第460話 この胸の高鳴り

※ 今回はルジェク目線の話です。


「ミオ、ミオ、早く、早くぅ!」

「ちょっと待ってよ、メイサちゃん。そうだ、ルジェクも一緒に入る?」

「と、とんでもございません。僕は家で入ってまいります」

「でも、ここのお風呂広くて気持ち良いよ」

「いやいやいや、家で入ります」

「そぉ……じゃ、後でね」

「は、はい……」


 お風呂に向かわれるミオ様……じゃなかった、ミオちゃんとメイサちゃんを見送って、ほっと溜息を洩らした。

 今日は星の曜日、明日は安息の曜日で学校は休みなので、メイサちゃんが泊りがけで遊びに来ている。


 これからお風呂に入って、その後はストームキャットのネロと一緒に眠るらしい。

 そこに参加しないかと誘われたのだが、さすがに一緒に入浴は出来ない。


 少し前までは姉さんと一緒に入っていたけど、学校の同級生達から、女と一緒なんて恥ずかしい、いやらしい……などと聞かされてから、1人で入るようにしている。

 それに、身内である姉はまだしも、ミオ様……ちゃんと一緒なんて……あっ、まただ。


 最近、また身体の調子がおかしくなっている気がする。

 僕は生まれつき身体が弱くて、そのせいで姉さんにたくさん迷惑を掛けてしまった。


 キリア民国で僕に治療を受けさせるために姉さんは罪を犯し、そしてケント様に救っていただいた。

 ヴォルザードに来た後、ケント様やユイカ様にも治癒魔術を掛けていただき、完全に健康になったはずだ。


 それなのに、また胸がドキドキしたり、苦しくなったりする。

 走ったり、はしゃいだりすれば胸がドキドキするのは当たり前だけど、激しく身体を動かした訳でもないのに苦しくなったりするのだ。


 まだ、昔のように酷くはないから大丈夫だと思うけど、少しだけ不安だ。


「どうしたの、ルジェク。悩みごとでもあるのかな?」

「はひぃ!」

「ごめんごめん、驚かしちゃったかな?」

「ケ、ケント様……あっ、おかえりなさいませ」

「ただいま」


 ケント様は、また大変なお仕事をされているらしく、今はランズヘルトの東の端の街ジョベートとヴォルザードの間を何度も行き来されているそうだ。

 普通の人なら、行って帰ってくるだけでも1ヶ月以上かかる距離を、あっと言う間に移動されているらしい。


 しかも、国と国に跨る争いの解決のために働いていらっしゃるそうで、本当に凄い方だと思う。

 でも、そんな凄い方なのに、『おかえりなさい』の一言で満面の笑みを浮かべている。


 こんなに大きなお屋敷に暮らしていらっしゃるのに、『おかえりなさい』と迎えてもらえることが凄く嬉しいのだそうだ。


「それで、ルジェクは何か悩みがあるの?」

「い、いいえ……別に、ございません」

「それなら良いけど、悩みは抱え込まずに話した方が良いから、遠慮せずに言ってね」

「はい。あの……ケント様にも悩みとかあるのでしょうか?」

「僕? うん、無いこともないかな……今は美緒ちゃんと美香さんが泊まりに来ているから、タイミングがなかなか……」

「タイミング……ですか?」

「あぁ、ルジェクにはまだ早かったね。うん、今のは無し、忘れて忘れて……はははは」


 ケント様は、お風呂場の方へとチラリと視線を向けた後、ポンポンと僕の肩を叩いてからリビングの方へと向かわれた。

 そうか、お客様が来ていらっしゃると、好きな時間にお風呂に入れないのか。


 毎日、激務をこなされているケント様にとっては、意外と大きな悩みなのかもしれない。

 僕の健康状態なんて、ケント様の大変さに較べれば本当に小さな話だし、黙っておこう。


 相談するとしても、ユイカ様かマノン様の方が良いだろう。

 さぁ、ミオちゃんとメイサちゃんが出て来る前に、僕も部屋に戻ってお風呂に入ってしまおう。


 この後、ミオちゃんとメイサちゃん、それにケント様と一緒に眠ることになった。

 広いリビングのテーブルをどけて、横たわったストームキャットのネロのお腹に寄り掛かる形で、ケント様の隣にメイサちゃんとミオちゃん、コボルトを挟んで僕が並ぶ。


 ケント様が、色々な国での冒険の話を聞かせてくださった。

 ヴォルザードでのグリフォン退治、リーゼンブルグでのヒュドラ退治、バルシャニアでのギガース退治……普通の人が話して聞かせれば、お伽噺か作り話にしか思えないだろう。


 でも、こうしてストームキャットに寄り掛かってケント様が話されるのだから、全て本当の話にしか思えない。

 メイサちゃんもミオちゃんも、目を輝かせて話に聞き入っていた。


 勿論、僕も話を聞いていたのだが、ケント様の方へ視線を向けると、ミオちゃんの横顔が目に入って来る。

 艶々の黒髪、整った顔立ち、すべすべの肌、長いまつ毛……何だか胸がドキドキして苦しくなってくる。


 ケント様の話を聞いて興奮しちゃっているのだろうか……でも、話は聞いているけど、集中できていないような……。

 時間が遅くなってきたので、ケント様は部屋の明かりを消して続きを話し始めた。


 いつしかメイサちゃんとミオちゃんは寝息を立て始め、ケント様も話をやめて休まれたようだ。

 静まり返った部屋の中では、3人の静かな息遣いしか聞こえない。

 

 窓から差し込む月明りが、隣りで眠るミオちゃんの横顔を照らしている。

 もしかして、ミオちゃんは月の妖精なのでは……なんて思ったら、また胸がドキドキしてきた。


 ケント様の左腕を抱え込み、安心しきって眠っている。

 身じろぎしたミオちゃんが、猫のようにケント様の腕に頬擦りをして、ふっと笑顔を浮かべた。


 とても平和で、とても美しい光景なのに、なぜだか胸が苦しくなってくる。

 やっぱり、病気が再発してしまったのだろうか……。


 ミオちゃんは、向うの世界で悪い奴らに攫われたそうだ。

 攫われ、眠らされ、船に載せられて外国に連れ去られそうになったけど、ケント様に助けてもらったそうだ。


 何か起こった時でも、すぐに助けられるように、ケント様が特別なアクセサリーをくれたらしい。

 どこにいても、何が起こっても、きっとケント様が助けに来てくれると、ミオちゃんは嬉しそうに話していた。


 あぁ、そうだ。あの時にも胸が苦しくなっていた。

 僕は生まれた頃から身体が弱かったから、同年代の男の子と較べても身体が小さいし、力も弱い。


 かけっこをすると、ミオちゃんやメイサちゃんよりも遅いし、すぐに疲れてしまう。

 こんな僕では、ケント様のように頼られる存在には、いつまで経ってもなれないだろう。


 そんな事を考えながら、ミオちゃんの横顔を見詰めていたら、なぜだか涙が溢れてきた。

 胸が苦しい……やっぱり病気が再発してしまったのだ。


 ふと気が付くと、僕とミオちゃんの間に挟まって眠っていたはずのコボルトが目を覚まし、ポフポフと優しくお腹を叩いてくれた。

 ふっと月明りが翳ったかと思ったら、フワフワなネロの尻尾がお腹の上に掛けられた。


 優しい温もりに包まれていると、胸の苦しさが和らいで、いつしか僕も眠りに落ちていった。


 翌日、僕は思い切ってユイカ様に病気のことを相談してみた。

 何だか、ミオちゃんに知られるのが恥ずかしくて、相談するタイミングが難しかったけど、ユイカ様が1人の時に伝えられた。


「時々、胸がドキドキして苦しくなるのね?」

「はい、頻繁に起こる訳ではないのですが、近頃は回数が増えているように感じます」

「分かった、ちょっと治療してみよう」


 ユイカ様は、穏やかな声で詠唱をすると、僕の背中に両手を当てて治癒魔術を発動された。

 ユイカ様の温かな魔力が、僕の身体を巡っていくのが分かる。

 キリア民国でも治癒士に治療してもらったが、こんなに温かで包み込まれるような気はしない。


 でも、ユイカ様も凄いけれど、ケント様はもっと凄い。

 ユイカ様と同じように温かだけど、更に力強くて、身体の中から力が漲ってくる感じなのだ。


 闇属性の術士としても、同じ闇属性の姉さんが崇拝するほどの方なのに、光属性まで卓抜した才能をお持ちのケント様は、本当に凄い方だ。

 ミオちゃんが頼りにするのも当然だと思ったら、胸がズキンと痛んだ。


「胸が……痛い……」

「えっ? 治癒魔術を流しているし、どこにも異常は感じられないけど……」


 ユイカ様の声に緊張した響きが混じった。

 いけない、治療してもらっている僕が余計なことを考えていたら、治るものも治らなくなってしまう。


 大きく深呼吸をすると、胸の痛みは去っていった。


「いえ、大丈夫でした。そんな感じがしただけで……」

「うーん……でも、胸の痛みとかは心配だから、健人にも診てもらおう」

「いえ、そこまで大袈裟にしていただかなくても大丈夫です」

「ううん、病気は初期に治療してしまった方が、酷くなってからだと治るまでに時間が掛かるから、今のうちに診てもらった方が良いよ」

「ですが……」

「大丈夫、マルツェラさんには内緒にしておいてあげる」

「ありがとうございます」


 そうだ、姉さんに心配を掛けたらいけないのに、その事が頭から抜け落ちていた。

 僕が心配していたのは、ミオちゃんに知られたくない……それだけだった。


 たぶん、違う国から来た同年代の子に、こっちの世界の子供は情けないと思われたくないのだろう。

 その証拠に、メイサちゃんに知られる心配はしていないもの。


 ユイカ様は、上手くケント様を連れ出してくれて、二人きりで治療をする場を設けて下さった。

 そこで率直に、今の体調をケント様に伝えた。


「急に胸がドキドキして、苦しいって感じるんだね?」

「はい」

「走ったり、身体を動かしている……って訳ではないよね?」

「はい、横になっている時にもなりました」

「よし、ちょっと診てみようか」


 ケント様は僕と向かい合う姿勢のまま、右手を僕の左胸に当てて治癒魔術を発動した。

 ユイカ様と違って全く詠唱もせず、即座に魔法を発動させる。


 これだけでも、ケント様が凄い術士であるのが分かる。

 最初は心臓の周囲だけ、その後は胸全体に範囲を広げて治癒魔術を掛けてもらった。


「うーん……別に異常は感じられないなぁ。自慢する訳じゃないけど、小指の爪の先ぐらいの大きさでも異常があれば分かるんだけどね。精神的なものなのかな……」

「精神的……ですか?」

「キリアで治療を受ける前は、胸が痛んだり苦しくなることが頻繁に起こっていたんだよね?」

「はい、少し強めに身体を動かすだけでも、胸が苦しくなっていて学校にも通えませんでした」

「確証は無いけど、その頃の記憶がトラウマになっちゃってるんじゃないかな」

「トラ、ウマ……?」

「うん、過去の辛い出来事や苦しんだ記憶が、ふっとした時に蘇って来て、身体にまで悪影響を及ぼしたりするんだよ」

「あぁ、そう言われてみると、そうかもしれません」

「ねぇ、ルジェク。最近、どんな場面で胸がドキドキしたり、胸が苦しくなったのか、ちょっと思い出してみてくれるかな」

「はい、実は昨日の夜なんですが……」


 ミオちゃんにお風呂に誘われた時や、隣り……コボルトを挟んで横になっていた時や、月明りに照らされたミオちゃんの寝顔を見ていた時、あとデコピンされた時とか、目が合った時にもなると伝え、他の世界の子に情けないと思われたくないからかもと話しました。


「うんうん、ルジェク、君は正常! 健康そのもの、問題無し!」

「で、では、胸がドキドキしたり、苦しいと感じるのは……」

「精神的なものだね」

「ど、どうすれば治るのでしょうか?」

「うーん……こればかりは、お釈迦様でも草津の湯でも治らないって言うからなぁ……」

「オシャカ、サマ? クサ、ノユ……?」

「あぁ、元の世界の例え話ね。うーん……そうだなぁ、まずは自覚するところからかな」

「自覚ですか?」

「うん、自覚」


 僕の身体には異常が無いと分かったからか、ケント様は先程までの厳しい表情とは打って変わって柔らかな笑顔を見せている。

 ただ、自覚と言われても、胸のドキドキや苦しさが精神的なものだというのは分かったし、これ以上なにを自覚すれば良いのだろう。


「そうだね。ドキドキや苦しさが精神的なものだと分かったら、次は、その原因を知らなければ解決には向かわないんだ」

「原因……ですか?」

「そう、ドキドキする切っ掛け、その本質が分かれば、解決に一歩近づけるんじゃないかな」

「本質……ですか?」


 ケント様はニコニコと笑みを浮かべていて、もしかすると僕も気付かない原因が分かっているのかもしれない。

 でも、たぶんこれは僕の問題だから、僕が気付かないといけないのだろう。


「まぁ、健康状態に関しては全く問題は無い。これは僕が保証するよ」

「でも、僕は身体が弱かったから、同級生の子達よりも貧弱ですし……」

「あぁ、なるほど……そうだねぇ、僕の故郷にはこんな話があるんだ」


 ケント様は、うさぎとカメの昔話をしてくださいました。


「才能のある人でも、努力を怠っていれば後から来た人に追い越されてしまう。今は力不足の人でも、努力し続けて自分を磨き続ければ大成できるって教訓だね」

「僕も、努力を続けていれば、ケント様のような立派な人になれますか?」

「なれるなれる、僕なんてまだまだだよ。いつも唯香達にお説教されてばっかりだもん」


 それはケント様が浮気をなさっているから……と言い掛けて、慌てて止めておいた。

 でも、これだけのお屋敷を築いて、領主様からも頼りにされて、それでもまだまだと思っていらっしゃるとは思ってもいなかった。


 才能のある人でも努力を怠れば抜かれてしまうのだろうが、才能のある人が努力を惜しまなかったら、一体どこまで行ってしまうのだろう。


「ルジェク、僕はかなり特殊な事例だから、同じように……というのは難しいだろうけど、努力を続けていれば必ず結果はついてくるよ」

「僕でも……ですか?」

「勿論! ただし、努力をしても目に見えるほどの成果が上がることは少ないんだ。身体が大きくなるのだって、一晩に目で見て分かるほど背が伸びたりしないでしょ? いくら鍛え始めても、数日でムキムキになったりしないでしょ?」

「はい、その通りです」

「すぐに結果が出なくても、諦めず、間違っていないか考えながら努力を続ける。それと……」

「それと……何でしょうか?」

「自分の気持ちには素直に向き合うこと」

「自分の気持ち……ですか?」

「そう、好きなものは好き、綺麗なものは綺麗、可愛いものは可愛い……自分の気持ちを大切にすること。分かった?」

「分かった……ような、分からないような……」

「うん、今はそれでいいよ。じゃあ、今日は安息の日だから、一日美緒ちゃんのお世話をよろしくね」

「はい、かしこまりました!」


 ケント様と話していたら、胸の中につかえていた物が取れたような気がする。

 おっしゃっていらした通り、悩みを話したのが良かったのだろう。


 ケント様と別れて階段を下りると、玄関でミオちゃんと鉢合わせになった。


「ルジェク! もう、どこにいってたのよ、メイサちゃんと探し回っちゃったよ」

「すみません、ちょっと……」


 腕組みをして頬を膨らませてみせるミオちゃんは、すごく可愛らしい。

 そう、こんなに綺麗で可愛らしい同年代の女の子は、僕の近くにはいなかった。


「ミオ様、今日も可愛いですね」

「なっ……なに言ってるのよ。そんなお世辞言ったって、許してあげないんだから。それに、様って言った!」

「痛っ……」


 またデコピンを食らってしまった。

 それと、また胸がドキドキしてるけど、今日はなんだか苦しくない。


 きっとケント様に、大丈夫だって言ってもらったからだろう。

 ご恩に報いるためにも、今日もミオちゃんのお世話を頑張ろう。


「もう、なにニヤニヤしてるの、行くよ!」

「はい、ミオ様……痛っ!」


 今日は、いったい何回デコピンを食らってしまうのだろう……なんだか、ドキドキする。

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