第516話 コボルト隊のリーダー
俺の名前はアルト、ご主人様の忠実なる眷属コボルト隊を率いるリーダーだ。
我々の使命は、ご主人様の意のままに手足のごとく働くこと。
そのためには、魔物の頃には持っていなかった知識や経験が必要となる。
我々はご主人様の眷属となった直後から、ラインハルト、バステン、フレッドの指導を受け、厳しい訓練のもと成長してきた。
そして今回、我々に新たなメンバーが加わった。
ご主人様曰く、この者達は国や領地を治める群れのリーダーに貸し出され、重要な連絡を行うための増員だそうだ。
任務に就くにあたって、我々と同等の能力、知識が必要となるのは明らかだ。
俺はご主人様の期待に応えるべく、厳しい指導を行っている。
「よし、全員集合!」
「わふっ!」
「これより剣技の確認を行う、まずはヴォルルトからだ!」
「わふぅ!」
俺がゴブリンに見立てた丸太を宙に投げると、地を蹴ったヴォルルトが背負っていた剣を抜き放つ。
一閃、二閃、三閃……俺から見れば、まだまだ粗さが見える剣筋だが、丸太は両断され、さらに四つずつ縦に割られてから地に落ちた。
「よしっ、次、マールルト!」
「わぅ!」
途中、切断された木片を拾いながら続けた剣技の確認は、全員が合格レベルだった。
十頭の新コボルト隊は、数日前と比べても逞しさを増している。
俺としては、もっと鍛えておきたいのだが、ご主人様の要望は可愛らしさ重視らしいので、身体の強化はこの程度で十分だろう。
「みんな厳しい訓練に良く耐えてくれた、ここから知識の強化を行う。我々は、ご主人様の眷属として人間社会に混じっても恥ずかしくない知識を身に付けなければならない。そのために、これからとても重要な事を伝える」
俺が一旦言葉を切ると、新コボルト隊の面々は表情を引き締めた。
「いいか、忘れるなよ! 相手を確認するために、お尻の匂いを嗅ぐな!」
「えぇぇぇぇ……そんなぁ……」
「ど、どうやって確認しろと言うんです?」
「人間なんて、ご主人様以外は同じ顔に見えるぞ」
コボルトにとって、匂いで相手を確認するのは当たり前の行為だ。
ましてや、同じような顔に見える人間を区別するためには、匂いは重要な要素だ。
これまでビシっと一糸乱れぬ行動を続けていた新コボルト隊が、私語を交わしながらオロオロする気持ちは良く分かる。
「静まれ! 落ち着いて続きを聞け!」
「くぅーん……」
ご主人様の眷属になってから注意するようになり今では当たり前になっていたので、十頭の混乱を見て自分たちは普通の魔物とは違うのだと実感した。
「俺達にとってはお尻の匂いを嗅ぐのは当たり前の行為だが、人間にとってお尻の匂いを嗅がれるのは恥ずかしい行為だ。特に女性に対しては気を付けないといけない」
「で、でも、どうやって……」
「落ち着け、エーデルト。それをこれから教える」
一般的な人間のオスメスの見分け方や、髪型や顔の形、話し方などの個人の見分け方を説明した後で失礼にならない匂いの嗅ぎ方を教える。
「えっ、匂いを嗅いでも良いんですか?」
「ただし、嗅ぎ方はあくまでもさり気なくだ。我々を見た人間の多くは、撫でたいという欲求に囚われる。そこで撫でに来た手首などをさり気なく嗅ぐのだ」
「さり気なく……ですか?」
「そうだ、さり気なくだ。顔を擦りつけて甘えているような仕草を交えると更に良い」
「あ、あの……」
「なんだ、フェアルト」
「その時に撫でられてしまっても良いのですか?」
「うむ、職務に影響が出なければ構わないが……気を付けないといけない人物がいる」
「まさか、撫でると見せかけて襲ってくるとか……」
「そうではない、まぁ、その件は後で教える……とにかく、匂いを嗅ぐならさり気なくだ、分かったか!」
「わふぅ、分かりました!」
まだ不安気な顔をしている者もいるが、これは実践の中で慣れてもらうしかないだろう。
「では、これからご主人様の周りにいる人達を覚えてもらう。ご主人様にとって大切な方々だから良く覚えて失礼の無いように心掛けてくれ」
「わぅ、分かりました」
「では移動するから付いて来い!」
「わふぅ!」
魔の森の訓練場からヴォルザードの街へと移動し、守備隊の診療所へと向かった。
「まず覚えてもらうのはユイカ様だ。ユイカ様はご主人様の奥方の一人だが、光属性魔術を使われるから注意しろ! 光属性魔術は我々アンデッドコボルトにとっては毒だから、ユイカ様が魔術を使った治療をされている時には不用意に近付くな」
「わふぅ、分かりました」
「それと、ユイカ様の護衛を担当しているヘルトだ。ユイカ様への伝言が必要な時にはヘルトを目印にして影移動するように」
「ヘルトだよ。みんなよろしく!」
「わふっ、よろしくお願いします」
新コボルト隊に一斉に挨拶されて、ヘルトは何だか誇らしげだ。
「よし全員注目、あちらで治療をされている胸の大きな女性がユイカ様だ。少しふくよかな体形をなさっているが、ご本人が気にしていらっしゃるので、間違っても太った? なんて訊ねないように」
「分かりました!」
「あの……」
「どうした、ブラルト」
「太っているのは食料が豊富な証しだから良いことではないのですか?」
「良いところに気付いたな、人間の特に女性の場合、腹周りは細く、胸は豊かが良いとされているらしい。なので、ユイカ様に向かって、間違っても太ったとは口にするな。見ていれば分かるようになると思うが、ユイカ様に対してはご主人様も頭が上がらない場合が多い。我々の群れにとっては、ご主人様に次ぐナンバーツーだと思っておけ」
「ナンバーツー……それほどなのか……」
新コボルト隊の中には、ユイカ様に恐れを抱いた者もいるようだが、そのくらい脅しておかなければ、下手をすると浄化されてしまうかもしれない。
ご主人様が一切の抵抗も出来ず、ユイカ様の前で項垂れている姿を何度も目にしてきているので、お怒りを買わないように十分に注意する必要があるのだ。
「よし、ここで皆に裏技を伝授しよう」
「裏技ですか……?」
「そうだ、先程お尻の匂いを嗅ぐなと言ったが、どうしても必要だと感じた場合には、相手に気付かれずに済む方法がある」
「それってもしかして……」
「ほう、なかなか鋭いな……バルルト」
「目にも止まらぬ速度で接近して、一瞬で匂いを嗅ぎ取り、見つかる前に離脱するのですね」
「違う! 何を言っているのだ、我々が今、何処にいるのか良く考えてみろ」
「あっ、影の中から嗅ぐのですか?」
「そうだ、普通の人々は我々が影に潜んでいるなどとは思わない。だから、影の中から鼻先だけ出して匂いを嗅げば見つからないという訳だ」
「なるほど……」
「では、順番に嗅いでみるぞ。まずは俺が手本を見せる、その後、順番にやってみろ」
ユイカ様が座られている椅子の陰から、鼻先だけ出して素早く匂いを嗅ぎ取る。
いつものユイカ様の匂いで、特に体調の異常なども無いようだ。
新コボルト隊の面々も、次々にユイカ様の匂いを嗅いで記憶する。
姿形や声などの他に、匂いという要素が加わるだけで個人のイメージがしっかりと固まる。
「リーゼルト、嗅ぎ過ぎだ!」
「わぅ、すみません」
「お前はリーゼンブルグの王室に出入りするようになるのだ、相手に気づかれるようなヘマをするなよ」
「わふぅ、了解です!」
全員がユイカ様の匂いを確認したところで、もう一人の奥方を紹介しておく。
「全員注目、あちらにいらっしゃる胸が慎ましやかな女性がマノン様だ。間違っても、胸が小さいとは言わないように。慎ましやか、もしくは控え目と言うか、話題にしない方が良い。マノン様の護衛はフルトだ」
「わぅ、フルトだよ」
「あのぉ……」
「なんだ、リーゼルト」
「マノン様の匂いは嗅いではいけないのですか?」
「見ての通りマノン様は忙しく立ち動いていらっしゃるので、先程の方法は難しい。マノン様がお屋敷に戻られたら挨拶に向かうから、その時にさり気なく嗅ぐように」
「わふぅ、分かりました」
「よし、次はギルドに向かう、付いて来い」
ギルドの二階には、ご主人様の関係者が四人いた。
「よし、順番に紹介するから良く覚えろ。まず、あの大きな机に座って、やる気の欠片も無いように見える男が、ここヴォルザードの群れのボス、クラウスだ」
「あれが……ボス?」
新コボルト隊が首を傾げるのも当然だろう。
クラウスは椅子に浅く腰を下ろし、両腕を肘掛けに乗せてグデーっとしている。
ボスというよりも、ただの怠け者にしか見えないのだが、ご主人様を唖然とさせるほど悪知恵が働く男だ。
ご主人様がやりこめられたエピソードを話して聞かせたが、それでも目の前のダラけた男とイメージが一致しないようだ。
「ヴォルルトは、クラウスに付いて任務を行うことになる。決して侮ることなく、一緒になってダラけることなく使命を果たせ」
「わぅ、分かりました」
「次に、そちらの赤い髪で垂れウサ耳の女性が、ご主人様の奥方ベアトリーチェ様だ。クラウスとは父娘の関係だ。ユイカ様ほどではないが、体重に関する話題は控えるように。護衛を務めているのはホルトだ」
「ホルトだよ、よろしく!」
「わふっ、よろしくお願いします」
「ベアトリーチェ様の隣、白髪トラ耳の女性も、ご主人様の奥方セラフィマ様だ。隣国リーゼンブルグの更に向こうの国バルシャニアのボスの娘でいらっしゃる。バルルトは連絡を取り合う機会が多いと思うから、良く覚えておくように。護衛はヒルトだ」
「ヒルトだよ、よろしくねバルルト」
「よろしくお願いします」
「セラフィマ様は、マノン様と同じ様に接すること、分ったな」
「わふぅ、分りました」
三人の紹介を終えて、残るは一人なのだが、細心の注意が必要だ。
「さて、最後の一人はアンジェリーナ様だ。クラウスの娘で、ベアトリーチェ様の姉にあたる方だが、全員注意するように……特にヴォルルト、気を付けろ」
「ど、どのように気を付ければ良いのでしょうか?」
「意識を強く持ち、使命と任務を忘れないことだ!」
俺の言葉に、ヒルトとホルトが何度も頷いている。
「意識を強く持つって……まさか、意識を刈り取られるようなことをされるのですか?」
「そうだ……」
「でも、我々は普通の人間に比べれば、力でも速度でも遥かに上回っているはずですが」
「そんなことは分っている。それでも、それでも気を抜けば意識を刈り取られるぞ」
「そ、それほど狂暴なのですね」
「いいや、狂暴などではない。アンジェリーナ様は……アンジェお姉ちゃんは、魔性の撫でテクの持ち主だ」
再びヒルトとホルトが頷いてみせる。
「な、撫でテク……とは?」
「我々を撫でるテクニック。まるで我々の心の奥底を覗き込んでいるかのように、撫でて欲しいところを絶妙な力加減で撫でてくれるのだ」
「そんな馬鹿な……いくら撫でるのが上手いといっても、ただの人間ではありませんか」
「ほう、ならば試してみるか? クラウスに挨拶をするついでに、アンジェリーナ様にもご挨拶してみろ」
「わふっ、了解です!」
丁度クラウスの集中力の最後の一欠けらが砕け散り、椅子から立ち上がったタイミングに合わせて、新コボルト隊を連れて表に出た。
「クラウス殿、少しお時間をよろしいか?」
「おぅ、ゾロゾロと団体でどうしたんだ?」
「この者達は、ご主人様の命令で教育を施しておるところです。いずれは、ランズヘルトの七領主。それに、マスター・レーゼ、リーゼンブルグ、バルシャニアの三者を加えた合計十か所の連絡網を構築する予定です」
「つまり、そいつらに手紙を託せば、瞬時にさっき言った場所に届くんだな?」
「おっしゃる通りです。こちらには、ヴォルルトを配置する……ヴォルルト?」
「撫でて……アンジェお姉ちゃん、お腹撫でて」
「なん……だと……」
ほんの一瞬目を離した隙に勝負は決していた。
ヴォルルトはアンジェお姉ちゃんの足元で、だらしなく腹を見せて早く撫でてと催促している。
「手紙は……ちゃんと届くのか?」
「こいつらは、まだ訓練中なので……」
クラウスが呆れたような顔をしているが、お前の娘のせいでもあるんだからな。
まったく、あれほど気を付けろと言っておいたのに……。
ヴォルルトだけでなく、他の九頭まで次々と魔性の撫でテクに囚われていく。
思わずため息をつくと、ヒルトとホルトにポンポンと肩を叩かれた。
ご主人様、新コボルト隊の訓練には、もう少々時間が掛かりそうです。
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