夜眠っていた離れの一室で、上体を起こした状態で三人の説明を受けていました。

 顔色は、お世辞にも良いとは言えませんが、眼には気力が宿っているように見えます。


 エルヴェイユの街が、あんな状態ですから、三人の重鎮もエグンドを寝かせておくわけにはいかないのでしょう。

 その代わりではないのでしょうが、寝台の横には薬師と治癒士が控えています。


 財務担当らしい、太り気味のヘンリーから説明を聞くほどにエグンドの表情は曇っていきます。

 エグンドが、また血を吐いて倒れるんじゃないかと心配しているとフレッドが戻って来ました。


『ケント様、第三皇子が陣を畳んで逃げ出した……』

「はぁ? 逃げ出したって、何処へ行くつもりなんだろう」

『コボルト隊に追跡させてる……』

「もしかして、まだ爆剤を隠し持っているのかな?」

『可能性はある……』

『第三皇子は、現皇帝が死去すると思っていたか、意識を取り戻す前に城を占拠するつもりだったのかもしれませんな』


 ラインハルトの言うように、第三皇子カレグの戦い方は強引で焦っていたように感じます。

 そして、皇帝エグンドの元にもカレグが逃亡したという知らせが届きました。


「あの愚か者が……」


 エグンドは自分の太腿を拳で叩いて怒りを露わにした直後に上体をふらつかせ、寄り添っていた治癒士に体を支えられました。


「陛下、無理をなされては、お体に障ります」

「カレグを除いた皇子を全員集めよ、今すぐだ……」


 絞り出すように伝えると、エグンドは大きなクッションに背中を預けて目を閉じました。

 呼吸も苦し気に感じますし、病状が悪化しているのは間違いないでしょう。


 薬師が薬湯を処方し、治癒士が治癒魔法を掛けると、エグンドの呼吸が落ち着きました。


「皇子を集めるって事は、次の皇帝を誰にするのか伝えるつもりかな?」

『その可能性が高いですな。己の死期を悟ったのかもしれませんな』

「んー……でも、昨日の時点では死ぬような状態ではなかったけどなぁ」


 精神的なストレスが、エグンドの病状を悪化させているのは間違いないでしょう。

 エグンドが目を閉じてしまったので、誰も言葉を発しない重たい空気の中で、三人の重鎮達はしきりに目線で何かを語り合っているようでした。


 昨日の話しぶりでは、この三人には次期皇帝の名前は告げられていないようでした。

 全てはエグンドの胸の中なのでしょう。


 待つこと暫し、最初に姿を見せたのは若い二人の皇子でした。

 第四皇子ラノー、第五皇子チエルは、二十代前半ぐらいに見えます。


 少し遅れて姿を見せた第一皇子レーブは、三十代後半ぐらいなのでしょうか、顔色が悪く、突き飛ばしたらポキっと折れそうなくらい痩せています。

 体調のせいで老け込んでみえるのか、それとも実年齢も高いのか分かりませんが、第二皇子のモンソとは歳が離れているように感じます。


 この三人が集まったところで話が始まるのかと思いきや、エグンドは黙したままです。

 更に三十分ほど待ってモンソが姿を見せたところで、エグンドは閉じていた眼をカッと見開きました。


「次代の皇帝は……モンソ、お前に継がせる」


 エグンドの言葉にガッツポーズでもするかと思っていたモンソは、意外な言葉を口にしました。


「お待ちください、父上。次の皇帝は兄上が継ぐべきと考えます」

「ほぅ、理由を申してみよ」


 エグンドは、自分の決定に反対するモンソを咎めず、むしろ興味深げな表情を浮かべて理由を尋ねました。

 モンソは、一度大きく深呼吸をして、自らの意志を固めるように頷いてから話をはじめました。


「私は兄上に比べて思慮が浅く、今回の騒動でも引き際を見誤り多くの住民に死傷者を出してしまいました。事前に、兄上からカレグが力押ししてきたら、時間を稼ぎながら下がれと助言を受けていたにもかかわらずです。皇帝とは国の行く末を決め、民を導く者。ならば、聡明なる兄上こそが相応しいと考えます」


 エグンドは、モンソの言葉を聞き終えると、視線を第一皇子へと転じました。


「そうか……レーブよ、そなたはどう思う?」

「私は、モンソこそが皇帝に相応しいと思っております」

「理由を申してみよ」

「はい、モンソには人の言葉を受け入れる広い度量がございます。他者の言葉をないがしろにせず、熟考し、最善の方法を探る慎重さがございます。皇帝の決定が国の行く末を決めるのであれば、個の考えに固執せず、衆の幸福を目指す者こそが相応しい。それは私ではなく、モンソだと考えます」


 静かに語るレーブの言葉に、エグンドは何度も頷いてみせ、再びモンソに視線を転じて語り始めました。


「これから、フェルシアーヌ皇国は難しい時代を迎える。その原因は言うまでもなく爆剤の存在だ。いずれ更に威力を増し、対応に苦慮する存在となるであろう。これまで、一部の魔術士に頼っていた戦術は通用しなくなる。キリア民国という国が、何を考え、何を望むかによっては、我が国が焦土と化しても不思議では無くなるだろう。故に備えよ、そなたらの知を結集し、武を磨き、民を守れ。その要はモンソ、そなただ! 兄を頼れ、弟を信頼せよ、皇家の力を結集して国を守れ!」

「はっ、かしこまりました!」

「だが、そなたに皇帝の椅子を譲る前に、一つ課題を出す」

「カレグ……でございますね?」

「うむ、奴からは皇位継承権を剥奪する。捕らえて幽閉せよ」

「かしこまりました」

「レーブ、ラノー、チエル……モンソを支えよ」

「はっ、仰せのままに……」

「バイロン、ヘンリー、ケネス……引き続き頼むぞ」

「はっ、かしこまりました!」


 モンソ以外の皇子も、三人の重臣も皇位継承に異論は無いようです。

 あとは、カレグの処分だけみたいだけど、これはバルシャニアにとっては手強い隣国が出来そうな感じですね。


 てか、エグンドは今にも死にそうな感じで話してるけど、別に胃潰瘍が治ればまだ死にそうもないんだけど……これって、後で結構恥ずかしい思いするんじゃね?

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