第437話 会談の下調べ

 リーゼンブルグからの賠償金の支払いに関して、ディートヘルムに日本を訪問してもらう予定でいますが、一つ忘れていた事がありました。

 日本に暮らす僕らぐらいの年齢の者ならば常識として知っているのに、リーゼンブルグでは理解されにくい現象があります。


「魔王様、時差とは……?」

「あぁ、日本とリーゼンブルグでは1日の長さが違うんだ」

「はっ? 1日の長さが……ですか?」

「うん、それで時差が生じてるんだけど、普通の時差とは違うから理解しづらいのかな?」

「普通の時差……ですか?」

「うん、普通の時差」


 日本訪問の話をしている途中で時差の話になったのですが、カミラは小首を傾げていて話が噛み合っていない感じがします。


「えっと……バルシャニアとランズヘルトの東の端だと時差があるのは分かるよね?」

「魔王様、その時差というのは何でございますか?」

「えっ? あっ、そうか……時差を感じるほどの速度で移動できないのか」


 こちらの世界では、人が一番早く移動する方法は乗馬です。

 それでも馬も生き物ですから、一日に移動出来る距離には限界があります。


 移動するための道も、必ずしも整っているとは限りません。

 日本なら新幹線で数時間の距離を、一日使っても移動できないのです。


 つまり、時差を感じるほどの速度で移動出来ないし、時差を感じるほどの離れた場所とリアルタイムで連絡する手段も無いから、時差という概念が一般的ではないのでしょう。

 カミラには、それこそ星が丸いという基本的な話から始めて、ようやく時差について理解してもらえました。


 日本と時差が生じる理由について理解してもらうのには、更なる説明が必要でした。

 まぁ、色々と僕の知識が不足しているのも説明が長引いた要因ではあります。


「と言うわけで、今の日本とリーゼンブルグの時差はおよそ6時間、4分の1日程度になっている。例えば、正午にここから転移すると日本はまだ朝、向こうから昼に転移するとリーゼンブルグは夜になるんだ」

「その時差というものが、徐々に広がっているのですね?」

「そうそう、今月の終わりには約10時間、半日近い差に広がってるね」

「それは、元に戻るものなのでしょうか?」

「えっ……元に戻るって?」

「転移した瞬間に昼から夜になるのですよね。その時に失われた時間はどうなるのでしょう?」

「あぁ、そういう事じゃなくて……今お昼前だけど、日本はこの瞬間まだ朝なんだよ。移動するから時間が失われるんじゃなくて、向こうとタイミングがずれる感じ」

「タイミング……ですか?」


 理解したかと思っていましたが、やはり僕の説明が悪かったのか、この後ちゃんと理解してもらうまで更に時間が掛かってしまいました。

 てか、この話をカミラからディートヘルムやグライスナー侯爵に伝わると、伝言ゲームみたいに伝わるほどに間違っていきそうで怖いよね。


「魔王様、一旦昼食にして休憩なさって下さい」

「そんな事を言って、本当は僕の説明を聞くのが面倒になってるんじゃないの?」

「そ、そ、そんな事はございません。わたくしの理解が及ばず、魔王様にご迷惑をお掛けして申し訳なく思っております」

「本当にぃ?」

「も、勿論でございます……」

「まぁ、いいや。お昼にしようか」

「はい、魔王様」


 ちょっとキョドった様子も、その後の笑顔も可愛いじゃないか……けしからん。

 カミラの話によれば、ディートヘルムが王位を継承すると決めてから、執務の割合を減らしているそうです。


「基本的には、弟とトービルを中心にして、グライスナー侯爵やラングハイン伯爵、騎士団長などが補佐をして物事を決めております」

「カミラは加わらないの?」

「私は会議に参加する回数を減らしておりますが、報告書には全て目を通しております」

「不満は無いの?」

「全く……と言う訳ではございませんが、これまでの所の決定には納得しております。弟は、ちゃんと民の暮らしを考えていると感じております」

「そっか……それなら良いや」


 今日、僕がリーゼンブルグを訪れている理由は、日本からディートヘルムの訪問に関する要望があったからです。

 良い話であれば喜んで伝えに来たのですが、内容はあまり喜べるものではありません。


 どうも、日本とリーゼンブルグが関係改善するのを好ましく思わない勢力があるそうで、来日したディートヘルムに危害を加え、関係を悪化させようと目論んでいるらしいです。

 これまでの計画でも、ディートヘルムには会談が行われる施設から出ないような措置が取られるはずでしたが、日程としては晩餐会の後に宿泊する予定でした。


 その宿泊の予定を、日帰りでの訪問に変更してもらいたいというのが日本の意向です。

 現在の計画だと、警備や身の回りの世話をする者20人、ディートヘルムを中心とした訪問団20人を分けて送還する予定でした。


 それを30人以下まで人数を削減し、その日のうちにリーゼンブルグと日本を往復させてしまうつもりです。

 この計画では、1日2回の送還が必要となりますが、その点に関しては既に実験済みで、朝送って夕方迎える感じなら問題無さそうです。


 ただ、いくら日帰りでの訪問だからと言って、誰も現場を見ていないのでは不安だと思うので、事前に視察する者を日本に連れて来ようという話になりました。

 今日は、それを伝えて警備と身の回りの世話をする者、それぞれ一名ずつを選んでもらい、連れて行く日程を決めるために来ています。


 人選はディルクヘイム達に頼んであるので、そのうち連絡が来るでしょう。

 日本側の施設の利用予定もあるので、訪問出来る日程も伝えてあるので、そちらも決めてもらえるはずです。


「魔王様、日本は平和な国だと伺いましたが、それでも警戒する必要があるのですね」

「正直、そこまでの警戒が本当に必要なのか僕には分からないよ。今でこそ、こうして国と国の仲介役なんてやってるけど、召喚される前はただの子供だったんだからね」

「そうでした。申し訳ございませんでした」

「いや、もう何度も謝罪は受けてるから、召喚に関して僕への謝罪は必要無いよ。この賠償金の受け渡しが終われば、他の人への贖罪も一応終了する。それ以後は、余程目に余る事でもない限り、僕がリーゼンブルグ国内の問題に口を出す事も無くなるからね」


 カミラは少し不満そうな表情を浮かべながら、僕の目を見て訴えてきました。


「魔王様……やはり私は魔王様にリーゼンブルグを治めていただきたいのですが……」

「無理無理、僕は王様なんてやる気は無いし、そもそも国民が納得しないでしょう」

「ですが……」

「駄目だよ。本来なら存在しなかった僕に、地位とか権限とか与えちゃ駄目だ。それは無用な対立を生むだけだし、過去に召喚された勇者の前例も考えないと……僕は本当の魔王として討伐の対象にはされたくないからね」

「そうでした。リーゼンブルグの問題は、我らリーゼンブルグの民が解決すべきですね」


 昼食後、カミラの部屋で寛いでいると、グライスナー侯爵が二人の人物を連れて訪ねてきました。


「魔王様、こちらの二人をニホンに遣わすことにしました」


 1人はマグダロス・アイスラー、元第一王子アルフォンスに仕えていた近衛騎士です。

 まぁ、仕えていたと言うよりも愛人関係だった人だよね。


 もう1人は、メイド服に身を包んだ30歳前後の女性です。

 薄いグリーン髪を頭の後ろで束ね、シャープな印象があります。


 うん、胸はささやか……うひぃ、睨まれました。


「副メイド長のソフィーと申します。お見知りおきを……」

「ど、どうも、ケント・国分です。よろしく……」


 さすがに王城の副メイド長ともなれば貫禄がありますねぇ、見た目よりもお歳を召して……うひぃ、また睨まれました。


「魔王様、こちらの両名ですが、明日視察の予定でも構いませんか?」

「えぇ、大丈夫ですよ。ただ、送還術の関係で、一旦日本に送ってしまうと僕の魔力が回復するまでは戻れません。朝出発して帰りは夕方になると思いますが大丈夫ですか?」

「問題ございません」

「私も異論ございません」

「では明日の午後、昼食を済ませた後、ここで落ち合いましょう」

「かしこまりました」


 この後、グライスナー侯爵も交えて、時差に関する話をしたのですが、やっぱり理解してもらうまでには時間が掛かってしまいました。


 翌日も、カミラの部屋で昼食をご馳走になり、休息していると二人が姿を見せました。


「こんにちは。マグダロスさん、ソフィーさん」

「魔王様。本日はよろしくお願いいたします」


 マグダロスは金属鎧こそ身に着けていませんが、騎士の制服を着込み、腰には長剣を下げています。


「あの、その剣は……」

「ご心配無く、刃引きしてあります」


 マグダロスが抜き放った剣は、両刃の形ですが刃は付いていませんでした。


「ディートヘルム殿下と同行する者にも同様の物を持たせる予定です。ニホンの担当者に予め検分してもらうつもりです」

「そうですね。その方が当日に混乱せずに済むので助かります」


 日本からは銃刀法の関連で、武器の持ち込みを禁じられています。

 この剣であれば法律には引っ掛からずに済むでしょうし、刃は無いとは言え鉄の塊です。


 鍛えられた剣士が振り回せば、危険な鈍器になるのは間違いありません。

 それに、体内に魔力が残っている間は身体強化の魔法も使えるでしょうし、もし至近距離から襲おうなんて考えているのなら、悲惨な目に遭うでしょうね。


 二人の準備は終わっているようなので、影の空間経由で一足先に日本へと移動しました。


「おはようございます、梶川さん」

「やぁ、国分君、おはよう」


 お馴染みの梶川さんですが、待ち合わせの場所は練馬駐屯地ではありません。

 壁面を見事なアラベスク模様で彩られた部屋は、赤坂迎賓館2階、東玄関の真上にあたる東の間です。


 僕が闇の盾から姿を現すと、驚きの声が上がったのは、梶川さんの他にも政府関係者の姿があるからです。

 万全の警備を行うために、ディートヘルムの訪日は全て迎賓館の中で行うことになりました。


 リーゼンブルグからの転移は東の間で行い、総理大臣との会談、会食、調印などの全ての行事は迎賓館の2階で行われるそうです。

 東の間には、政府関係者の他に見知った顔がありました。


「小田先生、お久しぶりです」

「おはよう、国分。他のみんなも元気にしてるか?」

「はい、みんな元気にやってますよ」


 小田先生は田山がオークの投石を食らって死亡した時に、事情説明するために一足先に帰国したので、会うのは半年ぶりになります。


 髪や服装も整えて、重責から解放されたからか血色も良く、ヴォルザードにいた頃よりも若く見えます。

 今回のディートヘルムの訪日では、小田先生が通訳を務めるそうです。


「じゃあ梶川さん、二人を転送しても構いませんか?」

「あぁ、お願いするよ」


 東の間の床には、内装を傷付けないようにマットが敷かれ、その四隅に闇属性のゴーレムを配置しました。

 一旦、リーゼンブルグまで戻り、マグダロスとソフィーの二人を送還します。


「じゃあ、そこから動かないで下さい、送還範囲からはみ出すとスパっと切断しちゃいますからね」

「了解しました……」

「では、送還!」


 送還術を発動させると、カミラの部屋のバルコニーから二人の姿が消えました。


「じゃあ、僕も移動するから……」

「魔王様、よろしくお願いします」

「うん、でも今回は僕は待機してるだけなんだけどね」


 カミラをギュっとハグしてから、影の空間経由で東の間へと戻りました。

 マグダロスとソフィーは、既に小田先生の通訳で政府関係者と挨拶を交わしているところでした。


「梶川さん、無事に着いてますね?」

「お疲れ様、国分君。あとは我々でやるから、合図するまで休んでいて」

「はい、そうさせてもらいます。影の中から眷属に見ていてもらいますから、終わったら合図して下さい」


 マグダロスとソフィーが、迎賓館の施設の検分を終えたら、もう一度リーゼンブルグまで送還しなければなりません

 リーゼンブルグから日本までだと、結構魔力を消費しますので、二回目の送還を確実に行えるように休息するのが今日の僕の仕事です。


 魔力を回復させるための休息なので、日本の空気の中にいたのでは意味がありません。

 なので、影の空間でノンビリさせてもらいましょう。


「にゃ、ネロの出番にゃ」

「うん、よろしくね」


 ノンビリするなら、ネロの存在は欠かせません。

 フワフワなネロのお腹に寄り掛かり、右にマルト、左にミルト、そして抱えているのはサヘルです。


 今日は、マルト、ミルト、ムルト、サヘルが交代で梶川さんの様子を見て、合図があったら連絡してくれることになっています。

 フワフワ、モフモフ、モフモフ、スベスベ……うん、いつもとちょっと違う組み合わせだけど、これはこれでアリでしょう。


 サヘルは僕に抱えられた格好で、くーくーと上機嫌に喉を鳴らしています。

 眷属のみんなに囲まれていると、送還でゴソっと減った魔力が戻って来るような感じがします。


 マルト達は30分ほどで交代して、丁度ローテーションが終わる頃に梶川さんから合図が来ました。

 マグダロスとソフィーは、政府関係者から説明を受けながら、会談などが行われる部屋を一通り見て資料を受け取ったそうです。


 リーゼンブルグに戻ってから、約2週間の準備期間を置いて、いよいよディートヘルムの訪日が行われることになります

 その間、小田先生も準備委員の1人として日本側で活動するそうです。


「では、二人を送り届けますね」

「あぁ、国分君、終わったら戻って来られるかな?」

「えっと、どこにでしょう?」

「そうか……先日行った事務所は分かるよね?」

「はい、大丈夫です」

「じゃあ、そっちに来てもらえるかな」

「分かりました。では、送還しますから、皆さん離れていただけますか」


 今度はリーゼンブルグの王城のバルコニーに目印用の闇ゴーレムを設置して、マグダロスとソフィーを送還しました。

 影の空間を通ってリーゼンブルグに戻り、梶川さんとの連絡方法の打ち合わせを行いました。


 不明な点は、書面にしてコボルト隊に託して梶川さんの元へ届け、小田先生が翻訳して内容を伝えるという手順になります。

 ちょっとややこしいですが、リーゼンブルグ側に日本語の知識を付与するのは禁止されていますから仕方ありません。


 打ち合わせを終えてゴーレムを回収したら、再び日本へと戻ります。

 向かった先は、霞が関にある梶川さんのオフィスです。


 ここには、リーゼンブルグからの下見の人員を迎賓館へ送還するために、僕自身が迎賓館に移動出来るように訪れた時に立ち寄りました。

 練馬駐屯地から車で移動して来て、ここで変装を整えて迎賓館の下見に出掛けました。


 迎賓館から異世界リーゼンブルグに行って戻って来たのですが、どうやら僕の方が先に着いてしまったようです。

 影の世界で待機していると、梶川さんは小田先生と一緒に戻って来ました。


 ディートヘルムが訪日した時の通訳に関する打ち合わせでしょうかね。

 とりあえず、話を聞かせてもらいましょう。

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