第527話 マールブルグの双子
バッケンハイムを出た後、一旦ヴォルザードに戻ってクラウスさん達と一緒にギルドの酒場で昼食にしました。
報告を兼ねてヴォルルトを紹介しようと思ったのですが、既にアルトが紹介しに来たそうです。
「なるほど、このペンダントが俺の居場所を示す目印になるのか。それじゃあ、俺が馬車で移動中にヴォルルトを使いに出しても、ちゃんと追い掛けて来られるんだな?」
「はい、大丈夫です。あくまでも連絡要員として派遣しますが、ロックオーガを単独で討伐出来るぐらいの腕前まで鍛えてありますから、護衛の役目も果たしてくれますよ」
「そうか、まぁ、その役目を果たしてもらう場面は無いだろうが、いざという時の保険としては助かる……本来の実力を発揮してもらえるならな」
「だ、大丈夫だと……思います」
クラウスさんを担当するヴォルルトは、アンジェお姉ちゃんの足下で、だらしなくお腹を見せて寝ころんでいます。
「撫でて……アンジェお姉ちゃん、お腹撫でて」
「はいはい、ヴォルルトは甘えん坊ね」
「はぁぁ……」
思わず溜息が洩れちゃいましたよ。
確かにアンジェお姉ちゃんの撫でテクは素晴らしい……というか、ギュってハグされて……いえ、何でもないよリーチェ、だから脇腹抓らないでぇ。
「アンジェお姉ちゃん、あんまり甘やかさないで下さいね。ちゃんと仕事するように躾けて下さい」
「そうね、私も仕事があるし、ほどほどにしておきましょうね」
アンジェお姉ちゃんは、アウグストの兄貴と組んで、影の空間経由のヴォルザード、ブライヒベルグ間の輸送管理を行っています。
イロスーン大森林を抜ける街道が開通したので、一時期ほどは荷物は多くないようですが、それでもブライヒベルグより東からの荷物は全てこちら経由で運ばれてきます。
ブライヒベルグから、即ヴォルザードに到着するので輸送日数が少なくて済みます。
輸送の間に魔物や盗賊などに襲われる心配が要らないので、護衛に掛かる費用も節約できます。
輸送時間が天候に左右されないなど、メリットの方が大きいからです。
輸送に関しては、荷物の大きさや重さによって手数料が掛かりますが、それでも馬車で運ぶ経費よりも遥かに安上がりで済みます。
手数料はヴォルザード、ブライヒベルグ、そして僕の懐に入って来ますから、中止しますなんて言うつもりは毛頭ありませんよ。
そちらの管理はリーチェ任せなんですけど、なんか凄い金額みたいです。
「ケント、この後はどういう順番で訪問する予定だ?」
「この後は、エーデリッヒに行って、そこから西に向かって戻ってこようかと思ってます」
「となると、マールブルグが最後か?」
「はい、予定では……」
「そうか……」
クラウスさんは、腕組みをして考えを巡らせた後、アンジェお姉ちゃんに甘えるヴォルルトに視線を向けてから小さく首を横に振ってみせました。
「ケント、手間賃を払うから、コボルトを派遣するついでにマールブルグ家の内情を探ってくれ」
「えっ、どうかしたんですか?」
「例の馬鹿息子共が何やらやらかしているみたいでな」
「はぁぁ……こっちもか」
「こっちもかって、どこか他でも揉めてる家があるのか?」
「ヴォルザードには直接関係ないですけど、バルシャニアの西隣のフェルシアーヌ皇国で後継争いが起こっているようです」
バルシャニアの皇帝コンスタンから聞いた情報を伝えると、クラウスさんも呆れていました。
「どいつもこいつも、手前の家の中ぐらいキッチリ治めておけってんだ。うちはアウグストが後継だと前から決めてあるからな。ケント、変な気起こすんじゃねぇぞ!」
「御冗談を……僕が書類仕事をやりたがる男に見えますか?」
「確かに……それは無いな」
「まぁ、クラウスさんを亡き者にして、マリアンヌさんもこの手に……って、痛い、痛い、痛いよリーチェ。冗談に決まってるでしょ」
「言って良い冗談と悪い冗談があります」
「そうだぞ、リーチェ。脇腹の肉を少し毟り取ってやれ」
「くぅ、クラウスさんまで……まぁ、いいです、これからはヴォルルトが一日中護衛に付きますから、何処に行ったかは逐次マリアンヌさんに報告させますから」
闇ゴーレムのペンダントを着けていれば、どこにいるのかすぐ分かりますからね。
時間を見計らって監視して、証拠を押さえるのも簡単ですよ。
「なっ……ちょっと待て、ヴォルルトは俺専用の連絡要員じゃねぇのかよ」
「いいえ、クラウスさん専用ではなく、ヴォルザードの領主様付きの連絡要員ですので、ヴォルザードの利益の為に動いてもらいます」
「ケント、落ち着いて話をしよう。リーチェもそんなにカリカリするな、ケントがお前ら以外の女に色目を……」
「何ですか、その沈黙は……って、痛いよ、痛いです、リーチェさん」
もう、なんでこんなことになってるんだろう。
僕もヴォルルトみたいにアンジェお姉ちゃんに癒されたいよ。
「そう言えば、マールブルグ家からのアンジェお姉ちゃんへの縁談は断ったんですか?」
「あぁ、とっくにノルベルトの爺さんに断りを入れたぞ。馬鹿息子共からは、その後も申し込みがあったが全部断った」
「まぁ、あの二人じゃ仕方ないですね」
ヴォルザードに隣接するマールブルグの領主一家には、二卵性双生児の息子アールズとザルーアの二人がいて、後継争いをしています。
元々、あまり仲の良い兄弟ではなかったそうですが、その対立を決定的にしたのは以前家宰を務めていたノルードという男でした。
ノルードは、家族を不幸に陥れたのはマールブルグ家の施策のせいだと恨みを抱いていて、マールブルグ家を混乱させるために双子の対立を裏から煽っていました。
ノルードの企てはバステンの活躍によって露見し、捕らえられ、共犯のヤブ医者共々処刑されたと聞きましたが、双子の関係は改善されていないようです。
「ノルベルトの爺ぃが、もっと早く後継者を決めておけば、ここまで拗れることも無かっただろうに……ギルドや守備隊、鉱山の経営者などの間に派閥が出来て対立し始めているらしい」
「クラウスさんは、どちらかに肩入れするつもりは無いんですね?」
「あぁ、どっちも馬鹿野郎だからな。かと言って、内紛が民衆に広がるってのも好ましくない。出来れば家の中で話を収めてもらいたいが……」
「何か、別の選択肢があるんですか?」
「無いこともない……あると言えばあるな」
クラウスさんが言うには、現領主ノルベルト・マールブルグの妹が、鉱山経営者の家に嫁いで子供を作っているそうです。
「でも、その子供って、鉱山経営の後を継ぐんじゃないんですか?」
「まぁ、そうだが、子供は一人じゃなかったはずだから、一人が領主の後を継ぎ、もう一人が鉱山の後を継ぐ形は取れるんじゃないか」
「でも、それって双子の二人を両方廃嫡ってことですよね? そんな事出来るんですか?」
「普通は無理だが、民衆を巻き込んで何か月も争いを続けるような無様な真似を晒すなら、裏から手を回すことも考えなきゃならんだろう」
ランズヘルト共和国では、こうした後継争いに他の領主は口出しをしないという暗黙の了解があるそうですが、領地の境を接するヴォルザードやバッケンハイムにとっては、他家の話だと割り切れるものではありません。
「どちらかに決まったとしたら、領主会議に引っ張り出して、徹底的に性根を叩き直してやるつもりだが、それでもランズヘルトの平穏を乱すようならば実力を行使するかもしれん」
「それって、まさか暗殺ですか?」
「勿論、そんな選択を簡単にするつもりは無いが、マールブルグが火種になってランズヘルト全体を内乱状態にする訳にはいかねぇ。本当に必要ならば決断するぞ」
僕に向けられたクラウスさんの厳しい視線の裏には、僕への暗殺の指名依頼が隠れているような気がしました。
「まぁ、今すぐどうこうするつもりは無いし、暫くは静観するしかないが、それだけに情報が欲しい」
「分かりました。新コボルト隊の派遣が終わったら、マールブルグ家の双子を探ってみます」
「忙しいところを悪いな。だが、こればっかりは下手な冒険者には頼めないし、ケント以上に内情に踏み込める者はいないからな……頼りにしてるぜ、婿殿」
「了解です。あっ……報酬は、うちの可愛い嫁と相談して下さい」
「はい、お任せください、ケント様」
「うっ、分かった、分かった、だが、これはランズヘルト全体に関わることでもあるからな、Sランクへの指名依頼でも法外な金額は払わねぇぞ」
マールブルグ家の内情調査依頼の報酬は、ベアトリーチェに任せるとして、ちょっと予定を変更して覗きに行ってみますかね。
影に潜ってマールブルグの領主の館まで移動すると、相変わらず門の片側には紺色の制服を身に着けた衛士が二人、反対側には臙脂の制服を着た衛士が二人立っています。
『ノルベルト殿が公務に復帰したはずなのに、この状態では……クラウス殿が懸念されるのも当然ですな』
「だよねぇ……これじゃあ訪ねて来た人が呆れちゃうんじゃない?」
『でしょうな』
ラインハルトの念話にも、呆れたような響きが混じっています。
ここまで来たついでですから、館の中も覗かせてもらいましょう。
確か、馬鹿兄弟の部屋は中庭を挟んだ位置だったと思います。
先に見つけたのは、青みがかった髪で痩せ気味の……確かアールズです。
窓辺の椅子に腰を下ろして、本を読んでいます。
革の表紙で、随分と古い本のように見えますね。
「何を読んでいるんだろう……建国論?」
『初代リーゼンブルグ王の功績を綴ったものですな』
「えっ? ラインハルト達が生きていた頃の本なの?」
『いいえ、何度も出版されていたものですから、たぶんワシらの死後のものでしょうし、当時とは内容が変わっているかもしれません』
本について語るラインハルトの表情が冴えないような気がします。
「ラインハルトは、あの本を読んだことはある?」
『ございますが……あまり賛同できる内容ではございませんぞ』
建国論は、国王を頂点とした王族、貴族社会を賞賛する内容だそうで、民は王や貴族に奉仕するのが当たり前……という内容が、絶対であると書かれているらしいです。
『ランズヘルト共和国では貴族制度は残っておりますが、クラウス殿のように民衆との垣根はあまり感じられませぬ。ですが、建国論に書かれているのは、貴族と道で出会った時には這いつくばって頭を下げよ……といった内容です』
「それは、日本育ちの僕では息苦しい世界だなぁ……」
『問題は、アールズが建国論をどう捉えているかですな』
「そうか、反面教師として読んでいるなら何も問題ないよね」
『ですが、建国論を賞賛しているのであれば、少々問題ですな』
暫くの間、建国論を読み進めるアールズを眺めていると、ドアがノックされました。
「入れ……」
「失礼いたします」
ドアを開けて入ってきたのは、確かアールズの執事です。
「アールズ様、ザルーアがギルドに向かいました」
「ふん、あの馬鹿、本当に報酬の引き上げを命じに行ったのか?」
「おそらく……」
「まったく、目先の金などで釣ったところで、バッケンハイムが同じように引き上げれば意味が無くなる。そんな小手先の対策では話にならんと、あれほど教えてやっても分からないとは救いようが無いな」
「では……」
「父上に、マールブルグからの冒険者の移籍を禁じるように進言する」
「かしこまりました」
アールズは建国論に栞を挟んでテーブルにそっと置くと、立ち上がって部屋を出ていきました。
『ケント様、バッケンハイムの魔物被害が増えている件と関係しているかもしれませんぞ』
「あっ、なるほど……あっちの方が稼げるから移籍しようって冒険者が増えているのか。あれ? だったらアンデルさんが騒ぐ必要なんて無いんじゃない?」
『そうですな。きっとレーゼ殿は、こうした情報も知っておられたのでしょうな』
「でも、マールブルグもイロスーン大森林には接しているんだし、条件は一緒じゃないの?」
『マールブルグの場合、イロスーン大森林と接している部分の多くは山です。討伐のしやすさを考えると、平地のバッケンハイムの方が条件は良いでしょうな』
「なるほど……でも魔物が増えているなら、マールブルグとしては冒険者が減る状況は避けたい訳か。で、どっちの政策の方が良いのかな?」
ザルーアは報酬を上げて冒険者を留める、アールズは制度として移籍を禁止する。
『どちらも無理でしょうな。報酬の引き上げは、アールズが言っていたように一時しのぎでしかありませぬ。引き上げるにしても限度がありますし、バッケンハイムが追随すれば値上げ合戦の様相となりかねませぬ』
「アールズの制度としての禁止は?」
『そもそも、冒険者登録はギルドの管轄であり、たとえ領主であっても口出し出来ませぬ。マールブルグで禁止しても、冒険者がバッケンハイムに行って手続きを行えば移籍出来てしまいます』
「それじゃあ、禁止なんて言い出せば冒険者の反感を買うだけじゃない?」
『おっしゃる通りです。どちらも、自分勝手な浅い考えと言わざるを得ませんな』
ノルベルトさんとすれば、二人に考えさせて実績を積ませようとしているのかもしれませんが、前途多難だと感じます。
この後すぐに、ノルベルトさんの書斎を覗きにいきましたが、アールズの提案は一蹴されていました。
「それでは父上は、ザルーアの考えに賛同するとおっしゃるのですか!」
「そんな事は言っておらん。そもそも報酬を決めるのはギルドの権限だ。領主が口出しする話ではない」
「それでは、バッケンハイムに冒険者が流出する一方です」
「それをどうするかも、ギルドが考えることだ」
「父上は、何もなさらないとおっしゃるのですか」
「そうではない。まずはギルドに考えさせ、あちらから提案があれば手を貸す。何もかも領主が頭ごなしに命じていては、領民は何も考えなくなるばかりだぞ」
「それでは手遅れになります!」
「手遅れになると申すのならば、もう少しマシな提案を持って参れ。この程度の子供だましの策では話にならん」
「くっ……分かりました」
感情を剥き出しにして声を荒げるアールズに対して、ノルベルトさんは淡々と言い諭すように話し続けていました。
顔色一つ変えずに対応していたノルベルトさんでしたが、アールズが荒々しい足取りで部屋を出て行き、足音が遠ざかったところで深いため息を洩らして天井を仰ぎました。
「ラインハルト、アールズとザルーア、それとそれぞれの執事にイルト、ウルト、エルト、オルトを付けて監視させて」
『了解ですぞ。今のところは荒っぽい話ではなさそうですが、ここだけでは分かりませんからな』
「うん、住民を巻き込んだ内乱なんて、ヴォルザードの隣で起こしてもらいたくないからね」
とりあえず、マールルトを紹介するのは後日にして、エーデリッヒへ移動することにしました。
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