第438話 再生治療

「やぁ、国分君、今日はお疲れ様。さぁ、座って、座って」


 闇の盾を出してオフィスに顔を出すと、梶川さんからソファーに座るように勧められました。

 梶川さんは、そのままコーヒーを淹れ始めます。


「小田先生、お疲れ様です」

「国分もお疲れ」

「いや、今日は2人を送迎しただけですからね」

「だが、それは国分にしか出来ない仕事だからな」


 まぁ、確かにリーゼンブルグやヴォルザードと僕抜きでは往来出来ないんですけどね。


「先生、これは通訳に関する打ち合わせですか?」

「いや、私も内容は聞いていないのだが……」


 小田先生が視線を向けた先では、梶川さんがカップにコーヒーを注いでいるところでした。


「小田先生、国分君、お疲れ様。まずは一服して下さい」

「ありがとうございます」

「いただきます。うん、いい香りですね」

「今日はキリマンジャロにしてみたよ」


 正直、コーヒーの違いは良く分からないのですが、良い香りなのは分かります。

 コーヒーを飲みながら、今日の下見の様子を聞かせてもらいましたが、やはり通訳するのに困ることがあったそうです。


 水道やトイレの使い方は、日本式の物とリーゼンブルグの魔道具方式では微妙に違っていて、そもそも魔導具でないと説明するのが難しかったそうです。


「まぁ最終的には、そういう物なのだと納得してもらったがな」

「電化製品と魔道具は似て非なるものですからねぇ……ところで梶川さん、マグダロスが下げていた剣は大丈夫ですか?」

「うん、本当はアウトなんだけど……ギリセーフってことにしておいた。コスプレ同様の装飾品扱いってことでね」

「なるほど……でも、襲撃なんて有り得るんですか?」

「まぁ、通常の手段では入り込めないね。今回、会談の様子や合意文書への署名の様子などは取材を許可する予定だけど、問題のある人物を送り込んだらどうなるか、マスコミ各社には厳しく伝えてある。スタッフの1人に至るまで、身元の確実な人物を参加させるように厳命してあるからね」


 勿論、賓客を迎えるスタッフは、これまで通り身元の保証されている者ばかりだそうです。


「当日は、機材のチェック、取材者のボディーチェックも厳重に行うから、怪しいものは持ち込めない……はずだ」

「何事も完璧とは限らないんですか?」

「その通りだし、油断した時点で負けだろうね」


 今日の下調べの話を20分ほど続けたところで、梶川さんは席を立ってデスクから大きな茶封筒を持って来ました。


「さて国分君、ここからが本題なんだけど、魔法による治療をお願いできないかな?」

「えっ……また、どこかの国の要人ですか?」

「いや、治療してもらいたいのは、国沢美冬さんなんだ」

「国沢が見つかったんですか!」


 僕よりも先に声を上げたのは、隣に座っていた小田先生でした。


「はい、昨日の深夜に発見されて、今はまだ家族にも知らせずに病院に入院中です」

「家族にも知らせずって……どういうことですか!」

「まぁ、小田先生、落ち着いて下さい。現状、生命の危険はありません」

「しかし、家族にも知らせないなら……」

「はい、発見された時、国沢さんは酷い暴行を受けていました」


 国沢さんを呼び出したのは、SNSで知り合った30代の男性だったそうです。

 いわゆる表のアカウントで知り合って、その後、裏のアカウントで連絡を取り合い、誘い出されてしまったようです。


「国沢は、なんでそんな男に……」

「関口詩織さんに関することで悩みを抱え、自殺願望を抱いていたようです」


 容疑者の男は、国沢さんに一緒に自殺しようと持ち掛けて呼び出し、準備のためだといって自宅まで車で連れていったようです。

 その際、国沢さんは森林公園の駅でスマホの電源を切らされ、取り上げられてしまったようです。


「容疑者の男は、栃木県の山間に家を所有していて、国沢さんはそこに監禁されていました」


 森林公園駅から国沢さんを乗せた車は盗難車だったそうで、途中で別の車に乗り替えて移動していたそうですが、自動車ナンバー自動読み取り装置や防犯カメラの映像解析などから容疑者を割り出して、ようやく救出に至ったそうです。


「梶川さん、僕に治療を依頼するって事は、現代医学では治療出来ない状態ってことですよね?」

「その通りだよ。国沢さんは、身体に欠損部位がある状態だ」


 一緒に自殺するなんて真っ赤な嘘で、国沢さんを拷問することが容疑者の目的だったそうです。


「SNSのメッセージ機能を使って、だいぶ詳しい内容まで聞き出していたようで、関口さんが自殺した責任は国沢さんにあるような……」


 ダ──ン!と小田先生がテーブルを殴りつけた音で、梶川さんの話は強制的に止められました。


「何て卑劣な奴だ。殺してやる、私がこの手で……」

「小田先生、落ち着いて下さい」

「これが落ちついていられると思うのか、国分! あんなに苦しい思いをして、ようやく日本に戻ってこられたのに、なんでだ、どうして国沢がそんな目に遭わなきゃいけない!」


 ヴォルザードにいた頃の小田先生は、激高する中川先生を宥める側だったので、これほどまでに感情を露わにするとは思ってもいませんでした。

 そして自分よりも先にキレまくっている人がいると、逆に冷静にさせられてしまいます。


「国沢は、一年の頃に私が担任を受け持った生徒だ。それが、こんな事になっていたなんて……」

「小田先生、申し訳ありませんが、今日のところはお引き取りいただけますか?」

「えっ……いや、取り乱したのは謝ります。ここで退席させられるのは……」

「これから、国分君には国沢さんの現状を見てもらおうかと思っています。かなりショッキングな画像ですので……」


 小田先生は、グッと歯を食いしばって思いを巡らせた後で、静かに席を立ちました。


「国分、すまないが国沢を助けてやってほしい。情けない話だが、私はこれ以上国沢の悲惨な状況を見たら冷静さを保てる自信がないし、リーゼンブルグの王子の訪日に関する業務にも支障をきたしそうだ」

「分かりました。可能な限り手を尽くします」

「すまんな……」


 小田先生は寂しげな笑顔を浮かべると、梶川さんに深々と頭を下げるとオフィスを出て行きました。


「正直、小田先生があんなに激高するなんて思いませんでした」

「僕も少し迂闊だったよ。小田先生も、まだトラウマを抱えているみたいだね」

「そうですね。他の先生も話していましたが、教師らしい働きが何も出来なかったと悔やんでいるみたいです。船山、関口さん、田山、三田、藤井……普通の学校生活を送っていたら、一つの学年でこんなに命を落とすなんて考えられませんからね」

「そうだね。確かにその通りだ」


 梶川さんは、ふーっと一つ大きく息をついた後で、大きな茶封筒を手に取りました。


「国分君、覚悟はいいかな?」

「正直、あんまり出来てませんが、逃げる訳にもいかないので」

「いや、これは直接召喚事件に関係したことではないから……」

「それでも、それでも僕は逃げられませんよ」

「そうか……」


 梶川さんは封筒の中から資料の束を取り出すと、僕に差し出しました。

 一番上に載せられているのは、カルテの写しのようで、外国語で書き込まれているので詳しい内容は分かりませんが、人体図のあちこちに印がつけられています。


「うっ……酷い……」


 カルテを捲った下はプリントアウトされた写真で、その残忍さに思わず目を背けてしまいました。

 写真は、国沢さんの右の横顔を写したものですが、耳が削ぎ落されていました。


「大丈夫かい、国分君」

「あんまり……」


 手に持った紙の束は、1枚2枚の量ではありません。

 これが全て暴行を受けた傷跡を写したものだとすれば、どれほど酷い仕打ちされたのか、先を見るのが怖くなってきました。


「国分君、今の時点で質問させてくれるかな?」

「はい、なんでしょう?」

「その耳の欠損を元通りに治せるものなのかい?」

「分かりません。僕は、自分の身体が欠損したのを無意識で治したことはありますが、他人の欠損部位を治療した経験はありません。だから、分からないとしか答えようがないです」

「でも、可能性はあるのかな?」

「はい、可能性はあります」


 梶川さんは、少し目線を落して考えた後で、顔を上げて話し始めました。


「もう気付いていると思うけど、国沢さんの欠損部位は全身に及んでいる。現代医学の移植術を用いても、外見的にも機能的にも元通りには治せない。しかも、国沢さんは精神的に非常に強いショックを受けている。現在は麻酔で眠っている状態だが、意識を取り戻しても、この先の治療リハビリに耐えられないように思うんだ」


 親友が自殺したのは自分の責任だと責め続けられ、解放された後も体のハンディを報いだと思わされて生きていくなんて、考えるだけでも辛すぎます。


「梶川さん、病院に案内してもらえませんか?」

「引き受けてくれるのかい?」

「はい。ただ、今日は2回の送還で魔力の残りが少なくなっています。一度に治療するのは無理なので、病室に自由に出入り出来るようにしてもらえませんか?」

「分かった。国分君の希望に添えるようにしよう」


 帽子とサングラスという雑な変装をして、梶川さんが運転する車で向かった先は、以前ハズキスタンの大統領を治療した病院でした。


「梶川さん、前の時のように影の中から治療した方が良いのでは?」

「いや、今回は欠損部位があることを医師たちが確認してしまっている。現状は口止めしてあるが、内密に治療を行って欠損部位が元に戻ってしまう方が騒ぎが大きくなるからね。大丈夫、もう話は通してあるから」


 ということは、僕が依頼を受けることは織り込み済みってことでしょうか。

 まぁ、断わる理由は無かったですし、出来るならリーゼンブルグの下見よりもこっちを優先してもらいたかったです。


 国沢さんの病室は、大統領との時と同じ11階の特別室でしたが、警備の度合いはあの時程は厳重ではありません。

 エレベーターを下りたところで警備の人に止められましたが、梶川さんが身分証を提示すると敬礼して道を開けてくれました。


 ナースステーションに梶川さんが声を掛けると、対応した看護師さんがどこかに内線で連絡を取っていました。


「こっちだよ、国分君」


 連れて行かれた病室は、大統領の時とは別の病室で、どうやらICUと同等の設備があるようです。

 手前の部屋で靴を脱ぎ、手を消毒、白衣、ヘアキャップ、マスクを着用して、ようやく病室に入室出来るようです。


 僕と梶川さんが入室の準備を整えていると、白衣の男性が入ってきました。

 年齢は40代前半ぐらいでしょうか、医師としては脂の乗り切った年頃と言う感じです。


「国分君、国沢さんの主治医、平医師だよ」

「初めまして、国分健人です」

「平です。本当に欠損部位の修復が可能なんですか?」

「無責任な言い方ですが、やってみないと分かりません」

 フィギュアスケートの福沢選手を治療した時のように反発されるのかと危惧しましたが、平医師はじっと僕を見詰めた後で問い掛けてきました。


「でも可能性はあるのですね?」

「はい」

「そうですか。では、少しでも可能性が高まるように、我々に出来ることがあれば何でも言って下さい。患者の状態について説明は受けましたか?」

「いえ……」

「では、治療を開始する前に、簡単に説明いたしましょう」


 平医師は、梶川さんが持っていた茶封筒の資料を使って、国沢さんの状態を説明してくれましたが、本当に酷い状態でした。

 耳だけでなく、鼻筋や眼球、手足の指、右の乳房……梶川さんから、魔法での治療を提案された後は、止血処理、麻酔と輸液の管理が行われているそうです。


「どこを優先とは、なかなか言えないが、まずは顔と手の指を再生してもらいたい。とにかく、これからのクオリティライフを少しでも上げられるように手を尽くしてほしい」

「わかりました。ご説明ありがとうございます。梶川さん、こちらの空気の中では魔素が不足するので、やはり影の中から治療させてもらいます」

「分かった。引き続き、平医師にはバイタルの管理をお願いするから、国分君は国分君に出来る最上の治療を目指してほしい」


 少し迷いましたが、病室に入れるような装備を整えてから、闇の盾を出して影の空間へと潜りました。

 そのまま、身体は影の空間へと残したまま、ベッドの脇に闇の盾を出して手だけ突き出して治療を始めます。


 右耳、鼻筋、右の眼球まで再生した所で限界が来ました。

 単純に傷口を塞ぐのと違い、欠損した部分を生み出すためか、多くの魔力を奪われます。


 一旦、病室の外へと戻って、梶川さんに声を掛けました。


「梶川さん、すみませんが魔力切れです。一旦休んで回復したら、すぐにでも再開します」

「分かった。よろしく頼むよ。平先生も、よろしくお願いします」

「バイタルの管理は任せて下さい。国分君、よろしく頼みます」

「はい、こちらこそ」


 梶川さんと平医師に挨拶をして、一旦ヴォルザードへと戻りました。

 ヴォルザードは夕方で、クラウスさんのお屋敷でも夕食の支度が始まっていました。


 お嫁さんと一緒に夕食を楽しみたいところですが、厨房にお願いして簡単な食事を作ってもらい、みんなより先に夕食を済ませました。

 魔力の回復を助ける薬を飲んで、ネロに身体を預けながら自己治癒魔術を身体に巡らせます。


「ラインハルト、1時間ぐらいしたら起こしてくれるかな?」

『了解ですぞ。皆さんには事情を説明しなくても良いのですか?』

「あー……マルト、みんなに話しておいて」

「わふぅ、任せて!」


 たぶん、マルトだけだと言葉足らずで心配掛けるかもしれませんが、今は一刻も早く魔力を回復させて、治療を再開させたい気持ちの方が勝っています。

 身体の力を抜くと、あっさりと眠りに落ちました。

 もう瞬間睡眠は、僕の特技みたいなものですね。


『ケント様、1時間経ちましたぞ』

「ん、んー……よし、治療しよう」


 影の空間を通って、国沢さんの病室へと戻って治療を再開します。

 左の眼球、左耳、下唇、右手の親指、人差し指を再生したところで、また魔力が底を尽きました。


 魔力の回復を助ける薬を飲み、ついでに水分を補給して今度は仮眠を3時間。

 ラインハルトに起こされたら、病室に移動して治療を再開。


 両手の指と、右の乳房を再生させたところで魔力切れ。

 ドーピングして、仮眠して、起きたらシャワーを浴びてから朝食の席に加わって、改めて事情を説明して小言をもらいました。


「健人は無茶しすぎだよ」

「でも唯香、こっちに連れて来る訳にはいかないし、ちゃんと休息を取りながらやってるから大丈夫だよ」

「もう、ちゃんと休まないと駄目なんだからね」

「うん、気を付けるよ」


 それでも膨れっ面している唯香をギューってハグして、マノンも、ベアトリーチェも、セラフィマもギューってしてから国沢さんの病室へと戻りました。

 ヴォルザードが朝を迎えたので、東京は真夜中です。


 両足の指と前歯8本を再生したら、欠損部位の修復は完了です。


「あとは、全身の骨折と裂傷、切り傷、ヤケドか……」


 残りは再生ではない治療なので、影の中から背中に両手を添えて、国沢さんの全身に治癒魔術を流しました。

 どれほど辛く、どれほど痛く、どれほど苦しい時間を過ごしたのでしょう。


 人間としての尊厳を踏みにじり、精神を苛み続けた容疑者でも、日本では処刑される事も無く、数年したら社会復帰するのでしょう。

 魔力が欠落していき、グラグラする頭で考えながら、やるせない思いに駆られてしまいます。


 全ての治療を終わらせて、仮眠を取ってから梶川さんを訪ねて報告するついでに、事件の容疑者の情報を教えてもらいました。

 37歳、無職、両親は健在だが市内の別の家で暮らしているそうです。


 国沢さんを監禁していた家には1人で居住し、近所の人との交流も無かったようです。

 現在は、警察署に留置されていると聞きました。


 その後風の噂に聞いたのですが、容疑者の男は夜な夜な現れる骸骨に、手足の指を握り潰され、引き千切られる悪夢にうなされるようになったそうです。

 悪夢は恐ろしくリアルで、猛烈な痛みや、指を引き千切られる感覚があるのに、翌朝目覚めると何の痕跡も残っていなかったらしいです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る