第486話 ダッゾ

 出頭命令に従ってオクタビアの情夫ダッゾが守備隊に現れたのは、その日の午後でした。

 仕立ての良い服に身を包み、髪を綺麗に撫で付けていると、昨晩の痴態を演じていた姿は想像できません。


 来訪の意図を告げられた守備隊の兵士の方が、迫力に圧倒されて腰が引けています。

 ダッゾが案内されたのは取り調べ室ではなく、簡素ではあるものの応接室でした。


 案内してきた兵士が退室して応接室に一人で取り残されても、動じる様子は微塵もありません。

 ソファーにドッカリと腰を下ろすと、窓の外へと視線を向けて微動だにしなくなりました。


「昨夜と同一人物とは思えないね」

『まぁ、この程度の落ち着きがなければ、歓楽街のボスなど務まりませんな』


 昨晩、僕が引き上げた後もフレッドはオクタビアの偵察を継続してくれたそうですが、ダッゾに耳打ちするタイミングが計りづらく、指示らしい指示は探り出せなかったそうです。


『ただ、我々が探っていると意識してる……』


 フレッドが偵察している間、オクタビアは鏡の前や浴室で、自らの裸体をさらけ出すようなポーズをとっていたそうです。

 そして、オクタビアが裸身を晒している間、ダッゾは凶暴な視線を周囲に向けていたそうです。


 なんだよ、そんな時にはちゃんと呼んでくれなきゃ駄目だよね。

 いや、別に裸を見たいって意味ではなく、オクタビアの態度とかは偵察しておいた方が良かったんじゃないのかなぁ……。


 オクタビアはダッゾだけではなく、他の使用人に対しても耳打ちで指示を出しているそうです。

 眷属を総動員すれば、指示を出したと思われる全員を監視する事も可能でしょうが、その者が何か不正行為を行ったとしても、オクタビアの指示だと証明できません。


「うーん……やっぱりボレントとかメネンデスよりも面倒な相手みたいだね」

『そうですな。己の容姿や他人からの印象も上手く利用しているように思えますな』


 案内の兵士が退室してから五分ほどして現れたのは、カルツさんとバートさんでした。

 カルツさん達を見ると、ダッゾは立ち上がって出迎えましたが、その立ち上がる動作が巨体に似合わぬしなやかな動きで、ただ者ではないと感じさせます。


「第三部隊長のカルツだ。こっちは副官のバート、あぁ、掛けてくれ」


 テーブルを挟んでカルツさんとダッゾが向かい合い、バートさんは立ったままメモを取るようです。


『バート殿は、普段は少々軽薄に見えますが、なかなかの腕利きですな』

「えっ、どういう意味?」

『バート殿が立っている場所は、何の障害物もなくダッゾに攻撃が出来る位置。一方ダッゾがカルツ殿に危害を加えるには、立ち上がってテーブルを越えねばなりませぬ』

「つまり、ダッゾが何かをするよりも早く、バートさんが先制攻撃が出来るってこと?」

『その通りですぞ』


 ホントに、普段のバートさんはチャラい兄ちゃんみたいな感じですし、バルシャニアの騎士との演武大会でもセコい勝ち方してましたが、たぶん実力はある……んですよね?

 ダッゾがソファーに腰を落ち着けたところで、カルツさんが話を切り出しました。


「さて、何で呼び出されたのかは分かっているな?」

「いいえ、倉庫で何かあったようですが、私の方では何も聞いていませんので」

「容疑は違法奴隷と麻薬の取引だ。お前の指示ではないのか?」

「いいえ、私からは常々法に触れるような行為は慎むように言いつけております」

「では、今回の件は部下が勝手に行ったと?」

「そうなりますが……本当に違法奴隷や麻薬なんかがあったんですかい?」


 やはりダッゾはイシドロを切り捨てるつもりのようで、あくまでも自分は知らなかったと主張するようですが、まるで驚いた様子も見せていないので説得力ゼロですね。


「首輪こそしていなかったが、倉庫の地下に薄汚れた状態で十九人も閉じ込められていた。その他にも一人、こちらは隷属の首輪を付けた状態で逃げ出してきたところを保護している」

「首輪をしていないのでは、奴隷ではないですよね?」

「リーゼンブルグから首輪を嵌められて連れて来られたと言っているのにか?」

「ガキの言うことなんか、当てにはなりませんよ」

「ほう、なぜそう思う?」

「ガキなんてものは、ちょっと自分に都合が悪くなれば平気で嘘をつく、しかもついた嘘を本当だと思い込む生き物ですぜ」


 ダッゾは自信たっぷりに持論を展開しましたが、直後に表情を変えることになりました。


「いや、俺が聞いているのは、そんな事ではない」

「はぁ? どういう事です?」

「俺は十九人が閉じ込められていたと言ったが、子供とは一言も言っていないぞ。なぜ子供だと思ったんだ?」

「い、いや、それは……違法奴隷と言われれば、子供だと思うのが普通でしょう」

「なぜだ? 過去には成人女性の奴隷を連れ込もうとした例も少なくないぞ」


 思わぬところでボロを出したと思われたダッゾですが、不意に目を閉じると、大きく深呼吸をしてみせました。

 そして、目を開けた時には落ち着きを取り戻しています。


「そうですね。確かに大人の場合もある。なんでですかねぇ……ガキだと思い込んじまいました」

「ほう、子供だと知っていたのではないのか?」

「いいえ、私の勝手な思い込みです。申し訳ない」

「そうなのか? もう納品先も決まっていて、断りを入れるのが大変じゃないのか?」

「さて、何の話やら。違法な奴隷なんざ扱っておりませんから、断りを入れる必要もありませんぜ」

「では、我々の手で保護した子供達はリーゼンブルグに送り返しても問題無いな?」

「勿論です」


 ダッゾは完全に自分のペースを取り戻したように見えましたが、対応しているカルツさんは手を緩めるつもりは無いようです。


「では、その際の費用は、お前のところに請求するが、構わんよな?」

「そいつは、下の連中が勝手にやったことですし……」

「自分らは関わっていないから、自分らが所有している倉庫で何が起ころうと責任はとらないと言うのか?」

「いえ、そうではないですが……」

「お前が、手下どもを統率出来ていないと言うならば、俺達も対応を改める必要があるが、どうなんだ?」

「いえ、下っ端共には良く言ってきかせますので……」

「そうか、まぁ送り返すにしても、リーゼンブルグと連絡を取る必要もあるし、今すぐという話ではないが、掛かった費用は改めて請求するから、そのつもりでいろ」

「分かりました」


 メリーヌさんに告白できずにウジウジしていた時には頼りないと思ったりもしましたが、本業となるとカルツさんは頼りになりますね。


「倉庫に置かれている品物を出したい場合には、守備隊員が立ち合いの下で、別の容器に移して移動させろ。移し替える時に異常が認められた物の移動は認めない」

「分かりました」


 カルツさんは、この後も細々とした指示をダッゾに伝えた後で、物品の差し押さえ、奴隷だった子供達の送還費用の負担などを認める書類に署名させました。

 ダッゾにしてみれば、奴隷や麻薬については全く関りが無いとシラを切り通すつもりだったのでしょうが、書類に署名までさせられれば責任の一端を認めたも同然です。


 苦々しげな表情で署名を終えたダッゾに、カルツさんは更に付け加えました。


「オクタビアに伝えておけ、裏に潜んでいようとも全ての責任から逃げおおせやしないと」


 オクタビアの名前が出た途端、ダッゾの表情が一変しました。


「マ……オクタビアに手を出すな」

「そいつは、お前次第だ」

「なにぃ……」

「下っ端どもが違法奴隷や麻薬に手を出しているのにも気付かないようじゃ、こちらも対応を変える必要がある。ましてや、お前やオクタビアが裏から糸を引いているなら尚更だ」


 ダッゾが眉間に深い皺を作り、岩みたいな拳を固く握って震わせていても、カルツさんは微風に吹かれた程度にも表情を変えていません。


「オクタビアには手を出すな……」

「今回の一件で、我々はお前たちの組織への監視を強めることにした。それならば、監視の目を搔い潜る方法を考える……なんて馬鹿なことはするなよ。見られても恥ずかしくない商売をしろ。はした金に目が眩んで、後ろ暗い事に手を染めるな。オクタビアを守りたければ道を踏み外さないように、お前がしっかりと手綱を取れ」

「ぬぅぅ……」

「俺達は、法に背き、他者を泣かして金儲けするような連中を決して許さない。ましてや、未来を支える子供たちを食い物にするような連中には容赦するつもりは無い。それが誰であろうとだ、覚えておけ」


 大声で怒鳴りつけて脅す訳でもなく、淡々とした口調で発せられたカルツさんの言葉には、静かな怒りが込められているようでした。

 じっと睨み合っていた二人でしたが、先に視線をそらしたのはダッゾの方でした。


「分かりやしたよ、うちの者には良く言って聞かせておきます」

「そうか、何か質問はあるか?」


 ダッゾは、ちょっと視線を天井に向けた後で口を開いた。


「あの倉庫に奴隷がいると、どうして分かったんですかい?」

「保護した子供から聞いた情報を基にして捜索した」

「守備隊の方が探し当てたんですかい?」


 ダッゾの問いに、カルツさんがふっと表情を緩めました。


「そうだ、うちの隊員が探し当てた。そうでないとしても、そう言うしかない」

「どういう意味です?」

「例え協力者がいたとしても、名前を明かすはずが無いだろう。自分で自分の身を守れる奴ばかりではないからな」

「タレ込んだ奴がいるってことですかい?」

「なんだ、不満なのか? お前も知らなかった不正を通報してくれた者だぞ、むしろ礼をしてやっても良いんじゃないか?」

「そうですね、是非礼をしたいので、誰だか教えてもらえませんか?」

「教えるはずが無いだろう。我々は、そこまでお前たちを信用していないぞ」

「分かりやした、俺達で探して礼を言いますよ」

「好きにしろ。ただし、我々は協力者を見捨てたりはしないし、求められれば保護する。そして理不尽な暴力を振るう者を見逃すことはしない。お前達への監視を強めた事を忘れるなよ」


 会談を終えたダッゾは、無言のまま応接室を後にしましたが、その足取りが少し苛立たしげに見えたのは気のせいではないでしょう。

 カルツさんと話をしていこうかと思いましたが、今日はダッゾを見張る方を優先しました。


「ラインハルト、バステンを呼び戻してメリーヌさんの店を見張らせて、それと、念のために本宮さんにコボルト隊の護衛を付けておいて」

『了解ですぞ、先手を打っての防衛措置ですな』

「まぁ、守備隊の隊長の身内に手は出さないとは思うけど、念のためにね」


 守備隊の敷地を出たダッゾは、両手をポケットに突っ込んで、肩をそびやかして道の真ん中を歩いていきます。

 道行く人々は、苦虫を嚙み潰したような不機嫌さを隠さないダッゾの表情を見て、慌てて道の両側へと避けていきます。


 ダッゾと同じ方向に進んでいた人が、急に人波が割れるのに気付いて振り返り、迫って来たダッゾを慌ててよけて道端で尻餅をついていました。

 なんだか、ただ歩いているだけでも迷惑な存在ですけど、ダッゾにしてみれば歩いているだけですから文句を付けられる理由は無いと思っているでしょうね。


 普通の道では、ただ避けられているだけでしたが、歓楽街の近くになると避けた人々はダッゾに頭を下げるようになりました。

 オクタビアの縄張りに入ったところで、ダッゾは道を開けて頭を下げた二人組の下っ端の前で足を止めました。


「おい、例の倉庫に詰めていて、守備隊に引っ張られずに済んだ奴を探して連れて来い。事情が聞きたい」

「へい、分かりやした」


 たぶん内通者を探しているのでしょうが、そもそも倉庫の情報は僕が知らせたもので、実際の内通者は存在していません。

 それとも、僕が知らないだけで誰か内通者がいるのでしょうか。


 ダッゾは歓楽街の奥まった場所にある建物へと入り、入口近くにいた男に、先程の二人組が戻ってきたら知らせるように言いつけて奥へと入って行きました。


「ここは何の店なんだろう?」

『おそらく賭博場でしょうな』


 言われてみると、細長いテーブルや円卓、扇型のテーブルなどカジノっぽい雰囲気があります。

 ダッゾは店の中を通り抜け、さらに奥の扉の先の渡り廊下を通って別棟に足を運びました。


 ここでも下っ端連中が頭を下げて出迎えています。

 たぶん、ここがダッゾの本拠地なのでしょう。


 ダッゾは階段を昇った二階の部屋に入ると、上着を脱いで手前のソファーに投げ捨て、キャビネットから酒瓶とグラスを手に取ると、奥のソファーに身を沈めました。

 ダッゾの巨体を受け止めても深くは沈み込まず、軋み音すら立てないところをみると、ソファーは相当高価な品物なのでしょう。


「気に入らねぇ……」


 ダッゾは酒瓶の蓋を開け、グラスになみなみと注いだ酒を一息に飲み干しました。


「守備隊の隊長風情がママに伝えておけだと……たまたま点数稼ぎが出来た程度で調子くれてんじゃねぇぞ」


 ダッゾはもう一杯酒を煽ると、暗い目付きで何事か考えを巡らせ始めました。

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