第525話 次期国王の支え

 バルシャニア帝国の帝都グリャーエフを後にして、次に向かった先はリーゼンブルグ王国の王都アルダロスです。

 次期国王となる予定のディートヘルムの姿は、執務室ではなく屋外にあって、しかも木剣を振っていました。


「背中が丸まっていますぞ! もっとしっかり踏み込む!」

「はい!」

「いち……に……いち……に……目線を下げない!」

「はい!」


 ディートヘルムの指導を行っているのは、ずっと近衛騎士を務めてきたユルゲン・レンメルトです。

 飄々とした世捨て人のような風貌ですが、流石に騎士だけに姿勢も良いですし、指示を出す声には張りがあります。


「そこまで!」

「はぁ……はぁ……」

「姿勢を崩さない! まだ訓練が終わった訳ではありませぬぞ!」

「はい!」


 うん、何となく少し前の自分を見るようですね。

 リーゼンブルグに召喚された当時の僕はボッチの引きこもりで、バリバリの運動不足でしたからね。


 夜中の特訓場で、随分とラインハルトにしごかれたものです。

 ディートヘルムの場合、幼少期から少量の毒を盛られていたせいで、病弱だと思われるほど体の調子が良くありませんでした。


 体調に関しては、僕が治癒魔術を使って完治させましたが、虚弱な体を成長させることまでは出来ません。

 これから先、リーゼンブルグという国を背負っていく存在となるのですから、虚弱な少年のままとはいかないのでしょう。


 真向からの振り下ろし、左右の薙ぎ、袈裟掛けの振り下ろしから逆袈裟の振り上げ……フラフラになりながらもディートヘルムは歯を食いしばって素振りを続けました。


「それまで! よく頑張られましたぞ、ディートヘルム様」

「はぁ、はぁ、はぁ……」

「さぁ、座って休まれてもよろしいですぞ」


 大きく肩で息をしているディートヘルムは、頷くばかりで言葉を返すのも難しいようです。

 膝から崩れ落ちるように座り込み、両手をついて四つん這いの状態で荒い呼吸を繰り返しています。


「ふぅ、ふぅ、はぁぁ……はぁ……」


 姉であるカミラと良く似た金髪細面の少年が汗だくで、四つん這いの姿勢で息を荒げている姿はちょっとエッチですね。

 ユルゲンから手渡されたカップの水を一息に飲み干し、大きく息を吐いて、ようやくディートヘルムは一息ついたようです。


「ケント・コクブです。おじゃましますよ」


 ディートヘルム、ユルゲンの二人とは少し離れた場所に闇の盾を出して、芝生の訓練場へと踏み出しました。


「ま、魔王様……ご無沙汰……して、います」

「あぁ、無理に喋らなくていいよ。影の中から訓練の様子は見させてもらっていたから……ユルゲンさんもお久しぶりです」

「ようこそいらっしゃいました」


 ユルゲンはリーゼンブルグ式の敬礼で出迎えてくれました。


「なかなか厳しくやっているようですね」

「はい、ディートヘルム様、自らの申し出でございます」

「へぇ、さすが次期国王は違うね」

「これほど激しい動きをディートヘルム様が出来るのも、魔王様のおかげでございます。どれほど感謝しても足りませぬ」

「いや、毒を盛られ、思い通りにならない体でも、ディートヘルムが民を思う王となりたいという思いを持ち続けたからですよ。ベルンストやクリストフのような王子だったら、僕が排除したでしょうね」


 実際、民の暮らしなど一顧だにせず、己の欲望を満たすことしか考えていなかった、第二王子ベルンストと、その弟である第三王子クリストフは、僕とグライスナー侯爵が共謀してラストックの駐屯地で誅殺しています。

 実際に手を下したのは、ベルンストやクリストフ付きの近衛騎士達でしたが、ディートヘルムとユルゲンはギョっとしたような表情を浮かべていました。


 まぁ、最大の難物であるアーブル・カルヴァインを捕らえたのも僕ですし、結果としては僕の思惑通りにカミラ、ディートヘルム姉弟に王位を継がせる事になりました。

 一国の王族を気に入らなければ消す……みたいな言い方をして、それが実現可能だからこそディートヘルムとユルゲンは表情を変えたのでしょう。


「ユルゲンさん、まだ訓練を続けますか?」

「いえ、本日はここまでです。ディートヘルム様は、まだ訓練の強度を上げるには線が細すぎます。無理をすれば体を痛め、体を作るのが遅れるばかりでございます」

「なるほど、まだまだこれから、焦らずに継続だね」

「おっしゃる通りです」

「それじゃあ、今日の目的を話したいので、話が出来る場所まで案内してもらえるかな?」

「かしこまりました」


 応接室へと案内され、めちゃくちゃ香りの良い高そうなお茶を飲み、焼き菓子を抓んでいると、着替えを終えたディートヘルムは、ユルゲンの他に元第一王子の近衛騎士マグダロス、それに宰相候補のトービルと一緒に姿を見せました。

「大変お待たせいたしました、魔王様」


 ディートヘルムが膝をついて頭を下げたので、他の者達も跪いて頭を下げました。

 毎度、仰々しい挨拶はしなくて良いと言ってるんですけど、まぁ話をさっさと進めますかね。


「早速だけど、来訪の目的を話したいから座ってくれるかな」

「はっ、かしこまりました」


 片側に十人ぐらい座れる長いテーブルを挟んで、正面にディートヘルム、その右手にユルゲン、左手にトービル、その隣にマグダロスが座りました。

 全員が座ったのを確認して、コボルト隊を呼び出します。


「リーゼルト、それにノルト、出ておいで」

「わふぅ! お呼びですか、ご主人様」

「わぅ、ご命令を……ご主人様」


 コボルト二頭が姿を現したところで、何が始まるのかとディートヘルムとトービルが顔を見合わせました。


「こちらのリーゼルトを連絡要員としてディートヘルムに貸し与える。それに伴って、護衛用に派遣していたノルトを僕の方へ戻してもらいます」

「魔王様、連絡用と申しますと、護衛の役には立たないのでしょうか?」

「ディートヘルム、リーゼンブルグの王となる人物が、護衛を外部の者に頼るのか?」

「はっ……申し訳ございませんでした」

「僕の眷属だから勿論強いけど、役目はあくまでも連絡要員だと思ってくれ」

「はっ、かしこまりました」


 ノルトを護衛兼、僕への連絡係として認識していたせいか、リーゼルトの有用性を見出せないのか、連絡用のコボルトの話を聞いても反応が良くありませんね。


「ちなみに、別のコボルトを同じく連絡要員としてバルシャニア帝国のグリャーエフに派遣した」


 ここで初めてトービルが、ハッとしたような表情を浮かべました。


「魔王様、質問よろしいでしょうか?」

「何かな、トービル」

「そちらのコボルトを使えば、いつでもバルシャニア帝国と連絡がとれるのでしょうか?」

「その通り。書簡を持たせれば、一瞬で届けられるよ。同様に、あちらからのも書簡が届くようになる」

「なんと……それは真ですか?」

「嘘を言って、僕が何か得をすると思う?」

「失礼いたしました」


 素直に頭を下げたものの、トービルは興奮冷めやらぬといった様子で目を輝かせている。


「僕がバルシャニア帝国と交渉を持った当初、皇帝コンスタンは何度もリーゼンブルグに親書を届けたが、一度も返事は来なかったと言っていた。詳細な内容までは聞いていないけど、宰相だったフロレンツ辺りが握りつぶしていたのだろう」


 たとえ敵対関係にある国だとしても、相手国のトップが差し出した書簡を無視するなんて考えられないことですが、ダビーラ砂漠の存在が気を大きくしていたのかもしれません。


「セラフィマ一行がアルダロスを訪れたことで、これまでになくリーゼンブルグとバルシャニアは良好な関係となっているけど、それが危ういものだというのは僕が言うまでもなく、ここにいるみんなの方が分かっていると思う」


 それこそ百年以上の長きに渡って小競り合いを続けてきた二つの国が、さぁ仲良くしましょうで簡単に友好関係を築けるはずはありません。

 表面上は平和に見えても、肉親を殺されたり傷付けられた人は恨みを抱いているでしょう。


「今の状況が、互いの連絡の不備、意思疎通を欠くことで壊れてしまわないように、リーゼルトを上手に活用してほしい」

「かしこまりました。魔王様のお心遣いに添えますように、バルシャニアとの交流を進めてまいります」


 神妙な面持ちで頭を下げるディートヘルムに対して、同席している者達も不満を抱いている様子は見られませんでした。


「じゃあ、僕は次の場所に……」

「あっ、お待ち下さい魔王様」

「どうした、ディートヘルム」

「ノルトに別れの挨拶をさせていただけませんか?」

「あぁ、気が利かなくてごめん」


 立ち上がったディートヘルムとノルトは、テーブルを回り込むようにして歩み寄ると、しっかりと抱き合いました。


「ノルト、今日までありがとう……」

「立派な王様になるんだよ」


 ノルトにポフポフと肩を叩かれているディートヘルムの目には涙が滲んでいます。

 きっと、僕の知らないところで、ノルトなりにディートヘルムを支えてくれていたのでしょう。


「いつでも遊びに来ておくれ」

「またトービルに怒られたら、リーゼルトに言って呼んでもいいからね」

「そうならないように頑張るよ」


 ディートヘルムの頬にポロっと零れ落ちた涙は、ノルトが素早く舐め取ってしまいました。

 もう一度ノルトとシッカリと抱き合った後、立ち上がったディートヘルムの表情には何か決意のようなものが浮かんでいるように感じました。


 ディートヘルム達とあいさつを交わした後、闇の盾から影に潜って次の目的地へと行く前に……ちょっと寄り道していきましょう。

 ハルトを目印にして移動した先で、その人物は窓辺の椅子に座って刺繍をしていました。


 うん、なんかお姫様みたい……って、お姫様なんだけどね。


「カミラ……」

「魔……ケント様」

「刺繍?」

「はい、幼いころに習ったきりなので、あまり上手ではありませんが……」


 白い布地の上には、濃い灰色の糸を使ってモフモフな動物が描かれています。


「これは、ハルト?」

「はい、そうです」

「じゃあ、こっちはノルトかな?」

「そうです。ノルトは、いつも弟を和ませてくれているそうです」

「そっか、人員の配置、失敗だったかなぁ……」

「どうかなされましたか?」

「うん、ちょっとね……」


 つい今しがたの応接間での出来事を話すと、すっとカミラの表情が引き締まりました。


「さすがはケント様です。バルシャニアとの関係は、少し気になっておりました」

「折角、良好な関係を築き始めたところだからね。下らない騒ぎで台無しにならないように、上の人間がしっかりと連絡を取り合える体制を作りたかったんだ」

「話せば分かる内容も、言葉を交わさなければ分かり合えません」

「ましてや、グリャーエフとアルダロスの間は、一日二日で往来出来る距離ではございませんから、ケント様のお力を貸していただけるのは有難いです」

「手を貸すに決まってるじゃん。カミラの国、義理の弟が国王になる国なんだから」

「ケント様……」


 引き締まっていたカミラの表情が、また穏やかになりました。

 ディートヘルムに政務を移譲するようになり、ラストックにいた頃には吊り上がって見えた目元も、今は柔らかに見えます。


 そして、一夜を共にした日から、僕を魔王ではなく名前で呼ぶようになりました。


「ケント様、今日はゆっくりしていけるのですか?」

「ごめん、まだあちこち飛び回らないと駄目なんだ。また、ゆっくり寄らせてもらうから」

「はい、お待ちいたしております」


 まだ途中の刺繍をテーブルに置いたカミラを抱きしめて、唇を重ねる。

 うん、他に回るのは、やっぱり明日にしちゃおうかなぁ……いやいや、昼間からなんて駄目ですよね。


 愚魔王……なんて呼ばれないように、キッチリ仕事を片付けましょう。

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