第529話 ハニートラップの裏側

「影に潜って移動ができるコボルトを使った連絡網か……数瞬でヴォルザードにも届くという訳だな?」

「はい、その通りです」


 エーデリッヒにある領主の館の応接室で、領主のアルナートさんにエーデルトを紹介しながら闇属性ゴーレムのペンダントを手渡しました。

 以前、海賊騒動の際にも、アルナートさんには連絡用のコボルトを付けておいた事があったので、大体の使い方は理解してもらえたようです。


「このエーデルトだが、ジョベートとの連絡に使っても構わんか?」

「えぇ、構いませんよ。ただ、こちらからは自由な時間に書簡を届けられますが、向こうから呼び出すことは出来ません」

「分かっている。少々の制限があろうとも、瞬時に書簡のやり取りが出来る利点の方が遥かに大きい」


 エーデリッヒからジョベートまでは、馬を走らせても一日掛かるそうです。

 当然、手紙をやり取りするには往復で二日掛かってしまいます。


 訓練した鳥を使った連絡方法もあるそうですが、天候によっては飛ばせませんし、猛禽類に襲われる可能性もあるので、100%確実な連絡手段ではないそうです。


「ジョベートの館に文箱を置き、そこに決まった時間に書簡の配達回収を行えば良い。こちらから急ぎの場合には、直接相手を探させて届けて、返事を書くまで待たせておけば良いし、あちらから急ぎの場合には、何か印を付けさせれば良い。まぁ、その辺りについては、こちらで工夫させてもらう」

「はい、エーデルトにとっては、ジョベートとの往復は苦になりませんから、上手く活用して下さい。出来れば一度ジョベートの屋敷に連れていって、文箱を設置する場所や急ぎの手紙を渡す人などを教えてやって下さい」

「そうだな、何の予備知識も無しで働けと言うのは無理だな。分かった、それもこちらで手配しよう」


 アルナートさんは、大金持ちの前アメリカ大統領にそっくりの風貌にネコ耳が生えているという冗談みたいな人ですが、頭の回転が速いやり手です。

 たぶん、エーデルトについても、僕らが思い付かないような活用方法をしそうな気がします。


「ケント・コクブ、たとえば、エーデルトに出入りの商人の調査を頼んでも構わないか?」

「と言いますと?」

「たとえば、禁制品を扱っていないか……とか、守備隊の物資調達担当と癒着していないか……とか、影の中からなら覗き見出来るのであろう?」

「そうですね。出来るか出来ないかと聞かれれば出来ます。ただ、その調査を行っている間は連絡要員としての働きは出来なくなってしまいますよ」

「当然だな。スケジュールの管理を行えば問題なかろう」

「うーん……本来の目的とは異なってしまいますが、連絡要員としての働きに支障をきたさない範囲であれば構いませんよ」

「そうか、ならば相談しながら活躍してもらおう。頼むぞ、エーデルト」

「わふぅ、任せて、任せて!」


 強面の領主と知って少し緊張気味だったエーデルトですが、頼られて活躍する場所を与えてもらえると知り、嬉しそうに尻尾を振っています。

 僕としても、活用してもらうために派遣するのですから、本来の目的が損なわれない限りは、自由に使ってもらって構わないと思っています。


 それに、新コボルト隊が手に入れた情報は、僕も手に入れられますからね。

 ランズヘルトの各領主家の内情なんてものも、図らずも手に入ってしまうでしょう。


「それでは、説明も終わりましたので、僕はそろそろ……」

「ケント・コクブよ、遊んでいかなくても良いのか?」

「とんでもない、嫁にバレたら大変なんですよ」

「バレなければ良いのだろう?」


 事もなく言ってみせるアルナートさんは、恐妻家ではないのでしょうね。


「いやいや、そういう問題では……というか、そこまでして僕を取り込みたいんですか?」

「当然だろう、そなたほどの力を持つ冒険者など、ランズヘルト中を見回したところで一人もおらん。だが、別に取り込むために女を宛がう訳ではないぞ」

「えっ、違うんですか?」

「エーデリッヒが、どれだけ世話になったと思っている。クラーケンを退治して、シャルターンの海賊を退治して、ドミンゲスに落とし前を付けさせた。どれ一つとっても、我々が総力を傾けても成しえなかった事ばかりだ。その英雄を陥れるような真似はせん」

「では、純粋な接待だと……?」


 アルナートさんは、ニヤリと笑って頷いてみせた。


「二人とも、同意の上でシッカリと教育した生娘だ。妾として囲うならば手ごろな屋敷も用意するぞ」

「いや、それは……」

「女を道具のように扱っていると思うか?」

「ま、まぁ、そうですね……」

「世の中には、己の身を投げ出してでも何かを守りたいと思う者がいる。あの二人にも、強制など一切しておらんぞ」


 ハニートラップ要員だと思っていたメイドさん達は、いわゆるスラムの出身だそうです。

 教育を受けたのは閨房術だけでなく、一般教養や礼儀作法なども教え込まれていて、一般のメイドさんとしても十分すぎる実力を備えているそうです。


「そなたの生まれ育った国ではどうか知らぬが、ランズヘルト共和国の上流階級では複数の妻を持つことは珍しくない。教養も無い者が、そうした場所に入り込めば侮られ苦労するのは目に見えているが、逆に一人の人間として相応の見識を備えている者は認められる」

「単純な愛人ではなくて相談役でもあるんですか?」

「その通りだ。エーデリッヒ家が斡旋するのだから、エーデリッヒは勿論、シャルターンとの交易、リーベンシュタインやフェアリンゲンに関する知識も蓄えているぞ」


 これって、エーデリッヒの有能な現地秘書を雇うみたいなものなんですかね。

 正直、気持ちがグラグラ揺れてますよ。


「無論、二人ともケント・コクブが何者で、どんな功績を残しているのか、自分が妾となったらどんな働きが出来るのか理解している。その上で、我こそはと手を上げた者だが……その気持ちを無下にするのか?」

「うっ……その言い方は、ちょっとズルくないですか?」

「なぜだ、そなた程の能力があるならば、現地妻の五人や十人いたところで不思議ではないだろう」

「いやいやいや、その発想は危険すぎます。というか、既に四人も嫁がいますので、当面は妾を囲う予定はありませんよ」

「そうか、ならば無理強いするつもりは無いが……必要となったらば、いつでも声を掛けてくれ」

「か、考えておきます……」


 これ以上長居をすると、誘惑に負けてしまいそうなので、尻尾を巻いて退散させていただきました。

 エーデリッヒの領主の館から、影に潜って次の目的地へと移動します。


「ふぅ……危ない、危ない……」

『ぶはははは……折角ですから好みの方を貰っておけば良かったかもしれませんぞ』

「いやいや、唯香達にバレたら何時間説教されるか分かったもんじゃないよ」

『ですが、エーデリッヒ周辺の最新の知識が手に入りますぞ』

「うん、確かにその通りかもしれないけど……あのアルナートさんだから、裏があるんじゃないかと思って」

『ほぅ、と仰られますと?』

「知識は確かに最新のものかもしれないけど、エーデリッヒに有利なように誘導されないかと思ってね」

『なるほど、確かにあの御仁ならばありそうですな』


 僕にとって便利な知識だと思って頼っていたら、実はエーデリッヒのためにと操られていたなんて事になったら洒落になりませんからね。


『ですが、ケント様。それだけ警戒なさっておられるならば、操られる心配は無いのではありませぬか?』

「とんでもない。あの肉体でエーデリッヒ家直伝の閨房術なんて使われたら、あっさり溺れる自信があるからね。触らぬ神に祟り無しだよ」

『ぶははは、ケント様の歳で、それだけの自覚があるならば大丈夫ですぞ』

「とにかく、この件はおしまい。でもって、唯香達には知られる前に僕から話す」

『予防措置は万全ですな?』

「勿論、家内安全のためだからね」


 後ろ髪を強烈に引かれる思いを断ち切って、フェアリンゲンへと向かいましょう。

 フェアリンゲンの領主ブロッホさんの姿は、ギルドの応接室にありました。


 ブロッホさんと話をしているのは、身なりの良い三人の男性です。

 二十代後半ぐらいの人が一人、他の二人は四十代ぐらいに見えます。


「では、ヴォルザードに出先機関を設ける事でよろしいですね?」

「はい、異存はございませんが、その連絡手段というのは、本当に出来るのですか?」


 ブロッホさんの確認に答えたのは、一番年長に見える男性でした。


「その件に関しては問題ないでしょう。何時になるかはケントさん次第ですが……」

「ブロッホ様、一人の冒険者に頼りすぎるのは危険ではありませんか?」

「確かに、ケントさんに頼りきりになるのは危険ですが、いずれ我々はリーゼンブルグとの交易も再開する必要があります。ランズヘルト国内だけでは、売れる品物はいつかは頭打ちとなります。シャルターン王国が不安定な状況にある以上、別の交易先としてはリーゼンブルグが一番現実的です」


 どうやらブロッホさんは、リーゼンブルグとの取引も本格化させたいようですね。


「しかし、リーゼンブルグと交易を行うには、魔の森を抜ける必要がありますよ」

「その魔の森の危険度も、ケント・コクブ次第という話も聞いています」


 残りの二人の男性が不安を訴えましたが、ブロッホさんは二度三度と頷いた後で話を進めました。


「確かに、連絡方法も、輸送方法も、魔の森の危険度さえもケントさん次第ですが、それは他の領地の業者にとっても同じ条件です。リスクがあるからと言って、何もしなければ新しい道は切り開けません。なので、リスクは最小限に留め、最初は小規模でスタートを切り、状況を見極めつつ事業を拡張していきましょう」

「では、その出先機関というのは……」

「主に事業を始めるための情報収集をやってもらいます」


 ブロッホさん以外の三人は、目線を交わし合った後で頷くと、代表して一番年上に見える男性が姿勢を正して話し始めました。


「分かりました、協力させていただきます。まずは、それぞれの組合から二名を送り込み、その内の一名をアルダロスまで送るというのはどうでしょう?」

「けっこうです、私の方からは四名の護衛を出しましょう。出立の予定は、一週間後ではいかがですか?」

「結構です。見本となる品物は我々で選ばせていただきます」

「そちらに関しては、全面的にお任せいたします」


 どうやら話がまとまったようで、三人の男性は本業とは関係のない雑談を少しした後で引き上げて行きました。

 ブロッホさんは、男性達をギルドの出口まで見送った後で執務室へと戻りました。


 ではでは、お邪魔いたしましょうかね。

 人の目が無いのを確認して廊下に出て、執務室のドアをノックしました。


「入りたまえ」

「失礼します……」

「ケントさん!」

「先日お伝えしたコボルトによる連絡網の目途が立ちましたので、お邪魔しました」

「おぉ、そうですか。実は、つい今しがたも繊維業界の代表達と相談していたところなんです」

「ギルドの出口でお見かけした三人の男性ですか?」

「そうです、そうです。木綿、絹、毛織物のそれぞれの代表です」


 盗み聞きしたとは、ちょっと言いづらいですからね。


「相談とおっしゃると、シャルターン王国の件ですね?」

「それもありますが、リーゼンブルグ王国へも販路を広げようかと考えています。どうぞ座って下さい」


 ブロッホさんは僕にソファーに座るように勧めると、ハンドベルを鳴らして職員にお茶を頼みました。

 リーゼンブルグ進出の話は、こっそり聞かせてもらったので、まずは本題のフェアルトを紹介しちゃいましょう。


「ブロッホさん、こちらがフェアリンゲンの領主さんを担当するフェアルトと、これが目印となるペンダントです」

「おぉ、ありがとうございます。もう他の領地には参られたのですか?」

「ヴォルザードとバッケンハイム、エーデリッヒ、それとマスター・レーゼの所にはコボルトを配置し終えました」

「残りの領地にも配置はされるのですね?」

「はい、遅くとも明後日には配置を終えたいと思っています」

「そうですか、ありがとうございます。これで連絡が迅速に取れるようになります。ところで、このフェアルトですが、例えば我々がヴォルザードに設ける拠点との連絡に活用するというのは有りですか?」

「それは構いませんが、場所を教えていただかないと、フェアルトが辿り着けませんよ」

「そうですか……いきなり知らない場所には行けないのですね」

「はい、一度訪れた場所であれば、影の空間経由で行って来られますが、知らない場所への移動は出来ません」


 どうやら当てが外れたようで、ブロッホさんは腕組みをして少し考えを巡らせていました。


「ケントさん、たとえば、地図を描いて説明したら、フェアルトは場所を理解してくれますか?」

「うーん……どうでしょう。地図次第ですかねぇ」

「例えば、ケントさんにお願いしたら、拠点まで案内していただけますか? 時間のある時で結構なんですが……」

「ま、まぁ、その程度でしたらやりますよ」

「おぉ、ありがとうございます。まだ拠点が出来るのは先の話ですが、その時には、よろしくお願いします」


 やっぱり領主ともなれば、情報伝達の重要性を理解していますね。

 この後、フェアルトの活用法などを確認し合ってから、ヴォルザードへと戻りました。

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