第545話 ケントの悩み

 フェルシアーヌ皇国の皇都エルヴェイユからヴォルザードに戻ってくると、自宅は寝静まっていました。

 影の空間に潜れば、遥か遠くの国まで一瞬で移動出来ちゃいますが、時差までは解消出来ません。


 フェルシアーヌで夜が更ける時間だと、ヴォルザードはもう深夜ですから、みんなが寝静まっているのも当然なんですよね。

 唯香のお説教の後で、ちょっとバルシャニアに情報収集に向かったつもりが、この状態というのはどうなんでしょうね。


 魔道具の常夜灯が灯されたリビングに一人で腰を下ろして、ちょっと考え込んでしまいました。


『ケント様、お休みになられないのですか?』

「うん、第三皇子カレグの夜襲がどの程度の規模になるのか、エルヴェイユの住民を巻き込んだりしないのか、確認してからにしようかと思って」

『住民が巻き込まれるようでしたら、我らが蹴散らしてやりますぞ』


 ラインハルトは、僕の代わりにやっておきますというより、フェルシアーヌの騎士を相手に暴れたい感じですね。


「でも、もう少し起きているよ」

『何か理由があるのですかな?』

「うん、まぁね。みんなは眠らなくても大丈夫だけど、それに頼りきりっていうのが何だかねぇ……」

『コンスタンに良いように使われているのが気に入りませんか?』

「うん、それもあるかも」


 ちょいとエルヴェイユまでいって、皇帝エグンドを治療してメッセージを置いてくるという依頼は、僕なら可能だけど、他の人には不可能な内容です。

 僕しか出来ないし、その結果次第では多くの人の運命が変わってしまいます。


 下手をすればバルシャニアに多くの難民が押し寄せるような事態にだってなりかねません。

 だからこそ、断れないと感じて引き受けたのだけど、なんか釈然としません。


『ケント様だけがあくせく働く状況が不満ですかな?』

「それもあると思う……だからこそ、みんなに任せて僕だけ眠るのは嫌なのかも……」

『ですが、アンデッドである我らと生身のケント様では睡眠の重要度は異なりますぞ』

「それは分かっているんだけど……なんかモヤモヤするんだよねぇ」

『さて、何がご不満なのですかな? 今のケント様ならば、大抵の事は思い通りに出来るのではありませぬか?』

「思い通り……あぁ、それか。思い通りになっちゃうのが気に入らないというか、思い通りにして良いものなのか考えちゃうんだよね」


 普通だったら、一月以上の時間をかけなきゃ辿り着くことすら出来ないエルヴェイユまで行き、罪の無い市民が戦いに巻き込まれているのを見たら救助し、治療し、戦いまで止めてしまう。


 例え、それが多くの人を救うためとは言え、好き放題やりすぎのような気がします。


『だから、フェルシアーヌの皇帝の治療もなさらなかったのですかな?』

「うん、明確に考えて……ではないけど、何となく治療したくなかったんだ」


 皇帝エグンドが生き残ろうと、他界してしまおうと、その後のフェルシアーヌ皇国の行く末は、フェルシアーヌ皇国の人々が決めるべき事であり、僕が決める事ではないはずです。


「シャルターン王国の革命騒ぎに首を突っ込んで、何がしたいのかとセラフィマに怒られたけど、また同じ事を繰り返しているような気がするんだよね」

『ですが、今回はバルシャニアに影響が出ないようにするという目的がございますぞ』

「そうなんだけど、一国の未来を僕みたいな小僧が好き勝手にして良いものなのか……好き勝手に出来ちゃうから悩ましいんだよね」

『なるほど……ならばいっそ、ケント様の欲望に忠実に動かれたらいかがですかな』


 ちょっと凹み気味の僕に対して、ラインハルトは妙に楽しそうです。

 あぁ、この感じは僕にリーゼンブルグの王様になれとけしかけていた時の感じですね。


「それは……いくら何でも不味いでしょう」

『そうですかな? 市民を巻き込むと分かっているのに爆剤を街中で使うような愚か者に比べれば、ケント様が好き勝手にした方が市民のためになりますぞ』

「それは、そうかもしれないけど……僕が勝手に次の皇帝を選んで、他の候補を蹴落としちゃったら、甘い汁を吸おうとしている貴族と変わらなくなっちゃうよ」

『ケント様は、フェルシアーヌで金儲けをなさるのですかな?』

「いや、それはしないけど……」

『では……責任を押し付けられるのが嫌なのではありませぬか?』

「あー……そうか、責任か」


 確かに、このところの僕は無責任な行動が増えていました。

 裏を返せば、責任から逃げていたのでしょう。


「やっぱり、もうフェルシアーヌには関わらない方がいいね」

『さて、それはどうですかな』

「えっ、でもフェルシアーヌに手を出している時に、ヴォルザードで災害が起こったとしたら、僕はヴォルザードを優先するよ」

『何か問題がございますか?』

「いや、だって、中途半端になっちゃうでしょ」

『ヴォルザードの件が片付いた後に、フェルシアーヌの一件を片付ければよろしいのでは?』

「そんなに上手くいくかなぁ……」

『上手くいかなくても、よろしいのではありませぬか?』

「いや、でも失敗したら……」

『そもそも、ケント様と同じ事など誰も出来ませんぞ。ケント様が出来ない事は、他の者にも出来ませぬ。ケント様は、失敗など恐れる必要はありませぬぞ。無責任だと思われるなら、ケリがつくまで徹底的にやれば良いのです』

「そっか、途中で放り出さなきゃいいのか……」


 フェルシアーヌの場合なら、次の皇帝が決まるまで見届ければ、一応の責任は果たせる……のかなぁ。

 何となく、ラインハルトに丸め込まれてしまっている気がします。


『そろそろ第三皇子の勢力が動き出す頃ですが、ケント様はどうなさりたいですかな?』

「それは……こんな下らない争いで、誰も命を落としてほしくないと思ってる」

『ならば、我らにお命じくだされ。一人も殺めずに戦いを止めてみせよと』

「僕が首を突っ込んだ厄介事を押し付けていいの?」

『望むところですぞ。我ら眷属一同、ケント様の手足となり、耳目となり、ケント様の思いを実現する事こそが至上の喜びですぞ』

「はぁ……ラインハルトは僕に甘すぎじゃないの?」

『我らは、魔王ケント・コクブ様の眷属ですからな、どこの国にも縛られず、ケント様の思うがままに動きますぞ』


 心の中の迷いが消えた訳ではありませんが、自分が正しいと思う道を突き進んでみますか。

 薄暗いリビングから影の空間に潜ったところで、フレッドが知らせに戻って来ました。


『ケント様、夜襲が始まる……』

「うん、今行く……」


 フレッドに案内されたのは、エルヴェイユの街の北側でした。

 街の外周に沿って伸びる道を、馬の蹄に布を巻いて足音を消した騎馬の列が、粛々と街の東に敷かれた第二皇子の陣を目指して進んで行きます。


『ケント様、どうする……?』

「バステン、第二皇子の陣営は?」

『準備万端、迎撃の準備を整えて待ち構えています』

「そのまま衝突すれば、また死傷者がでるよね?」

『間違いなく出ますね』

「ならば、こうしてみようか……」


 第三皇子カレグの軍勢から、少し離れた場所に闇の盾を出して、そこから火属性の魔術を打ち上げました。

 以前、近藤と鷹山に聞かれて、離れた場所で魔術を発動させる方法を教えたのですが、今回はその応用です。


 夜襲に向かう軍勢の頭上三十メートル程度を狙って、次々に火球を発動させました。

 発動した火球は夜襲に向かう軍勢の頭の上に、フワフワと漂いながら落ちていきます。


 たぶん、盾で払うだけで消えてしまう程度の火球ですが、当然遠くからも目立ちます。


「敵襲! 敵襲ーっ!」

「どこだ、どこから撃ってきてる? 探せ! 探して討ち取れ!」


 暗がりの中に開いた闇の盾の中から、手だけ出して魔術を放っているけど、発動するのは夜襲部隊の頭上なので、こちらに気付かれる心配は皆無でしょう。

 第三皇子の手勢にしてみれば、第二皇子の兵士に待ち伏せされたと思っているでしょうが、実際には第二皇子に知らせるための魔術です。


「バステン、ちょっと第二皇子の陣営を見て来て」

『了解です!』


 火球で辺りを照らしたら、今度は風の弾をぶつけて騎士を落馬させます。

 ひゅってやって、ドンですから、楽勝ですよ。


 あぁ、深夜の変なテンションも手伝って、やりたい放題ですね。


「くそっ、北だ! 北側から攻撃されてるぞ!」

「撃て、撃て、とにかく北に向けて撃て!」


 おっと、当てずっぽうで撃ってきましたね。

 火球に、風の刃に、人数に任せてバカスカ撃ってくるから雑木林が燃え始めています。


 ますます目立っちゃってるけどいいのかねぇ……。

 いや、こいつらからすると、第二皇子の軍勢に待ち伏せされたと思ってるから、もう戦闘開始ってことなのか。


 ちょっと攻撃の手を休めたら嵩にかかって攻めてきたので、こちらからの攻撃は難しいから南側に移動しましょう。


 影に潜って南側に移動して、今度は隊列の後ろ側を狙います。

 火球を打ち上げて、風の弾の乱れ打ちです。


「ぐわぁ!」

「敵襲! 南、南からもだ! がはっ!」

「カレグ様を守れ! 包囲陣!」


 おぉ、あの辺りに第三皇子がいるなら、ちょっと強めに叩いておきますか。

 風の弾を連発してぶつけてみたものの、盾を持った屈強な衛士に守られて第三皇子には届きそうもありません。


 それならば、再び北側から攻撃してやりましょう。


「くそっ、また北だ、盾ぇ、固めろ!」

「うろたえるな、敵はおそらく少数だ、隊列を立て直せ!」

「はっ!」


 第三皇子カレグの号令で、素早く隊列を組み直す動きを始めたあたりは訓練されてる様子が伺えます。

 ただし、影の中からマルト達に足を引っかけられて転ばされて、思うように進んでませんね。


『ぶははは、たったお一人で第三皇子の軍勢を翻弄されるとは、さすがはケント様ですな』

「この程度なら、近藤と鷹山でも出来そうだから、第三皇子の軍勢がだらしないだけでしょ」


 さて、この後はどうしてやろうかと思っていたら、バステンが戻って来ました。


『ケント様、第二皇子の軍勢が出立しました。夜襲に出た第三皇子の軍勢の倍近い数です』

「それって、もしかして城から夜襲の人数とかが知らされてたのかな?」

『そのようです。ケント様の打ち上げた火球を確認した直後に出撃を決めたようです』

「モンソは情報が整っていれば、決断は早いみたいだね。城の連中は第二皇子推しなのかな」


 第三皇子の軍勢が隊列を整え終えた頃、東の方角から雄叫びと馬蹄の響きが伝わって来ました。


「カレグ様、新手です」

「正面の敵に火と風の攻撃魔術を集中しろ! 敵の足が止まったところで退く!」


 おっと、意外にも第三皇子は撤退を決めたようです。

 第二皇子の軍勢が、あと200メートル程に迫ったところで、火と風の攻撃魔術が一斉に放たれ、道の上で炸裂して炎の壁が吹き上がりました。


 立て続けに第二波、第三波と新たな炎の壁が作られ、第五波の攻撃が行われた直後に第三皇子の軍勢は撤退していきました。

 行く手を阻まれていた第二皇子の軍勢は、炎の壁が消えた後に第三皇子の軍勢が撤退してくのを見ても追撃は行いませんでした。


『どうやら第二皇子は積極的に戦闘する意志は無さそうですな』

「昨日の昼間に押されていたのも、計算してなのかな?」

『かもしれませんな』

「いずれにしても、今夜の戦闘はもう終わりだろうから、ヴォルザードに戻るよ」

『バステンとフレッドには引き続きそれぞれの皇子を探らせますぞ』

「うん、よろしくね。ふわぁぁぁ……さすがに眠たいや」


 さてヴォルザードに帰ろうと影の空間に潜ると、ネロが待ち構えていました。


「どうしたの? ネロ」

「ご主人様、ここで寝るにゃ」

「えっ、ここで?」

「そうにゃ、家で寝てるとすぐ起こされちゃうにゃ」

「あぁ、確かに……」


 時差を考えると、家に戻って眠るとすぐに朝が来てしまいそうです。

 影の空間で眠っていれば、唯香達に起こされる心配はありません。


「ミルト、唯香に寝るのが遅かったから、あとで起きるってつたえといて」

「わふぅ、分かった」

「じゃあ、ネロ、よろしくね」

「お任せにゃ」


 ネロのふわふわなお腹に寄り掛かったら、たちまち眠りに引き込まれました。

 後の事は……後で考えまーす。

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