第423話 会談の下準備

 誰かを訪ねる時は予め予定を確認していくべきなのでしょうが、影を使った移動が出来るようになったせいでアポ無し訪問がクセになっています。

 そのせいで、着替え中の唯香の部屋に入り込んでお説教を食らったりしていますが、素晴らしい眺めを堪能……ゲフンゲフン、何でもないです。


 その日も、賠償金の受け渡しについて、ちょっと相談しようかと、練馬駐屯地の梶川さんを訪ねたのですが、何やら緊迫した様子で電話中でした。

 失礼とは思いつつ、影の中から盗み聞きさせてもらいました。


「ですから、それは警察の仕事ではないんですか? 切迫した状況なのかもしれませんが、国分君に依頼したところで解決できるとは限りませんよ。彼の功績は、それこそ奇跡を起こすようなものばかりですが、まだ高校生にもならない未成年です。国分君に頼るのは、止めませんか?」


 電話の向こうの話は分かりませんが、何かトラブルが起こっているようです。

 警察沙汰のようですが、唯香の家族か僕の父親絡みなんでしょうか。


 通話を切った梶川さんは、暫しスマホの画面を眺めた後で、一つ溜息を洩らしました。


「梶川さん、何かありました?」

「国分君、立ち聞きは良くないよ」

「すみません、影から出ようと思ったら、僕の名前が聞こえたので……」


 梶川さんは渋い表情で僕を窘めた後。事情を話してくれました。


「まだマスコミは嗅ぎつけていないみたいだけど、それも時間の問題だろうな……実は、ヴォルザードから帰還した生徒が一人行方不明になっている」

「えっ! それってまさか、どこかの国に拉致されたんですか?」

「その可能性もゼロではないけど、いわゆる普通の失踪事件の可能性もあるから、今の時点では判断できないね」


 梶川さんの話によると、行方が分からなくなっているのは国沢美冬くにさわみふゆさんだそうです。

 たぶん、同じクラスになったことが無いので、名前を聞いても顔が思い浮かびません。


「いつから行方が分からないんですか?」

「4日前の朝、家を出てから連絡が途絶えているそうだ」


 家族が国沢さんのスマホに電話を掛けても繋がらず、アプリでメッセージを送っても既読にならないそうです。

 スマホの位置情報を辿ると、下赤塚駅から東上線に乗り、森林公園駅で降りたところまでは分かっているそうです。


 その後、駅前でスマホの電源は落とされ、以後の足取りは途絶えているそうです。


「おそらく、タクシーか誰かの車で移動しているのだろうが、まだ特定には至っていないらしいよ」

「レンタサイクル……は使わないか」

「えっ? レンタサイクルなんてあるの?」

「はい、森林公園まで3キロちょっとなんで、駅前で自転車を借りてサイクリングする人も多いですよ」

「そうなんだ。まぁ、そのあたりは警察でも把握しているだろうね」

「その国沢さんが、失踪する理由みたいなものはあるんですか?」

「い、いや……どうだろうね」


 一瞬、梶川さんが言い淀んだような気がします。

 何か、僕に知られてはマズい事でもあるんでしょうかね。


「コーヒーでも淹れようか……」


 何かを誤魔化すように席を立った梶川さんは、コーヒーメーカーに水を注ぎ、フィルターに豆をセットしました。


「まぁ、いずれ国分君の耳には入ってしまうだろうし、今話しても問題無いだろう。国沢さんは、関口詩織さんと仲が良かったそうなんだ」


 関口さんは、本来ならば木沢さんの次に日本に帰還する予定でした。

 木沢さんは、かなり強引に帰還を勝ち取ったので、実質的に最初の帰還者として選ばれたのが関口さんでした。


 それだけ関口さんは、ヴォルザードでの生活に馴染めず、精神的に追い詰められた状態だったようです。

 当時は送還術が使えず、まだ帰還方法を手探りしている頃で、指先の小さな傷口から属性魔術を奪えないか試してみたのですが、大失敗でした。


 指先が吹き飛んだかと思うほどの激痛が走り、ナイフで血が滲む程度に切った傷口は、パックリと骨が見えるほど開いていました。

 傷口からの属性魔術の奪取に失敗した直後、関口さんはヒステリー状態に陥り、ヴォルザードの城壁から身を投げて自ら命を絶ってしまいました。


 あの後、関口さんと仲の良かったグループから、罵声を浴びせられたりしたのですが、国沢さんはその中の1人だったのでしょう。


「国沢さんは、関口さんと互いの家を行き来する間柄だったそうで、日本に戻って来た直後にお線香を上げにいったそうなんだが……」

「まさか、関口さんの親になじられたんですか?」


 梶川さんは、渋い表情で頷いてみせた。

 関口さんの両親には、ヒステリーの末の発作的な飛び降り自殺だと伝えられていたそうで、何で支えてくれなかった、何で止めてくれなかったと国沢さんを責めてしまったようです。


「それ以後、今度は国沢さんが塞ぎこむようになってしまって、いわゆる引き籠り状態だったそうだ」

「学校で何か言われたりしたんですかね?」

「さぁ、そこまでは分からないけど、最近は不登校が続いていたらしい」


 ヴォルザードからの帰還者は、身の安全を考慮してGPS発信機を持たせたり、公安の担当官が見守りを行っているそうです。


「国沢さんにも公安の担当者が付いていたのだが、引き籠るようになってからは監視が緩んでいたようだ」


 送還術による帰還者は、魔力さえ残っていれば魔法を使えます。

 日本の大気中には魔素が存在しておらず、属性魔法が残っていても魔力切れを起こせば魔法は使えません。


 ですが、魔石が崩壊を止めるほど魔素で満たした部屋の中ならば魔術が使えます。

 魔術という物理科学の法則を捻じ曲げてしまうほどの未知の現象、どこの国でも喉から手が出るほど欲しがっているはずです。


 だからこそ、身辺警護が行われていたのですが、引き籠る日が続き、今日も外出しないだろうという思い込みが働き始めていたようです。

 失踪当日、国沢さんはGPS発信機を持たずに外出、公安担当者による見張りも行われていなかったそうです。


 コーヒーメーカーがポコポコと音を立て、香ばしい匂いが漂い始めました。

 前回とは豆が違うのでしょう、香りが違う気がします。


「国分君、行方不明の女の子を探す魔術とかあるのかな?」

「さぁ? 僕は使えませんよ」

「遺留品から残留思念を辿って……」

「僕は死霊術は使えますけど……」

「いや、止めよう。今はそんな可能性を考えている場合じゃなく、生存を前提で行動すべきだ」

「そうですね。でも、4日前となると心配ですね」


 ヴォルザードからの帰還者として狙われた可能性もあり、関口さんの自殺に絡んで思いつめていたようだし、色々と不吉な予想が頭に浮かんでしまいます。


「国分君、日本で1年間に出される捜索願いって、何件ぐらいだと思う?」

「捜索願いですか……5千、いや1万件ぐらいですか?」

「8万件以上だよ」

「えぇぇ……そんなに多いんですか」


 予想したよりも、行方不明になる人は多いようだ。


「10代に限っても、年間1万7千人ぐらいは届け出があるんだよ」

「その人達って、見つかるものなんですか?」

「届けが受理されてから1週間で、8割ぐらいは所在が確認されるそうだよ」

「残りの2割は見つからないんですか?」

「1割弱は届けが取り下げられたりするそうで、もう5パーセントぐらいは所在が確認されるが……5パーセント弱は遺体で発見されているそうだ」


 発見の割合は全年齢に対してだそうですが、年代ごとに大きな差異が無いとしたら、毎年10代の若者が850人ぐらいが失踪後に遺体で発見されていることになります。

 85パーセントぐらいは所在が確認されるそうですが、850人は小さい数字ではありません。


 でも、よく考えてみれば、リーゼンブルグに召喚された僕らは行方不明者だった訳だ。


「せっかく無事に戻って来たのに……」

「他の誰よりも帰還に尽力した国分君にすれば、そう思ってしまうよね」

「えぇ、送還術を使えるようになるまで、本当に大変でしたから、命を粗末にするような行動だけはしてほしくないです」

「その通りだね」


 現状、僕には国沢さんを探す術がありません。

 メリーヌさんの弟、ニコラが失踪した時は、行き先がダンジョンらしいという情報があったので、遺品を見つけることができました。


 ですが国沢さんの場合、行き先の見当も付きませんし、コボルト隊に匂いを辿ってもらうのも無理でしょう。


「色んな事が出来るようになったけど、まるで役に立たない事もありますね」

「当然だよ、国分君。個人に出来る事には限界がある。だから警察などの組織が作られて運用されているんだよ」

「ですよねぇ……」

「それに、国分君でなければ出来ないことも沢山あるんだ。全部自分で解決しようなんて思わず、他の人にも任せないと駄目だよ」


 確かに、これまでも一人で抱え込んで失敗してきましたから、国沢さんの件は警察や公安にお任せしましょう。


「さて、国分君にやってもらいたい事なんだけど……」

「賠償の件ですね?」

「そう、賠償金なんだけど、リーゼンブルグの人に来てもらうことは可能かな?」

「物理的な移動は送還術を使えば出来ますけど……そういう話じゃないですよね」

「一応、日本は謝罪を受ける側だから、こちらから足を運ぶのはおかしいのでは? という話が出ていてね。それと、日本の高官が異世界に渡るのを良しとしない国もあるんだよ」

「つまり、詫びの品は持って来い……って事ですね?」

「まぁ、分かりやすく言っちゃうと、そういう事なんだけどね」


 国としての面子……みたいなものもあるのでしょうし、周辺国との絡みもあるのでしょう。

 問題は、誰を連れて来るか……ですね。


「連れて来るのは、ディートヘルムで良いんでしょうか?」

「うん、カミラ王女では世間の批判が高まる可能性があるから、むしろ召喚に関わっていないディートヘルム王子の方が良いというのが政府の意見なんだ」


 確かに、カミラ本人が顔を見せるよりも、ディートヘルムの方が風当たりは強くないでしょう。

 ディートヘルムも、かなりの美少年ですから、殊勝な態度で謝罪を行えば、世間の反応は良くなる可能性もあります。


「ディートヘルムと事件の遺族との対面とかは……?」

「今の所は考えていない。正直、こうした事件としては異例と言って良いぐらいの早期の賠償だから、まだ遺族の感情をこちらとしても読み切れないんだよ」

「そうですね。ディートヘルムは、身体が弱かった……というか毒を盛られていたんで、表舞台に立った経験があまり無いはずです。僕が言うのも変ですが、対応に困るような状況は避けてもらった方が良いと思います」

「勿論、こちらとしても、和解のための場を設けるのであって、新たな火種を作るような状況は極力避けるつもりだよ」

「あの……ディートヘルム自身もそうなんですが、リーゼンブルグという国自体が周りの国との往来が殆ど無いんですよ。勿論、商人とかは行き来してますけど、王族が他の国に行く機会は無いと思います」


 リーゼンブルグの東側は魔の森を挟んでランズヘルト共和国ですが、クラウスさんがカミラに会ったことが無いくらい王族、貴族の往来はありません。

 西側はダビーラ砂漠を挟んでバルシャニアですが、こちらは長年に渡って敵対関係にあるので、セラフィマ一行が通過しただけでも大騒ぎでした。


「当然、日本の現代文明に触れたことも無いよね?」

「そうですね。タブレットで映像とかは見せましたが、魔術や魔道具が主流ですし文明の発展度合いも違っています」

「テーブルマナーとか習慣みたいなものはどうかな?」

「すみません、僕自身がマナーとか詳しくないので、どの程度違うのかは分かりませんが、驚くような習慣は無かったと思います」

「一応、これをやったら戦争になる……みたいなタブーが無いか確かめておいてくれないかな? 国分君の場合、実力で相手を捻じ伏せられちゃうだろうけど、国と国の間で揉めたくはないからね」

「分かりました、ちょっと確認しておきます」


 リーゼンブルグから連れて来るにしても、送還術でちょいっと送れば良いと思っていましたが、色々と対策が必要なようです。


「梶川さん、言葉はどうします?」

「通訳は、帰還した先生方にお願いしようかと思っている」

「送還術で送るときに、日本語の知識を付与できると思いますが……」

「それは、やらないでくれるかな。あちら側に日本語の会話が筒抜けで、こちらにはリーゼンブルグの言葉での会話は不明……という状況は作りたくない」


 一応、和睦のための会談であるにしても、こちらの手の内は筒抜けで、あちらの手の内は不明という状況は好ましくありません。

 まぁ、僕や眷属が盗み聞きしておけば大丈夫ですが、国と国の公式な会談の席での盗み聞きは控えた方が良いでしょう。


「そう言えば、送還術で送るとしたら、一度に送れる人数は20人ぐらいが限界だと思いますが、同行する人数を絞ってもらった方が良いですかね」

「そうだね。あるいは警護や身の回りの世話を焼く人達には、事前に東京入りしてもらっても構わないよ」

「その辺りも、リーゼンブルグと打ち合わせないと駄目ですね」

「そうだね。来日する人選、人数、手順などを確認してもらって、ある程度イメージが固まった時点で、具体的な日程調整を行いたいと思っている」


 賠償金が用意できたから、これで一段落だと思ったけど、そう簡単にはいきませんね。


「リーゼンブルグ側の護衛なんですけど、剣とか槍は持ち込めるんですかね?」

「いや、それは駄目だよ。日本の銃刀法に違反する武器の持ち込みは遠慮してもらっている」

「アメリカの大統領が来日する時もなんですか?」

「そうだよ。その代わりに日本の警察が厳重な警備を行うから信頼してほしい」

「分かりました。リーゼンブルグにも、その旨を伝えて納得してもらいます」


 まぁ、影の中から僕の眷属には見守ってもらいますが、テレビ中継されている場所で眷属のみんなが表に出ないようにしないといけませんね。

 コボルト隊ならまだしも、ゼータ達やザーエ達が姿を見せてしまったら……CG合成だと思われるだけかな。


 何にせよ、まずはリーゼンブルグ側に話を持っていって、了承してもらわなければ話は進みません。

 確認すべき点を梶川さんとチェックして、ヴォルザードに戻ることにしました。

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