第505話 誘惑
マルトリッツ領の街リアットを訪れた翌日の午後、ルートスとセラティへ送る支援物資の用意が出来たと連絡が来ました。
運ぶのは翌日でも構わないという話でしたが、ルートスの窮状を見れば一日でも早い方が良いに決まっています。
リーゼンブルグの王城へ向かうと、倉庫には支援物資が山積みになっていました。
近くにいた職員に声を掛けると、すぐにエーギルが姿を現しました。
「わざわざ御足労いただきありがとうございます、魔王様」
「どっちがルートスの分で、どっちがセラティの分なのかな?」
「ルートス、セラティは殆ど同じ規模の村なので、後で不満が出ないように同じ量となっております」
「分かった。マルト、ミルト、ムルト、サヘル、こちら側の支援物資を囲んで目印役を務めて」
ひょこっと姿を見せたマルト達が、支援物資を囲むように立ちました。
「じゃあ行こうか、エーギル」
「はい。よろしくお願いいたします」
先に、エーギルと一緒にルートスの村長宅近くへと送還術で移動しました。
「な、なんだ、あんたら、どこから湧いて出た!」
たまたま近くを通り掛かった村人が、突然現れた僕らを見て腰を抜かしています。
「驚かせてすまんな、私はディートヘルム殿下に支援物資を届けるように申しつかった者だ」
「お、お城の方でしたか、申し訳ございません」
「あぁ、気にするな、それよりも村長はいるか?」
「へ、へい、ただいま……村長、村長! お城の方が来なすったよ!」
村人の後に続いて村長宅の門を潜ると、玄関から慌てた様子で村長が姿を見せました。
「これはこれは、エーギル様、魔王様、ようこそいらっしゃいました」
「早速だが、支援物資を運び込みたい、どこか広い場所は無いか?」
「それでは、うちの裏庭がよろしいかと存じます」
村長宅の裏庭は、テニスコートほどの広さで土が均され、押し固められていました。
裏庭の横には蔵も建っているので、物資を運び入れるには最適だと思われます。
「では、ここに出しますよ、召喚!」
マルト達を目印にして召喚術を発動すると、王城の倉庫に積まれてあった支援物資が瞬間移動してきました。
「おぉぉ、これは……」
ルートスの村長は、突然物資が現れたことよりも、物資の量に驚いているようでした。
「作物の種や種芋は、これから栽培しても秋には収穫が望まれるものを選んである。村人に通達を出して、何としても収穫を得るのだ」
「ありがとうございます。これで村人たちも安心して年を越せます」
目覚ましい復興を遂げていたブルギーニと比べると、ルートスの街の周囲は荒廃しています。
それでも、前回訪問した時から、畑に手が加えられて作付けの支度を始めていたようで、雑草が刈り取られ、土起こしされていました。
「村長、これを……」
「何でございますか、魔王様」
「少しですけど、復興に役立てて下さい」
「こ、これは……ありがとうございます」
革袋に入れた二千万ブルグを手渡すと、村長は重さで金額を推測したようで、跪いて頭を下げました。
「ヴォルザードで預かっている子供達は、こちらが落ち着いた頃を見計らって送り届けます。王都で保護した子供は、また別に送るように手配しておきますから、安心して下さい」
「本当に、何から何までお世話になって、何と言ってお礼をすれば良いやら……」
「僕への礼など無用ですよ。それよりも、子供達が安心して育つ環境を整えてあげて下さい」
「はい、確かに承りました」
とりあえず、これでルートスの人達も将来に希望が持てるでしょう。
ただ、ブルギーニと違って、領主であるフォルスト男爵からの支援は期待できないので、今後も見守る必要はありそうです。
ルートスに支援物資を届けた後、そのままセラティへ移動して、同じように支援物資を届けました。
セラティでは村長と話をしているうちに、支援物資が届いたと聞いた村人が集まって来て、早く物資を配れと騒ぎ出しました。
「お前達、静かにしないか。騎士様がいらしているんだぞ!」
「だったら、さっさと食い物を配れ!」
「もう、こんな暮らしはウンザリなんだよ!」
村長が大声で制止しても、村人の興奮は収まらず、略奪が始まりそうです。
「ゼータ、エータ、シータ」
「ウオォォォォォ!」
「ウォン、ウォン、ウォン!」
ゼータ達が影の空間から遠吠えすると、村人達は冷や水を浴びせられたように黙り込みました。
大きな闇の盾を出して、ゼータが唸り声を上げながら姿を見せると、村人は蜘蛛の子を散らすように救援物資から離れました。
「見ての通り、物資は十分な量を持って来た、この他にも支援金を置いていくし、それでも足りないならば追加の措置も考える。だから、見苦しく争うな。ここに居る者は、共に手を取り合って苦難を乗り越える仲間だろう。物資は、この子らに見張らせておく、さっきのような無様な姿を晒すならば、ガブっとやられる覚悟をしておけ!」
村人だけでなく、村長やエーギルまでもが真っ青な顔で冷や汗を流しています。
「村長」
「は、はひぃ!」
「うちのゼータを見張りに置いていきます。暴動を起こさない限り、危害を加えたりしませんから安心して下さい。この子は言葉を理解しますので、もう大丈夫だと思ったら、帰って構わないと伝えて下さい」
「か、かしこまりました」
「一応、影の中からは見張らせますから、住民全員に公平に物資が行き渡るようにして下さいね」
「かしこまりました」
日々の糧にも窮しているとはいえ、同じ村の中で争いが起こるなど論外です。
まぁ、これだけ釘を刺しておけば大丈夫でしょう。
送還術を使ってアルダロスの王城へと戻ると、エーギルが深々と頭を下げてきました。
「魔王様、この度は本当にありがとうございました。おかげ様でリーゼンブルグの民が飢えるのを食い止められました」
「いえ、支援物資は届けましたが、フォルスト男爵の内情はかなり苦しいという話も聞いていますので、引き続き経過を見守って下さい。それと、エドウズに騙されて連れて来られた子供達は、一人残らず故郷に帰れるように手配して下さい」
「かしこまりました。必ずやり遂げてみせます」
エーギルと握手を交わし、一旦ヴォルザードへ戻りました。
屋敷のみんなと夕食を済ませ、汗を流した後、再びアルダロスに向かいます。
ハルトを目印にして移動すると、カミラはテラスに置かれたベンチに座り、王都の夜空を眺めていました。
東京とは違って、王都といえどもアルダロスの空には数えきれないほどの星が瞬いています。
街並みに灯る明かりは魔道具やランプの柔らかな光なので、星を隠してしまうような強さはありません。
「こんばんは、カミラ」
「魔王様、本日はありがとうございました」
「隣に座ってもいい?」
「勿論です」
隣に腰を下ろすと、カミラが腕を絡めて僕の肩に頭を預けて来ました。
反対側からは、ハルトが頭を預けるようにして擦り寄って来ました。
「どうしたの? 何だかぼんやりしているみたいだけど」
「そのような……いえ、そうですね、少しぼんやりとしていました」
そう答えたカミラの微笑みは、どことなく愁いを含んでいるように感じます。
「近頃はディートヘルムもしっかりしてきて、私の役目はもうすぐ終わりだと思うと、何だか気が抜けてしまって……」
「そっか……」
考えてみれば、カルヴァイン領の平定が終わるまでの数年間、カミラは一人でリーゼンブルグの未来を思って足掻き続けていました。
勇者召喚なんて禁じ手を使うまでに追い込まれていたのも、国民を顧みない父親や兄達の存在があったからです。
それが、紆余曲折はあったものの、愚王も愚兄もまとめて世を去り、アーブル・カルヴァインという最大の不穏分子は取り除かれ、敵対を続けてきた隣国バルシャニアとの和平も実現出来ました。
これで弟ディートヘルムが無事に王位を継承すれば、自分の役割は終わりだと感じるのも当然でしょう。
いわゆる、燃え尽き症候群のような感じなのでしょう。
「いいんじゃないの? 少しぐらいノンビリしたって」
「ですが私は王族としての……」
「これまでカミラは国のために頑張って来たんだから、そろそろ自分の幸せを求めたって良いんじゃない?」
「いいえ、それは許されないことです……」
カミラは俯いて、小さく首を振ってみせました。
「私が勇者召喚などという禁忌に手を染めたばかりに、多くの人の命を奪う結果となってしまいました。その私が幸せになるなんて……」
「カミラ……」
謝罪のビデオ、遺族への手紙、そして賠償金を支払い終えても、カミラは罪の意識を全て払拭出来ずにいるようです。
「ディートヘルムが正式に王位を継承したら、私は修道院に入ろうと思っています」
「はぁ? 何言ってるの?」
「それが、沢山の命を奪った私には……」
「命というなら、僕だって沢山の人を殺してきたよ。リーゼンブルグではアーブルの残党、バルシャニアとフェルシアーヌの国境ではヌオランネの兵士、エーデリッヒの港町ジョベートでは海賊……もう何人殺したのかも覚えていないよ」
「魔王様……」
思えば、初めて自分の手で人を殺した時は覚悟を決めて手を下したけれど、最近は必要とあれば躊躇わずに殺してしまっている気がします。
「殺した人の殆どは、僕に直接危害を加えようとした人じゃない。放置すれば他人に危害を加えたかもしれないけど、結局は僕にとって都合が悪いから殺したんだ」
「それでも、魔王様は沢山の命を救って下さいました。ルートスやセラティも魔王様の助言が無かったらあのまま放置され、次の冬には多くの餓死者を出していたはずです」
「それならば、カミラだって同じじゃない?」
「えっ……?」
「僕らを召喚した事で、結果的に多くの命を奪ったけど、僕が存在する事で多くの命を救ってるよね」
「それは魔王様の功績であって……」
「同じだよ。僕らは、僕らにとって良い世の中を作るために多くの人を犠牲にしている。きっと僕らは天国になんか行けない。僕と一緒に地獄に落ちてくれる?」
「魔王様……喜んで」
「風が出てきたから中に入ろうか」
「はい……」
カミラと一緒に部屋に入ると、突然現れた僕にメイドさんが驚いていました。
大丈夫だと手で制した後、カミラはメイドさんに歩み寄って飲み物の支度を命じたようです。
「魔王様、こちらへ……」
室内のソファーにカミラと並んで腰を下ろすと、マルト達も影の中から出てきて僕らを取り囲みました。
「昨日はマルトリッツ領のブルギーニとリアットに行ってきたんだ」
「ブルギーニは、ルートスやセラティと同じようにアンデッドに襲撃を受けた村でございますね?」
「でも、襲撃があったなんて思えないぐらい、普通の村に見えたんだ」
ブルギーニの村の様子、村長の話、リアットに行って守備隊に拘束された話や領主のマルトリッツ子爵と面談した事などを話しました。
「マルトリッツ子爵は、社交界には余り参加しないと聞いています」
「たぶん、面倒な貴族の付き合いよりも内政重視なんだろうね」
「はい、リーゼンブルグの貴族は派閥争いにばかり夢中で領民を疎かにしていると思われがちですが、マルトリッツ子爵のように民を重んじる者もおります」
「そうした人達を重用していけば、リーゼンブルグは良くなっていくんじゃない?」
「そうでございますね。弟にも伝えておきます」
話が途切れるタイミングで、メイドさんが持ってきてくれたのは、小ぶりのグラスが二つと酒瓶、それにオードブルを盛り付けた皿でした。
「いや、お酒は……」
「魔王様、お好きですよね?」
カミラが蓋を開けた酒瓶から漂って来たのは、リーブル酒の香りです。
「い、一杯だけね」
「はい」
蠱惑的な香りに抗えず、リーブル酒の注がれたグラスを手に取りました。
「リーゼンブルグの未来に……」
軽くグラスを合わせてから口に含んだリーブル酒は、トロリとした舌触りと芳醇な味わいの年代物です。
「あっ、いけない、大事な話を忘れてたよ」
「何でございますか?」
「シーリアさんに子供が生まれたんだ」
「はい、ユイカに知らせてもらいました」
「そっか、ユイカやマノンともやり取りしてるんだもんね」
「はい、妹がお世話になりました」
「シーリアさんは、僕らにとっては大切な友人だから、力を貸すのは当然だよ」
「ありがとうございます」
お酒が入ったことで気分がリラックスしたのか、徐々にカミラも砕けた感じで話し始めました。
「でもさ、結果的に鷹山が更生したから良いものの、下手したら妹にクズ男を宛がうことになってたんだよ」
「あれは、勇者の暴走を食い止めるために仕方がなかったんです!」
「だいたい、僕らの年代の男なんて、頭の中の半分以上はエッチな事を考えてるんだから、シーリアさんみたいな綺麗な人に裸で迫られたら我慢なんか出来っこないじゃん」
「魔王様、魔王様はシーリアみたいなタイプがお好きなんですか?」
「いやいや、なんでそんな話になるかなぁ……」
「私なんか好みじゃないんですよね?」
「だから、どうしてそうなるの?」
ちょっとカミラ飲みすぎじゃないかなぁ、てか何で僕のグラスにも注いでるの。
まぁ、もったいないから飲むけどね……。
「だって、私の裸を見ても、その……して下さらない……」
「えっ? だって二人っきりの時じゃないよね。マルトとかゼータとかも一緒で……」
「違います、私が入浴している最中に、突然いらしてサインしろとか言って、すぐに帰っちゃったじゃないですか!」
「あー……はいはい、グライスナー侯爵と交渉してた時……てか、あの後戻って来た時、カミラべろんべろんに酔っぱらってたよね? 僕が仕事してたのにさぁ」
「そうですよ。私が勇気を振り絞って、魔王様を押し倒したのに……」
「あれあれぇ? それは覚えていないんじゃなかったのぉ?」
「あれは……魔王様がいけないんです! みんな、みんな、魔王様が……」
「カミラ……」
この夜、僕はリーブル酒の誘惑にも、カミラの誘惑にも勝てませんでした……。
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