第450話 会談の裏側で

 タブレットの液晶画面に映し出されるディートヘルムの姿を、カミラは食い入るように見守っています。

 中継映像はマイクを通した音声も伝えていて、ディートヘルムが言葉に詰まると、手を握り締めて心配そうな表情を浮かべていました。


 召喚から今日までの経緯の説明、謝罪、そして賠償の内容など、国と国との交渉とあって難しい言い回しが使われていますが、通訳の小田先生の配慮もあって大きな混乱もなく会談は進んでいきました。

 交渉を行った部屋から、予め運び込んでおいた金塊の置かれた部屋へと移動、形式的に井場総理が確認を行い、和解の合意となりました。


 マスコミを前にして、井場総理とディートヘルムが握手を交わすと、一斉にフラッシュが焚かれ、直後に大きな拍手が沸き起こりました。

 やっとここまで辿り着いたと、感無量の思いです。


 ふとタブレットから視線を外して横を見ると、カミラはポロポロと涙を零していました。


「カミラ……」

「あっ……申し訳ございません。立派になった弟の姿を見ていたら……」

「しっかりリーゼンブルグの代表という役目を果たせたんじゃない?」

「はい、まだまだ至らない所はございますが、このように健康な姿が見られるとは思ってもいませんでした。ずっと弟は、成人を迎えられないだろうと言われてましたから……」

「うん、確かにあのままだったら、長くは生きられなかっただろうね」


 初めて会った時、ディートヘルムの体内には、毒が蓄積している状態でした。

 誰に盛られていたのかは不明ですが、恐らく幼い頃から微量の毒を飲まされ続けていたのだと思います。


「弟が、このように健康を取り戻せたのも、全ては魔王様のおかげです。本当にありがとうございました」

「ううん、僕としても召喚に関わるゴタゴタを早く片付けるために、まともな王族が必要だから治療しただけで礼にはおよばないよ」

「それでも、王室直属の治癒師さえ匙を投げていた弟を救っていただいた御恩は決して忘れません」

「その恩は、良い王様となって国民の期待に応えることで返してもらえればいいよ」

「それは勿論、民を思う王となるように言いつけております。もし、もし弟が民を顧みない愚かな王となった場合には、どうか魔王様の手で滅ぼして下さい」

「いやいや、そんな面倒な事をしなくても済むようにしてよね」


 ディートヘルムは、新しい年が明けると同時に王位に就く予定です。

 僕らが暮らすヴォルザードの隣国ですから、ゴタゴタされると困るので監視は続けるつもりですが、馬鹿王子もアーブル・カルヴァインも片付けてやったんですから、もうこれ以上は世話を焼かせないで欲しいです。


 タブレットの画面の向こうでは、これから共同文書に署名が行われるようです。

 これが終われば、日本とリーゼンブルグの間で、正式な和解が交わされた事となります。


 会談が始まった頃は、ガチガチに緊張していたディートヘルムの表情も、だいぶ平静を取り戻しているように見えます。

 この様子なら、名前を書き間違えた……なんてボケはかまさずにすみそうですね。


 井場総理とディートヘルムが署名を行うテーブルへ移動を始めた時、ニュース速報を知らせる音が響き、同時にスマートフォンが着信音を鳴らしました。


「はい、国分です」

「梶川です。国分君、中継の映像は見ているかな?」

「はい……えぇぇぇ! 船山のお父さんが?」


 ネットの中継映像の画面には、船山の父親が焼身自殺を図ったというテロップが流れていた。


「梶川さん、船山さんはどこの病院に搬送されたんですか!」

「たぶん、中継のテロップには焼身自殺を図ったと出てたと思うけど、こちらに入っている情報では既に死亡が確認されている」

「そんな……でも、死亡した直後ならば」

「いや、身元の確認にはDNA鑑定が必要なほど遺体の損傷が激しいらしい」

「どうして焼身自殺なんて……」

「ネットニュースのサイトが、船山氏に今回の和解についてインタビューを行っていたそうなんだが、その最中に突然持っていた鞄からガソリンの入ったペットボトルを取り出して、体に浴びてから火を点けたらしい」

「そんな……インタビューをする前に、持ち物とか預からなかったんですか」

「というか、どうも単純な焼身自殺ではない可能性がある」

「えっ……どういう事ですか?」

「単純にガソリンを被って火を点けたにしては、遺体の焼け方が酷すぎるそうだ」

「それって、自殺じゃなくて他殺って事ですか?」

「まだ捜査を始めたばかりだからハッキリとは言えないが、他にも不審な点がいくつも見受けられるそうだ」


 船山の父親が焼身自殺を図った時の映像が、既にネット上で公開されていると聞いて、梶川さんから送られてきたURLを入力しましたが、アクセスが集中しているらしくて開けません。

 SNSのトレンドにも上がっていたので、そちらでも探してみると、映像を上げている人がいました。


 映像は編集されているらしく、インタビューの最後と思われる部分から始まりました。

 船山の父親は、自分の息子もグリフォンに襲われた三田も居場所が分からない、自分達は金が欲しいのではなく子供を返してもらいたいだけだと主張しています。


 その直後に、鞄の中からペットボトルを取り出して中身の液体を胸から腹に掛けると、インタビュアーの制止を振り切るようにライターで火を点けました。

 ボンという音と共に船山の父親は炎に包まれ、カメラのレンズが地面に向いたところで映像は終わっています。


「梶川さん、別のサイトで動画を見たんですが、カメラが下を向いたところで終わりですか?」

「そうだね、こっちで確認しているのも、そこまでだよ。どう、違和感あったでしょ?」

「そう言われるとあったような……」

「火を点ける前に、船山さんはペットボトルに入った液体を浴びてるよね?」

「はい、それがどうかしましたか?」

「まだペットボトルに中身が半分以上残っているのに火を点けている。それも胸から腹に申し訳程度にしか掛けていない」

「あっ……」


 動画を再生し直してみると、確かに梶川さんが言う通り、船山の父親はガソリンらしき液体を少ししかかぶっていません。

 本気で自殺する気ならば、持って来たガソリンは全部、それも頭からかぶるでしょう。


「梶川さん、ここって荒川の河川敷ですか?」

「そうみたいだね。手許に入っている情報では、龍二君とキャッチボールした思い出の場所らしいが……船山さんの自宅からだと、光が丘公園の方が近いと思うんだよね。キャッチボールをするために、わざわざ出掛けて行くかな?」

「どうでしょう。僕だったら行かないと思いますが……」

「それと、例の三脚をセットした者と繋がりがないかも調べている」

「えっ……それじゃあ、今回の和解を邪魔しようとして、船山のお父さんを……いや、でも自分で火を点けてましたよね」

「そうなんだよね。違和感があるけど、本人の意思で火を点けているのも確かなんだ」

「和解に影響は出ますかね?」

「うーん……世間の評価が、どちらに転ぶかは分からないね」


 掲示板サイトの関連スレッドを覗いてみると、既に話題に上がっていました。

 被害者の家族が納得していないのに、和解するのは時期尚早だという意見もあれば、早期に責任を認めて賠償までするのだから和解すべきという意見も見受けられます。


 船山の場合、死亡したとされているけど遺体が戻って来ないので、まだ生きているはずだ……なんて書き込みもあれば、俺は船山が死んでるのを確認した……なんて書き込みまであります。


 ニュースサイトのコメント欄も覗いてみましたが、やはり意見は二分されているように感じます。

 徹底した調査を行うべきだ……なんて書き込みがありますが、今更調査をしても、船山の痕跡を見つけるのは困難です。


 あれから月日が流れて、もう魔の森のどこに捨てられたのかも分からないし、落ちていた肉片も土に還ってしまっているでしょう。

 グリフォンに連れ去られた三田についても、詳しい調査を行うべきだ……なんて書き込みがありましたが、グリフォンは討伐済ですし、どこに巣を作っていたのかも分かりません。


 船山と三田については、遺体も死亡を裏付ける客観的な証拠もありません。


「国分君、世論がどう転ぶか分からないけど、日本政府は止まらないよ」


 梶川さんの言葉を聞いて中継のタブに切り替えると、井場総理もディートヘルムも署名を終え、取り交わした文章を手にしながら握手を交わしていました。


「まだ、確たる証拠がある訳じゃないけど、船山さんの自殺にも浅川美緒さんを誘拐した組織が関わっているように感じる」

「えっ、まだ諦めていないんですか?」

「いや、証拠がある訳じゃないけどね。日本と異世界が和解するのを快く思わない者がいるのは確かなんだよ。ここで和解を止める、後から注文を付けるといった行為を日本が行えば、相手の思う壺だからね」

「そうですね……では、僕は予定通りにリーゼンブルグの一行を迎えに行けば良いですね?」

「よろしく頼むね」


 梶川さんとの通話を終了して、掲示板サイトやニュースサイトのタブも閉じてしまいました。

 これまで、リーゼンブルグやヴォルザードで色々と経験してきたので、どんなに頑張っても全ての人が納得する結果にはならないと学びました。


 同級生のみんなを救出するのに奮闘しても、嫌になるほど不満をぶつけられました。

 リーゼンブルグという国を立て直そうと奮闘しても、色々嫌味を言われました。


 全ての人を満足させられないならば、最善と思われる道を進むべきなのでしょう。


「あの……魔王様、何かございましたか?」

「ん? ちょっとね。でも大丈夫、予定通りに進めるみたいだよ」

「そうですか……やっぱり和解に反対する者も多いのでしょうか?」

「うーん……正確な数字は分からない。それに、反対する人は声を上げるけど、賛成の人は文句は言わないからね」


 タブレットには、ディートヘルムが欠伸を噛み殺している様子が映し出されていました。

 共同文書への署名を終えて、緊張の糸が切れかけているのでしょう。


「魔王様、少しお休みになられてはいかがです?」

「うん、そうだね。向こうは、これから食事みたいだから、迎えに行くまで少し時間がありそうだね」

「でしたら……」

「えっ……?」


 カミラは、自分の太腿をポンポンと叩いてみせました。

 影の空間に潜って、ネロに寄り掛かって眠ろうかと思っていたのですが、これはこれで断わりがたい誘いです。


「じゃあ、ちょっとだけ……」

「はい」


 王女だてらに剣の稽古を欠かさないカミラですが、太腿は適度な弾力と温もりで、なかなか結構な寝心地です。

 太腿に頭を預けた状態で、カミラの表情を窺おうとしたのですが、胸の膨らみが邪魔をして見えません。


 うん、実にけしからん光景です。

 船山の父親が命を断ったのに、こんな腑抜けた状態の僕こそけしからんのでしょうが、カミラに事件を話す気になれませんでした。


 こんな状況を被害者やその家族が目にしたら、間違いなく非難轟々でしょう。

 この先何年か経った後でも、僕とカミラが一緒に暮らしていると知れば、後ろ指を指す人がいるはずです。


 それでも、忠誠を受け取り、好意を受け止めたのですから、僕も一緒に非難の矢面に立つつもりです。

 まぁ、とりあえずは、今日帰った後で唯香にお説教されることからかな。


 横になっても眠らないつもりでしたが、あまりの心地良さにウトウトとしていたようです。

 ふにゅ……ふにゅ……っと頬を圧迫される感触で目が覚めました。


 どうやら、カミラも居眠りをしているようで、コク……コク……と頭が揺れる度に、ふにゅ……ふにゅ……挟まれているようです。

 うん、まったくもってけしからん。


 もう暫く、このままでいよう……と思ったら、スマホが着信音を奏でました。


「はい、国分です」

「梶川です。あと30分ぐらいしたら、迎えに来てもらえるかな?」

「了解です」

「あと、やはり船山さんの自殺は、単なる焼身自殺ではなかったようだ」

「何か見つかったんですか?」

「現場となった河川敷のグラウンドの芝の焼け方が変なんだ。今の時期は、まだ芝が青々しているから、可燃性のものでもかけないと普通では燃えない」

「それじゃあ、火が着いている船山さんに、ガソリンか何かをかけたってことですか?」

「可能性はあるね。撮影スタッフの1人が重体なんだけど、彼らの言い分では船山さんを助けようとして火が燃え移ったって事になってるけど……」

「可燃物をかけようとして、自分に延焼した……」

「推測で判断するのは危険だけれど、何か隠しているのは間違いなさそうだよ」


 船山も、船山の父親も、好ましい人物ではありません。

 それでも、船山の父親が子供を心配する気持ちに嘘は無かったはずです。


 その気持ちを自分達の利益のために利用した連中がいる。

 そいつらの目的が、僕の苦労を台無しにする事だと思うと、腹が立って仕方がありません。


 何とか一矢報いてやりたいところですが、所在が分からないので手の出しようがありません。


「梶川さん、そいつらに関する情報が手に入ったら、教えてもらえませんか?」

「いやぁ……それは捜査情報になるから、私の一存では決められないな」

「駄目ですか?」

「いや、捜査協力という形にすれば、何とか伝えられるかもしれない……まぁ情勢次第だね」


 僕に情報を流すのは状況が悪化した時でしょうから、流して欲しいような、流さないで欲しいような複雑な心境です。


 予定の時間に迎賓館に向かうと、リーゼンブルグ一行は特製マットの上に集まっていました。

 ディートヘルムは目をショボショボと瞬かせているが、それでも大きな仕事をやり遂げた充実感を味わっているようにも見えます。


「では、皆さん。リーゼンブルグへ送還しますよ」

「よろしくお願いします、魔王様」


 送還の範囲からはみ出さないように改めて整列してもらい、目印を設定した王城の庭へと送還します。

 

「送還!」


 リーゼンブルグの一行が忽然と姿を消した直後、ラインハルトが無事に到着したと念話を送ってきました。

 東の間まで足を運んでいた梶川さんと握手を交わしてから、闇の盾を出して影の空間に潜り込みました。


 これにてディートヘルム一行の訪日は全日程を終了。

 ヴォルザードに戻ると、日付が変わろうとする時間でした。

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