第519話 ルジェク初めてのお使い

※ 今回はルジェク目線の話です。


 数日前、フィーデリア様が、メイサちゃんの家で働いてみたいと言い出した。

 元シャルターン王国のお姫様が街の食堂の手伝いなんて出来るのだろうかと、僕は凄く心配になったのだけどミオ様もメイサちゃんも大乗り気だ。


「でも、フィーデリア様は食事の調理や配膳をされた事はあるのですか?」

「ルジェクさん、私はこのお屋敷ではただのフィーデリアです。様を付けるのは止めて下さい」

「し、失礼いたしました」


 フィーデリア様は僕らと同じ年だというが、やはり普通の人とは違う空気をまとっている。

 ちょっと咎められただけなのに、反射的に謝ってしまった。


「ほら、今もそのような言い方をされて、もっと普通に話して下さい」

「分りました」

「それとも、私もミオのようにお仕置きをした方がよろしいですか?」


 フィーデリア様が僕に向かってニッコリと微笑んだ途端、ミオ様が大きな声で反対した。


「ダメ! ダメよ。お仕置きはあたしがするからフィーデリアはダメ!」

「ふふっ、そうですね。ルジェクさんのお仕置きはミオにお願いしましょう」


 フィーデリア様がアッサリとお仕置きの件を譲ると、ミオ様は安心したような、それでいてちょっと不満そうな表情を浮かべている。


「ルジェクは、フィーデリアにチューされたいの?」

「とんでもない、そんな恐れ多い……」

「じゃあ、あたしは恐れ多くないから良いって思ってるの?」

「とんでもないです、ミオ様はケント様の妹君に……」

「また様っていう、なんで直してくれないの?」

「すみません……」


 眉間にキューっと皺が寄ってミオ様の機嫌が悪くなったと思ったところへ、メイサちゃんが助け舟を出してくれた。


「馬鹿ねぇ、ミオ。ルジェクが直さないのは、ミオにチューチューしてもらいたいからに決まってるじゃない」

「えっ、そうなの……?」

「いえ、そういう事では……」

「じゃあ、あたしとチューするのは嫌なの?」

「いいえ、嫌ではないですけど……」


 どう答えたら正解なのか分らなくて、僕がオロオロしているのをメイサちゃんとフィーデリア様はニヤニヤしながら眺めている。


「ミオ、いいアイデアがあるわよ」

「えっ、なになにメイサちゃん教えて」

「ミオがチューするだけじゃ直らないみたいだから、今度はルジェクからチューさせてみれば良いのよ」

「あら、それは素敵なアイデアですね」

「でしょ、フィーデリアもそう思うよね」

「はい、大賛成です」

「えぇぇ……でも、ルジェクからは……」


 メイサちゃんの提案にフィーデリア様は賛成のようですが、ミオ様はなんだか乗り気ではなくて顔を赤くされている。


「じゃあ、ミオは一生ルジェクからミオ様って呼ばれたいの?」

「それは嫌っ!」

「だったら試してみればいいんじゃない?」

「そうですわ、試してみることは大切です」


 メイサちゃんも、フィーデリア様も、どこまで本気で言ってるのかわかりませんが、ミオ様は気持ちを決めたようだ。


「ルジェク……んっ」

「えぇぇ……」


 ミオ様は目を閉じると、少しだけ顎を突き出してみせた。

 僕の方から、しかもメイサちゃんとフィーデリア様が見ている前だと凄く恥ずかしいけど、しないと話が先に進まないのだろう。


「で、では……」

「んっ……」


 鼻息が荒くなりそうなのを必死で抑えて、ミオ様と唇を重ねる。

 もう何度も経験したのに、僕からするのは緊張する。


 そうだ、これは影移動の為の前準備だと思えば良いのだと気付いて、すこしだけ気が楽になった。

 というか、心臓の鼓動がうるさいほど大きく感じられた。


「それで、いつまでチューしてるんだと思う、フィーデリア」

「さぁ、まだ満足なさらないのでしょう」


 メイサちゃんの言葉を聞いて慌てて唇を離すと、ミオ様は熱に浮かされたようにトローンとした目をしていた。


「ちょっと、ミオ! 早く正気に戻ってくれない?」

「なっ、何を言ってるのかな、メイサちゃん。あたしは何時だって正気だよ」

「どうだかねぇ……まぁいいや、とにかく、どうしたらフィーデリアがうちの店で働けるか考えてみよう」

「よろしくお願いしますね」


 いきなり店で働くのは難しいので、まずはお屋敷での食事の配膳や食器の回収から手伝って慣れることになった。

 そして、フィーデリア様が食堂を手伝う日には、僕とミオ様はジョベートに海産物を仕入れに行くことになった。


 フィーデリア様が新しい挑戦をするのだから、僕も新しいことをするべきだという謎の理論による決定だ。

 とはいえ、いずれは仕入れを任されるはずだから、早い段階で経験しておくのは悪いことではないだろう。


 その日から、僕とミオ様、フィーデリア様はお屋敷での食事の配膳を手伝い始めた。

 同時に、海産物を使ったメニューをお屋敷の料理人であるヤブロフさん、ルドヴィクさんと相談して、仕入れる魚介類と量を決めた。


 そしてフィーデリア様が食堂を手伝う安息の曜日、僕とミオ様はジョベートへと向かう。

 この数日間の新しいお仕置きのおかげなのか、ミオ様への魔力の受け渡しは一回で成功した。


「じゃあ、マルト。頼むね」

「任せてルジェク。ミオも迷子にならないように、ちゃんと手を繋いでいて」

「うん、分った……」


 右手でマルトと、左手でミオ様と手を繋いで影の空間に入る。

 ジョベートまでは、普通なら馬車で何週間も掛かる距離だが、影の空間経由なら一瞬だ。


 人がたくさんいる場所に、いきなり姿を現すと大騒ぎになるだろうから、人目につかない物陰から表に出る。

 ミオさまも無事に一緒に出て来られた。


「うちは影の中から見守ってるからね」

「よろしく頼むね、マルト」


 影の中から頭だけ出したマルトを撫でてやり、いざ市場に仕入れに向かう。

 買い物には、ケント様が用意してくれたクーラーボックスと保冷剤を使う。


 ケント様がいた世界では普通に使われているそうだが、冷たい状態を保てる優れ物だ。

 ジョベートの魚市場に決まった休日は無く、安息の曜日である今日も取引が行われている。


 漁は天候に左右されるので、嫌でも漁が中止になる強風や豪雨などの悪天候の日以外は、原則魚市場は営業するらしい。

 市場の中は、原則として本業の人しか入れないので、僕らは市場の周りにある問屋から仕入れることになる。


「えーっと、まずは……」

「見て見て、ルジェク。おっきい魚!」

「うわっ、なんですか、あんな大きな魚は初めて見ました」


 ミオ様の指差す方向へ目を向けると、大きな魚が台車に載せられて運ばれていた。

 体長は大人の男性の倍以上、丸々と太った胴体は僕の十人分ぐらいありそうだ。


「あれ、何て魚だろう……」

「あれはフビエラって魚さ。この時期になると、ジョベートの沖に回遊してくるんだが、あれほどの大物は珍しいな」


 通りがかりの男性が、大きな魚の名前を教えてくれた。


「フビエラって美味しいの?」

「旨いぞ、赤身がネットリと濃厚で旨い」

「ねぇねぇ、ルジェク。フビエラも買って帰ろうよ」

「でも、ミオ様、今日は白身の魚を仕入れに来たんですよ」

「えぇぇ……食べたい、食べたい、てゆうか、また美緒様って言った……んっ」

「えっ、ここでは……」


 フビエラを載せた台車が通っていったせいで、通りには多くの人がいる。

 こんな所でお仕置きは、さすがに恥ずかしい。


「恥ずかしくなかったら、お仕置きにならないでしょ? んっ……」


 覚悟を決めて、素早くミオ様とのチューを済ませたのだが、周りから冷やかすような口笛が聞こえてきた。

 というか、ミオ様まで真っ赤になるぐらいなら、止めておけば良いのに……。


 周りからの視線が刺さってくるようで、こんな調子では仕入れなんか出来そうもないから、今日こそはミオ様と呼ばないように気を付けよう。

 結局、ミオ様の要望に負けて、フビエラも買って帰ることになった。


 巨大なフビエラは、競り落とした問屋で解体されていく。

 まるで長剣のような包丁や、手斧のような包丁を使って、四人掛かりで作業を進めていた。


 解体作業を見物しようと多くの人が集まって来て、大きな固まりとなったフビエラを次々と買い求めていく。

 買っていくのは、料理屋や宿屋の人達、それに街の一般の人も買っていく。


「ルジェク、あたしが選ぶから買って」

「はぁ……分りました」


 仕入れのためのお金は、ケント様から潤沢に渡されているから、足りなくなる心配は無い。

 もし足りなくなったら、マルトに言えば追加のお金を出してくれるらしい。


 ケント様の影の空間には、店を丸ごと買い取れるほどのお金があるそうだ。

 ミオ様は、目を皿のようにして切り身の断面を吟味して、ある固まりを指差した。


「ルジェク、あれっ! あれ買って!」

「すみません、その切り身を下さい」

「おぉ、いい所を選んだねぇ……こいつは、五千ヘルトでどうだ?」

「はい、結構です。では……」

「おいおい、物を知らねぇガキだなぁ!」


 店員から提示された金額を払おうとしたら、横からダミ声の男性に絡まれた。


「女の尻を追い掛け回してばっかりいるから、買い物一つ満足に出来やしねぇ……問屋での仕入れってのは、言い値からどれだけ値切れるかが腕の見せどころなんだよ」


 どうやら、先ほどミオ様にチューした所を見ていた人がいるようで、あちこちからクスクスと笑い声さえ聞こえてきます。


「いいえ、五千ヘルトで結構です」

「はぁぁ? 俺が親切に教えてやってんのに舐めてやがるのか、ガキぃ!」


 四十歳ぐらいだろうか、僕よりも遥かに腕っぷしが強そうな男性から怒鳴られると体が縮こまってしまいそうになる。

 僕らの周りにいる人達も、僕が男性にやり込められるのを期待しているように感じる。


 それでも、これはケント様から言いつけられたことだから引く訳にはいかない。


「僕は、お屋敷の旦那様に、ジョベートは海賊の襲撃からの復興途上だから値切らなくて良いと申しつかっています。ですから、五千ヘルトで結構です」


 精一杯声を張って言い切ると、周囲のざわめきが消えて沈黙が広がった。

 沈黙を破ったのは、問屋の男性店員だった。


「さすがは領主様だ。おい、聞いたかよ、こんなに領民を思ってくれる領主様なんてランズヘルト中を探したっていないぞ。そうか、兄ちゃんたちはエーデリッヒ家の使用人か」

「いいえ、違います」

「はぁ? エーデリッヒ家じゃないなら、どこのお屋敷の者なんだ?」

「僕は、ケント・コクブ様のお屋敷の者です」

「なんだと、それは本当か?」

「はい、本当です」

「それじゃあ、その金は受け取る訳にはいかない」


 男性店員は、僕に向かって右手を突き出して、代金の受け取りを拒否した。

 これって、まさか切り身を売ってもらえないのだろうか。


「そんな、僕たちは普通に買い物をしようと……」

「俺たちジョベートの住民が、どれだけケント・コクブに助けられたと思ってる。海に出るのを邪魔するクラーケンを討伐し、シャルターンから来た海賊も退治してくれた。彼がいなかったら、ジョベートの街は無くなっていたかもしれない。そんな恩人から、金なんか受け取れる訳が無いだろう」

「それでは困ります。ケント様は、ジョベートの皆様の暮らしが一日でも早く元通りになることを望まれていらっしゃいます。どうか、このお金は納めて下さい」

「あぁ……」


 男性店員は天を仰いで感極まったような声を洩らした。


「みんな聞いたか今の話を! 俺は猛烈に感動した、そしてケント・コクブ様の心遣いを有難く頂戴する。そして、頂戴したこの金は、ジョベートの商いを回していくために俺が別の店で使い果たすと誓うぞ!」

「おぉぉぉぉ……」

「この坊ちゃん、嬢ちゃんは他の店にも行くだろう。俺がこんな事をいう権利は無いだろうが、ケント・コクブ様の金を有難く受け取ってジョベートを立ち直らせるのに使ってくれ!」

「そうだ、ジョベートを復興させるぞ!」

「ケント・コクブ様、万歳!」


 集まっていた人々が一斉に歓声を上げて、僕とミオ様は握手を求める人達に揉みくちゃにされてしまった。

 お金を払って受け取ったフビエラの切り身を入れたクーラーボックスは、マルトが影の空間に引き込んでくれた。


 こんなに街の人々を熱狂させるなんて、やっぱりケント様は凄い人だと尊敬の念を新たにした。

 街の人に揉みくちゃにされ、貝柱の串焼きや魚の塩焼きなどを食べろ食べろと勧められ、僕とミオ様が買い物に戻れたのは一時間以上経ってからだった。


「ミオ様、大丈夫ですか?」

「うん……でも、こんなに沢山の人に歓迎されたのは初めてだよ」

「やっぱりケント様は凄い方ですよね」

「うん、そうだね。さぁ、買い物を再開しないと……」


 僕とミオ様が、ほっと一息ついたところに、マルトがクーラーボックスを持ってひょこっと顔を出しました。


「あっ、ありがとう、マルト」

「ヤブロクが怒ってたよ。ルジェクのやつ、赤身と白身の区別もつかないのか……って」

「うぇぇ……それはミオ様が……」

「あたしのせいにするの? それに、また美緒様って呼んだ……んっ」


 ミオ様は、頬を膨らませてみせた後で、目を閉じて唇をちょっと付き出してみせる。

 えっと……まだ街の人に注目されてますけど……。


 はぁ……僕が一人前に仕入れが出来るようになるまで、もうちょっと時間が必要かも……。

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