第428話 増殖するゴブリン
真夜中の地震から1週間が経ち、どうやら今回は空間の歪みは発生しなかったとホッとしていました。
「ご主人様、兄貴が困ってるよ」
「兄貴って……アウグストさん?」
「そう、アウグストの兄貴」
ひょっこり顔を出して知らせてくれたのは、ヴォルザードとブライヒベルグを繋ぐ闇の盾の通路の見張りをしていたキルトです。
ワシワシ撫でてあげながら話を聞くと、ブライヒベルグ周辺でゴブリンが増えているらしく、荷物の集荷に影響が出始めているらしいです。
『ケント様、これはもしや……空間の歪みがあちらに発生していたのかもしれませんぞ』
「うん、あんまり考えたくはないけれど、その可能性が高いよね」
ラインハルトが言うように、空間の歪みがブライヒベルグの近くに生じていたのなら、ゴブリンが異常に増えたとしても不思議ではありません。
程度の問題もあるでしょうが、南の大陸に暮らしているゴブリンだとすれば、普通のゴブリンよりも活きが良い個体でしょう。
「ちょっと見に行った方が良いのかな?」
『難しいところですな。基本的にランズヘルト共和国では、騒動が起こった場合でも、隣国との戦争などを除いて各々の領地が対処に当たるのが基本のようです。要請も無いままに手出しを行うのは越権行為と取られかねませんな』
「でも、放置していて大きな被害が出るのもマズいよね」
『そうですな。それでは、状況を調べて情報として提供し、ブライヒベルグだけで対処は難しいと依頼が来たら手を貸すというのはいかがですかな』
「そうだね。とりあえず、その線でいこうか」
キルトと一緒に影に潜って、ブライヒベルグの集荷場へと移動すると、確かにいつもに較べると荷物の量が減っているように感じます。
いつもなら集荷場に立って陣頭指揮を行っているアウグストさんも、今日は事務所で何やら書類を睨んでいます。
「兄貴、ケントです。入ってもいいですか?」
「おぉ、丁度良いところに来てくれた。さぁ入ってくれ」
事務所にはアウグストさんと同年代ぐらいの男性職員がいましたが、突然姿を現した僕を見て驚いていました。
「紹介しよう、ここで俺の手伝いをしてくれているファルチだ。ファルチ、彼がヴォルザードのSランク、ケント・コクブだ」
「どうも、ケントです」
「貴方が……ファルチです、よろしくお願いします」
ファルチは焦げ茶色の髪の犬獣人で、垂れ耳で少しポッチャリ体型の愛嬌のある人物です。
領主の娘カロリーナさんと一緒に、アウグストさんの秘書的な仕事をこなしているそうです。
「さて、ケントが顔を見せたという事は、ゴブリンに関する話だな?」
「はい、と言っても、さっきキルトから知らされただけで、詳しい内容は全く把握していません」
「そうか、じゃあその説明から始めよう」
ブライヒベルグにゴブリンの影響が出始めたのは、この3、4日ほどの事だそうです。
最初は、バッケンハイムへ通じている街道での目撃が増え、やがて馬車が襲われるようになったそうです。
それに加えて、街の南側にある牧場で家畜が襲われる被害が頻発するようになったそうです。
「現在は、今までの4倍ぐらいに護衛を増やさないと、バッケンハイムに辿り着けないような状態だ」
「それって、護衛の冒険者が脅しを掛けないと、必ず襲ってくるようなレベルじゃないんですか?」
「その通りだ。火属性の魔術士が、絶えず火の魔術で牽制していないと襲ってくるらしい」
「個々のゴブリンの能力も高いのでは?」
「そうなんだ。実際、討伐に出た若手の冒険者が囲まれて犠牲になったりしている。街道の護衛の難度が上がっているのは勿論だが、このままでは街にまで被害が及ぶのではと噂されている」
ブライヒベルグの南側は、バッケンハイムと同様に畑や牧場が広がっています。
その向こう側には森があるものの、これまでは魔物の数は限られていました。
「ケント、これは先日の地震が関係しているのか?」
「そうですね。断言は出来ませんが、南の森の中で空間の歪みが発生していた可能性が高いです」
これまでヴォルザード周辺で発生した空間の歪みについて説明すると、アウグストさんは何度も頷き、ファルチは顔を蒼褪めさせています。
「アウグストさん、それではブライヒベルグにも魔物の大量発生が押し寄せる可能性があるってことですか?」
「そうなるな。どの程度の規模になるのかは分からないが、ゴブリンは繁殖力が強いと聞く。このまま放置し続けると規模が大きくなり続けるだろうな」
「そんな……ブライヒベルグにはヴォルザードのような城壁はありませんよ」
「既にブライヒベルグのギルドも動き出している。我々は、自分達に出来ることをやるだけだ」
既にアウグストさんは、集荷場の倉庫の一部を避難所とする準備を始めているそうで、出入口や窓の補強、保存食や水の備蓄も行っているそうです。
「大きな扉を閉めてしまえば、ヴォルザードとの連絡通路とも行き来が出来る。そうすれば、食糧などが足りなくなった場合でもアンジェに頼めば送ってもらえるからな」
「なるほど、物資の面では心配ない訳ですね」
「そういう事だが、闇の盾は人は通れないから、応援の人員は期待出来ない。建物の強度はゴブリン程度ならば大丈夫だろうが、大型の魔物に対して耐えられるか心配だな」
「もし、こちらに籠城するような事態になった時には、盾の中のコボルト隊に呼び掛けて下さい。すぐに応援を向かわせますから」
「すまないな。本来、ここの安全確保はブライヒベルグの管轄だが、ヴォルザードにとっても物資輸送の拠点だから守らなくてはならない。よろしく頼むぞ、ケント」
「任せて下さい、兄貴。念のため、こちらの戦力は少し増強しておきます」
アウグストさんの話を聞いた後、実際にブライヒベルグの南にある森に行ってみました。
「これは……もう上位種まで生まれちゃってるのか……」
『これはこれは、かなりの密度ですな』
影の中から眺めていますが、ブライヒベルグの森に居るゴブリンの数は、今の魔の森よりも遥かに多く感じます。
今いる場所は、森の端から200メートルぐらいしか入っていませんが、30頭近いゴブリンを上位種であるハイゴブリンが率いているようです。
群れは、現在食事の真っ最中で、餌となっているのはオークのようです。
普段ゴブリンは、体格差がありすぎるのでオークを襲うことは殆どありません。
ですが、この群れはハイゴブリンに統率されて、集団でオークを狩ったのでしょう。
「これ、オークの魔石まで食べると、更に強化されちゃうんだよね?」
『まぁ、我々のように急激な強化にはなりませんが、強化されるのは間違いないでしょうな』
「とりあえず、魔石だけでも回収しちゃおうか」
ゴブリン達が群がっているオークの死体から、魔石を取り出しておきました。
これで一時的にはゴブリンが強化されるのを防げますが、あくまでも一時的です。
森の外は牧場の放牧地ですし、被害が広がってダナさんの店のブライヒ豚のステーキが食べられなくなったら大変です。
「そうだ……とりあえず牧場だけでも守りを固めるか」
『どうなさるおつもりですか、ケント様』
「うん、ちょっとマーキングを……ゼータ、お願い出来るかな?」
「お任せ下さい、主殿」
ゼータ達にテリトリーを主張するマーキングをしてもらいます。
これも一時凌ぎではありますが、ギルドが対処するまでは持ってくれるでしょう。
「それにしても、どの辺りまでゴブリンが増殖しているんだろう?」
『このままですと、隣のリーベンシュタインまで到達しそうな気配ですな』
ブライヒベルグの東隣りは、北側がフェアリンゲン、南側がリーベンシュタイン、2つの領地の更に東がエーデリッヒになります。
『リーベンシュタインは穀倉地帯ですから、もし作物に影響が出るようだと国全体の問題になりますぞ』
「さすがに、それはマズいし、あまり広範囲になると、僕らでも対応しきれなくなっちゃうね」
幸い、ブライヒベルグとリーベンシュタインの領地境を流れる川を越えてまで、ゴブリンが増えている様子は見られません。
領地を分けるエルロワーヌ川は、川幅40メートルを超える大きな川なので、余程のことが無ければゴブリンが川を超えることは無さそうです。
『念のため、コボルト隊に巡回させておきましょう』
「そうだね、もし川を越えようとしたら、その時はザーエ達に片付けてもらうよ」
水の中での戦いならば、ザーエ達リザードマンには敵うはずがありません。
まぁ、陸上でもゴブリン程度では相手になりませんが、大量発生のような圧倒的な数で来られたら、押し切られる可能性もあります。
「大丈夫だとは思うけど、橋の周囲は特に注意させておいて」
『了解ですぞ』
「東側の状況は分かったけど、西側はどうなってるのかな?」
『ケント様……バッケンハイムが苦戦してる……』
「東側よりも西側か……」
フレッドの案内で移動すると、バッケンハイムでは森の端を巡って、人とゴブリンの攻防が繰り広げられていました。
森の端から100メートルほど離れた場所に、土属性の魔術で作ったと思われる仮設の砦が幾つも作られています。
砦の中に10人ほどの冒険者が居て、森から出て来ようとするゴブリンを攻撃魔術や弓矢などで狙い撃ちしています。
森にいるゴブリンを仕留めると、そのゴブリンの死骸を別のゴブリンが食いに来る。
共食い目当てのゴブリンをまた仕留めて、またまた別のゴブリンを呼び寄せる……という繰り返しのようです。
仮設の砦の間隔は100メートルほどで、仮にどこかの砦が囲まれそうになった場合には、両隣の砦が援護する仕組みのようです。
「今のところは上手くいってるんじゃないの?」
『でも、もうギリギリ……』
森の外から見ただけでは分かりませんでしたが、森の中に入るとブライヒベルグの数倍のゴブリンが群れている感じです。
森の入口で死んだものを引き摺ってきて共食いしたり、死体を取り損ねて傷付いて弱ったものを襲って食ったり、ヒュドラを討伐した跡地のような感じです。
「これ、夜になったら溢れるんじゃない?」
『可能性は高い……街も一応準備は進めている』
バッケンハイムの街は、例えるならば台風の接近が予想されている街みたいな感じになっていました。
多くの家は窓の鎧戸を閉め、鎧戸の無い家は窓に板を打ち付けて塞いでいます。
商店は営業しているようですが、いつでも店を閉められるように表戸の半分とか3分の1だけしか開けていません。
そして、街の一番外周には、仮設の砦が築かれていました。
どうやら、街の一番端にある家を借り上げ、そこに隣接するように砦を設営したようです。
砦には、ゴブリンでは入り込めない幅の隙間がいくつも設けられ、ここから外にいるゴブリンを狙い撃ちにするようです。
「でも、これだと街に入られちゃうんじゃない?」
仮設の砦は作られていますが、街中へと入る通りは開け放たれたままです。
『ケント様……そこはたぶん罠……』
「えっ……?」
最初意味が分からなかったのですが、影に潜ったまま通りを街の中心へと進むと、50メートルほど進んだ十字路にバリケードが組まれてありました。
更に良く見ると、通りの両側の建物の窓には、砦と同様の隙間がいくつも見えます。
しかも、1階だけでなく、2階の窓からも狙えるようになっていました。
「なるほど……この通りに引き込んで、周囲から一気に攻撃して殲滅するつもりなのか」
建物の中も覗いてみると、冒険者らしい人がボウガンの準備をしていました。
更に、狙い撃ちの隙間は、通りを挟んで真正面の位置に来ないように配置してあり、流れ矢となっても味方に当たらないように配慮されています。
「なるほど……苦戦してるけど、まだギリギリ対応してる感じだね」
『こうした罠は面白い……でも、突破されると一気に状況が悪くなる……』
街の周囲は、こうした罠を数か所に作り、それ以外の道は封鎖しているようですが、そこを突破されると打つ手が無いようです。
『たぶん朝まで待って……それから数人単位で探して狩るのかと……』
「学院はどうなってるのかな?」
『たぶん、籠城の準備をしてる……』
以前、オークの群れが迫った時に、学院の建物は頑丈に作られていると聞いた覚えがあります。
僕としては、どうでも良い存在なんですが、義理の兄になる予定のバルディーニが在籍していますので、一応チェックはしておきましょう。
学院へと移動すると、既に1階2階の窓は全て鎧戸が閉ざされていました。
内部には魔道具の明かりが灯されていて、一応授業は続けられているようです。
教室がある建物と学生寮の間は渡り廊下で繋がっているのですが、外側にもう1枚土壁が立てられて強化されていました。
唯一の外部との出入口である玄関にもバリケードが組まれ、いつでも閉ざして立て籠もる準備は万端のようです。
「これだけ備えていれば大丈夫そう……でも3階の窓は鎧戸を閉めてないんだね」
『魔物返しがあるから……』
「魔物返し? あぁ、なるほど……」
学院の建物は、1階と2階の境、2階と3階の境の外壁から鋭い棘
が突き出ていました。
掴むには短く、無視できるほど短くは無い、絶妙な長さです。
たぶん、3階の窓から外部の状況を確認するようにしていて、危険が迫れば鎧戸を締めるのでしょう。
「よし、これだけ準備がされているなら、僕の出番は無さそうだね」
『街に入り込まれなければ……』
バッケンハイムも、守りの体制が崩壊するまでは、手出しせずに見守ります。
なんだか上から目線で偉そうに言ってる感じですけど、僕が全部片づけて冒険者のレベルが低化してしまうのは困ります。
オーガ騒ぎの時もマスター・レーゼからは手出し無用と言われたぐらいですからね。
あの時よりも規模は大きそうですが、今度はゴブリンですから猶更手出しできませんよね。
『ケント様、コボルト達にバッケンハイムからブライヒベルグに渡る森を見て回らせましたが、空間の歪みは見当たりませんでした。ただ、バッケンハイムの南南東の辺りが、一番ゴブリンの密度が高いようなので、恐らくその辺りに空間の歪みが存在していたのでしょうな』
「結構大きな地震だったから、大規模な歪みが発生するのかと思っていたけど、規模よりも大陸からの距離が伸びたみたいだね」
『そうですな。これまでは森や峠、ダンジョンの中に発生していましたが、街中などに発生する可能性も考えないと駄目かもしれませんな』
「その上、カバーするエリアまで増えるとなると……やはり手が足りなくなりそうだなぁ」
いっそ南の大陸に行って、グリフォンでも討伐して眷属に加えようかとも考えましたが、とりあえずは今の戦力でやってみて、どうしても駄目ならば考えましょう。
まずは、今夜、バッケンハイムのお手並み拝見といきましょう。
では、一旦ヴォルザードに戻って、夜に備えてネロと一緒に昼寝でもしますかね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます