第430話 雨中の攻防

 夜明けと共に潮が引くように、ゴブリン共は森へと引き上げて行った。

 バッケンハイムの街に、ゴブリンの群れが押し寄せるようになって三度目の夜を越えた。


 街に向かってくるゴブリンの数は減っているように見えるのだが、行動パターンが日を追うごとに狡猾になっている。

 一夜目は、ただ闇雲に向かって来ては、冒険者達の攻撃に倒れ、後続のゴブリンは死んだ仲間を食おうと群がり、更に死体を増やしていた。


 それが二日目の夜になると、明かりに照らされた範囲の外から石を投げてきたり、仲間の死骸に向かうと見せて街に向かおうとする者が見られるようになった。

 そして昨夜は、街に向かって吹く緩い風を利用して、土煙で姿を隠そうとしていた。


 幸い、水属性の魔術士が散水をして、土煙が舞い上がらないようにしたから良かったものの、もっと強い風が吹いていたり、もっと乾燥した日が続いていたら、街に入り込まれていたかもしれない。


 ゴブリンの数は減ったが狡猾になり、そして迎え撃つ冒険者達は疲弊してきている。

 夜はゴブリンを迎撃し、昼はゴブリンの死骸の処理に追われる。


 若手とベテランが役割分担をして、なるべく休息するようにしているが、普段とは違う厳しい環境で、長い時間緊張を強いられるために疲労が蓄積しているようだ。

 Cランクの私は、迎撃をメインの役割として割り振られているので、死骸の処理は免除されているが、街を包む血の臭いのせいで気が休まらない。


 いくら死骸を森の近くまで運んでも、細かい肉片や飛び散った血潮までは処理出来ない。

 火属性の魔術士が、土まで焼き焦がしてしまえば改善するのだろうが、今はゴブリンを迎撃するために魔力を温存しておかねばならない。


 鼻の奥にまで染みつくような腐臭が無くなるには、どれほどの時間が必要になるのだろうか。

 完全に夜が明けて、警戒態勢が解かれたので、下宿に戻って休息することにした。


 一晩中、ゴブリンを迎撃していた者達は、これから休息に入り、ランクの低い若手が死骸の回収運搬に取り掛かる。

 何か異変が起これば、鐘の音で知らされるので、それまでは休息に専念する。


 下宿に戻る前に、ギルドの酒場によって簡単な食事を済ませると同時に、他の冒険者の様子を確認した。

 一夜目が明けた時には、ゴブリンの多さや自分の手柄を声高に話す冒険者が多く見受けられたが、今朝は殆どの者が口数少なく食事を詰め込んでいた。


 精神的にも、肉体的にも、バッケンハイムの冒険者全体が限界を迎えつつあるように感じる。

 たぶん、今夜は何とか凌げるだろう。


 だが、明日の晩はどうだ……その次の晩は持ちこたえられるのだろうか。

 口数少なく食事をしている冒険者の多くは、私と同じ不安を抱えているのではなかろうか。


 食事を終えた後、カウンターに足を運んでみた。

 こんな状況なので、他の街……と言ってもブライヒベルグだけだが、往来は禁止されている。


 街道近くの森や林にも増殖したゴブリンが住み着いているらしく、馬車を護衛するには通常の四倍もの護衛が必要だ。

 それだけの人員を護衛の仕事に取られ、ブライヒベルグから戻って来られなくなれば、その分バッケンハイムの守りが薄くなってしまう。


 とにかく、ゴブリンの騒動が一段落するまでは、バッケンハイムの街に籠もるしかないのだ。

 それでも、バッケンハイムの街中は、昼の間は一部の店は営業を行っているし、街の機能が完全に停止した訳ではない。


 ただ、周辺の小さな集落では、頑丈な建物に立て籠もるか、バッケンハイムまで逃げて来るかの選択を迫られている。

 Bランク以上の冒険者が集められ、集落への確認に向かい、避難民を連れ帰っている。


 そうした人達の生活を立て直すためにも、もっと積極的にゴブリンを討伐するための人員を確保すべきだろう。

 ブライヒベルグやフェアリンゲン、リーベンシュタイン辺りに応援を要請すべきではないのかと、要望を出そうとカウンターまで来てみたが、みんな考える事は同じらしい。


 既にブライヒベルグは、ここと同じ状況になりつつあるようで、街道を渡った北側にまでゴブリンの増殖範囲が広がっているようだ。

 ブライヒベルグの東側は、川が天然の水堀の役割を果たしていて、今の所フェアリンゲンやリーベンシュタインは平穏らしい。


 上流部から川を渡れば、川の東側まで増殖が広がる可能性はあるので、リーベンシュタインでは街の周辺のゴブリン討伐を始めているらしい。

 フェアリンゲンも既に警戒態勢に入っていて、つまり自分達の街は自分達の手で守れ……という状況らしい。


 他の冒険者に対するギルド職員の説明を聞いて、これから要望しようと思っていたらしい冒険者が引き上げていく。

 他の街も余裕が無いならば、自分達がやるしかないのだ。


 一時的に冒険者の姿が減ったカウンターに歩み寄り、もう一つの可能性について問い合わせてみた。


「すまない。今の状態で他の街からの応援が来ないことは分かったが、これ以上事態が悪化した場合、ヴォルザードのSランクへ指名依頼を出したりするのだろうか?」

「申し訳ありませんが、応援は期待しないで下さい。ヴォルザードはバッケンハイムよりも魔物の危険に晒される可能性の高い街です。Sランク冒険者のケント・コクブには余程の事情が無い限り依頼は出されません」

「だが、街中にまで入られた場合には、住民にも被害が出るのではないのか?」

「住民の皆さんにも、注意を促す知らせを繰り返し行い、立て籠もる準備を進めていただいてます。万が一の場合には、鐘の音を使って警告を発し、外出を禁じる措置を発動します。皆さんは、とにかく街にゴブリンを入れないことに専念して下さい」

「分かった。時間を取らせたな」


 応援は期待出来ない。ならば、今夜の戦いに備えるだけだ。

 下宿に戻り、身体を拭いてサッパリしたら、洗濯を済ませてしまおう。

 明日以降は、今日よりも更に余裕が無くなっているはずだから。


 夕方、下宿を出てギルドの酒場で食事を済ませ、割り当てられた配置に向かうが、雲行きが怪しい。

 西から広がって来た雲は厚みを増し、天候が崩れるようだ。


 雨が降るのであれば、少し配置を考えてもらわないといけない。

 私たちの一団を指揮しているのは、バーランドというBランク冒険者だ。


 年齢は40代前半だろうか、冒険者の割には物腰が柔らかい。


「バーランドさん、ちょっと良いですか?」

「構わんぞ、どうしたローシェ」

「はい、天候が……」

「あぁ、お前さんは火属性だったな。雨は大敵か……」

「はい、対処出来ない訳じゃないんですが……」

「魔力の消費が馬鹿デカくなる」

「そうです」

「分かった。配置を考えるから少し待ってくれ、他にも火属性がいるからな」


 火属性の攻撃魔術は、雨との相性が最悪だ。

 小雨程度ならばまだしも、土砂降りとなると魔術の威力が半減どころか二割以下まで落ち込んでしまう。


 土砂降りの中でも効果のある攻撃をするには、火球を圧縮して命中と同時に弾けるようにしなければならない。

 その為には、通常の二倍以上の魔力が必要となってしまう上に、発動までに時間が掛かってしまう。


 通常、雨の日には魔物の討伐に出掛けない。

 馬車の護衛をする場合でも、雨脚の強い日は旅程を延期したりする。


 だが、今日は中止も延期も決めるのはゴブリンだ。

 むしろ、街への侵入を試みるならば、魔法の効果も視界も遮られる雨の方が、ゴブリン共には都合が良いだろう。


 日暮れ前、集まった冒険者達が変更された持ち場に付いた頃には雨が降り出し、完全に日が暮れた時には叩き付けるような雨になっていた。

 森の方向を照らす明かりは、魔道具の照明なので、雨でも消える心配は無い。


 ただし、これまでは畑の中に薪を積んで燃やし、更なる明るさを確保していたが、この雨では無理だ。

 雨脚が強まると、雨粒に魔道具の光が反射して、更に視界を悪くする。


「通常、雨の日は魔物も動かないと言われているが、ゴブリン共が今夜襲って来ない保証はどこにもない。集中を切らすなよ」


 砦の壁に作られた細い隙間から外を睨みながら、バーランドが冒険者達に注意を促した直後だった。

 何かが砦の壁にぶつかって、ビシャっと湿った重たい音を響かせた。


「撃て! 見えなくても構わん、撃て!」


 バーランドの指示に従って、砦で待ち構えていた冒険者が一斉に攻撃を放った。

 勿論、私も渾身の火属性魔法を雨の向こうへと撃ち込んだ。


「ギャァァァァ!」


 雨のカーテンの向こうからゴブリンの悲鳴が響き、一瞬の静寂が訪れた後、また何かが砦の壁にぶつかり始めた。


「ぶぁ! ど、泥だ! ちくしょう、目が……」

「明かりが消えた!」

「じっくり狙わなくてもいい、外を見るのは撃つ瞬間だけにしろ!」


 どうやらゴブリン共は、泥を丸めて投げ付けているようで、外を狙っている最中にも壁の隙間から飛び込んでくる。

 明かりの魔道具も狙われているようで、泥を被ったのか砦の外を照らす光が暗くなった。


「撃て、撃て! 水属性、風属性の術士で範囲攻撃が出来る奴は、思いっきりぶっ放せ!」


 水属性や風属性の術士が、幅の広い攻撃魔法を放とうとするが、砦の細い隙間からでは、放てる大きさに限界があるようだ。

 砦の壁の隙間は縦長なので、縦に幅のある攻撃は打てても、それを途中で横向きに変えるような技術を持っている者は少ない。


 そもそも、屋外で魔法を使う場合には、そうした工夫を必要としないからだ。

 私も、火属性の圧縮した攻撃魔法を撃ち出しているが、圧縮した状態ゆえに、普段よりも命中する範囲が狭くなる。


 視界が悪い中で、当てずっぽうの攻撃では、命中精度なんて全く期待できない。

 恐らく、ゴブリンの接近を許してしまっているのだろうが、それすらも満足に確認出来なかった。


「ぐあぁぁぁ!」

「くっそ、死ねや! 気をつけろ、すぐ近くまで来てるぞ!」


 ゴブリン共は、雨を利用して接近して来ると、先を尖らせた木の杭を砦の中に突っ込んで来る。

 タイミング悪く、ちょうど攻撃を放とうと隙間を覗いた冒険者の腹に杭が突き刺さった。


 その後も、何度も木の杭が突き入れられて、複数の冒険者が傷を負った。

 更には、砦の屋根に上ったのだろう、光の魔道具が一つ、また一つと消え始めた。


「くっそぉ、何にも見えねぇ!」

「休むな、撃ち続けろ! 少しでも後続のゴブリンを削れ!」


 バーランドが声を枯らして冒険者達を鼓舞するが、もはや外を照らす明かりは、砦の内部から洩れる光のみで、白く光る雨粒の向こうは真っ暗闇で見通せない。

 それでも諦めずに攻撃魔法を撃ち込んでも、全く手応えが感じられなくなってしまった。


「罠だ、罠の方に集まってるぞ!」

「通りの出口、集中しろ! 戻ってくるぞ!」

「来た! 食らえ!」


 臨時の砦を沈黙させたゴブリン共は、罠とも知らずに通りへと駆け込み、集中砲火を食らって逃げ出して来る。

 それを通りの入り口付近を固める者が狙い撃ちにするが、雨が邪魔をして仕留め切れていないようだ。


 時折、砦の屋根からドンと重たい音が聞こえてくる。

 おそらくゴブリンが立てた音なのだろうが、飛び降りて来たのか、飛び上がっていったのかも分からない。


 雨脚が弱まらない中で、ジリジリと焦燥感だけが募っていく。

 水属性や風属性の術士は、それでも攻撃を続けていたが、手応えが感じられないようで、時間を追うごとに攻撃の頻度は落ちていった。


「バーランドさん、全く手応えが無い」

「こっちも、気配が感じられない」

「よし、全員一旦撃ち方止め! 交代で外の気配を探って、ゴブリンが居ると感じたら撃て。あぁ、隙間から顔を出すなよ!」


 指示を出した後で、バーランドはガシガシと頭を掻きむしった。

 普段は温厚なバーランドだが、相当ストレスが溜まっているように見える。


「来たぞ!」


 外の様子を探っていた冒険者の1人が、大声で叫びながらボウガンを発射すると、ゴブリンの悲鳴が聞こえた。


「撃て、撃て、撃てぇ!」


 また当てずっぽうの攻撃を行うしかなかったが、今度は手応えが有った。

 おそらく、仲間の死体を漁りにきたゴブリンなのだろう。


「撃ち方止め!」


 ゴブリンの悲鳴が聞こえなくなったところで、バーランドが攻撃中止の命令を出した。

 耳を澄ませると、雨音は先程よりも小さくなっているように感じる。


「バーランドさん、今のうちに屋根の魔道具の様子を見て来た方が良いんじゃないですか?」

「いや、駄目だ。修繕は夜が明けてからだ」

「でも、今のままじゃ何も見えないっすよ」


 雨脚は、更に弱まってきているが、砦の屋根から森の方向を照らす光は途絶えたままだ。

 バーランドは、砦の屋根を見上げて、じっと耳を澄ました。


 バーランドの姿を見て、砦に詰めている冒険者達も一斉に耳を澄ませる。

 ザーっという雨の音だけかと思いきや、ピシャピシャと足音が聞こえて来た。


 それも、一つではなく複数の足音がする。


「通りの入口、向かいの砦の屋根の上は見えるか?」

「いえ、あっちも明かりが消えているので、向こう側までは見渡せません」

「そうか……どの道、砦の屋根に上るには、一度外に出なければならない。やはり修繕は明日以降だ」


 いくら相手がゴブリンとは言え、何頭が待ち構えているのか分からない状態で表に出るのは危険だ。


 結局、明かりの魔道具を修復するのは諦めて、雨が小降りになったところで、火属性の魔術士が攻撃魔法を照明代わりに飛ばし、姿が見えたゴブリンを他の者が攻撃する方法に切り替えた。


 今日ほど時間が経つのが遅く、夜が明けるのが待ち遠しいと感じたことはなかった。

 空が白み始め、開け始めた視界の中に映ったゴブリンを追い払い終えると、砦に詰めていた冒険者達は、壁に寄り掛かり深い溜息を洩らした。


「バーランドさん、街に入られましたかね?」

「分からんが……あまり多くない事を祈るしか無いな」


 バーランドも、いつもの落ち着きを取り戻しているが、その表情には色濃く疲れが浮かんでいる。

 かく言う私も、かなり無理して魔法を連発したので、身体の芯が重たくなるような疲労を感じていた。


 負傷した人達は、砦に隣接する建物の中を通って、救護所へと運ばれて行ったが大丈夫だろうか。

 腹に傷を負った人は、出血も酷そうだったし、泥まみれの杭が刺さったのだから、傷口が化膿する恐れが高い。


「みんな、家に戻る前にギルドに顔を出しておいてくれ、街に入り込んだゴブリンの情報があるかもしれん。場合によっては、街中で捜索、討伐をやらなきゃならんかもしれん」


 バーランドの言葉は、予想されていたものではあったが、みんな聞きたくないと思っていた内容だ。

 もし、昼間の捜索に人員が割かれるようになれば、夜の人員を減らすか、あるいは若手を活用する場が増えることになるだろう。


 当然、冒険者の疲労度、損害は日を追うごとに増えていくであろう。

 ようやく長い夜を乗り越えたばかりだが、砦を後にする冒険者達の顔に晴れがましい表情は無かった。

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