第470話 フィーデリア

※ 今回はフィーデリア姫目線の話です。


 夢を見ているのだと思っていました。

 いいえ、夢を見ているのだと思い込みたかったのです。


 それほどマダリアーガの街で起こった出来事は今でも信じたくないほど残酷で、この屋敷は浮世離れしていて、温かく、優しかった。

 ずっと夢を見ているのだと思い込んでいても、ここでは許されてしまいそうですが、これが現実なのだと気付いてしまった以上、いつまでも甘えていることは許されません。


 なぜなら私は、シャルターン王国第6王女、フィーデリア・カレム・シャルターンだから。

 この屋敷に来て、正気を取り戻してから3日目、夕食を終え、湯あみを済ませた後で、屋敷の主に面談を申し込みました。


 屋敷の主、ケント・コクブ殿は、私といくつも年は離れていないはずですが、四人の妻を持ち、自らの才覚で手に入れた財力によってこの屋敷を所有しているようです。

 筋骨逞しい体格ではないので、魔術士として卓抜した技量を所持しているのでしょう。


 テーブルの向こうに座っているケント・コクブ殿は、ごく普通の少年にしか見えませんが、彼を慕う魔物達の姿を見れば、異能の持ち主であるのは疑う余地はありません。


「落ち着かれましたか?」

「はい……危ないところを助けていただき、ありがとうございました」

「いえ、僕が勝手にやったことですので、お気になさらず……」

「あの……私が、こちらでお世話になっている間に、何が起こっていたのかお聞かせ願いますか?」

「分かりました。少しお辛い話になりますが……」

「覚悟は出来ております」


 ケント殿は一つ頷いた後で、ゆっくりと話し始めました。


「あの場にいたご家族は、全員お亡くなりになられていました」

「あの……遺体は?」

「ご遺体は、僕が回収して、略式ではありますが葬儀を行い、荼毘に付し、御遺骨は国王様の御意思に従ってマダリアーガの湖に散骨いたしました」


 正直、家族の遺体はならず者達の手で辱められ、打ち捨てられているものだと思っていました。

 まさか、遺体まで取り返してくれて、葬儀まで行ってくれていたとは思ってもいませんでした。


「あ、ありがとう……ございます……」


 シャルターン王族として恥ずかしくない振る舞いをするつもりでしたが、涙が溢れて止められなくなってしまいました。

 席を立ち、テーブルを回り込んできたケント殿に抱えられ、私はその胸に縋って泣くことしかできませんでした。


「大丈夫ですか……?」

「はい……お見苦しいところをお見せしました」

「見苦しくなんかありませんよ。家族のために涙することは、見苦しいことなんかじゃない」

「ケント殿……」

「信じてもらえないかもしれませんが、僕は死霊術士としての才能に恵まれたおかげで、死者の霊と会話出来ます。国王様からの伝言をお伝えしますね。『守ってやれずにすまなかった、思うがままに生きなさい……愛している』」

「うぅ……お父様……」


 父からの伝言を聞き、家族全員が無事に天に昇っていったと聞き、まだ涙が溢れてきました。

 泣いて、泣いて、泣き続けて、もう涙なんか出ないと思っていたのに、家族との思い出が蘇ると共に、涙は溢れ続けました。


 私が嗚咽を洩らしている間、ケント殿は優しく背中をさすって下さいました。

 包み込まれ、守られている感覚は、まるで父の腕に抱かれているかのようでした。


「ありがとう、マルト」


 ケント殿の言葉を聞いて視線を上げると、一頭のコボルトがカップを差し出して小首を傾げていました。

 泣き疲れた私のために、水を持って来てくれたようです。


 冷たい水が喉を流れていくと、気分が少し楽になりました。


「あの、いつの間にお命じになられたのですか?」

「ううん、マルトが自分で考えて、僕の気持ちを察して持ってきてくれたんですよ」

「えっ……」


 にわかには信じられないことですが、ケント殿に撫でられて嬉しそうに尻尾を振っている姿を見ていると、確かにそうなのだと思わざるを得ません。


「マルト達は怖くありませんか?」

「はい、ミオ殿が教えて下さいました」


 ミオ殿は、ケント殿の奥方の1人、ユイカ殿の妹君で、私とは同い年だそうです。

 とても博識な方で、時々私の知らない話を口にしかけては、説明するのに苦労なさっていました。


「では、ここがどこの国の、何という街かも、もう御存じですか?」

「はい、ランズヘルト共和国のヴォルザードだと伺いました」

「その通りです。そちらの窓から見える壁の向こう側が、いわゆる魔の森と言われる森で、その向こう側がリーゼンブルグ王国になります」

「私は、ここまで送還術で送られて来たと伺いましたが、本当なのでしょうか?」

「はい、本当です」

「ですが、送還術はお伽話に出て来るだけで、実際には存在しないと聞いています……」

「フィーデリア様は、星属性という属性をご存知ですか?」

「星属性……ですか?」

「火、水、風、土、闇、光、星、安息……1週間を示す曜日ですが、なぜ星の曜日が存在するのかと思ったことはありませんか?」

「それは……」


 1週間は8日で、それを現す曜日だから……としか考えたことがありませんでした。


「実は僕、6つの属性魔法を全部使えます。全ての属性魔法を手に入れた時に、初めて送還術、召喚術を使えるようになりました」

「全ての属性って……それではお伽話の勇者様のようではありませんか」

「あぁ、シャルターン王国にも勇者の伝説は伝わっているんですね」

「えっ……あれは実際にあった話なんですか?」

「伝承したリーゼンブルグ王家にとって都合の良い改竄はされていますが、勇者と魔王と呼ばれた者達が争った事実は存在するそうですよ」


 巷に伝わっている勇者と魔王の話は、リーゼンブルグ王家が自分達の失策を誤魔化すために脚色を加えて世に広めたものだったとは思ってもみませんでした。


「その話は、ランズヘルト共和国では良く知られているものなのですか?」

「いいえ、殆どの人は一般的な勇者と魔王の話しか知らないと思いますよ」

「ケント殿は、どこでお聞きになられたのですか?」

「僕は、カミラ・リーゼンブルグから聞きました」

「王族から直接ですか?」

「はい、そうです。実は僕、カミラによって別の世界から召喚されたんです」

「えっ……それでは、ケント殿は本物の勇者様なのですか?」

「いえいえ、僕は元々はどこにでもいる平民の子供でした」


 ざっくりとですが……と断わってケント殿が話してくれた召喚にまつわる出来事は、私の頭では真偽が判断出来かねるものでした。

 やはり、私は夢を見ているのかと、また思ってしまったほどです。


「まぁ、僕の話は別の機会にでも、ゆっくりお聞かせいたしますよ。少し話が横道に逸れてしまいましたが、シャルターン王国の話に戻りましょう」

「はい、よろしくお願いします」

「現在、王都マダリアーガは、まだ革命勢力の支配下に置かれていますが、一掃されるのは時間の問題だと思われます」

「それは、北からの軍勢によって……でしょうか?」

「その通りです。シスネロス・ダムスク公の軍勢が、革命勢力を蹴散らしながら王都へ向かって進軍を続けています」


 大公シスネロス・ダムスクは亡き父の弟で、隣国エスラドリャへの抑えとして、北の国境沿いを領地として任されていました。


「ダムスク領から王都までの間にあった、3つの領地は全て革命勢力の支配下に置かれていたそうですが、それら全てを平定し、数日中にも王城にまで到達出来そうな勢いだそうです」

「叔父上……もう少し早く来てくだされば……」

「それは難しいと思います。シャルターン国内で革命が起こっていると、エスラドリャが知れば侵略を企てるかもしれません。領地を離れるためには、国境の守りを固めておく必要があります」


 ケント殿が言う通り、叔父上が領地を離れるには準備が必要です。

 叔父上に頼るのではなく、私達が備えをしておかねばならなかったのでしょう。


「ダムスク公が王都を取り戻したら、帰りたいですか?」

「それは、勿論帰りたいですが……」

「何か問題でも?」


 父上と叔父上は、国民には仲が良いように見せていましたが、実際には反目し合っていました。

 ダムスク領は、冬になると雪が降り積もり、春まで外界との交流を断たれてしまいます。


 一方、王都マダリアーガでは殆ど雪は降らず、冬の間も周辺の街との往来は保たれています。

 冬に他の街との往来が出来なくなるほど積もる雪が、叔父上にとっては不満の種でした。


 もっと温かい土地に領地を変えてくれと、父上に何度も頼んでいたそうですが、願いは聞き入れられず、叔父上は不満を募らせていたようです。

 私が生まれた頃は、まだ年に数回の往来があったようですが、物心付くころには疎遠になっていました。


 一度だけ、叔父上の一家が王都に遊びに来たのを覚えていますが、城の中がピリピリとした緊張感で満たされていました。

 その時は、父上と叔父上の対立は理解していませんでしたが、いとこ達とは打ち解けられませんでした。


 叔父上一家との関係を伝えているうちに、一つの疑念が頭をもたげてきました。


「まさか、叔父上が革命を……」

「うーん、それは無いと思いますよ」

「どうしてですか?」

「ダムスク公は、革命に加担した者達に対して、かなり厳しい姿勢で臨んでいます。歯向かう者達には精鋭の騎士を向かわせ、完膚なきまでに叩き潰しているそうです。もし、ダムスク公自身が革命を主導したのであれば、そうした者達を自軍に取り込んでいくはずです。取り込んでいるのは、革命勢力に追い立てられた貴族の私兵だけで、王都に向かう道程に同行させるのは、その中でも見どころのある者に限られるようです」


 一瞬、叔父上が長年の不満を晴らすべく革命を起こしたのかと考えてしまいましたが、思い過ごしのようです。


「叔父上は、王都を取り戻せるでしょうか?」

「先程も申し上げましたが、時間の問題ですね。どうも革命勢力の中枢が揺らいでしまっているようで、指揮命令系統がガタガタになっています」

「では、叔父上が次の王になるのでしょうか?」

「さぁ? そこまでは僕にも分かりかねます。本人は、恐らく王位を望んでいると思われますし、国王の仇を討って王都を奪還したという実績を考えれば、貴族達も認める可能性は高いですね」

「そうですか……」

「国王になりたいですか?」

「えっ……?」


 王族の1人として生まれ育ってきたが、自分が王位に座るなんて考えたこともありませんでした。

 次の国王になるのは、兄の内の誰かだと漠然と思っていました。


「私は……国王になるつもりはありません。私では国を治めていけません」

「では、ダムスク公の許へ行かれますか?」

「それは……」


 こんな状況だから温かく迎え入れてくれると思う反面、こんな状況だからこそ冷遇されるのではないかとも思ってしまう。


「この先、フィーデリア様がどうなさりたいのか、心が決まるまでゆっくりしていって下さい」

「ですが、ランズヘルト共和国の住民であるケント殿には、私を養う義務はありません」

「権利とか義務とかじゃなくて、国王様に頼まれましたから……それに僕、結構お金持ちなんで、女の子を1人養う程度は全く問題ないですよ」

「ですが……」

「僕がリーゼンブルグを追放されて、ヴォルザードに辿り着いた時、本当に温かく迎えてもらったんです。だから、今度は僕が迎え入れる番なんです」


 ケント殿は、ヴォルザードに来てから今日までに関わってきた街の人達のことを話してくれました。

 それは、王城という狭い世界しか知らなかった私にとって、とても新鮮に感じられました。


「私も、街の人に交じって働けるでしょうか?」

「フィーデリア様が望むのであれば働けますが、ヴォルザードでは数えで15になるまでは学校に通わないといけませんね」

「学校……ミオ殿と一緒に通えるのですか?」

「お望みとあらば……」


 マダリアーガの王城では、教育役に勉学を教わっていました。

 勿論、マダリアーガにも学校はありますが、庶民が通うためのもので、私は足を踏み入れたことすらありません。


 シャルターン王国の学校制度と、ランズヘルト共和国の学校制度は異なっていると思いますが、庶民と共に学ぶという経験には興味があります。


「行ってみたいです。でも……」

「怖いですか?」

「はい、少し……」


 少しと言ったが、あの日の記憶が頭をよぎるとガタガタと体が震えだしてしまいました。

 それに気付いたケント殿は、そっと私を抱きしめてくれました。


「大丈夫、ここにはフィーデリア様を傷つける者はいませんよ。そうですね、学校にはたくさんの生徒さんがいますから、少し怖いと感じてしまうかもしれませんね。まずは美緒ちゃんやメイサちゃん、ルジェクと親しくなって、街を見て歩いてはいかがでしょう」

「街に出ても良いのですか?」

「ええ、構いませんよ。道に迷うと大変ですから、マルツェラに案内させますよ。いや、ベアトリーチェの方が良いかな?」


 ヴォルザードにも、あまり治安の良くない地域があるそうで、そうした場所に迷い込まないように案内を付けてくれるそうです。

 マダリアーガでは、自由に外出なんて出来なかったので、庶民の暮らしを直接見て歩けると思うと期待で胸が高鳴ります。


「屋敷の外に出る時には、必ず僕の眷属が影から見守りますから安心してください」

「はい、ありがとうございます」

「ヴォルザードで暮らして、街の様子を見て、ゆっくりとこれからの事を考えて下さい。勿論、シャルターン王国に帰りたいと仰るならば、帰国のお手伝いをさせていただきます」

「お世話になるばかりで、何もお返し出来ず心苦しいのですが、暫くの間面倒をお掛けいたします」

「お返しとか考えないで結構ですので、我が家だと思って過ごして下さい」

「ありがとうございます」


 今の私は、家族も家も国さえも失って何もありません。

 それでも、ケント・コクブ殿に助けていただけたのですから、とても幸運です。


 ヴォルザードの優しい人々に包まれながら、私に何が出来るのか、何をすべきなのか、じっくりと考えてみます。

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