第429話 藪からサラマンダー

 夜の森にいるゴブリンを見るのは嫌いです。

 どうしても、あの日の記憶を思い出してしまうから……。


 今の僕にとっては、ゴブリンなんて雑魚も雑魚。

 10頭いようが、20頭いようが、瞬殺する自信があります。


 でも、もし全ての属性魔術を失ってしまったら、ナイフ一本すら身に着けていなかったら、ゴブリン1頭を倒すのにも苦労するでしょう。

 あの夜と同じ7頭のゴブリンに囲まれたら……。


「ご主人様、大丈夫?」


 バッケンハイムの街の南側、夜の森をうろつくゴブリンを偵察しているうちに、ネガティブな感情に囚われてしまったようです。

 僕の不安な気持ちが伝わったのか、マルトが心配そうに声を掛けてきました。


「うん、大丈夫だよ。マルト達が一緒にいてくれるもんね」

「撫でて、撫でて」

「うちは、お腹撫でて」

「はいはい、順番だよ」


 マルト、ミルト、ムルト、ついでではないけど、ススっと近づいてきたサヘルも撫でてあげると、くーくーと上機嫌で喉を鳴らしています。

 影の世界はほのぼのムードだけど、表の森はピリピリとした空気が漂っています。


 コボルト隊に捜索してもらいましたが、空間の歪みは発見出来ませんでした。

 それでも、これほどの数のゴブリンが自然に発生したとは考えにくいので、今は消滅してしまった空間の歪みを通って南の大陸から来たのでしょう。


 急激にゴブリンが増えれば、森の生態系のバランスが崩れます。

 既に、増えすぎたゴブリンの腹を満たすだけの食糧が無くなっているように感じます。


 まだ森から出て行く気配はありませんが、餌を求めて一斉に街に向かえば、ヴォルザードを襲った極大発生ほどではないにしても、相当な数のゴブリンが殺到しそうな気がします。


「ラインハルト、月が明るいから躊躇してるのかな?」

『かもしれませんな。ですが、それも時間の問題のような気がしますぞ』

「じゃあ、今のうちに顔を出しておきますかね」


 影の空間を通って移動したのは、バッケンハイムギルドの奥にある一室です。

 部屋の主は、いつものように露出過多の踊り子のような衣装に身を包み、ゆったりと煙管をくゆらせていました。


「こんばんは」

「ふふん、やはり来おったかぇ……入りや、ケント」

「お邪魔します。ご無沙汰しております、ラウさん」

「なんじゃ、その腹は……弛みすぎじゃ!」

「うひぃ、すみません」


 このところ、体力勝負の特訓はサボったままなので、一時期引き締まっていた身体が緩み始めています。

 服の上からならバレないかと思いましたが、ラウさんの目は誤魔化せませんでした。


「まったく、今が一番鍛えれば伸びる時期だというのに……そなたの騎士は、いささか甘すぎるのではないか?」

「えっ、いや……そんな事は……」

『申し訳ございませんでした、ケント様。確かにワシらは甘すぎました』

『分団長、これからは毎日当番を決めてケント様のお相手をいたしましょう』

「いや、ちょっと……ラウさんが余計な事を言うから……」

「余計な事じゃと? どうやら性根まで緩んできておるようじゃな」

「いえ、今のはちょっと失言でして……」


 うひぃ、カッと見開いた目で睨みつけられると、チビりそうになります。


「くっくっくっ……ケントよ、ラウの諫言を余計な事などと言っておいて、己は余計な手出しをしようなんて考えておるのではないのかぇ?」

「いえ、余計な手出しをするなら、わざわざ顔を出しませんよ。手出し無用なんですよね?」

「当然じゃ、オークやサラマンダーが大挙して押し寄せて来るならケントの助けも必要じゃろうが、ゴブリンが少々増えた程度で頼っておったら冒険者のレベルは落ちる一方だぇ」

「でも、ただゴブリンが増えただけじゃないかもしれませんよ」

「ほぅ、そりゃどういう意味かぇ?」


 マスター・レーゼ達に、地震と空間の歪みの関連性について話し、現状の森の様子も伝えました。


「なるほど……南の大陸育ちの活きの良いゴブリンかも知れんのじゃな?」


 マスター・レーゼがチラリと目配せをしましたが、ラウさんは首を横に振りました。


「ケントの話からすると、この先も空間の歪みが生じる可能性はあるのじゃろう。ならば、なおさら冒険者の底上げをする必要がある。街の住民には、日が暮れた後は外出しないように触れを出してある。例え、街中に入り込まれたとしても、被害に遭うものは少ないじゃろう」


 街に向かって来るのが、オークやオーガであったならば、街に入り込まれた場合、鎧戸を破壊して家の中まで侵入する恐れがあります。

 ですが、ゴブリンの場合は、それほど力は強くないので、鎧戸まで壊される心配はありません。


「じゃあ、罠とかバリケードを突破されても手出しは無しですね?」

「そうじゃ、他人の仕事を気にしている暇があるならば、木剣で打ち込みでもしておれ」

「それとも、我の酒の相手をしてゆくかぇ?」

「いえいえ、大人しく帰ります。あっ、でも身内になる予定の者がいるので、学院には眷属を配置しますよ」

「まぁ、その程度は良いじゃろう」


 ラウさんの許可も貰いましたし、これ以上滞在するとヤブヘビどころか、ヤブサラマンダーとか出て来そうなので、大人しくヴォルザードに帰りましょう。


『ではケント様、いざ訓練場へ参りましょう』

「えっ? い、今から?」

『善行は時を選ばずと申します。ささっ……』

「い、いやぁ……そ、そうだ、ブライヒベルグの牧場を……」

『ゼータ達を配置した……問題無し……』

「そ、そうなんだ……えぇぇぇぇ……」


 なかば強引に魔の森の訓練場へと連行され、久々のフルメニューを行ったんですが……動かない、全然身体が動きません。

 すっかり身体がなまって、ギリクにボコられていた頃に逆戻りという感じです。


『ではケント様、次は立ち合いを……』

『ケント様……防具……』

「はぁ……本気出したら駄目だからね。ちゃんと加減してよ」

『さぁさぁ、参りますぞ』

「わっ、ちょ……ぐへぇ!」


 久々に食らうラインハルトの一撃は、防具越しでも骨身に染みます。


『あぁ、嘆かわしい……いや、申し訳ございません、ケント様。このように鈍られてしまうまで気付かなかった我らをお許し下され。今宵からは、ビシビシとまいりますぞ』

『剣技でも……ジリアン超え……』

「無理、無理、そもそも、僕は運動音痴で……わっ、危なっ、ぐひぃ……」


 駄目だ、ブランクがありすぎて、身体の反応が鈍すぎます。

 こんな状態でSランク冒険者だったジリアンの超絶剣技を超えるなんて無理でしょう。


『我ら3人が、全てを注いで鍛えます』

『大丈夫……不可能じゃない……』

「えぇぇぇぇ……」


 結局、日付が替わる頃まで特訓は続き、帰って汗を流してからベッドに横になると、スイッチを切ったように眠りに落ちました。

 そして、体感的には一瞬で朝が来ます。


「うぎぃぃぃ……か、身体が……自己治癒」


 呻き声を上げながら目覚めて、自己治癒を掛けるのも久しぶりです。

 それでも、治癒魔術を使えば普段と変わらない朝を迎えられるのだから、諦めて特訓しますかね。


 魔術の練習は、やったら出来ちゃいましたって感じであっさり習得出来ましたが、剣の修行は簡単じゃありません。

 ローマは一日にして成らずじゃないけど、剣豪ケントは一日じゃ出来上がりませんね。


 朝食の後、バッケンハイムの様子を見に出掛けました。


「うわっ、結構凄いな……」

『月が沈んだ後……森から大量に出て来た……』


 バッケンハイムの街の周囲には、数多くのゴブリンの死骸が散乱していました。

 街のすぐ近くだけでなく、少し離れた辺りまで肉片や骨が転がっています。


『街に近付いて……明りの範囲に入ると攻撃される……』

「街の近くで死んだゴブリンを仲間が引き摺っていって食ったのか」

『明りの届かない辺りで……奪い合っていた……』


 僕が特訓を終えた後、フレッドはバッケンハイムの様子を見守っていたそうです。

 臨時の砦は、街の外周を上手くカバーするように作られていて、冒険者たちは攻撃魔術やギルドが用意したボウガンを使って攻撃を続けていたようです。


 そして日が昇り、辺りが明るくなると、ゴブリンは森へと戻っていったそうです。


『上手く共食いを誘発してた……街の中までは入っていない……』


 通りに引き込んで殲滅する罠も、思ったほど効果を発揮していないようです。

 通りに入る前に倒していたので、狙い通りの効果を発揮出来なかったようです。


 臨時の砦の内部を覗いてみると、多くの冒険者が力尽きて眠り込んでいました。

 月が沈んでから空が白むまで、途切れることなくゴブリンが姿を現していたらしいので、満足に休憩も取れなかったのでしょう。


「それにしても……こんだけゴブリンの死骸が散らばっていたら、また夜になったら森から出て来るんじゃない?」

『その可能性は高い……今は眠っている……』


 森の中へと様子を見に行くと、ゴブリン達は塊になって眠っていました。

 中心にいるのが群れのボスのようで、下っ端が周囲を固めて守っている感じです。


「なんか、デカくない?」


 群れのボスと思われる個体は、ゴブリンの上位種よりも更に二回りぐらい大きく見えますし、群れを構成している下っ端すら大柄に見えます。


『群れ自体が上位種のよう……ボス個体は危険……』

「うーん……ボスだけでも倒しちゃいたいけど……」


 マスター・レーゼやラウさんから手出し無用と言われてますから、もう少し様子を見ますかね。

 それに、ゴブリンは大型化しているように見えますが、生息密度は昨日よりも下がっているようにも感じます。


 共食いによって強い個体が残り、全体数は減って来ているのでしょう。

 このままゴブリン同士のつぶし合いで、淘汰され続けていけば良いのでしょうが、そんな思い通りの展開にはならないのでしょうね。


「そう言えば、ブライヒベルグも同じような感じなのかな?」

『まだ森から溢れていない……でも時間の問題……』

「対策はされていそう?」

『基本的には……バッケンハイムと同じ……』

「マールブルグの牧場はどうなってる?」

『問題無し……ゼータ達のマーキングが効いてる……』

「なるほど、なるほど……」

『ケント様……何か思いついた……?』

「うん、ちょっとね……」


 ちょっとした思い付きを実行に移す前に、もう一度バッケンハイムへと戻りました。

 バッケンハイムでは、冒険者達がゴブリンの死骸を馬車の荷台に積み込んでいます。


 たぶん森の近くまで運んで、そこにゴブリンを引き付けるつもりなのでしょう。

 どうやら駆り出されているのは若手の冒険者達のようで、鼻と口を布で覆っているけれど、みんな涙目になっています。


 そりゃあ、手足が千切れて、内臓がはみ出しているような死体ばかりですからね。

 取り出した魔石の一部は報酬として貰えるのかもしれませんが、まともに食事が出来なくなっちゃうでしょうね。


 若手の死体回収作業を上のランクの冒険者が見守っています。

 昼間だからゴブリンが襲って来ないという保証はありませんから、武器を携えて森の方向に視線を向けています。


 ただ、どの顔にも疲れが見えます。

 これから夜までの時間に休息は取れるのでしょうが、この状況が何日も続くようだと全体のパフォーマンスは下がっていく一方でしょう。


「ラインハルト、あと何日ぐらい持ちそうかな?」

『さて、それは全体を指揮する人間の技量と、ゴブリンの襲撃強度にもよりますが、この表情ですと3、4日で限界を迎えそうですな』

「だろうね……うん、まずはブライヒベルグで実験してみようかな」


 再度、ブライヒベルグの森へと移動し、ゼータ、エータ、シータ、それに、レビンとトレノを呼び出しました。

 ちなみに、ネロは自宅警備を継続です。


「みんなにやってもらいたいのは、森と畑の境界をみんなのテリトリーにしてほしいんだ。臭いを付けて、ゴブリン達が踏み入って来ないようにしてくれるかな?」

「かしこまりました、主殿」

「任せるみゃぁ」

「あっ、ちょっと待って! ブライヒベルグの冒険者には見つからないようにやってね。みんなの姿を見られると大騒ぎになっちゃうから」

「了解です、主殿」

「わかったみゃん」


 どうせゴブリン同士で共食いをするのなら、冒険者の手を煩わせずに、森の中だけでやってもらおうという狙いです。


『ケント様、こちらで実験を行って、上手くいったらバッケンハイムでもやるおつもりですかな?』

「うん、たぶんなんだけど、ゼータ達がマーキングしても効果は数日、雨でも降ればもっと早く薄れちゃうと思うんだ。恒久的な対策としては使えないけど、冒険者達を休息させるには良いかと思ってね」

『なるほど、ですが封じ込めが解けた後で、急激にゴブリンの強度が上がらないか心配ですな』

「どうなんだろうね。やっぱり手出ししない方が良いのかな?」

『まぁ、それはこちらの状況見て判断いたしましょう。そもそも、封じ込められるかどうかも未知数ですからな』


 まぁ、ラインハルトは未知数って言ってるけど、ギガウルフやサンダーキャットのテリトリーに足を踏み入れるゴブリンはいないと思うけどね。


「問題は、やっぱり空間の歪みだけど、どうやれば解決出来るんだろう……」

『発生源は、南の大陸の火山の辺りなのでしょう。先日の地震の折にも噴煙が上がっていたとケント様がおっしゃってましたな』

「そう、噴煙が上がっていたから、火山活動が原因だとは思うけど……そうなると止める手立てが無いよね」

『さすがのケント様でも打つ手がございませぬか?』

「うーん……地下のマグマ溜まりを送還術でどこかに移動させれば、もしかすると防げるかもしれないけど、ドロドロの溶岩なんて、どこに持って行けば良いのか」

『海ではマズいのですかな?』

「海は……環境破壊になりそうな気がするし……」

『では、ダビーラ砂漠はいかがです? 元々不毛の地ですから、溶岩が堆積しても問題無いのでは?』

「砂漠かぁ……ちょっと考えてみようか」


 地下のマグマの量が減れば、火山活動は落ち着きそうな気がしますが、ちょっと減らした程度では効果が無いでしょう。

 大規模な噴火では、それこそ新しく山が出来るほどの溶岩が噴出するのですから、そんな量を僕一人で運ぶのには無理があるようにも感じます。


「うーん……やっぱり難しいかなぁ……」

『ケント様、どうやら壁に突き当たられたようですな』

「うん、ちょっと良い考えが浮かばないや」

『そうですか、そういう時には身体を動かすに限りますぞ』

「へっ? 身体を動かすって?」

『本日は、他にご予定は入っておりませんでしたな、しからば訓練場へ……』

「いやいや、僕は予定無いけど、ラインハルトはイロスーン大森林の工事が……」

『しからば、スラッカの工事現場で行いましょう。既に地均しは済んでおりますから、手合せするのには問題ございませぬ。ささっ……ささっ!』

「えぇぇぇぇ!」


 オーバーワークは筋肉の回復を損なうから駄目……って、自己治癒魔術を使う僕には関係無いのか。

 えぇぇぇぇ……なぜ今、特訓が必要なのぉ?

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