第544話 皇帝の病状

 バルシャニアの皇帝コンスタンの要求は、単純明快でした。

 フェルシアーヌ皇国の現皇帝エグンドを治療し、次の皇帝を指名させるというものです。


 渡された手紙の内容も単純明快、『死ぬなら後継を決めてからにしろ』これだけです。

 差出人であるコンスタンの名前も書かれていなければ、バルシャニアからと察せられる刻印なども入っていません。


 まぁ、影から手出しをしたという証拠を残さないためなのでしょう。

 てかさ、治療する前に死なれちゃったら困るから、結局すぐに行かなきゃいけないし、僕だけあくせく残業しているみたいなんですけど。


 本当に報酬を払ってくれるのかなぁ……払ってくれなかったら、その分はセラフィマにサービスしてもらっちゃいましょう、色々と……。

 という訳で、再びフェルシアーヌの皇都エルヴェイユへと向かいました。


「うわぁ、何かゴーストタウンになっちゃってるな」

『あれだけの戦闘がありましたからな』


 城の塔から見下ろしてみると、エルヴェイユの特に西側には殆ど明かりが灯っていません。

 爆剤で破壊されたり、火災が起こって焼け落ちてしまったり、戦闘が行われた場所からは住民は避難しているのでしょう。


 東側は、西側から比べれば明かりが灯されていますが、それでも街を歩く人は見当たりません。

 何となく、町全体が息を殺しているように見えてしまいます。


 街を見下ろす丘の上に建てられた城では、厳重な警戒態勢が敷かれていました。

 城の門の前は篝火や魔道具によって煌々と照らされ、城へと向かう坂道の上では兵士が弓矢や大きな岩を落とす準備を整えています。


 城には絶対に入れないぞ……みたいに見えますけど、それじゃあ街中なら住民を巻き込んだ戦闘しても良いのかよ……って突っ込み入れたくなりますね。


『城を警備しているのは、皇帝直属の兵なのでしょう』

「モンソにもカレグにも味方せず、立ち入りも拒んでいるって感じだね」

『フレッドとバステンが探ってきたところによると、両軍の兵士は二人の皇子の手持ちの兵だけのようです』

「まだ貴族達は様子見をしているのかな?」

『でしょうな。現在の皇帝が存命ですし、兵を出して味方した皇子が皇帝になれなかった時には、逆臣の汚名を着せられる可能性がありますからな』

「仮に、皇帝エグンドが亡くなってしまったら、それでも貴族は様子見しているかな?」

『現皇帝が後継者を指名しないまま死去した場合、貴族共が雪崩を打って参戦し、泥沼の内戦状態となる危険がありますな』

「いずれにしても、エグンド次第か……」


 その皇帝エグンドを探して、城の奥へと移動していきますが、内部は静まり返っています。

 まぁ、皇帝が病に臥せっている状態で、城がお祭り騒ぎしていたら驚きますけどね。


 その静寂を破るように、足早に廊下を進んでいく兵士の姿があります。

 鎧姿の兵士は城の奥へと進み、二人の衛兵が守りを固める大きな扉へと近付いていきました。


 廊下を進んできた兵士と衛兵は顔見知りのようで、互いに頷き合った後で扉が開かれました。


「申し上げます。カレグ様の陣にて動きがございます。恐らく夜襲を仕掛けるおつもりかと思われます」


 扉の内側は、二十畳ほどの広さの部屋で、三人の年配の男性が円卓を囲んでいました。

 身に付けている服装や年齢から推測するに、フェルシアーヌ皇国の重鎮といったところでしょう。


 その内の一人、大柄な男性が口を開きました。


「モンソ様に知らせたか?」

「はい、既に知らせを走らせております」

「カレグ様に兵を退かれるように進言する手紙は?」

「お届けいたしましたが……」

「分かった。動きがあれば知らせよ、下がって良いぞ」

「はっ!」


 三人に向けて敬礼をした兵士は、部屋を出て戻っていったようです。

 僕は、ちょっとこの三人の様子を探らせてもらいます。


 兵士が退室した後、大柄な男性の左手に座った細身の男性が口を開きました。


「バイロン、カレグ様を何とか止められぬのか?」

「止められるものならば、とっくに止めている。皇族の兵に槍を向ける訳には行かぬと何度も言っておるだろう」

「モンソ様に退いてもらうというのは?」


 もう一人の太った男性の言葉に、バイロンと呼ばれた大柄な男性は首を横に振ってみせた。


『ケント様、おそらく、このバイロンという男が騎士団長で、残りの二人が政務の長を務めている者でしょう』

「フェルシアーヌの現時点での最高会議みたいな感じかな」


 フェルシアーヌの重鎮が顔を揃えても、皇族の兄弟喧嘩を止められないという感じなのでしょうか。


「陛下が目覚められて、双方に兵を退くように命じられたと……」

「馬鹿を申すな、ヘンリー。陛下の言葉を偽るなど許されぬ」


 ヘンリーと呼ばれた太った男性の言葉を、痩せた男性が一蹴しました。


「ケネス、この非常時なのだ、もう少し融通を利かせてくれぬか」

「私が法を曲げたら、いったい誰が正すというのだ。法の権威は金で買えるものではないぞ」

「だが、このまま戦いが続けば、どれほどの被害が出るか。もう既に皇都の西側は酷い有様になっている。あれを復興させるのに、いくらかかると思っているんだ」

「それは、私の預かり知るところではない。そなたの腕の見せ所だろう?」

「簡単に言ってくれるな。まったく、爆剤などに手を出すとは……カレグ様は何を考えていらっしゃるのだ」


 どうやらヘンリーという太った男が財務担当、ケネスという痩せた男が法務担当といったところのようです。

 そのケネスが、ヘンリーから視線を転じてバイロンに訊ねました。


「バイロン、一体いつ頃からカレグ様はキリアと通じておられたのだ?」

「キリアがヨーゲセンに戦を仕掛ける以前であったのは確かだな。モンソ様は、どちらかと言えばヨーゲセン寄りだからな、その裏返しだ」

「だが、あの大量の爆剤は、どこから持ち込んだのだ?」

「それについては騎士団の手落ちがあったことは認める。だが、今日の戦闘の最中に殆どが吹き飛んだと報告を受けている」

「取り扱いを誤ったのか?」

「恐らくは、そうであろうな。味方にも被害が及び、カレグ様自身も負傷されたらしいが……それでも折れぬ心は大したもの」

「あれで、もう少し周囲の助言を聞き入れる度量があれば、良き皇帝になられるのだろうが」


 ケネスの愚痴にバイロンは頷きましたが、ヘンリーは反対のようです。


「いいや、好戦的すぎる。カレグ様が皇帝になられたら、間違いなくキリアと手を組むだろう。キリアが再びヨーゲセンに攻め込む手助けをするどころか、その切り取りに参加するやもしれぬ。戦となれば金がかかる。それに見合うだけの領土が切り取れるのか、切り取ったところで治めていけるのか、戦の最中にバルシャニアに背中を突かれぬか……いったい戦費がいくら掛かると思っているんだ。城の蔵には金が泉のように湧くとでも思っているのか?」

「落ち着け、ヘンリー。あくまでも仮の話だし、カレグ様が皇帝になられたなら、ワシも全力でお諫めする」

「ケネス、それでカレグ様が止められるのか?」

「それは……」

「止められるぐらいなら、今のような状況は起こっていない、そうだろう?」


 ヘンリーの言葉に、ケネスもバイロンも頷くしかないようです。

 どうやら第三皇子のカレグは、重鎮達も手を焼くほどの猪突猛進タイプのようですね。


「本来であれば、第一皇子であるレーブ様が皇帝になられて、モンソ様、カレグ様が脇を固める形が理想なのだがな……」

「ヘンリー、それは言っても仕方がないだろう」

「だがケネス、この状況ではヘンリーがぼやくのも無理は無いだろう」

「そうだな……」


 三人が黙り込んで重たい沈黙が漂った時、再び部屋の扉が開かれました。

 入って来たのは、兵士ではなく女官と呼ぶのがふさわしい感じの女性でした


「ご報告いたします。陛下のご容態にお変わりはございません」

「まだお目覚めになりそうもないか?」


 苛立たしげなヘンリーの口振りにも、女官は顔色どころか表情すら変えずに答えて。


「はい、昨日よりは回復しつつあると、薬師のクワイン様、治癒士のミムス様、共に同じお見立てでございます」

「そうか……下がって良いぞ」

「失礼いたします」


 ヘンリー、ケネス、バイロンの三人のオッサン達は、打つ手なしといった感じなので、報告に来た女性の後に着いて行きましょう。

 報告を終えた女性は、城の更に奥へと進んで行きます。


 一旦建物を出て、庭園を抜けた先の建物へと入っていきました。

 どうやら、皇族が暮らす建物のようです。


「うん、薬湯の匂いがするね」

『ケント様、急がれた方がよろしいのでは?』

「でも、さっきの報告からすると、急死するような感じではないんじゃない?」

『まぁ、そうですが、皇帝が死去すれば内戦騒ぎになる可能性がございますぞ』

「うん、でもまぁ、レビンとトレノがいれば、直接的な戦闘は止められる気がするけどね」


 能力を発揮している時のレビンとトレノは、雷雲の中心みたいな存在です。

 金属製の鎧を身に着けている兵士にとっては、悪夢のような存在でしょう。


 重鎮たちに報告に出向いた女性は、扉が開け放たれたままになっている部屋の前で一礼すると、室内へと踏み込んで行きました。


「失礼いたします。報告してまいりました」

「あぁ、どうもありがとう、ご苦労さま」


 女性を出迎えたのは、血色の良い四十代ぐらいの男性と、落ち着いた感じの四十代後半から五十代半ばぐらいの女性でした。

 この二人が治癒士と薬師なのでしょう。


「では、ミムス、私は下がって休ませてもらうよ。私の見立てでは、陛下がお目覚めになられるとしても夜半過ぎになるはずだ」

「ええ、そうね。私もそう思うわ」

「陛下がお目覚めになられたら、気付けの薬湯を召し上がっていただいて、三賢の方々にお知らせする……それで良いね?」

「ええ、私もあと一度治癒の施術を行ったら、一旦下がって休ませていただくわ」

「それが良い。この三日ほどはお互いに休んだ気がしていないからな」

「そうね、明日陛下がお目覚めになった後も、すんなり休める訳じゃないからね」


 どうやら、血色の良い男性が薬師のクワイン、女性が治癒士のミムスのようです。

 話の感じからすると、フェルシアーヌの皇帝エグンドは快方に向かっているようです。


 控え室と思われる部屋から出て行くクワインを見送った後、大きく伸びをしてからミムスも席を立ちました。

 恐らく皇帝に治癒の施術をしに行くのでしょうから、一緒に付いていきましょう。


 皇帝の寝所は、控え部屋から渡り廊下を通った離れにありました。

 離れの周囲は魔道具によって明るく照らされ、金属鎧に身を固めた兵士がグルリと周囲を囲んでいました。


「おぉ、人間の壁だね」

『フェルシアーヌの皇帝ですからな』


 皇帝の寝所に入るには、治癒士のミムスでさえも女官による身体チェックを受けていました。

 寝所は三十畳以上ありそうな広さで、その中央に八畳ぐらいの広さのベッドが置かれ、初老の男性が若い女性二人に挟まれる格好で眠っていました。


 皇帝エグンドの年齢は六十代ぐらいでしょうか、エラの張った意志の強そうな面構えをしていますが、病による窶れが見えます。


「施術を行います」


 ミムスが声を掛けると、エグンドの左側に横たわっていた女性が布団の中からでて来たのですが……何も身に着けていませんでした。


『人肌で温めていたのでしょう……』

「あぁ、なるほど……」


 ちょっとエッチな想像をしてしまったのは内緒です……って、ラインハルトには思考が筒抜けになってたんでしょうか。

 それにしても、ムチムチした体は確かに温かそうです。


 治癒士のミムスは、女性が横たわっていた場所に跪くと、両手をエグンドの左胸にかざして詠唱を始めました。


「マナよ、マナよ、世を司りしマナよ、集え、集え、我が手に集いて癒しとなれ」


 治療している間、入り口で身体チェックをした女官が右手で短剣の柄を握りながら、ミムスの背後に控えていました。

 仄かに光を放っていた両手を離すと、ミムスは大きく息を吐き、ローブを羽織って控えていた女性に頷きました。


「先程、クワイン様とも話し合いましたが、恐らく明日にはお目覚めになられると思われます。油断せず、小さな異変であっても気付いたら知らせなさい」


 静かだけれど、威厳に満ちたミムスの言葉に、二人は揃って頭を下げました。


「ラインハルト、僕の出番は無いんじゃない?」

『一応、エグンドの体を調べておかれてはどうですかな』

「そうだね……」


 影の中からエグンドの背中に手を当てて、治癒魔術で体内の様子を探ってみると、胃に潰瘍らしきものが出来ている他は、特段問題は感じませんでした。


「とりあえず、今回は様子見に留めておくよ。ムルト、エグンドの様子を見張って、目を覚ましたら知らせてくれるかな?」

「わふぅ、任せて、ご主人様」


 ムルトをワシワシと撫でまわした後、ヴォルザードへと戻りました。

 うん、皇帝エグンドと同衾している女官を観察なんかしてないからね……ちょっとしか。

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