第537話 初めての戸惑い

「アマンダさん、お昼ご飯を食べさせて下さい……」

「なんだよ国分、自分ちの食堂には飯が無いのか?」


 ヴォルザードに戻って、アマンダさんのお店に行くと、丁度昼の営業が終わって綿貫さんが片付けているところでした。


「うーん……たぶん帰れば何かしらあるとは思うけど……」

「ヴォルザードのお袋さんの飯の方が良いってか? アマンダさん、ハラペコ息子が帰って来たよ!」

「はいよ、いいから待たせておきな!」

「はーい! だってさ」


 うん、このぞんざいな扱いが我が家に帰って来た感じなんだよねぇ……。

 少々お待ちください、旦那様……とか言われちゃうと、なんか申し訳なくなっちゃってね。


 食器を下げるのを手伝って、綿貫さんがテーブルを拭き終えれば、お待ちかねの昼食です。

 本日の賄いは、鶏肉のクリームシチューとパスタを合わせたものです。


「はいよ、ケントは大盛にしておいたよ」

「ありがとうございます、いただきまーす!」

「ほらほら、そんなにがっつかなくても、誰も取りやしないよ」

「そうなんですけど……むぐむぐ……どこかからお呼びが掛かると……」

「話すのは食べてからでいいよ。まったく、Sランクの冒険者とは思えないよ」


 呆れられても良いんです。

 これ食べて一休みしたら、マスター・レーゼの所にリーベンシュタインの件を報告に行かないといけませんからね。


「国分、今日はどこに行ってきたんだ?」

「今日? 今日はねぇ……リバレー峠の山賊を捕まえに行って、マールブルグに行って領主のノルベルトさんに報告して、それからリバレー峠の麓の守備隊の駐屯地に行って……」

「あぁ、もういいや。めっちゃ忙しかったのは分かった」

「でも、山賊の件はまだ良かったんだけど、リーベンシュタインの領主が頭が固くって……」

「リーベンなんとかって、どこにあるんだ?」

「峠を越えて、バッケンハイム、ブライヒベルグ、その向こう側だね」


 パスタを食べながら、リーベンシュタインがどんな国とか、新コボルト隊による連絡網を断られたこととかを話しました。


「へぇ……国分が愚痴るとか珍しいな」

「そりゃ愚痴りたくもなるよ。だって、どう考えたって便利だし、領主だったら個人的な好き嫌いよりも領民の利益を優先すべきでしょう」

「まぁな……それで、国分としては一件分の儲けが減ってガッカリってか?」

「えっ、お金取ってないよ」

「はぁぁ? マジで? タダで眷属を貸し出しとか、お人好しにも程があるだろう」


 新コボルト隊の連絡網について、お金を取っていないと伝えると綿貫さんに思いっきり呆れられちゃいました。

 でもね、それはちょーっと違うんだよなぁ……。


「ちっちっちっ……綿貫さんタダほど高い物は無いんだよ」

「うっわぁ……国分が悪い顔してるよ。何を企んでるんだ?」

「企むなんて人聞きの悪い……僕は、このコボルト隊の連絡網に適正な価格を設定していただけるように、実際に試してもらって、その有用性を実感してもらっているだけだよ」

「うわぁ、えげつないなぁ……極悪じゃん。一瞬で遥か遠くの領地まで手紙が届く……日本ならメールや電話でいくらでも連絡取れるけど、こっちじゃ他の手段は無いんだろう?」

「うん、でも鳥を使った連絡法とかはあるらしいよ」

「いやいや、絶対に他では真似の出来ないサービスを体験させておいて、さぁいくら払ってくれますかなんて……悪いなぁ」

「いや、でも正直な話、いくら貰ったら良いのか値段の付けようが無いしさ、それなら逆に値段を付けてもらっちゃおうかと思ってね」


 瞬時に遠方まで手紙を届けてくれるだけでなく、影の中からの監視業務やボディーガードもこなし、なおかつモフモフなのだから値段なんて付けられません。

 リーベンシュタインの件を伝える時に、報酬についてもマスター・レーゼと相談しておいた方が良さそうです。


「でも、国分はそのぐらいガメつくても良いのかもな」

「うーん……あんまり高い報酬を要求するのも、正直ちょっと気が引けるんだよね」

「眷属任せで何もしてないから?」

「違います! ちゃんと働いてるからね。今日だって捕らえた山賊は送還術で送り届けたんだからね」

「はいはい、分かってるって。でも、働いてるなら堂々と報酬を受け取れば良いだけじゃないの?」

「そうなんだけど、他人の目には働いてる所とか見えないし、そうなると楽して儲けてるって思われかねないからね」

「なるほど、妬みやっかみか……確かにそれは面倒そうだな」


 それに、領主やギルドからの指名依頼となると、報酬は税金や冒険者達の手数料から捻出されるので、余計に妬みの対象となりかねません。


「なるほど、俺達の金で儲けて、デカい家で良い暮らししてやがる……とか?」

「まぁ、そんな感じだね」


 日本のようにインターネットもSNSも存在していないから、炎上騒ぎにはならないだろうけど、程々にしておかないと……って、既に手遅れではあるけどね。

 自分から良い人アピールする気は無いけれど、無用な反発も買いたくないんだよねぇ。


「そう言えば、さっきの山賊の話って、もしかしてジョー達のためにやったの?」

「おっ、さすが綿貫さん鋭いねぇ」

「国分も甘いねぇ……」

「まぁ、否定はしないけど、五十人以上の山賊が、近藤達が護衛する車列を狙っているって分かったら、手を打たない訳にはいかないでしょ」

「えっ、そんなにいたの? 国分いなかったらヤバかったじゃん」

「うん、まぁ優秀な眷属が知らせてくれたんだけどね」

「やっぱり、楽して儲けてる?」

「働いてます!」

「にししし……冗談だって」


 綿貫さんと話し込んでいたら、裏口のドアが開く音が聞こえました。


「おっ、うちの姫様のお帰りみたいだな。お帰り、メイ……サ?」


 綿貫さんの戸惑った様子を見て、振り返ると項垂れたメイサちゃんの姿がありました。


「メイサちゃん?」

「ケント……助けて、ケント」

「ちょっ、どうしたの?」


 僕の顔を見た途端、メイサちゃんはボロボロと涙を零しました。

 慌てて席を立って歩み寄ると、ギューって抱き付いてきたけれど、いつものロケットみたいな勢いがありません。


「どうしたの? 何があったの、メイサちゃん!」

「ケント……助けて、ケント。あたし死んじゃうかもしれない……」

「落ち着いて、大丈夫だから、僕が絶対に助けるから」

「ホント? ホントに?」

「本当だよ。だから落ち着いて、何があったのか話して」

「あたし……腐敗病になったのかも」


 腐敗病というのは、虫垂炎をこじらせて重度の腹膜炎などを引き起こした状態です。

 日本ならば虫垂炎は怖い病気ではありませんが、医学が進歩していないこちらの世界では命に関わる病気なのです。


「大丈夫、腐敗病だって僕が治すから心配要らないよ」

「でも……でも、血が止まらないの」

「えぇぇ! 血が止まらないって……」


 パッと見た感じでは、どこも怪我をしているようには見えません。

 すると、ギューっと抱き付いていたメイサちゃんが腕を解いて一歩後ろに下がり、スカートを捲り上げるとパンツが血に染まっていました。


「よーし、国分の出番はそこまでだ!」

「はっ? えっ?」


 何のことかと振り返ると、席を立った綿貫さんは、伝票の裏側に何やら走り書きをしました。


「国分のとこのコボルトちゃん、このメモを唯香の所に持って行って、品物を受け取って来てくれる?」

「わふぅ! 任せて!」


 真っ先に飛び出して来たリーベルトが、綿貫さんからメモを受け取って影に潜って行きました。


「えっと、治療は……?」

「必要無いよ。こっちでは、どう言うんだろうね。アマンダさん、メイサ、おめでとう」

「ありがとうね、サチコ。まだまだ子供だと思ってたのにねぇ……おいで、メイサ」


 事情が飲み込めていないようですが、メイサちゃんは不安げな足取りでアマンダさんに歩み寄り、抱き付きました。


「お母さん……」

「大丈夫だよ。それはね、赤ちゃんを産めるようになりました……って知らせさ」

「えっ、そうなの……?」

「これから長い付き合いになるからね。でもまぁ、サチコが良い物を分けてくれるから大丈夫だよ」

「ケントじゃ駄目なの?」

「こればっかりはケントでも無理だろねぇ」


 いや、その視線は何ですかメイサちゃん。

 そりゃあ、絶対に助ける……なんて言ったけど、それは病気や怪我の場合であって、女性特有の生理現象まではどうにもならないんですよ。


「国分……」

「なに?」

「もう、メイサに手を出すなら覚悟しろよ」

「いやいや、覚悟以前に手なんか出さないし、なんか生々しいからやめて」

「にししし……妹が急に大人になってドギマギしちゃってる?」

「うーん……というか、こういう場面に立ち会ったことが無いから、どう反応して良いかの分からなくて……」

「そんなの、おめでとうに決まってるだろう。メイサが大人への階段を一歩上ったんだからさ」

「そっか……おめでとう、メイサちゃん」

「あ、ありがとう……」


 おぅ、何か妙にしおらしくて調子狂っちゃいますね。


「わふぅ、貰ってきたよ」

「おぉ、ありがとう。助かったよ……」


 包みを受け取った綿貫さんにワシャワシャと撫でられて、リーベルトは嬉しそうに尻尾を振ってみせました。


「さーて、メイサ。風呂場で体を洗って着替えようか、気持ち悪いだろう?」

「うん……」


 綿貫さんに連れられてメイサちゃんがお風呂場に向かうと、アマンダさんは大きく一つ息を吐くと、右手で目元を覆って肩を震わせました。


「アマンダさん……」

「あぁ、ゴメンよ。みっともない所を見せちまって」

「みっともなくないですよ」


 アマンダさんは、目元を右手で覆ったまま二度、三度と頷いてみせました。


「メイサが生まれたばかりの頃は、夜泣きが酷くてねぇ……店もやらなきゃいけないし、メイサも育てなきゃいけないし……全然やっていける自信がなかったんだよ」


 旦那さんを亡くして、一人で店の営業と子育てを担うことになり、アマンダさんは精神的にも肉体的にも追い詰められたそうです。

 そんな状況に手を差し伸べてくれたのは、近所の人や店の常連さんだったそうです。


「店の仕入れ、仕込み、営業中も配膳や食器の片付け、メイサの面倒……皆さんに助けてもらっていなかったら、メイサの首を絞めて、あたしも首吊って死んじまってただろうね」

「アマンダさん、お疲れ様でした。まだまだ心配は尽きないでしょうけど、メイサちゃんは立派に育ちましたよ。曲がったことが大嫌いで、周りの人に思いやりをもって接することが出来る。メイサちゃんの良いところは、間違いなくアマンダさん譲りですよ」

「いいや、それこそ周りの皆さんのおかげだよ」

「よしっ、お祝いにケーキ買いに行ってきますよ」

「そんなに気を使わなくていいよ。あんまり甘やかすと調子に乗るからね」

「でも、いいじゃないですか、今日はアマンダさんにとっても記念の日ですから」

「そうかい……それじゃあ、ケントの厚意に甘えさせてもらおうかね」


 目元を拭ったアマンダさんの笑顔は、ちょっと誇らしげに見えました。

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