第514話 苦労人ジョーはやるせない

 合鍵でドアを開け、一歩踏み込んだ途端に違和感を感じた。

 ロレンサの匂いが消えていたのだ。


 人が生活する場所には色々な匂いが残る。

 料理の匂い、化粧品の匂い、革を手入れする油の匂い。


 ここには、ロレンサとパメラの付けている化粧品の匂いがして、女性の拠点なのだと来る度に思っていたのだが……その匂いが消えている。

 玄関脇に立て掛けられていた槍とか盾、壁に掛けられていた革の外套、ブーツや靴なども綺麗サッパリ無くなっている。


「なんだよ……これ」


 階段を駆け上がってロレンサの部屋のドアを開けたが、ベッドが置いてあった所に埃が積もっているだけだった。


「嘘だろう……」


 隣のパメラの部屋を覗いてみたが、やっぱり何もなくなっている。

 訳が分からないまま階段を降りて一階の食堂を覗くと、テーブルの上に封筒が置かれていた。


 差出人はロレンサ、宛名は俺だった。



 ジョーへ……


 良い男を捕まえたから、パメラと一緒にエーデリッヒに行くことにした。

 金回りが良くて、あっちの方も独りよがりじゃなくて気遣いできる大人な男だよ。


 合鍵は、このテーブルの上に置いていって。

 あとで大家が取りにくるからさ……。


 短い間だったけど、それなりに楽しかったよ。

 あんたも若くて良い女を探しな。


 じゃあね……。


 ロレンサ



「何だよ……金回りの良い男って何だよ! 気遣いできる男って何だよ!」


 握りしめた手紙に、ボタボタと水滴が落ちる。


「こんな……こんな走り書きみたいな手紙一枚で終わっちまう程度の関係だったのかよ! 俺には紙切れ一枚の価値しか無いのかよ!」


 悔しくて、情けなくて、涙が溢れてくるのを止められない。


「俺だけか……俺だけ勝手に盛り上がって、愛し合ってるって思い込んでたのかよ……」


 膝から力が抜けて、その場に座り込んでしまった。

 朝食を済ませて早々にオーランド商店の定宿を出て、弾むような足取りで訪れたのに、待っていたのは紙切れ一枚だった。


 夕方まで、ぶっ通しでロレンサに溺れるつもりだったのに、待っていたのは手酷い拒絶と別れだった。


「俺がガキだからか……駆け出しのヒヨッ子だからか……あんなによがってたのに全部演技だったのかよ……」


 調子に乗って階段を駆け上がっていたら、突然突き落とされたような感じだ。

 大きな商会との繋がりも出来て、ギルドのランクも上がって、面倒なベテラン冒険者の因縁もやり過ごせた。


 国分みたいな一般人とは懸け離れた生活は出来なくても、鷹山みたいに嫁を貰って、子供を育てていく程度の暮らしは出来る自信があったのに、急に足元から地面が無くなったみたいに落ちていく感じがする。

 冒険者としての自信も、男としての自信も、ガラガラと音を立てて崩れていった。


「ちくしょう……金か、金なのか? それとも、テクなのか……」


 ロレンサを他の男に寝取られるなんて、思ってもいなかった。

 俺がヴォルザードでオーランド商店との交渉やギルドへの報告をして、次の依頼の準備を進めている間に、ロレンサは他の男に抱かれていたのかと思うと気が狂いそうだ。


 俺の知らない男に抱かれ、俺の知らない痴態を見せていたのかと思うと、誰かもわからない男に殺意が湧いてきた。


「くそっ、くそっ、くそぉぉぉぉぉ!」


 握り拳で自分の太腿を殴りつけても、荒れ狂った気持ちは静まりそうもない。


「どうすりゃいいんだ……どうすれば良かったんだよ……どうすればぁぁぁ……」


 埃だらけの床を転げ回っても、答えは見つかりそうもない。

 何をすれば、何処にいけば、張り裂けそうな胸の苦しみから解放されるのか分からなかった。



「えっ、もう夕方なのか……」


 気が付くと、食堂の窓が夕日に染まり始めていた。

 八時間ぐらい床に転がっていた事になるが、そんなに時間が経った感覚が無い。


 ノロノロと立ち上がり、握りしめていた手紙をグシャグシャに丸めて、床に叩き付けようとして……振り上げた腕を下ろせなかった。

 ポケットから合鍵を取り出し、代わりに丸めた手紙を突っ込む。


 テーブルの上に合鍵を残して、何もなくなった食堂を出る。

 そのまま足を止めずに玄関を出て、脇目もふらずに宿を目指して歩いた。


 マールブルグの街は、夕食の買い物をする人や鉱山から戻って来たらしい人などで賑わっていたが、俺は他人にぶつからない事だけを考えて歩いた。

 かなり早足で歩いたのに、二度も道を間違えて引き返したので、随分時間が掛かった気がする。


 しかも、宿に戻ってフロントの人に怪訝な顔をされるまで、自分が埃まみれになっている事にも気付かずにいた。

 部屋に入ると、相部屋の鷹山はまだ戻っていなかった。


 水浴びをして着替え、部屋のベッドに寝ころぶ。

 昼食を抜いているのに、全く食欲が湧いてこない。


 このまま眠ってしまえればと思ったが、頭の中のグジャグジャが収まらず、眠れる気がしなかった。

 目を閉じれば、脳裏に浮かぶのはロレンサの顔だった。


 エーデリッヒは、確かランズヘルト共和国で一番東にある領地だ。

 国分の魔法ならば一瞬で行けるのだろうが、俺が自力でいくとなると何日ぐらい掛かるのだろうか。


 エーデリッヒ行きを考え始めた時、部屋のドアが開いて鷹山が入って来た。


「おぅ、ジョーも帰ってたのか、昼間からお楽しみ……してきた感じじゃないな」

「まぁな……」

「なんだ、ロレンサ達はいなかったのか」

「あぁ……」


 たぶん、鷹山はロレンサ達が依頼を受けて出掛けていると思っているのだろう。


「ジョー、夕飯は?」

「いらねぇ……食いたくない……」

「はぁ? どうした、具合でも悪いのか?」

「いや、体調は別に……」

「何だよ、そんなにヤレなかったのがショック……って、何これ?」


 ちょっと迷ったが、鷹山に手紙を見せてみた。

 とても一人で抱えていられそうもなかったのだ。


「げぇ……マジか?」

「部屋は、もぬけの殻だった」

「嘘だろう、新旧コンビの二人ならまだしも、ジョーだぞ」

「なぁ、鷹山……一日に五回も求めるのは独りよがりなのかな?」

「サルかよ……マジで五回?」

「いや、七……八回だったかなぁ……」

「絶倫か! よく干乾びないな。てか、何時間やってんだよ」

「そんぐらいやるだろう?」

「やらねぇよ。俺はラストックにいた頃でも朝晩の二回だけだったぞ……毎日だったけど」

「毎朝、毎晩って、そっちのがサルだろう」

「しょうがねぇだろう。シーリアの方が誘って来たんだから」

「なんだそれ、爆発しろよ」


 前に国分にちょっと聞いたが、シーリアさんは鷹山の暴走を阻止するための人柱みたいなものだったらしい。

 もっとも、鷹山がマジ惚れしたから、途中からはシーリアさんも本気だったそうだ。


「鷹山、俺この依頼が終わったら、ちょっとエーデリッヒまで行ってくる」

「エーデリッヒって、どの辺りだ?」

「ランズヘルトの東の端だな」

「いやいや、駄目だろう。何日掛かるんだよ。その間、俺達だけでオーランド商店の依頼を受けるのか? 無理に決まってんだろう」

「俺から話はしておくから大丈夫だろう?」

「いやいやいや、無理無理、てかエーデリッヒに行ってどうすんだよ」

「それは、ロレンサに考え直せって……」

「重いだろう……重過ぎんだろう。ドン引きされんぞ。ストーカーレベルだぞ」

「ストーカーって……そこまでは」

「自覚が無いなら自覚しろ。ジョー、お前ヤバいぞ」


 鷹山にマジな口調で諭されると、流石にマズい気がしてきた。


「てか、新旧コンビと違って、ジョーだったら引く手あまただろう? この前も、ほら、マリーデの姉ちゃんから言い寄られたとか言ってたじゃん」

「いや、あれは地雷案件だろう」

「まぁ、妹があれだからな」

「なぁ、鷹山……」

「何だよ」

「お父さんって呼んでもいいか?」

「やめろよ! いや、マジでやめてくれ! 新旧コンビと違って洒落にならねぇ。あいつらは幼児にだって見抜かれるモテなさだが、ジョーの場合は洒落になってねぇ。同級生にお父さんとか呼ばれたくねぇからな!」

「分ってるよ……冗談だ」


 気を紛らわすための軽い冗談だったのに、ここまで鷹山がマジになるとは思わなかった。


「はぁ……あんまり無責任な事は言えねぇけど、ロレンサなりの思いやりじゃねぇの?」

「えっ……?」

「だってよぉ、結構歳の差あったし、向こうはジョーが初めてって訳じゃねぇんだろう?」

「そう、だけど……」

「最初からマジだったのか?」

「いや、遊ばれた感じだった……けど、途中からはマジだと思ってたんだ」

「だからじゃねぇの? ジョーがマジだって気付いたから、自分から身を引いたんじゃね?」

「なんで、なんで身を引く必要があるんだよ」

「だから、歳の差とか色々考えて、自分じゃ釣り合わないと思ったんじゃね?」

「じゃあ、この金回りの良い男っていうのは嘘なのか?」

「本当かもしれないけど、言っちゃ悪いが……金回りの良い男が、わざわざロレンサとパメラを選ぶか?」

「それは……そうだな」


 確かに鷹山の言うように、金持ちの男だったらもっと若い女を選びそうだし、女冒険者と知り合い、そういった関係になるとも思えない。


「じゃあ、俺と別れるために、わざわざ拠点を移したのか?」

「さぁな、分らないけど、そうなんじゃねぇの」

「だったら、まだ望みは……」

「やめとけよ。引っ越しまでして関係を断とうとしてるんだぞ。その決意に水を差すのか?」

「だからって、このままじゃロレンサの気持ちに応えられないじゃんか」

「てか、探すにしても、どうやって探すんだよ」

「それは、エーデリッヒで聞き込みして」

「その手紙の内容が嘘だとしたら、エーデリッヒに行ってないんじゃねぇの」

「あっ……」

「ジョー、焦る気持ちは分るけど、頭が全然回ってないだろう? そんなボケた頭で考えたって、ロクな結果にならねぇよ。一先ず、ヴォルザードに戻るまでは依頼に集中して、帰ってからジックリ考えろよ」


 まさか、鷹山に諭される日が来るとは思ってもいなかったが、確かに今はまともに頭が回っていない。

 こんな状態で考えても、良いアイデアが浮かぶはずもない。


「だな、一旦保留にして、ヴォルザードに戻ってから考えるよ」

「そうしてくれ、司令塔抜きでヴォルザードまで戻るのは辛いからな。じゃあ、飯にすっか?」

「そうだな、昼も食ってないから、少し食わないとな」


 手紙の内容が真実ではない可能性が高くなってきたら、急に腹が減ってきた。

 人間の体とは、随分と都合良く出来ているものだと感心してしまった。


 宿の食堂に下りると、新旧コンビも食べ始めたところだった。

 どうせいつかは知られるだろうと思って、新旧コンビにも手紙を見せたのだが……。


「悲報! ジョー、女冒険者を寝取られる!」

「ベッドの上では独りよがりのワガママボーイだった!」

「ねぇ、どんな気持ち? 今どんな気持ち?」

「N・T・R! N・T・R! N・T・R!」

「お前ら……覚えとけよ」

「んー……和樹ちゃん、馬鹿だから覚えられな~い」

「達也君も覚えられな~い」

「あぁ、殴りてぇ……くっそ殴りてぇ……」


 変顔の新旧コンビの顔面に、思いっ切り拳を叩きつけたら、どんなにスカッとするだろう。


「まぁまぁ言わせてやれよ、ジョー。一日に八発もヤッちゃうワガママボーイなのは事実なんだし」

「はぁぁ? 八発だとぉ?」

「お前、いつの間に近藤さんを取り寄せたんだよ、近藤さん!」

「いや、ゴムは……」

「はぁぁぁぁぁ? 垂れ流しですか、汚染水垂れ流しですか」

「誰が汚染水だ!」

「少子化問題を異世界で解決する気ですか!」

「いや、そんなつもりは……」

「くっそぉ……爆発しちまえ、この絶倫野郎」

「チャックに皮を挟む呪いをかけてやる!」

「やめろよ!」


 まったく女が絡むと新旧コンビは本当に質が悪い。


「まぁ、和樹も達也も落ち着けよ。ジョーがフリーになったんだぜ、合コンの餌に使えば女の子集まるんじゃねぇの?」

「鷹山……天才か」

「いやぁ、近藤君、終わった恋は忘れて、俺達と新しい出会いを探しに行こうではないか……なっ?」

「なっ、じゃねぇよ。悩んでたのが馬鹿らしく思えてきた」

「よしっ、いけるぞ和樹」

「おぅ、あと一押しだぞ達也」

「はぁぁぁ……」


 結局、新旧コンビに押し負けて、ヴォルザードに戻ったら合コンに参加する約束をさせられた。

 はぁぁ……俺は何をやってるんだ。

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