第427話 学術都市の南で……
話を聞かない冒険者ことローシェは、所属をバッケンハイムに移して活動を始めていた。
憧れていたSランク冒険者ジリアンが、犯罪者として処刑されたことにショックを受けて自暴自棄な行動をしたが、やるだけやったら吹っ切れたようだ。
フェアリンゲンからバッケンハイムに移籍したのは、その方が安く部屋を借りられると知ったからだ。
特にバッケンハイムでは、近頃周辺の森で魔物の数が増えていて、冒険者の手が足りなくなっている。
バッケンハイムに隣接する領地は、マールブルグとブライヒベルグだが、前者はイロスーン大森林の通行が出来なくなっているために冒険者も来られない。
ブライヒベルグは、ヴォルザードとマールブルグに荷物を送る拠点になっているそうで、こちらも護衛の依頼が増えていて冒険者の需要が増えている。
どこも冒険者の手が欲しい状況で、実績のある冒険者となれば、ギルドとすれば引き留めておきたい。
そこで、他の領地から移籍してくる冒険者に、一定期間の部屋代助成を行っているのだ。
ローシェが借りた部屋は、古書店の二階の空き部屋だった。
古書店は年配の女性が一人で切り盛りしていて、部屋を貸す相手は女性限定になっていたので、家賃は更に安かった。
貸す側としても、空き部屋のままにしておいても埃が積もるだけだし、女性といえど冒険者が同居していれば心強いのだろう。
周囲の相場からすれば、ただ同然の値段だ。
ローシェが借りた二階の部屋と古書店とは、基本的に繋がっていないのだが、部屋に入ると羊皮紙とインクの匂いがする。
部屋に戻ってくる度に、ローシェはなぜだかトイレに行きたくなるのだが、住み慣れればそうしたことも無くなるのだろうと思っているようだ。
古書店は、旧市街の商店が立ち並ぶ一角にあった。
この辺りには、教師、学生、研究者、冒険者など色々な職種の人間が暮らしている。
学業に必要なペンや紙などを扱う店の隣に武器屋があったり、女性用の下着専門の店があったりする。
安い定食屋や酒場などもあり、殆ど自炊しないローシェにとっては有難い住環境だ。
大きな研究施設や、学校などの敷地の間に、ゴチャゴチャと寄せ集まるようにして出来た旧市街は、入り組んだ路地の街でもある。
この土地に生まれ育った者ならば、迷わずに目的地に辿り着けるのだろうが、ローシェのように別の街から来たばかりの者では、迷わない方が少ない。
しかも、わざわざ表通りに出ても、そこは普通の街ならば路地と呼ばれる狭さで、自分の部屋に真っ直ぐ辿り着けるようになるまで数日を要した。
大人でも迷う入り組んだ街並みだが、ローシェは結構気に入っている。
わざと住民専用みたいな路地に入れば、ダンジョンとはこんな感じではと思うような複雑さだ。
人一人がようやく通れる建物と建物の間を抜けると、不意に小さな広場があったり、逆に人が余裕を持ってすれ違える路地が行き止まりだったりする。
ギルドで買い取りを終えて帰る道すがら、ローシェは毎日帰路を変えて1ブルグの儲けにもならないマッピングを楽しんでいた。
バッケンハイムの街中は平和そのものだが、周辺の森は魔物の密度が濃くなっている。
ギルドの酒場などで冒険者達の話に耳を傾けると、イロスーン大森林で増えた魔物が流れてきているという推測が一般的だった。
魔物が増えすぎてイロスーン大森林の通行が出来なくなり、街道の大規模な整備が始められたのだが、討伐依頼が増えて工事現場の人員が足りなくなっているという話も聞いた。
Sランク冒険者、魔物使いのケントが工事を担当しているのは、そうした状況によるものだと、ようやく理解出来た。
とは言え、ローシェは土属性ではないので工事を行う側にはなれないし、決まった現場の護衛作業も性に合わないので、討伐で生計を立てている。
ローシェは、基本的に討伐に向かう時もソロで行動している。
火属性で比較的魔力量にも恵まれているので、魔物に囲まれそうになっても魔法で牽制して切り抜けてきた。
魔物にとって炎は目に見える脅威で、群れで行動しているゴブリンなども、極度の興奮状態でなければ、仲間が火達磨になると動きが止まる。
その隙に囲まれない優位な場所に動き、更に火球で牽制を続ければ切り抜けられるのだ。
魔物が増えているので、バッケンハイム周辺の森での討伐は随時依頼の形になっていた。
依頼としては張り出さないが、討伐してきた素材の買い取り価格が割り増しになっている。
ローシェも、何度か周辺の森で討伐を行ったが、魔物の多さは感じるものの、魔物の強さに関しては今まで通りで、特別に強化されているようには見えなかった。
ただし、今の状況が長く続けば、上位種が現われて群れを統率するようになり、討伐の難易度が上がっていく可能性はある。
そうした状況を招かないためにも、随時依頼として買い取り金額を割増しにしているのだ。
冒険者にとっては稼ぎ時であり、儲かったという話を聞けば、自分も恩恵にあやかりたいと思うのが人情だ。
その結果、森に入って討伐に挑む経験の浅い冒険者が増えていた。
ヴォルザードの場合、一定のランクを満たさないと南西の門を出ることも許されないが、バッケンハイムではそうした決まりは作られていない。
元々、バッケンハイム周辺の森は、それほど危険度が高くなかったからだが、魔物が増えて状況が変わりつつあった。
そして、大きな地震があった夜を境に、更に状況が変わり始めた。
その日、ローシェはバッケンハイムの南側の森を目指していた。
街を出て、畑が広がる辺りを歩きながら、その日の天候と風向きを確認し、どちらの方向に進みながら討伐を行うか決めるのが、いつものパターンだ。
西の空に雲はなく、緩い東風が吹いていたので、ローシェは森に踏み入ってから東向きに進もうと思っていた。
ところが、森に入って5分も進まないうちに、ゴブリンの群れに囲まれている冒険者に遭遇した。
2人組の冒険者は、いずれもローシェよりもガッシリとした体格をしているが、経験が乏しいのか、7頭のゴブリンに囲まれて冷や汗を流している。
青ざめた顔には、まだ幼さを感じるほどだ。
剣は手にしているが、ろくに防具も身に着けていないし、何より腰が引けてしまっている。
ゴブリンは、人の表情を見て行動を変える。
群れで囲んでも怯えを見せない相手だと、味方に損害が出れば早々に逃げ出すが、怯えを見せる相手には嵩にかかって攻め込んで来る。
二人組の冒険者は、ゴブリンからは良いカモに見えているだろう。
ローシェは、右手に火球を準備してから声を掛けた。
いくらピンチに見えても、街道以外の場所では勝手に助太刀をしないのが冒険者のマナーだからだ。
「手を貸すか?」
「た、頼む!」
「助けてぇ!」
ローシェは、自分に背中を向けていたゴブリンに火球をぶつけて火達磨にすると、驚いて身体を硬直させたゴブリンに走り寄り、首筋を刎ねた。
「囲みの外に出ろ! 足を狙って動きを止めろ!」
「は、はい!」
ローシェは若い冒険者に指示を出しながらも、剣を振るってゴブリンを仕留めていく。
動き回りながら詠唱を続け、火球で牽制しながらゴブリンを圧倒した。
体勢を立て直した若い冒険者も、それぞれ1頭ずつゴブリンを倒していたが、その間にローシェは4頭のゴブリンを仕留めていた。
「1頭逃がしたか……まぁいいか」
ローシェは近くの木の幹に水の魔道具をセットすると、剣についた血脂を洗い流し、丁寧に拭いを掛けてから鞘に納めた。
「あ、あのぉ……ありがとうございました」
「何をボサっとしている、さっさと解体を始めろ。こんな森の浅い場所に群れが出るんだ、ゴブリンが増えているはずだ。もたもたしていると、また囲まれるぞ」
「は、はい、分かりました」
ゴブリンは、素材としてつかえる部位は魔石ぐらいしかない。
腕まくりをしたローシェは、解体用のナイフを使ってゴブリンの胸を切り開き、手を突っ込んで魔石を取り出す。
単独で行動することが多いだけあって手際が良く、4頭のゴブリンから魔石を取り出し終えるまで10分程しか掛からなかった。
魔石を魔道具の水で洗い、ゴブリンから切り落とした右耳と一緒に袋に詰める。
魔石と耳をセットで買い取りに出せば、討伐が認められ金額が割増しになる。
魔石だけだと、転売の可能性が排除できないので、耳を添えて証明とするのだ。
ローシェが全ての作業を終えた頃、若い冒険者もようやく自分達が倒したゴブリンから魔石を取り出し終えたが、両手は血だらけで酷い有様だ。
「お前ら、水の魔道具は持っていないのか?」
「こいつが水属性なんですが、もう魔力切れみたいで……」
「仕方が無いな、こっちに来て手を洗え……あぁ、剣を放り出しておく奴があるか! お前らの命を守る道具だぞ!」
「す、すみません!」
「そんな血だらけの手で触るな! まず手を洗え、それから剣の始末をしろ!」
「は、はいぃぃぃ!」
若い冒険者達を怒鳴りつけながら、ローシェは周囲の警戒を続けていた。
上手く言葉では説明できないのだが、これまでと森の空気が違っているように感じている。
ローシェの警戒をよそに、若い冒険者は終わったばかりのゴブリンとの遭遇戦について、ペラペラと喋りながら手を洗っている。
「早くしろ! これだけ血の臭いが流れているんだぞ。他の魔物がいつ現われるか分からないんだぞ。お前ら、また囲まれたいのか!」
「す、すみません!」
若い冒険者が剣を洗い、拭いを掛けて鞘に納めたところで、ローシェが森に向かって火球を放った。
火球が木の幹に当たって弾けると、近くの灌木がガサガサと音を立てる。
手早く水の魔道具を片付けると、何事かと森を見ている若い冒険者達に声を掛けた。
「付いて来い、このまま森を出るぞ。慌てるな、だが、いつでも剣を抜けるようにしておけ」
「は、はい……」
ローシェは、続けざまに三発の火球を放つ。
どれも木の幹にぶつかって、大きく弾けた。
威力よりも見た目重視で、灌木に潜んでいる魔物に対する牽制だ。
火球を放った方向を見ながら、ゆっくりとゴブリンの死骸から離れていく。
若い二人の冒険者も、ローシェの真似をして後退を始めた。
ローシェは、そのままの体勢で50メートルほど進むと、若い冒険者に合図をして小走りで森の外まで出た。
森から出ても足を止めず、畑の中を100メートルほど進んだ所で、ようやく足を止めた。
足を止めた後も、じっと森の様子をうかがい、5分程経ってようやく緊張を解いた。
「あのぉ……危ないところを助けてもらって、ありがとうございます。俺、Fランクのホランと言います」
「ケーギルです。Fランクです。あ、ありがとうございました」
茶色い髪を短く刈り込み、ガッシリとした体型のホランが土属性で、水色のボサボサ頭で太り気味のケーギルが水属性。
二人とも、学校を出たばかりだそうだ。
「Cランクのローシェだ。お前ら、今日みたいなことを続けていたら、命がいくつあっても足りないぞ」
「すみません。同期の連中が自慢話をするもんで、つい……」
ギルドの講習には参加しているが討伐に出た経験は無く、同期の自慢話に触発されて、見習い仕事で稼いだ金で剣を買って森に入ったそうだ。
「満足な防具もなし、討伐の経験も無し、上のランクの冒険者の付き添いも無し、あのままだったらゴブリンに食われているところだぞ」
「すみません。でも……」
「でもじゃない! 普通の商売ならば、失敗したらやり直せば良いが、冒険者は一度の失敗が命取りになるんだぞ。とにかく、このままギルドに戻って、何があったか包み隠さず話せ。こんな浅い場所に魔物が群れるのは異常事態だ。私は、もう少し様子を確認してくるから、先に戻って報告を済ませろ。いいな!」
「は、はい!」
ホラン達にも言い分はあったが、ローシェに指を突き付けられて確認されれば頷くしかなかった。
ローシェは、2人を見送った後、先程ゴブリンを討伐した場所よりも少し東に移動して森の中へと歩を進めた。
森に入ってからどころか、森に入る前から魔物の気配がしている。
ローシェは、いつもよりも慎重に足を進めた。
森の奥からは、魔物が争うような叫び声が聞こえて来る。
「これでは、噂に聞く魔物の大量発生のようではないか……」
北側の退路を気にしながら進んでいくと、5分に一度はゴブリンの姿を見掛ける。
単独でうろついているものもいるが、多くが群れで動いていて、中には同族の共食いを始めている者もいた。
魔物が森から溢れる前に、備えをしておかないと大きな被害が出るだろう。
ローシェは1時間程で森の偵察を切り上げて、バッケンハイムのギルドに向かった。
混乱しているかと思いきや、ローシェが到着した時、バッケンハイムのギルドはいつもと同じように見えた。
依頼を発注しに来る人がチラホラと見受けられる程度で閑散としているのは、冒険者は討伐や依頼の仕事に取り掛かっている時間だからだ。
ローシェは、手の空いていそうな職員を見つけて話し掛けた。
「すまない、少し良いかな?」
「いらっしゃいませ。何か御用ですか?」
「街の南側の森でゴブリンが異常に増えている。このままだと森を出て街にも被害が出るかもしれない」
「えぇぇ……詳しく聞かせていただけますか?」
ローシェが朝森に入ってから、若い冒険者を助け、その後に見て歩いた様子を伝えると女性職員は深刻そうな表情を見せた。
「失礼ですが、ギルドカードを拝見しても宜しいでしょうか?」
「あぁ、構わないよ。Cランクのローシェだ」
「少々お待ちいただけますか?」
女性職員は上司であろう女性に、ローシェから聞き取った内容を報告した。
アイスブルーのショートカットの上司は、席を立つとローシェに歩み寄ってきた。
「バッケンハイムギルドのカウンター業務を統括しているリタと申します。ローシェさん、申し訳ございませんが、先程の話を詳しくお聞かせねがいますか?」
「構わないが、なるべく早めに警告を出した方が良いと思う」
「はい、すでに街の住民に注意を促す告知を行うように動いておりますが、状況次第ではより強い警告が必要となります」
「分かった、お役に立てるならば、何度でも話をしよう」
「恐縮です」
ローシェは、別室に場所を移して、リタの他に2人の男性職員にも森の状況を語った。
バッケンハイムの街と森の位置を記した地図を使って、どの辺りに、どの程度の数のゴブリンが見受けられたかローシェが報告すると、ギルドの3人は厳しい表情を浮かべると同時に疑問の声を上げた。
「なんで南の森なんでしょう。増えるなら西の森だと思ってましたが……」
「まだ西の森からは冒険者が戻っていないのかも、すぐ状況を確認してきて」
「分かりました」
リタに指示されて、男性職員が飛び出していく。
ローシェは、リタから礼を言われてから解放された。
ローシェのギルドの口座には、ゴブリンの異常発生が確認され次第、情報料が振り込まれるらしい。
「そう言えば、若い二人組にギルドに知らせるように言っておいたのだが……」
「いえ、南の森のゴブリンに関する情報は、ローシェさんが最初です」
「そうか、どこかで油でも売っていやがるのかな?」
「かもしれませんね」
ローシェはリタから、もしゴブリンの大軍が街に向かって来たら、住民を誘導して高等学院に向かうように頼まれた。
学院の建物は生徒を守るために頑丈に作られているので、住民の避難先として使われる。
ローシェは頼みを了承しつつも、肝心の学院まで迷わずに到着できるか不安を感じていた。
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