第526話 バッケンハイムへ……
バルルトとリーゼルトの二頭を送り出し、影の空間には残り八頭の新コボルト隊が控えています。
この八頭は、ランズヘルト共和国の各地に配置されるのですが、中でも重要な役割を果たすのがレゼルトです。
「レゼルト」
「わ、わふぅ、お、お呼びですか、ご主人様」
「緊張してる?」
「く、くぅ~ん……」
レゼルトが配置されるのは、本部ギルドのマスター・レーゼの下です。
ランズヘルト共和国内にあるギルドの総元締めのような存在で、七人の領主に対しても大きな影響力を持っています。
見た目は二十代後半ぐらいですが、実年齢は二百五十歳を超えるダークエルフで、この国の歴史の生き証人と言っても良いでしょう。
少女時代に乗っていた船が難破し、流れ着いた地で奴隷として売られ、娼館で酷い扱いを受けたそうです。
そこから、闇属性の魔術と娼館で身に着けさせられた閨房術を使って人脈を広げ、財を成し、ランズヘルト共和国で奴隷制度を廃止する立役者となったそうです。
そんな一筋縄ではいかない人物の所へ行く、しかもマスター・レーゼの護衛には元Sランク冒険者のラウさんが付いている。
先輩のコボルト隊から、色々と話を聞かされて脅されたみたいで、ちょっと心配です。
アルト曰く、レゼルトも他の九頭と同等以上の能力があるという話ですが、少々消極的というか引っ込み思案というか、怖がりな面があるようです。
「レゼルト、怖くなったら帰ってきてもいいからね」
「わぅ? いいの?」
「うん、どうしても怖くなったら帰っておいで、頑張れるところまで頑張ればいいからね」
「わふっ、頑張れるだけ頑張ってみる……」
ワシャワシャとレゼルトの頭を撫でてやると、項垂れていた尻尾が元気よく振られました。
ではでは、マスター・レーゼの所へお邪魔しますかね。
バッケンハイムのギルドにある私室を覗くと、マスター・レーゼはいつものごとく踊り子のような露出度の高い衣装に身を包み、長キセルを燻らせていました。
その傍らには、山羊のような髭を蓄えた、一見すると小さなお爺ちゃんにしか見えないラウさんが控えています。
そして、マスター・レーゼをテーブルを挟んだ向かいの席には先客の姿がありました。
ランズヘルト共和国、七人の領主の中では、一番キッチリしているアンデル・バッケンハイムその人です。
アンデルさんがマスター・レーゼの部屋まで足を運んでいるところを見ると、厄介事のような気がします。
声を掛ける前に、少し話を聞かせてもらいましょうかね。
「バッケンハイムに城壁を築くとして、カラシュや他の村はどうするつもりじゃ?」
「場合によっては一時的に放置する形になるかと……」
「それだけの人数をバッケンハイムが受け入れられるのかぇ?」
「それは……なんとか避難所を確保して……」
「なんとかねぇ……あまりにも見込みが甘すぎるじゃろう」
バッケンハイムに城壁云々の話となると、当然魔物絡みでしょう。
カラシュというのは、イロスーン大森林を出てから最初の集落です。
既にイロスーン大森林の通行は再開しているので、カラシュにもかつての賑わいが戻ってきているはずです。
そのカラシュを放棄するとなると、また魔物の数が増えているのでしょうか。
「確かに、以前に比べれば魔物の被害は増えているが、一時期ほどではないのじゃろう? 村や集落を放棄する必要なんぞないわぇ」
「だが、毎月のように被害が出ているようでは、住民が安心して暮らせない」
魔物に対する備えをアンデルさんは強化したいようですが、マスター・レーゼは乗り気ではなさそうです。
確か、以前も同じようなやり取りをしてましたよね。
「カラシュには、ギルドの出張所を作ればよかろう」
「出張所なんか作って、何の意味があるんだ」
「ギルドの出張所があれば、そこで買い取りを頼めるし、金も下ろせる。あとは酒が飲める店と泊まれる場所があれば、バッケンハイムまで戻る手間が要らなくなる。魔物を討伐する効率が上がるという訳じゃな」
「なるほど……」
魔物が大群で襲ってくるなら危険ですが、冒険者が何人も居るところにノコノコ出て来るなら、狩ってくれと言ってるようなものです。
「魔物を倒して羽振りが良い冒険者が増えれば、その金を目当てにした商売人も集まる。これまでは街道沿いにある小さな集落にすぎぬが、やり方次第ではカラシュは大化けするかもしれんぞぇ」
「ふむ……冒険者の数が増えれば、魔物に襲われた時の抑止力も高まるか……」
どうやら方針が決まったようなので、そろそろお邪魔するといたしましょう。
「こんにちは、ケントです。お邪魔してもよろしいですか?」
「どうせ話を聞いておったのじゃろう、入りや」
「お邪魔します……皆様ご無沙汰いたしております。また、魔物が増えているのですか?」
「たいした数ではないわぇ」
チラリと視線を向けるとラウさんは頷いて見せましたが、アンデルさんは不満そうな表情を浮かべています。
「それでケント、今日は何の用じゃ?」
「はい、ランズヘルト各地をカバーする連絡網を作ろうと思いまして……」
「それはケント、そなたの国の技術を使ったものかぇ?」
「いいえ、新たに連絡用のコボルト隊を組織しました。レゼルト、バッケルト、出ておいで」
「わふぅ、ご主人様」
影の中から飛び出して来た二頭は、急に出番が来たバッケルトの方が緊張しているように見えました。
二頭は僕の顔を眺めた直後、全身の毛を逆立てて臨戦態勢を取りました。
「ラウさん、虐めないで下さい」
「ほっほっほっ、すまん、すまん、どれほどのものか確かめてみただけじゃ」
レゼルトとバッケルトは、元Sランク冒険者であるラウさんが放った殺気を感じ取って身構えたようです。
二頭とも背中の剣の柄を握って牙を剥いているけど、なんで僕の後ろに半分隠れてるのかなぁ……。
「大丈夫だよ。ラウさんは、ちょっとイタズラしただけだから」
「ホントに……?」
「うん、もう身構えなくてもいいよ」
レゼルトとバッケルトは、ふーっと大きく息を吐いて剣から手を放し、ようやく緊張を解きました。
「ケントよ、この二頭は一組で仕事をするのかぇ?」
「いいえ、バッケルトはアンデルさんの連絡要員、レゼルトにはレーゼさんの連絡要員を務めてもらいます」
「ほぉ、我にも付けてくれるのかぇ」
「はい、ギルドの要であるレーゼさんとも、緊密な連絡が取れた方が良いですよね」
「うむ、確かにそうじゃな……それで、どのようにして連絡を取り合うのじゃ?」
「こちらのネックレスを使っていただきます」
「ほぉ、何か仕込んでおるのじゃな?」
「はい、これは闇属性のゴーレムになっていて、別々の個体として僕やコボルト達は認識できるようになっています。こちらをレーゼさんとアンデルさんに身に着けてもらえば、コボルト達は居場所を察知して書簡などを届けられます」
闇属性のゴーレムには、それぞれ担当しているコボルト隊が戻るための目印にもなりますし、僕が訪ねるにも便利です。
「なるほどのぉ……では、こうしても居場所を見失ったりしないのかぇ?」
マスター・レーゼは、手渡したネックレスを首から下げると、深い深い胸の谷間へと差し込んでしまいました。
「遠くからでは大まかな位置しか分かりませんが、近くに移動すれば正確な居場所が分かりますよ」
「ならば、ケントが夜這いに来やすいように、肌身離さず身に着けておこう」
「いやいや、夜這いなんかしませんよ」
夜這いなんかして唯香達にバレたら、どんなお仕置きされるか分かったもんじゃないですからね。
でも、娼館仕込みのテクニックを一度ぐらい……いやいや、駄目駄目、駄目ですよ。
いけない妄想に浸りそうになっていると、アンデルさんに質問されました。
「ケント君、このバッケルトだが、どの程度の強さなんだね?」
「そうですね……オーガ程度なら楽に討伐出来ますよ」
「ほう、それでは連絡業務以外の時間に、討伐を頼んでも構わないかね?」
「それは遠慮してもらえますか」
「なぜだね。私に貸与してくれるのだろう?」
「非常時にはアンデルさんを守るように言ってありますが、あくまでも連絡要員として派遣します。バッケルトはネックレスの位置を感じ取って戻って来られますが、離れているバッケルトに対してアンデルさんが指示を出す方法がありません。先日のジョベートが海賊に襲われた時のように、緊急の救援が必要な場合などに役立ててもらうために派遣するのですから、戻って来るまで待つような状況は作らないで下さい」
「そうか……仕方ないな」
アンデルさんとしては、魔物の被害が増えているのが余程気掛かりなのでしょうが、一般的な魔物討伐まで僕がやってしまうと、それこそ冒険者の仕事を奪うことになり余計な恨みを買いかねません。
「オークやオーガ程度、ケントに頼むことではなかろう。イロスーン大森林を抜ける街道は、護衛すら必要ない状況になって、これから冒険者の仕事は更に減るであろう。その余った力を討伐に回せば良いだけじゃ」
イロスーン大森林を抜ける街道は両脇に深い堀を作ったので、魔物どころか盗賊が隠れ潜む余地すら無くなり、以前と比べると格段に安全になっています。
襲撃の恐れが減れば、当然護衛に掛かる経費を抑えようと考えるでしょうし、となれば必然的に冒険者の仕事は減ります。
護衛の仕事が減るなら、その分を討伐で稼げというのがマスター・レーゼの考えですが、アンデルさんは納得していないようです。
「しかし、バッケンハイムの冒険者のレベルでは……」
「それこそ、討伐の場数を踏まねば腕など上がらぬわぇ」
「しかし、冒険者の被害が増えれば、人手不足を招くことになる」
「だから、カラシュにギルドの出張所を作るのじゃ。冒険者の効率を上げ、儲かると思わせれば、人手は勝手に集まってくるわぇ」
確かにマスター・レーゼの言う通り、冒険者の多くは利益に釣られて動きます。
ヴォルザードに多くの冒険者が集まるのは、魔の森が近く、大型の魔物と遭遇する頻度が高く、倒せばそれだけ利益になるからです。
イロスーン大森林の周辺で討伐を行えば儲かる……そう聞けば他の領地の冒険者も足を運んで来るでしょう。
他の街から腕の良い冒険者が来れば、当然バッケンハイムの冒険者達も刺激を受け、切磋琢磨するようになればレベルも上がっていくはずです。
「安易に他人の力に頼ろうとせず、自分達に何が出来るのか、もっと知恵を働かせぇ」
「分かった……とりあえず、カラシュの出張所の件、早急に進めてくれ」
「分かっておるわぇ」
念を押すアンデルさんに対して、マスター・レーゼは話は終わりだとばかりにヒラヒラと手を振ってみせました。
「ケント君、バッケルトは有難く使わせてもらうよ。何か緊急事態が起こった時には、すぐに連絡を入れるから、その時は手を貸してほしい」
「はい、善処いたします」
マスター・レーゼの部屋を出ていくアンデルさんを、バッケルトは影に潜って追い掛けて行きました。
「それにしても、喋るコボルトを伝令として使うとは考えたのぉ」
「えぇ、先日のジョベートの一件以来、何か良い方法は無いかと考えてきました」
「あの海賊騒ぎもケントのおかげで早期に解決したが、下手をすればシャルターン王国に陣地を築かれておったかもしれん」
「そのシャルターン王国ですけど……」
内戦に突入する可能性をはらんでいるシャルターン王国の状況を説明すると、マスター・レーゼは大きなため息をつきました。
「はぁぁ……どこでも、いつの時代も、私利私欲に走る者のなんと多いことか……だが、大きな戦となれば、ランズヘルトにも影響が及ぶであろう。このコボルト達の連絡網は、そうした事態にも備える意味があるのじゃな?」
「はい、どの程度の効果があるのかまでは分かりませんけどね」
「何を言う。人は運べぬが文や物は運べるのであろう、効果は絶大じゃぞ」
そう言うと、マスター・レーゼはレゼルトに手招きをしました。
チラリと僕の顔を見たので頷き返すと、レゼルトはマスター・レーゼに歩み寄りました。
うん、ちょっと尻尾が隠れ気味だけど、頑張れ。
「レゼルトと申したな?」
「わぅ……」
「そんなに怖がらずとも大丈夫じゃ、これから忙しく働いてもらうこともあるじゃろう。頼りにしておるぞ」
「わふっ!」
マスター・レーゼに頭を撫でられて、ようやくレゼルトはゆるやかに尻尾を振り始めました。
耐えられなくなったら帰って来て良いと伝えてありますし、悪戯好きなのは玉に瑕ですが、マスター・レーゼもラウさんも基本的には善人ですから大丈夫でしょう。
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