第495話 幸福な朝
シェアハウスに暮らす女性陣が祝福に押しかけてきたので、入れ替わるようにリビングへと戻ると、八木がテーブルに突っ伏していました。
あ~……とか、う~……とか、呻き声も聞こえてきます。
ヨレヨレになるほど書き込みを行っていたノートが、床に放り出されていました。
「八木……?」
「何でだよ。いや、分かってる、仕方ないのは分かってる……でもよぉ……ぐずっ」
顔を上げた八木の目は真っ赤に充血して、涙が滲んでいました。
「泣いてるの?」
「うっせぇ! 今回は……今回だけはマジだったのに……」
「僕が関わったから台無しになった?」
再び突っ伏した八木は、顏も上げずに頷いてみせました。
床に放り出されていたノートを拾うと、表紙には『取材3』の文字があります。
もう一冊には『書き込み2』と書かれているところをみると、それぞれ三冊目と二冊目なのでしょう。
ビッシリと書かれた文字は、一部は乱筆で暗号と化しているが、それでも執念とでも言うべき八木の思いが込められています。
「まだ駄目になったと決まった訳じゃないじゃない?」
「うっせぇ……国分が出て来て魔法でスポーンの時点で、信憑性なんか無くなるって言っただろう」
「まぁ、僕の治癒魔術は自分でも出鱈目だとは思うけど、今回の僕はオマケみたいなもので、主役は唯香とマノンだよ」
「えっ……今なんて?」
「確かに、僕も治癒魔術を使ったけど、大部分は唯香とマノンが進めたんだ」
子供の足が先に出てしまい、体のどこかが引っ掛かって出て来れない状態で、帝王切開を行って胎児を取り上げた経緯を説明しました。
「執刀したのは唯香だし、マノンの水属性の治癒魔術が無ければ大量に出血していただろうし、縫合を通常の形で行うならば、僕がいなくても成立する治療なんじゃない?」
「なるほど、確かに普通に縫合するなら、国分抜きでも成立しそうだけど、それって術後のケアとか大丈夫なのか?」
「うーん……どうだろう。僕はこっちの医療について詳しくないから分からないけど、外科手術が全く行われていない訳ではないだろうし、その辺りは調べてみないと分からないね」
「でもよぉ、帝王切開なんて、こっちの世界じゃやってないぜ。取材したけど、そんな話は全く聞いていねぇよ」
八木はバサバサとノートページをめくったが、帝王切開について書き込みを行ったのが別のノートだと思い出してあきらめたようです。
「逆子の場合、こっちではどうしてるの?」
「まぁ、頑張って産むしかないってのが普通みたいだな。産んだけど、息をしないでそのままという場合もあるみたいだぜ」
「けっこう多いの?」
「頻繁って訳じゃないみたいだが、それでも一定数はあるらしい。ベテランの助産婦さんは、お産の前にマッサージで赤ん坊の向きまで調整するらしいぞ」
「嘘っ、へその緒が首に絡んだりしないのかな」
「まぁ、場合によってはあるらしいが、腹の中までは見られないから勘に頼るしかないだろうな」
日本であれば、エコーで胎児の状態を確認できるけど、こちらではそれこそ触診で見極めるしかないようです。
日本式の診断方法や帝王切開などの分娩方法が確立されれば、今よりも安全に出産が出来るようになるような気がします。
「問題はどこまで取り入れる……いや、どこから取り入れるか?」
「取り入れるって、日本式の検査とか診断とかか?」
「そうそう、だって、十ヶ月もお腹の中で育てた子供には、無事に生まれて来てほしいでしょ」
「まぁ、親や身内の立場になればそうだな」
「でもさぁ、大掛かりな診断機器とかは、持って来ても使いこなせるのか、メンテナンスとかも必要だろうし、電源も確保しないといけないし、色々と問題があるよね」
「まぁ、そうだな。いきなりヴォルザードに持ち込むべきかは悩むな」
「八木、ちょっと考えてよ」
「何で俺がそんな事までやらなきゃいけないんだよ」
「もちろん、これだよ……これ」
右手の親指と人差し指で輪を作り、手の平を上に向けてヒラヒラと振ってやると八木の目の色が変わりました。
「国分君、詳しい話を聞こうじゃないか」
「そうだね、まずは今回のシーリアさんの出産の様子をレポートにまとめてよ。ヴォルザードで一般的に行われている出産とどう違うのか、日本式の何を取り入れたのか。それと、僕や唯香のような強力な治癒魔術が使えなくても成立する分娩方法か否か」
「そのレポートをどこに売り込むつもりだ?」
「クラウス・ヴォルザード」
「領主か……」
八木は腕組みをして、宙を睨んで考え込みました。
「本当に金になるのか?」
「それは、八木次第だね」
「印税じゃなく、原稿買い取り……みたいな感じか?」
「違うよ、クラウスさんの相談役みたいなポジションが得られる……かもしれないって話だよ」
「領主の相談役だと?」
「日本とヴォルザードを繋ぐ僕という存在があるけど、クラウスさんは日本の進んだ機械文明みたいなものを取り入れるのには慎重なんだ。文明の進み具合の差が激しいから、一気に取り入れれば当然弊害が生まれる。場合によっては貧富の格差が広がって、対立を生みかねないでしょ」
「確かに、建築用の重機とかあれば、城壁の建設とかガンガン進められるだろうが、別の見方をすれば雇用を奪いかねないもんな」
「そうそう、特にヴォルザードにおける城壁は、住民の団結の象徴だったりするからね」
「なるほどなぁ……領主の相談役か……」
お金になるかもしれない話ならば、八木は食いついてくると思ったのですが、何だか乗り気ではないように見えます。
「八木、もしかして領主の相談役とか責任重大とか思っている?」
「まぁ、それもあるけど……やっぱ原稿にして認められたい」
「あぁ、ジャーナリストとしての夢は諦められないかぁ……」
「まぁ、そうなんだけど……」
八木の将来を左右するかもしれない話ですし、悩むのは当然なんでしょうが、まだ採用されるかも分からない話なので、そこまで悩む必要は無いと思うのですが……。
「別に八木がやりたくないと思うなら、やらなくて構わないよ。本当に相談役なんてポジションで雇ってもらえるかも分からないしさ」
「そうだなぁ……でも、相談役になれたら、もっとヴォルザードの深い部分も知れるよな?」
「まぁ、それは領主の近くにいる訳だから、重要な案件とかも耳に入るんじゃない?」
「そうか、肩書がもらえれば取材も楽になるか? でもなぁ……」
「何が引っ掛かってるの?」
「その相談役って、毎日決まった時間に出勤しないと駄目なのかな? こう、何て言うの、好きな時にだけ働いて、ガバっと稼いで後は遊んで暮らす……みたいな?」
「あぁ、僕が馬鹿だったよ。八木を相手に本気で心配するなんて、この世で一番無駄な時間だって忘れてた」
まったく、ちょっとは真面目に取り組み始めたかと思いきや、結局根っこの部分は変わってないみたいです。
「じゃあ、さっきの相談役の話は無かったということで……」
「いやいや、待て待て、やらないとは言ってないだろ、ただ毎日出勤するサラリーマンのような生活は、俺様のような自由人には向いていないというか……」
「単にサボりたいだけでしょ?」
「ちげぇよ、聞けよ、てか、お前だ国分。領主の相談役なんてものに収まっちまったら、お前みたいに昼夜を問わずに扱き使われるんじゃねぇのか?」
「うっ……それは無いとは言い切れなくもない……かもしれない」
僕の場合は自分から買って出ちゃってるところもあるけど、基本的に緊急を要するような事態が多いから必然的にブラックな環境になっちゃうんですよねぇ。
「だろう? お前は自己治癒とか使えるからいいけどよぉ、か弱い俺様では倒れるぞ、過労死するぞ」
「いや、僕の場合は緊急事態が多いだけだし、ギルドの職員さんとかは定時になれば殆ど帰ってるよ」
「そうなのか?」
「まぁ、ドノバンさんとか例外はいるけど……てか、そもそも八木は言っても働かないじゃん」
「当然だ、俺様を見くびるなよ」
「いや、そこは威張るところじゃないからね」
「てか、世の中働いたら負けだろう」
「何でだよ、パパになるんだから真面目に働けよ」
「パパって言うなぁぁぁぁぁ……まだ、まだパパじゃねぇ……」
「あぁ、うるさい。とりあえず、ここまで調べた内容を無駄にしたら勿体ないじゃん。試しにレポートまとめてみなよ。いずれ出版社に売り込むにしても、形になってなきゃ話にならないだろ」
「まぁ、それもそうだな……相談役とかは良く分からねぇけど、とりあえずレポートは作るよ」
まったく、本当に世話の焼ける男ですよねぇ。
八木と話し込んでいるうちに、すっかり夜が明けたようで、綿貫さんが起き出してきました。
「おぉ、おはよう国分」
「おはよう、随分早起きじゃないの綿貫さん」
「まぁな、早寝早起き、規則正しい生活してるぞ、てか子供は生まれたの?」
「うん、すったもんだあったけど、無事に生まれたよ」
「おぉぉ、ちょっと覗いて来るよ」
綿貫さんがシーリアさんの部屋へと向かうと、入れ替わるように女性陣が戻ってきました。
さすがに唯香もマノンも疲れた表情していますね。
「唯香、マノン、もう帰って大丈夫なのかな?」
「うん、とりあえず一段落」
「連絡用にコボルトちゃんを残しておくから大丈夫」
「じゃあ、帰って朝食を済ませて、ゆっくり休んで」
「うん、そうさせてもらう」
シェアハウスを出ると、街は朝の空気に包まれていました。
たぶん、今日は西風が吹いているのでしょう、緑の香りを強く感じます。
シェアハウスがある辺りは倉庫街なので、まだ歩いている人はいません。
日本のように物流倉庫が二十四時間稼働なんてしていないので、この辺りが賑わい出すのは二、三時間後ぐらいからでしょう。
「シーリアさんも赤ちゃんも無事で良かったね。唯香もマノンも自信になったんじゃない?」
「とんでもない、思い出すだけで震えちゃうよ」
そう話した唯香は、本当に震えていました。
「健人がいてくれるから大丈夫だと思っても、医師免許も持っていない私がシーリアさんのお腹を切り開いたんだよ。失敗していたら……って考えるだけで怖くて、怖くて……」
「大丈夫、唯香は良くやったよ」
「そうだよ、助産婦さんだって諦めてたんだよ。ユイカが決断してなかったら、赤ちゃんは助かってなかったと思うよ」
「それでも……それでも怖いし、この怖さは忘れちゃいけないものだと思う」
たぶん、唯香は命の重さを実感したのでしょう。
こちらの世界で、Sランクの冒険者として活動を続けてきて、何人もの命を奪ってきた僕とは感覚にズレが生じているかもしれません。
人の命の価値に差は無い……なんて言うけれど、現実には厳然たる差があって、命の選択が行われています。
この先も、無垢なる命を唯香やマノンが救い、僕は邪悪に堕ちた命を処分しながら生きていくのでしょう。
「どうかしたの? 健人」
「えっ……いや、鷹山はどの辺りにいるのかなぁ……って思ってた」
「ホント、あんなに可愛い娘が生まれたんだから、早く帰ってくればいいのにね」
「送還術で送ってやろうかと思ったんだけど、どこにいるのか分からないから迎えにいけないよ」
「そっか……日本みたいにスマホが通じる訳じゃないもんね」
やっぱり居残り組には、いつでも連絡が出来るようにコボルト隊を配置した方が良いのでしょうか。
そこまでするのは過保護のような気もするんですよねぇ。
「健人も夜中に起こされて、眠たいんじゃない?」
「うん、ちょっとね。僕も朝食を済ませたら少し仮眠するから大丈夫だよ」
「ケントは無理しそうだから心配だよ」
「大丈夫、もう一人の体じゃないから、ちゃんと休める時には休むようにしてるよ」
「それならいいけど……」
話をしている間に、城壁に突き当たり、左に曲がって少し行けば我が家です。
城壁のトンネルを抜けると、アンデッドリザードマンのツーオが門を開けてくれました。
「おかえりなさいませ」
「ただいま、ツーオ」
屋敷の敷地に入ると、影の中から眷属のみんなが顏を出しました。
手の空いているコボルト隊に、ゼータ達、ラインハルトも姿を見せました。
『お疲れ様でした、ケント様。休息の後はリーゼンブルグに向かわれますか?』
「うん、支援物資の準備が終わっていたら、早めに届けてあげたいし、ちょっと商工ギルドにも顔を出そうと思ってる」
『アルダロスの商工ギルドですか?』
「うん、そう。ルートス、セラティの他に、ブルギーニにも支援をしておこうかと思ってね」
『なるほど、その為の資金引き出しですな』
「まぁ、そんなところ」
ラインハルトと一日の予定を打合せていると、敷地の周囲を走るルジェクの姿が見えました。
うんうん、真面目に体力アップのためのトレーニングを続けているみたいだね。
ちゃんと鍛えないと、美緒ちゃんのナイトは務まらないよ。
「あっ、パンの焼けるいい匂いがする……今朝のメニューは何かな?」
「私も、お腹ペコペコ」
「僕もお腹空いたよ」
「じゃあ、朝食にしよう……ただいま〜!」
「おかえりなさい!」
屋敷のドアを開けると、食堂の方から準備を手伝っていたセラフィマとベアトリーチェが小走りで現れました。
うんうん、本日も幸せなり!
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