第528話 領都エーデリッヒ

 マールブルグから、エーデリッヒの港町ジョベートへ移動しようとしたらラインハルトに待ったを掛けられました。


『ケント様、エーデリッヒの領都はジョベートではございませんぞ』

「えっ、そうなの?」

『領都エーデリッヒは、もっと内陸にある街です』


 エーデリッヒというと、クラーケン討伐の指名依頼を受けてからジョベートにしか行っていなかったので、てっきりジョベートが領都だと思い込んでいました。

 エーデリッヒは、シャルターン王国との交易と塩によって栄えた領地だそうです。


『エーデリッヒは、旧リーゼンブルグ全土の塩を一手に扱っておりましたので、全盛期には莫大な富を手にしておりました』

「それって、今も殆ど同じ状況じゃないの?」

『おそらく塩の扱いに関して、何らかの取り決めが行われたのでしょう。それに、いくら金があったとしても領地には限りがあり、養える領民の数にも限りはございます』

「たしか、エーデリッヒの領地自体は、あまり広くなかったよね?」

『おっしゃる通り、穀物などを栽培できる土地にも限りがあり、古くはリーベンシュタインと土地を巡る争いを続けておりました』


 エーデリッヒには塩があり、リーベンシュタインには穀倉地帯があります。

 互いに欲するものを手に入れるために争いが繰り返されていたそうですが、両者が共に疲弊したところをフェアリンゲンやブライヒベルグに度々突かれ、争う愚を悟ったようです。


「という事は、現在のランズヘルト共和国は絶妙なバランスの上に成り立っているって事なのかな?」

『おっしゃる通りですが……』

「ん? 何か問題でもあるのかな?」

『はい、ケント様の存在です』

「えぇぇ……僕が問題なの?」

『問題も問題、大問題ですぞ、ぶはははは……』


 笑い事で済む程度ならば大丈夫だろう……なんて思ったのは間違いでした。


『ケント様と我々眷属の力を合わせれば、他の領地を簡単に攻め落とせるほどの戦闘力ですぞ』

「うっ……でも、それは魔物の極大発生に備えるという意味でも必要だし、他の領地を占領しようなんて考えていないよ」

『そうですな、ケント様は考えておりませんが、周囲の者達が理解しているとは限りませんぞ』


 確かに、僕を良く知らない人から見れば、強大な戦力を有している危ない奴だと思われているかもしれません。


『それに、ケント様が持ち込まれた鉄と銅も領地同士の力関係に影響を及ぼしております』

「あぁ、そっか……マールブルグにとっては脅威そのものだもんね」


 高純度の鉄筋や銅のインゴットは、まだ大っぴらに取引されている訳ではありませんが、ジワジワとクラウスさんが売却を進めているようです。


『これは、ワシの推察に過ぎませぬが、ヴォルザードの経済状況は他の領地に比べると劣っているのは間違いないでしょう。ダンジョンから採掘される貴金属や宝石などを元に、多くの宝飾品が作られて取引されておりますが、エーデリッヒの塩やリーベンシュタインの穀物などに比べれば全体の扱い額は桁一つぐらい低いはずです』

「もしかして、クラウスさんのお金への執着は、それが理由なのかな?」

『いいえ、あれは個人の性格によるものでしょうな』


 うわぁ、ラインハルトにバッサリと切り捨てられちゃったよ。

 まぁ、クラウスさんの性格は、うちの嫁にも受け継がれているみたいですしね。


『経済的な規模の違いは、街の大きさや屋敷の規模などでも見て取れますぞ』

「あぁ、そう言えば、リーベンシュタインの領主の館は凄かったね」

『これから参るエーデリッヒも、負けず劣らずの規模でございますぞ』

「そうなんだ、ちょっと楽しみだね」


 生前にエーデリッヒを訪れた事のあるラインハルトが先行し、僕はラインハルトを目印として移動しました。


『ケント様、エーデリッヒを見るのであれば、まずは星属性の力を使って空の上から御覧くだされ』

「分かった。理由があるみたいだけど、まずは上から眺めてみるよ」


 マルト達に体を預けて、意識をエーデリッヒの上空へと飛ばしました。


「これは……凄い」


 湖の畔に建てられた宮殿を中心として、碁盤の目のような街並みが広がっています。

 方角までは分かりませんが、たぶん東西南北に仕切られているのでしょう。


 街の規模は、これまでいくつか見て来たランズヘルト共和国の街の中では群を抜いている大きさです。


「これって、計画的に作られた街だよね……」


 たとえば、ヴォルザードの場合は最初に作られた旧市街の回りに、新たな城壁を増設する形で広がっています。

 そのため、場所によっては古い城壁によって入り組んだ街並みとなっていて、慣れないと道に迷うほどです。


 バッケンハイムの街並みも、大きな研究施設の間に自然発生的に商店や家並みが建ち、通りは迷路のようで、馬車で通行するには案内人が必要なほどです。

 それと比べてエーデリッヒの街並みは、等間隔に馬車が通れる広い通りが走り、その間にも等間隔で生活道路が作られています。


 更には、建物の広さにも制限があるようで、それぞれの庭が繋がり緑地帯のように街区を貫いています。

 これは、最初からこの形になるように制限を掛けて、計画的に作らなければ不可能な街並みです。


「凄いな……でも建物の感じからすると、もう出来てからかなりの年数が経っているみたいだし、財力のなせる技なんだろうね」


 街並みの中には、石畳の広場や四本の塔を持つ教会、美術館や劇場と思われる大きな建物が建っています。

 どれも壮麗な彫刻で飾りたてられていて、建物を見るだけでも十分に楽しめます。


 植え込みが幾何学模様に刈り込まれた広い公園、広大な芝生の馬場、湖では船を浮かべてくつろいでいる人の姿も見えます。

 これは、領主のアルナートさんが強気の性格なのも分かるし、クラウスさんが突っかかりたくなるのも良く分かります。


「ただいま、いやいや凄い街だね」

『エーデリッヒは、塩で得た財産を注ぎ込んで作られた街です。この湖も人工的に作られたものですぞ』

「えっ、ホントに?」

『元々、ここには川は流れていましたが湖はありませんでした。周辺にも、これほどの緑はありませんでしたが、湖を作り、灌漑用の貯水池としても利用する事で緑化も進めたそうですぞ』

「へぇ、湖があったから街を作ったのかと思ったら、湖から作ってたなんて、想像も出来なかったよ」


 まぁ、僕が暮らしていた東京だって、徳川家康が来るまでは葦原が広がるだけの田舎だったそうだもんね。

 どれぐらいの年月が掛かったのか分からないけど、資金と情熱があれば新しい街は作れるものなのかもね。


「凄い街なのは分かったけど、こうなるとアルナートさんを訪ねるのに気後れしちゃうね」

『たしかに、この屋敷は馬車での訪問が前提になっておりますな』


 領主の屋敷というか宮殿というか、正面の門から建物までの距離が半端じゃないです。

 まぁ、馬車はあるけど引く馬がいないから、徒歩で訪問するしかないけど、門の周囲も目立たずに表に出る場所が無いので、真正面から訪問しますかね。


 正門から二十メートルほど離れた場所に闇の盾を出して表に出ると、門を守っていた衛士がギョっとした表情を浮かべた後で剣を抜いて構えました。


「貴様、何者だ!」

「こんにちは、僕はヴォルザードのSランク冒険者でケント・コクブです」

「ケント・コクブ……ジョベートを救った、あのケント・コクブか?」

「はい、あのケント・コクブです。これがギルドカードです」

「失礼いたしました!」


 二人の衛士は、剣を鞘に納めて深々と頭を下げました。


「いや、そんな気にしなくていいです。皆さん、仕事をしただけですから」

「ありがとうございます。本日は、どのようなご用件でしょうか?」

「えっと、アルナートさんにお会いしたいのですが……」

「かしこまりました、ご案内いたします。開門、ケント・コクブ様、御来訪、開門!」

「いや……僕は通用口で構わないんですが……」


 高さ五メートルぐらいありそうな鉄製の門が、屈強な四人の門番によって左右に大きく開かれていきます。

 本当に通用口で構わないんですけどねぇ……。


 門が開かれると同時に、衛士から話を聞かされた伝令と思われる人が、凄い勢いで館に向かって走って行きました。


「ご案内いたします!」

「よ、よろしくお願いします」


 門の内側では、詰所にいたらしい十人ほどの衛士が整列し、敬礼を送ってきました。

 ちょっとは、こうした状況に慣れたつもりでしたが、反射的にペコペコと頭を下げてしまいました。


 先を歩く衛士は、ピンと背筋を伸ばして、儀礼的な歩き方で屋敷へと向かっています。

 てか、足長いから歩くの速いんだよねぇ……日本人の短足に気を使ってもらいたい。


 屋敷の玄関は、高さ三メートル以上ある重厚な木の扉で、扉の前にはまた衛士が二人、敬礼で出迎えてくれました。


「ケント・コクブ様、御到着!」


 案内役の衛士が告げると玄関の扉が開かれ、中ではメイドさんと執事が列を作って頭を下げていました。


「ようこそいらっしゃいました、ケント・コクブ様。私はエーデリッヒ家の家宰を務めておりますロンベルトと申します」

「ど、どうも、ケント・コクブです。突然押しかけて申し訳ないです」

「とんでもございません。クラーケン退治に始まり、海賊の討伐、ドミンゲス侯爵との交渉……ケント様の活躍が無ければ、エーデリッヒがどれほどの被害を被っていたか知れません。ケント様は、正しくエーデリッヒの英雄でございます」

「いや、僕は依頼を受けて報酬をいただいただけですから……」

「お噂通りに奥ゆかしい方でいらっしゃいますね。主アルナートの下へとご案内いたします。どうぞ、こちらへ……」

「し、失礼します……」


 ロンベルトさんは、四十代ぐらいに見える犬獣人の男性で、執事というよりもボディーガードかと思うほどのガッシリとした体形をしていますが、話し方や身のこなしは洗練されていて格好良いですね。

 玄関ホールには、沢山の彫刻や絵画が飾られていて、まるで美術館のようです。


 足首まで埋まりそうな毛足の長い絨毯が敷かれた廊下を進み、案内されたのは庭園を望む一面がガラス張りとなっている応接室でした。

 ヴォルザードの迎賓館にも似たような造りの部屋がありますが、こちらは部屋の広さ、天井までの高さが倍ぐらいあります。


「こちらで少々お待ちいただけますか」

「は、はい……」


 庭を眺められるソファーに案内されると、メイドさんが二人、お茶と焼き菓子を持って来てくれました。


「こちらの者に、何なりとお申し付け下さい」


 そう告げると、ロンベルトさんは部屋を出て行きました。

 で……残ったメイドさん二人は、僕が座ったソファーの斜め前に跪いています。


 てか、そのメイド服、胸元が開き過ぎじゃないですかね。

 その……ちょっと動くと零れそうだし、そんな前かがみの姿勢では……。


 スカートも短すぎじゃないですかね

 太腿の奥まで見えちゃいそうなんですけど……。


『ケント様、隠し部屋がございますぞ』

『やっぱり罠か……でも、こんな罠には易々と引っ掛かったり……しちゃいそうだよ』

『ぶははは……では、援軍を送りますかな』

『援軍……?』


 マルト達かと思いきや、ドロドロ……ドロドロ……と低い音が響いてきました。

 なるほど、ここは日当たり良いもんね。


「ひぃ……」


 メイドさん達が、小さく悲鳴を上げて尻餅をついた直後、ネロが顔を擦りつけてきました。

 てか、そんな格好じゃパンツ丸見え……って、穿いてない?


 僕が座ったソファーを抱え込むように寝ころんだ顎の下を撫でてやると、ネロは上機嫌でドロドロと喉を鳴らしてみせた。

 メイドさん達は顔面蒼白で、逃げ出したいけど腰が抜けてしまっているようです。


 うん、目の毒なんで、そろそろ足は閉じてもらえますかねぇ……。


「食べてもいいのかにゃ?」


 ネロは短剣ぐらいの大きさのある前足の爪をニュっと出して、ペロペロと舐めてみせます。


「うん、いいんじゃない?」

「ひぃぃ……助けて……」


 ずざざ……っと、尻餅を付いたままメイドさんが後退りし、すっとネロが手を伸ばした先はテーブルの上のクッキーでした。

 ネロが器用に爪の先でクッキーを刺し、ペロリと口へと運んだのを見て、メイドさんは大きく溜息をもらしました。


 てか、右側のメイドさん、後退りした時に片乳零れ出ちゃってますけど、ネロから目が離せなくて気付いてないみたいですね。

 では、僕が仕舞ってあげま……またリーチェに抓られるから止めておきましょう。


「ふははは……魔物使いの二つ名は聞いていたが、これほどとは思っておらんかった」

「アルナートさん、悪戯をしかけて覗き見とか趣味が悪いですよ」

「全部お見通しか……下がって良いぞ」

「ネロもありがとうね」


 ハニートラップ担当のメイドさんとネロが退室すると、改めて正統派メイドさんがお茶と焼き菓子を用意してくれて、ようやくテーブルを挟んでアルナートさんと向き合いました。

 ではでは、本日の本題とまいりましょうかね。

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