第520話 苺とケーキ

 フィーデリアをアマンダさんの店に預けたら、久々に日本へ向かいました。

 梶川さんに買い物を頼もうかと思ったのですが、たまには自分で買い物がしたいですよねぇ。


 リーゼンブルグとの和平合意がなされた後、こちらの世界への関心が薄れているそうです。

 一時は、うちの墓地にまでマスコミが張り込みをしていたほどですが、今は僕に対する関心も失われているはずです。


 という訳で、影の空間で日本から取り寄せておいた服に着替えました。

 上から下まで、全てウニシロ通販のトータルコーディネートです。


 これで異世界帰りなんて思われないはずです……たぶん。

 目立つ銀髪をキャップに押し込めば、ほーら何処にでもいる普通の少年の出来上がり……うん、次はカラーコンタクトも準備しておこうかな。


 サングラスなんて持ってませんし、今日は時間も無いので、このまま出掛けましょう。

 向かった先は、池袋のデパートです。


 ヴォルザードを出たのは午前中の早い時間でしたが、時差があるので日本はもう夕方でした。

 人目に付かない階段の踊り場で表に出て、地下の食品売り場へと下ります。


 夕方の買い物時とあって売り場は混雑していますが、皆さん商品を見るのに忙しく僕の存在なんて気にも留めていないようです。

 ていうか、色んな良い匂いがしてきて、食欲をそそられるんですけど。


 やっぱり、たまには日本の食材を買いに戻ってきましょうかね。

 色んな誘惑を振り切って、最初に買いにいったのは、綿貫さんのリクエストのフルーツで、今の季節なら、真っ赤に熟したあんちくしょうですね。


 九州産のブランド苺、甘神のLLサイズです。

 鶏の卵ぐらいの大粒で、包丁で切ると中まで真っ赤に熟しているのが特徴です。


 濃厚な甘味と酸味のバランスが良く、味わいが深いと人気急上昇中だそうです。

 苺は、日本各地で色々なブランドが栽培されていますが、甘神は九州期待の品種だと聞いています。


 四パック入りの箱を三箱お買い上げ。

 店員さんが、そんなに買うのかと驚いていましたが、アマンダさんの店だけでなく、うちの屋敷やクラウスさんの所にも持って行く予定です。


 ここで一旦、食品売り場を後にして、人目に付かないところまで移動したら影の空間に苺を仕舞いました。

 再び食品売り場へと戻り、今度はメイサちゃんのリクエスト、ケーキを購入します。


 苺を買ったので、ケーキはチョコレートケーキとチーズケーキをチョイスしました。

 ここのチョコレートケーキはチョコクリームが濃厚で、クルミがコリコリしてて……うみゃ!


 あれっ? 何かに憑かれたような……気のせいでしょう。

 こちらも、あちこちに配る分も購入して、さぁ帰ろうかと思いましたが、花屋に足をのばしました。


 花を買った後、影に潜ろうかと思ったのですが、やっぱり東京は人が多くて、なかなか人目につかない場所を探すのが大変でした。

 結局、デパートに戻って、人通りの少ない階段から影に潜りました。


『いやはや、凄い人の数ですな。アルダロスの祭りの日のようですぞ』

「池袋は、いくつも電車や地下鉄が乗り入れているし、大きな商業施設がいくつもあるからね」


 夕方の池袋の人込みを見れば、ラインハルトが驚くのも当然でしょう。


『では、ヴォルザードに戻られますか?』

「いや、ちょっと寄り道していく」


 苺とケーキを影の空間に置いて、コンビニに立ち寄ってから向かった先は、板橋区立赤塚植物園の近くにある国分家のお墓です。

 買い物をしている間に日が傾いて、空には残照を残すばかりです。


 植物園の木立からは、ヒグラシの声が聞こえてきました。

 墓地には人影が無かったので、墓石の影から表に出ました。


 魔力切れを起こさないよう近くに闇の盾を出した状態で、水属性魔術を使って墓石を洗い、買ってきた花を供えてコンビニで買ってきたお線香に火属性魔術で火を着けました。


「お母さん、お婆ちゃん、ただいま……お盆に帰って来ないでゴメンね」


 東京のお盆は七月なので、先週でした。

 ヴォルザードで自分の家を構えたのですから、こうした行事もキチンとしないと駄目ですよね。


 お墓には、花が供えられた形跡がありませんでしたが、父さんはお参りに来ていると思いたいです。

 お墓に供えた花は、枯れてしまうと墓地の管理人さんが片付けてくれるそうなので、きっと片付けられた後なのでしょう。


 ここを訪れるのは、写真週刊誌の記者に追いかけられた時以来です。

 時季外れで日が暮れる時間とあって他に訪れる人もなく、ゆっくりとお参りができました。


「また来るね。今度はお嫁さんも連れてくるよ」


 五人も嫁を連れて来たら、母さんも婆ちゃんも驚いて化けて出てくるかもしれませんね。

 墓石に向かって一礼してから、影に潜ってヴォルザードへ戻りました。


 一旦。屋敷に帰って、自宅の分とクラウスさんに届ける分の苺とケーキを置いて、アマンダさんの店に向かいます。

 そろそろお昼時で、店が忙しくなる頃ですね。


 フィーデリアは、ちゃんと手伝い出来てますかね。

 よく考えてみると、営業中のアマンダさんのお店って覗いたことがありません。


 手伝おうとしたこともあるのですが、メイサちゃんに邪魔だから二階に行っててと追い払われてたんですよね。

 影の中から覗いてみると、店は満席で、店の外には行列が出来ています。


「お母さん! 次、Aランチ二つ、Cランチ一つ!」

「はいよ。サチコ、こっち終わったから盛り付けて」

「オッケー! フィーデリア、こっち終わったから、四番のテーブルに持って行って」

「かしこまりました」

「あぁ、慌てなくていいからね」

「はい」


 うん、まさに厨房は戦場のようですね。

 アマンダさんから頼まれた盛り付けを済ませると、綿貫さんは自分でもテーブルへと届けに行きます。


「はいよ、あたしの愛情たっぷりのBランチはどなた?」

「俺、俺!」

「嘘をつくな、お前Cランチだろう?」

「えっ? サチコちゃんの愛情は全部俺のもんだろう?」

「なんでだよ! 俺のに決まってんだろう?」

「あぁ、もうどっちでもいいから受け取ってよ。あたしの仕事の邪魔する奴は愛情抜きにするよ!」


 なんか、安息の日の昼食時なのに、お客さんの野郎率が高くないかい?

 これって、もしかして綿貫さん目当てなんですかね。


 テキパキと仕事をこなす綿貫さんとメイサちゃん。

 一方、フィーデリアはヨチヨチ歩きのペンギンみたいに、慎重な足取りでトレイを運んでいます。


 思わず影の空間から、頑張れ、頑張れと念を送っていると、店のお客さんの中にも無言でエールを送っている人が何人もいました。

 さすがアマンダさんのお店、さすがヴォルザードですね。


 アマンダさん、メイサちゃん、綿貫さんの三人がフォローすれば、危なっかしいフィーデリアも何とか手伝っている形になっています。

 フィーデリアは慎重な手つきで、無事に料理の載ったトレイを運び終えました。


「お待たせいたしました」

「ありがとう、頑張ってるね」

「ありがとうございます」


 キュロットスカートをちょこっと摘まんで、腰を落としてお礼をしたフィーデリアの姿にお客さんの間からほぉっと溜息が聞こえてきました。

 うん、絶対にやんごとなきお嬢様だってバレてますよね。


 それでも、そこに触れようとしないお客さん達、優しいですよね。

 この状況ならば、フィーデリアは大丈夫でしょう。


 昼の営業終了まで、まだ少し時間がありそうなので、ルジェク達の様子も確かめておきましょう。


「マルト、そっちはどんな感じ?」

「わふぅ、ルジェクはまだまだだね」


 ルジェク達の所へ移動してみると、お手上げポーズのマルトに迎えられました。


「なにか失敗しちゃった?」

「赤身と白身の区別も付かないって、ヤブロクが呆れてた」

「あらまぁ……ルジェク、山育ちだからかな? でも美緒ちゃんが付いてるから大丈夫だと思ったんだけど……まぁ、失敗は成功の基だしね」


 てか、屋台のおばちゃんから、貝柱の串焼きを押し付けられて、お金を払うの要らないのとアタフタしてるけど大丈夫かね。

 まぁ、二人とも楽しそうだから、いいか。


「ドーンする?」

「いやいや、しなくて良いからね。二人を頼むね」

「わふぅ、任せて!」


 マルトをグリグリと撫でてあげてから、ヴォルザードに戻りました。

 お昼の営業が終わるのを待って、アマンダさんのお店に顔を出しました。


「お疲れ様、メイサちゃん」

「ケント! ケーキは?」

「ちゃんと買ってあるよ。フィーデリアもお疲れ様」

「はい、ありがとうございます」


 ニッコリと微笑んでみせますけど、やっぱり表情に疲れが見えますね。

 初めて働くのですから、緊張して余計に疲れたでしょう。


「綿貫さんもお疲れ様」

「国分もお疲れ!」

「えっ、僕は働いてないよ」

「でも、そんな服装してるってことは、日本とか、あちこち飛び回ってたんじゃないのか?」

「まぁ、それはそうだけど、魔術を使えば一瞬だからね」

「そっか……国分もお昼食べるよな?」

「うん、お願い……その代わり、苺買ってきたからさ」

「おぉ、マジで? 日本の苺は久しぶりだよ。ヤバい、嬉しくて泣くかも」

「ケーキはチョコレートケーキとチーズケーキだよ」

「おぉ、その包装紙は……ヤバい、こっちは食べたら泣く。もう確実に泣くぞ!」


 ケーキ作りが趣味で、こちらの世界でケーキ職人を目指すと決めた綿貫さんだから、久々に日本のケーキを食べられるとなると、感慨もひとしおなのでしょう。


「ケント、こっちに座って」

「えっ、あっ、そっか、今日はフィーデリアもいるんだった」


 下宿してた時のくせで、いつもの席に座ったら、メイサちゃんに大きいテーブルに座るように言われました。

 いつもの席じゃないと、なんとなくお客さんで来たみたいですね。


「アマンダさん、お疲れ様でした」

「はいよ。サチコが良くやってくれてるから大助かりさ」

「食事の後で肩を揉みますね」

「いいよ、そんな気を使わなくても……」

「いえ、日本の母さんの肩はもう揉めないんで、代わりにやらせて下さい」

「そうかい……じゃあ、お願いしようかね」


 以前、体調が悪かった時に比べれば、顔色も良いですし、病気の心配も無さそうですが、油断はできませんからね。

 五人で食卓を囲みながら、フィーデリアに感想を聞いてみました。


「全然お役に立てませんでした……」

「何言ってんだい、初めてにしたら上出来だよ」


 隣に座った綿貫さんが、肩を落としたフィーデリアの頭をポンポンと叩いて慰めます。 


「お客さんも、フィーデリアが真剣に頑張ってるのを分って応援してたぞ」

「はい、とても嬉しかったのですが、お客さんに応援してもらっているようでは一人前には程遠いです」

「そうだね、でも人は急に一人前にはなれないぞ。あたしだって、メイサだって、国分だって、色々失敗を重ねて来たんだ。慌てず、一歩ずつ進んでいけばいいんだよ」

「一歩ずつですか……分りました」


 ホント綿貫さんは頼りになりますよね、


「そう言えば、アマンダさん、AランチとかBランチとか前からやってました?」

「いや、あれはサチコのアイデアだよ」

「やっぱりか」

「一品じゃなくて、複数の料理を食べられた方が楽しいだろ?」

「まぁねぇ……」


 それにセットメニューの料理は、一度に何人前も調理出来るメニューにしたので調理の手間が省けるらしい。


「おかげで、昼の売り上げも増えてるよ。サチコなら、いつでも自分の店を持ってやっていけるよ」

「いやぁ、まだ肝心のケーキが売り物になるレベルじゃないし、店を持つなら資金も必要だし、子供も生まれるし……まだまだですよ」


 まだまだです……なんて言ってるけど、逆境を乗り越えてきた綿貫さんなら、ポーンと乗り越えていきそうだけどね。


「あぁ、お店を出す時は言ってね。出資するからさ」

「おぉ、Sランクの冒険者様がバックに付いてくれるのは頼もしいね」

「お金ならあるから、ある時払いの催促無しで貸すからね」

「うん、その時は頼むよ」

「ねぇねぇ、ケント、ケーキ、ケーキ食べようよ」

「はいはい、分かりましたよ。綿貫さん、ケーキを切り分けてくれる?」

「おぉ、任せて。苺も洗って出すよ」


 食べ終えた食器をメイサちゃんとフィーデリアが運び、綿貫さんがケーキを切り分けている間にアマンダさんの肩を揉みました。


「おぉぉ、こってますね……」

「あぁ、いい気持ちだ……生き返るね」

「アマンダさんは、働きすぎじゃないですか?」

「そんな事はないさ。ぐうたらしてるのは性に合わないしね」

「でも、メイサちゃんもシッカリしてきましたよね」

「いやぁ、それこそまだまだだよ。将来は店を継ぎたいって言うから、料理も少しずつ教えてるけど、別に他にやりたい事や好きな男が出来たら嫁に行ったって構わないさ」

「まぁ、まだまだ先の話ですね」

「そうさねぇ、まだ十年ぐらいは掛かるだろうね」

「メイサちゃんの花嫁姿とか想像できませんよ」

「そりゃ、貰い手がいなきゃ話にならないからね」


 肩を揉みながら治癒魔術を巡らせてみましたが、今回は異常は見つかりませんでした。

 以前、大きな腫瘍が見つかったから、今回も入念に調べたので大丈夫でしょう。


「はいよ、国分、苺とケーキだよ」

「おぉ、美味しそう。食べよう、食べよう」

「いただきます! んーっ! このケーキすっごい美味しい!」


 チョコレートケーキを頬張ったメイサちゃんは、頬を押さえてうっとりしています。


「あぁ、メイサ、ケーキ先に食べちゃったか……」

「えっ、なんで? 食べちゃ駄目だったの?」


 綿貫さんに指摘されたメイサちゃんは、驚いてみんなの手元を確認しました。

 そう、この場合は、苺を先に食べた方が良いよねぇ。


「ケーキの方が甘味が強いから、苺を先に食べた方が、より美味しく感じられたんだぞ」

「えぇぇ……早く言ってよ」

「まぁ、今回は国分が奮発して買ってきた苺だから大丈夫だろう、いただくよ……んっ、甘っ! むちゃくちゃ甘い、ヤバい、この苺はヤバいよ」

「ふわぁ、何これ、すっごい美味しい」

「こんなに甘い果実は初めて食べました」


 甘神を口にしたメイサちゃんとフィーデリアは、目をまん丸にして驚いています。

 うん、やっぱ日本の苺はハンパないっすね。


「この苺を使ってショートケーキを作ったら絶対に売れる……でも採算が取れないか?」

「うん、ちょっとお高めだからね」

「さて、苺を堪能させてもらったから、次は……んーっ、これこれ、この味だよ」


 チョコレートケーキを口に運んだ綿貫さんは、目を閉じて味わっています。

 その瞼を開いた綿貫さんの瞳は、涙で潤んでいるように見えました。


「大丈夫だよ。帰りたくなったら、いつでも僕が送っていくから……大丈夫」

「さすが、嫁を四人も貰う男は違うね。頼りにしてるよ」

「任せなさい」


 苺とケーキを食べて、お茶を飲みながらおしゃべりしていたら、コックリコックリしていたフィーデリアが、綿貫さんに寄りかかって眠り込んでしまいました。

 やっぱり、普段とは違う環境で緊張したんでしょうね。


「ケント、連れて帰って寝かせておやり」

「はい、そうさせてもらいます。今日はありがとうございました」

「なぁに、しっかりした良い子で手が掛からないから気にしなくていいよ。また手伝いたいと言うなら連れておいで」

「はい、よろしくお願いします。綿貫さんも、メイサちゃんも、ありがとうね」

「こちらこそ、美味しい苺とケーキ、サンキューね」

「ケント、また泊まりに行ってもいい?」

「勿論、いつでもいいよ。ただし、ちゃんと宿題は終わらせて来ること」

「うん、約束する」


 メイサちゃんの頭をグリグリと撫でてから、フィーデリアをおぶって屋敷へと戻りました。

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