第452話 ボーイ・ミーツ・デコピン

※ 今回は、ブロネツクの女闇魔術士マルツェラの弟ルジェク目線のお話です。

(231話『処罰』などに登場)

誰だよ!とツッコミを入れてから御覧ください?


「ただいま戻りました」

「おかえりなさい、ルジェク」


 ヴォルザードの城壁に作られたトンネルを潜った先、鋼鉄製の門の前で帰宅の挨拶をすると、黒光りする鱗を持つリザードマンが出迎えてくれた。

 普通の魔物は人の言葉を喋ったりしないが、門番を務めているのは魔王ケント様の眷属だから、普通に会話が出来るし僕の顔も覚えていてくれる。


 頑丈な門を通り抜けた先は、まるでお伽話の世界のようだ。

 お城のような豪華なお屋敷、広大な庭園、昼寝を楽しむストームキャットとサラマンダー。


 コボルトやギガウルフが走り回っていることも珍しくないし、スケルトンやオーガがいる日もある。

 ケント様ご本人は、魔王と呼ばれることがお好きではないらしいが、この光景を城壁の上から眺めた人達が魔王とか魔物使いと呼ぶのは当然だと思う。


 僕の姉さんも闇属性の術士だが、ケント様の能力は想像を超えるほどだと常々言っている。

 だからと言って、恐ろしい人という訳ではなく、とてもお優しい方だ。


 罪を犯した姉さんを助けてくれただけでなく、ブロネツクの因習である入れ墨を消し去り、部族の呪縛から解き放ってくれた。

 そればかりか、姉さんと僕に住む場所や仕事まで与えてくれた。


 姉さんは、自分の一生をかけて恩返しをするのだと心に決めている。

 僕も少しでもお役に立てればと思っているのだが……思うようにいっていない。


 ヴォルザードで暮らすようになって、僕は初めて学校へ通い始めた。

 学校という存在は知っていたが、生まれつき身体が弱く、家も貧しかったので通ったことが無かった。


 姉さんと一緒にキリア民国へと行くことで、治療を受けられるようになり、普通の生活が出来るようになったけど、姉さんに悪事を働かせるための人質とされてしまい、やっぱり学校へは通えなかった。


 だから、ヴォルザードの学校へ通えることになって、物凄く嬉しかったけど、実際に通い始めると全く馴染めなかった。

 抑揚や語尾が違っていたりするけど、言葉は分かる。


 でも、学校に通っていなかったから、あまり文字が読めないし書けない。

 それに、何を話しているのか分からない。


 ヴォルザードはブロネツクよりもずっと発展している街で、僕の知らない物がありすぎた。

 そして、同世代の子供たちと、どう接して良いのか分からない。


 せっかく学校に通わせてもらっているのに、授業にもついていけないし、友達も作れていない。

 姉さんに相談しようかと思ったこともあったけど、姉さん自身が慣れないメイドの仕事を早く身につけようと毎日必死に働いている。


 これまで散々姉さんの重荷になってきたのに、これ以上姉さんの負担になりたくない。

 でも、どうしたら良いのかも分からない。


『あなた、日本人?』

「えっ……」


 姉さんと暮らしている職員寮に向かって歩いていたら、突然意味不明の言葉を投げかけられた。

 うつむいて歩いていたので気付かなかったが、顔を上げると僕と同じぐらいの年の女の子が立っていた。


「あっ、ゴメン。日本人な訳ないよね」

「えっ……誰?」


 見たこともない形と色彩の服を着た女の子は、人懐っこい笑みを浮かべている。


「あたし? あたしは浅川唯香の……あっ、こっちだとユイカ・アサカワの妹の美緒だよ」

「し、失礼いたしました。ユイカ様の妹君でいらっしゃいますか」


 ユイカ様は、ケント様の奥様の一人で、光属性魔術の使い手としてリーゼンブルグでは聖女様と呼ばれていたそうだ。

 その妹君となれば、当然ケント様のお身内になる。


 僕は慌てて跪いて頭を下げた。


「あぁ、そういうのしなくていいからね」

「ですが……」

「凄いのは健人お兄ちゃんであって、私は何も出来ない子供だから、そんな風にしないで。それより名前を教えてよ」

「ルジェクと申します」

「ルジェクは、ここに住んでるの?」

「はい、姉と一緒に住ませていただいてます」

「いいなぁ……あたしも、ここに住みたい! まぁ無理なんだけどね」

「そ、そうなんでございますか。で、でも、魔王様……じゃなかった、旦那様にお願いすれば……」

「旦那様って、健人お兄ちゃん?」

「はい、ケント様です」


 ヴォルザードの領主様のご令嬢を奥方に迎え、Sランクの冒険者として国を股にかける活躍をなさっているケント様ならば容易いことだと思ったのですが、ミオ様は浮かない表情を浮かべていた。


「うーん……健人お兄ちゃんは良いって言ってくれそうだけど、パパとママがねぇ……」

「ミオ様のお父様とお母様は反対なのですか?」

「うん、多分……いや、でもチャンスはあるのかなぁ……」


 ケント様やユイカ様は、別の国というか、別の世界からいらした方だと聞いている。

 ミオ様のご両親は、ブロネツクから来て学校に馴染めないでいる僕のようになることを心配なさっているのかもしれない。


「美緒、1人で行ったって迷子になるだけなんだから、少し待ちなさい」

「お姉ちゃん、遅いよ。早く、早く!」

「ユイカ様、こんにちは」

「もう、ルジェク君は、そういう仰々しい挨拶はしなくて良いって言ってるでしょ」

「ですが、姉ちゃんが……」

「マルツェラさんにも言ってあるのに……」


 跪いて挨拶をしたら、ユイカ様にお小言を貰ってしまった。

 姉ちゃんからは、ちゃんと挨拶しないと駄目だと厳しく言われているけど、ケント様も、ユイカ様も、マノン様も、皆さん必要無いと仰る。


 キリアやリーゼンブルグに居た頃には、床に額が着くぐらい下げても頭が高いと言われていた。

 姉ちゃんを脅していた連中よりも、ずっとずっと素晴らしい方々なのに不思議だ。


「ねぇ、ルジェクも一緒に遊びに行かない?」

「えぇぇ……ミオ様と一緒になんて恐れ多いです。僕はお屋敷のお手伝いをさせていただきますので……」

「お姉ちゃん、こんな事言ってるよ」

「はぁぁ……そうね、ルジェク君は、ちょっと美緒と一緒に遊んだ方が良さそうね。ヘルト……」

「わふぅ、呼んだ?」

「うん、ちょっとルジェク君の鞄を部屋まで届けて来てくれる?」

「わぅ、任せて!」

「いえ、そんな、僕は……あぁぁ……」


 ユイカ様が呼び出したコボルトに鞄を奪われ、持ち去られてしまった


「さぁ、行くわよ、ルジェク君」

「いえ、僕はお屋敷の仕事を……」

「じゃあ、私からお願いするわ。今日は美緒と一緒に遊んであげて」

「は、はい、かしこまりました……」


 ユイカ様からお願いされてしまっては断わる訳にはいかないので、お二人と一緒に出掛けることになりました。


「じゃあ、行こうか!」

「あっ、ミ、ミオ様……」


 ミオ様に手を握られて引っ張られてしまった。

 姉ちゃんの手よりも小さくて、柔らかくて、暖かな手だ。


「あ、あの……どちらへ行かれるのですか?」

「メイサちゃんち!」

「メイサちゃん……?」

「健人お兄ちゃんが下宿していた食堂だよ」


 ケント様が街の食堂に下宿しているという話は、領主様のお屋敷に住ませていただいた時に聞かせてもらった。

 リーゼンブルグの王女様やヴォルザードの領主様とも親しくされているケント様が、狭い部屋に住んでいると聞いても今ひとつ実感がわかなかった。


 たぶん、このお屋敷が出来るまでの仮住まいだったのだろう。


「お姉ちゃん、どっち?」

「トンネルを抜けたら右、すぐに左よ」

「あっ……ミオ様、待って下さい」

「もう、ルジェクもお姉ちゃんも早くぅ!」

「ルジェク君、美緒がすっ飛んでいかないように捕まえておいて」

「はい、えっ、えぇぇぇ……」


 ミオ様は僕の手を握ってグイグイと引っ張って行こうとするし、ユイカ様は捕まえていろと目で命じてくるし、僕はどうすれば良いのだろう。

 ミオ様に引っ張られ、ユイカ様の案内で向かった先は、目抜き通りから3本ほど路地を入った裏道だった。


「お姉ちゃん、食堂なんてどこにも無いじゃん」

「こっちは裏口だからね。お店の入口は向こう側よ」


 裏路地を進んで行くと、井戸で水を汲んでいた女の人が声を掛けてきた。


「おっす、唯香。アマンダさんに用事かい?」

「ううん、今日は妹のお供」

「えっ、唯香の妹? 日本から来たの?」

「うん、ちょっと訳ありでね」

「へぇ……」


 ユイカ様が言葉を濁すと女性は何かを察したらしく、それ以上追及することなくミオ様へと向き直った。


「こんちは、あたしは唯香の同級生の綿貫早智子、早智子でいいよ」

「初めまして、浅川美緒です。いつもお姉ちゃんがお世話になってます」

「とんでもない、唯香にはお世話になりっぱなしだよ。で、こっちの彼は?」

「は、は、初めまして、サチコ様。ルジェクと申します」

「あぁ、あたしは一般人だから、そんなにかしこまらなくていいからね」


 一般人と言われても、ユイカ様と親しげに話をしているし、どこで線引きをすれば良いのか分からないから、取り敢えず丁寧に挨拶するしかないのだ。


「あの……メイサちゃんはいますか?」

「あぁ、さっき帰ってたよ。ちょい待ち……メイサ! 友達来てるぞ!」

「は~い……」


 サチコ様……さんが、裏口から大声で呼び掛けると、上の方から返事が聞こえてきた後、階段を下りて来る足音が聞こえてきた。


「もう、宿題やってる最中だったのに……って、ミオ?」

「へぇぇ、来ちゃった」

「嘘っ、えぇぇぇ……なんで、なんで?」

「あたしが美少女すぎて、攫おうとする奴が後を断たないから逃げて来たの……」

「えぇぇぇ……それは無いと思う」

「酷い! せっかく漫画の続き持ってきてあげたのに!」

「嘘、嘘、ミオは可愛い、超~可愛い! だから、漫画読ませて、お願い!」

「もう、しょうがないなぁ……宿題終わったらね」

「きぃぃぃぃ! ミオの意地悪ぅ! てか、この子、誰?」

「ルジェク」

「ルジェク……?」

「は、初めまして……ルジェクです」


 あまりにミオ様とメイサちゃんさんのテンションが高くて、まったく割って入る隙間が見いだせなかった。

 名乗りはしたものの、メイサちゃんさんは微妙な表情を浮かべている。


「えっと……どこの人?」

「健人お兄ちゃんのお屋敷の人」

「へっ……ケントの家の人?」

「あ、あの……僕はリーゼンブルグでケント様に助けていただいたマルツェラの弟で、職員寮に住ませていただいてます」

「そうなんだ。ミオは前から知ってたんだ」

「ううん、さっき会った」

「えぇぇぇ……さっき会ったばかりで手を繋いで来たの?」

「だって、引っ張って来ないと逃げられそうだったから」


 いえいえ、僕が捕まえていなかったら、ミオ様が何処かにすっ飛んで行きそうでしたよ。


「それで、なんでルジェクを連れて来たの?」

「だってさぁ、あたしにまで、こーんな跪いて挨拶しようとするんだよ」

「あぁ、なるほど、それは変だね」

「でしょう!」

「ど、どうしてですか? ミオ様はケント様の義理の妹君なのですから、跪いて挨拶するのが当然……」

「じゃないわね」

「だよねぇ……」


 即座にメイサちゃんさんとミオ様に否定されてしまい、思わずユイカ様とサチコ様……さんに目を向けたが、首を横に振られてしまった。

 なんだか、僕だけでなく姉ちゃんの気持ちまで否定されてるような気がして胸が苦しくなった。


 思わず俯いてしまった僕に言葉を掛けてきたのは、サチコ様……さんだった。



「なぁ、ルジェクは国分に凄い世話になったんだろう?」

「はい、姉ちゃんの命を救っていただきました」

「なるほどねぇ、だから、礼儀正しく接したいって思うんだな」

「はい、おっしゃる通りです」

「そうしてくれって国分が言ったの?」

「えっ? いえ……ですが……」

「国分は止めてほしいって言ってなかった?」

「はい、ですが……」

「それは、君のわがままだよ。君の気持ちを納得させるために、国分に嫌がらせをしているようなものだ。君は、自分が世話になった人を嫌な気分にさせたいの?」

「そんなことは……」


 言葉に詰まった僕に、サチコ様……さんが教えてくれた。


「国分はねぇ……すっごい寂しがり屋なんだ。周りに沢山の眷属がいるのも、四人も嫁がいるのも、頼まれると断れないのも、ぜーんぶ誰かから嫌われて、去って行かれるのが嫌だからだと思う。だから、仰々しい挨拶をされて、バサっと線を引かれるのが嫌なの。普通に、おはようございます、健人さん……ニコって、やってみな。メッチャ喜ぶから。君も、国分に喜んでもらいたいだろう?」

「はい……」


 確かに、僕や姉ちゃんが跪いて挨拶すると、ケント様は寂しそうな顔をしていた。


「じゃあ、今から様は禁止ね。美緒ちゃん、唯香さん、健人さんに直す。いいね?」

「えっ……は、はい」

「美緒、様って使ったら、ルジェクにデコピン一発食らわせてやんな」

「はい、任せて!」

「デコ……って何ですか? ミオ様……あっ、痛っ」


 説明を受ける前に、身をもって体験する羽目になった。

 これは、けっこう痛い……。


 この後、ミオちゃんと一緒にメイサちゃんの部屋で遊ぶことになった。

 メイサちゃんは、ミオちゃんが持ってきた漫画を夢中になって読んでいた。


 僕も見せてもらったが、凄く綺麗な絵が描かれていてビックリしたけど、文字が読めない。


「そっか、ルジェクは日本語は読めないもんね」

「これは、ミオさ……ちゃんの国の文字なんだよね? どうしてメイサちゃんは読めるの?」

「えっと……健人お兄ちゃんが召喚魔術を使った時に、日本語の知識を付け加えたんだって」

「そんなことが出来るの?」

「うん、あたしもそのやり方で、こっちの言葉を習ったんだよ」

「文字も読めるの?」

「うん、読めるよ」

「書いたりも出来るの?」

「うん、書けるよ」

「言葉の意味も分かるの?」

「うん、健人お兄ちゃんの知っている範囲ならね」


 ミオちゃんの話では、ケントさんは召喚術や送還術を使う時に、自分の知識を分け与えることが出来るらしい。

 それをやってもらえたら、僕も文字を読み書きが出来るようになるかもしれない。


 でも、ケントさんは忙しい方なので、下らない理由で手を煩わせたくない。

 それでも、文字が読めるようになれば学校の授業にもついていけるかもしれない。


「ルジェク……ねぇ、ルジェク……ルジェク!」

「はっ……すみません、考え事してました」


 自分の考えに沈んでしまっていたようで、漫画を読み終えたメイサちゃんまで僕の顔を覗き込んでいた。


「ルジェク、文字が読めないの?」

「えっ……いや、読めない訳じゃないけど……苦手と言うか……殆ど読めない」


 上手く誤魔化そうと思ったけど、途中でそれじゃ駄目だと思い直して、学校に馴染めていない事や、その理由を話した。


「ケントに頼もう」

「うん、健人お兄ちゃんが何とかしてくれる」

「でも、今まで沢山お世話になって、今もお屋敷に住ませてもらっているのに……」

「ケントは、そんなケチな人間じゃない」

「そうだよ、健人お兄ちゃんは誰かのために、命懸けで頑張る人だって、お姉ちゃんが言ってた」

「でもSランクのケント様に頼んだら……」

「はい、様って言った、ミオ、出番だよ」

「ふっふっふっ……任せなさい」

「いや、今のは……痛っ!」


 もう何発目か分からないデコピンを食らってしまった。


「健人お兄ちゃん、今日と明日は忙しいはずだから、終わったらルジェクが文字を読めるようにしてもらえるように頼んであげる」

「ありがとうございます、ミオ様……痛っ!」

「それまで、様って言わなくなるように、あたしがバッチリ躾けてあげる」

「うぅ……お手柔らかにお願いします。ミオさ……ちゃん」


 ケント様……じゃなくて、ケントさんが忙しいのと、ミオちゃんの滞在には何か関係があるようだ。

 召喚術をつかった知識の付与をしてもらえるぐらいケントさんが暇になるまで、ミオちゃんも滞在するらしい。


 文字は覚えられるのかもしれないが、それまで僕のおでこがミオちゃんのデコピンに耐えられるのか心配だ。

 デコピンはかなり痛い、でも何でかミオちゃんは憎めない。


 ホント、何でだろう……。

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