第420話 ミリエ

 生まれ育った街で、冒険者になるって言ったら笑われた。

 笑われたというか、馬鹿にされた。


 あたしは身体が大きい訳でもないし、喧嘩が強い訳でもない。

 強いて取り得を上げるなら、人より少し魔力が強いぐらいで、ドン臭さを差し引いたら帳消し以下になる程度だ。


 だから、思い切って故郷の街から飛び出した。

 貯金していたお小遣いと、着替えを詰めた鞄を持って、家出同然でマールブルグを飛び出した。


 向かった先はヴォルザード。

 ランズヘルト共和国の西の外れにある街で、魔物が闊歩する魔の森と接している城塞都市だ。


 ヴォルザードの近くには、魔の森の他にダンジョンがあって、多くの冒険者が一攫千金を夢見て訪れるそうだ。

 この一年余りの間にも、魔物の群れが押し寄せたり、グリフォンに襲われたりしているらしい。


 マールブルグよりも遥かに危険な街だけど、それだけに冒険者のための仕事は豊富で、駆け出しの冒険者でも真面目に働けば食いはぐれる心配は無いらしい。

 乗り合い馬車に揺られること4日、辿り着いたヴォルザードは城塞都市の名にふさわしい威容を誇っていた。


 ヴォルザードまでの旅費と宿泊費で、手持ちのお金はかなり心細い状態になっていたので、さっそくギルドに行って冒険者登録をした。

 登録を担当してくれたのは、ちょっとしょぼくれた感じのおじさんだった。


「ここに手を乗せて……ほぉ、魔力は中の上といったところか、体格の割にはなかなか高いのぉ、属性は水……ランクはFからのスタートじゃよ」

「あ、ありがとうございます」

「ところで、お前さん。マールブルグから来たのかい?」

「えぇ! ど、どうしてそれを……」

「そんな大きなカバンを背負って登録に来れば、別の街から来たと思うのが普通じゃろ。まして今はイロスーン大森林が通れない。他の街ならばマールブルグしかないじゃろう」

「はぁ……そうですね」


 一瞬、ギルドのおじさんなので、特殊な鑑定能力でもあるのかと思ったが、そんな大層な理由では無かった。


「お前さん、住むところは決まっておるのかい?」

「い、いえ、これから探そうと思っているんですが……」

「ならば下宿を紹介しようか? 宿に泊まるよりも安いし安心じゃぞ」

「お、お願いします! 是非!」

「ふむ、そうじゃアマンダの所が空いておったのぉ……」


 ギルドのおじさんは、下宿を紹介してくれた上に、無利子の貸付制度まで教えてくれた。

 借りた以上は返さなければならないけど、他で借りれば利息も払わなきゃいけないので、手持ちが心細い私には本当に有難い制度だった。


 ちょっとしょぼくれているなんて思ってしまって、ごめんなさい。

 紹介してもらった下宿は食堂を営んでいるそうで、今頃からは混雑する時間なので、訪ねるのは明日の昼過ぎにした方が良いと言われた。


 ついでに、今夜泊まる手頃な宿も紹介してもらった。

 その晩は、旅の疲れもあって、宿についたら夕食も食べずに眠ってしまった。


 翌日、下宿を訊ねるまでの時間を使って、ヴォルザードを見て回った。

 西の外れにある街なのに、マールブルグよりも賑やかで栄えているように見える。


 市場に並んでいる商品も、マールブルグよりも種類が豊富で、見た事も無い野菜なども売られていた。

 これは、もしかして魔の森を越えてリーゼンブルグから運ばれて来るのだろうか。


 その魔の森に住む魔物から街を守っている城壁は、普段は一般の人も登れるらしい。

 早速、壁に登って魔の森を眺めてみようと思ったのだが、壁の向こう側では大きなお屋敷が建てられていた。


 領主様のお屋敷なのかと思いきや、個人の持ち物だそうだ。

 しかも、敷地の中には、大きな魔物の姿があった。


「え、え、えぇぇぇ……なにあれ、なんで……?」


 城壁に掴まってガタガタと震えていたら、守備隊の隊員さんに声を掛けられた。


「お嬢ちゃん、どうかしたのかい?」

「あ、あの、あれ……」

「あぁ、あれはSランク冒険者『魔物使い』の眷属だから大丈夫だよ」

「ふぇ? 眷属って……テイムされてるんですか?」

「テイムとは少し違うみたいだが、ストームキャットもサラマンダーも、むしろ街を守ってくれる存在だよ」

「そ、そうなんですか……」


 私がヴォルザードに来た理由の一つは、『魔物使い』ケント・コクブさんの話を聞いたからでもある。

 ヴォルザードを魔物の大群から守った話や、グリフォンとの激闘、マールブルグでは落盤事故で地中深くに取り残された人達を救出してみせたそうだ。


 昔から、冒険者の逸話はたくさんあるけれど、ケント・コクブの冒険譚は、どの物語よりも輝いてみえた。

 そのケント・コクブが暮らすヴォルザードに行けば、いつか会えるかもしれない。


 私みたいな、まだ何もできない冒険者には、声も掛けてくれないだろうが、それでもいつか話が出来たらと思っている。


「こんな大きなお屋敷なら、何か仕事で雇ってもらえたりするかなぁ……」


 なんて思ったけど、大欠伸をしたストームキャットの牙を見て考え直した。

 うん、今の私では無理……。


 屋台で簡単にお昼を済ませ、時間を見計らって訪ねた下宿には、恰幅の良い女将さんと、サバサバした感じの店員さん、ちょっと意地悪そうな娘さんがいた。

 下宿する部屋は、少し急な階段を上ったすぐの部屋で、ドアを開けると突き当りに小さな窓が付いている狭い部屋だった。


 ベッドも、テーブルも、椅子も、棚も、全部木箱を並べただけの質素な部屋で、実家の自分の部屋と較べると見劣りする。

 部屋へ案内してくれた娘さんは、トイレと風呂場、物干し台の場所を指差して、箱の中身は勝手に使って構わないと言い捨てると、階段を下りていってしまった。


 よろしくお願いしますと挨拶をしたのだが、ボソっと何かを呟いただけだった。

 何だか歓迎されていない気がする。


 冒険者になろうと家を飛び出して来たのだが、実は必要な物を何も持っていない。

 だから前の下宿人が残していった物を勝手に使って良いと聞いた時は、凄いラッキーだと思った。


 だけど、木箱を開けて中身を確かめてみたら変な声が出てしまった。


「ふぇぇぇ!これって……えぇぇぇ!」


 木箱の中には、冒険者として活動するのに必要だと思われる物が一式収められていて、しかもどれもがピカピカの新品にしか見えなかった。


 慌てて下宿の女将さんに訊ねたけど、前の下宿人さんが残していったものだから使って構わない、もし気に病むのであれば、元気に下宿から巣立つと約束してほしいと言われてしまった。


 なんて太っ腹な人だろうと思っていたが、その後、下宿の娘さんとちょっとした喧嘩になった時に、その人が現れて私のギックリ腰まで治してくれた。

 しかも誰あろう、あの『魔物使い』ケント・コクブその人だと聞いて、情けない話だが気を失ってしまった。


 あれから下宿での暮らしをしながら、アマンダさん、メイサちゃん、サチコさんから色々な話を聞かせてもらった。

 驚いたことに、ケントさんは別の世界から召喚された人だそうで、なんとサチコさんも同じ世界の人だそうだ。


 しかも、メイサちゃんは一度連れて行ってもらったそうで、その時の話もしてくれた。


「すんごい高い建物が、いーっぱい建ってて、しかも普通の人が住んでるんだよ。地面の下を凄い勢いで車が走っていて、雲にまで届きそうな塔が建ってるの。上から見ると、人間が豆粒よりも小さく見えるんだから」

「おぉ、メイサはスカイツリーにも行って来たのか?」

「えぇぇぇ! 今の話って本当なんですか?」

「当たり前じゃん、空を飛ぶ乗り物だってあるんだからね」

「えぇぇぇ……」


 まるで御伽話みたいで、全然想像も出来なかったけど、サチコさんがスマホという機械を使って、向こうの世界の様子を見せてくれたけど、驚きの余り途中で気を失ってしまった。


 ヴォルザードには、ケントさんと同じ国から来た人が何人か暮らしているそうで、その人達は基本的に黒髪に黒い瞳の持ち主らしい。

 ケントさんも、元は黒髪黒目だったそうだが、全ての属性を手に入れたら銀髪銀眼に変わってしまったらしい。


「あー……黒髪黒目の男には、基本的には気を付けた方がいいよ。ジョー以外はお奨めしないかなぁ……」

「そうなんですか?」

「そうそう、特にメガネを掛けた奴には絶対に騙されないように、喋ってる話の9割はガセだからね」

「き、気を付けます……」


 同じ建物で暮らしているサチコさんが言うのだから間違いないのだろう。

 こうして憧れの冒険者生活を始めたのだが、思っていたよりも厳しかった。


 下宿を始めた翌日、ギルドで初心者向けの無料の戦闘講習があると聞いて参加したのだが、おっかない講師に目を付けられてしまった。


「ほぉ、ケントの後に下宿したのか……ならば先人を追いかけないとな?」

「は、はぃぃ……」


 翌日、筋肉痛で呻いていたら、サチコさんがストレッチを教えてくれた。

 ついでに身体を鍛えるトレーニング方法も教えてくれた。


 ケントさんや、サチコさんが住んでいた世界では、こうしたトレーニング方法も確立されているそうだ。

 ケントさんがSランクまで昇りつめたのは、こうしたトレーニングのおかげなのかとサチコさんに聞いてみたら、「国分はチートだからな……」と言われてしまった。


 チートという言葉の意味が分からなかったので聞いてみたら、元々はズルいという意味で使われていたが、最近は普通の枠からはみ出している人やモノにも使われているらしい。


 ランズヘルトの国内どころか、リーゼンブルグや更に向こうのバルシャニア、それどころか違う世界とも行き来が出来ると聞かされれば、それも納得だ。

 とても私が追い付ける存在だとは思えないが、ケントさんも下宿を始めた当初は筋肉痛に呻いていたらしい。


 そのケントさんにとっては、元の下宿先なので時々フラっと昼食を食べに現れるそうだ。


 出来れば会って、ちゃんと御礼を言いたいのだが、私も平日は仕事に出ているし、ケントさんは、それこそ世界を股に掛けて飛び回っているらしく、下宿初日以来まだ一度も会えずにいる。


「ケントは忙しいんだから、そんなに簡単に会える訳ないじゃない」

「そ、そうですね……」


 メイサちゃんは、どうやらケントさんが大好きなようで、将来お嫁さんになりたいらしい。

 ただし、この話は絶対に内緒だそうだし、ケントさんには既に4人も婚約者がいるらしい。


「マノンさんは普通の家の子だけど、すっごく可愛いし、ユイカさんは強力な光属性の魔術が使えるの。ベアトリーチェさんは、領主様の娘さんだし、セラフィマさんはバルシャニアの皇女様だよ」


 無理、そんなメンバーに割って入るなんて無理だし、というか、メイサちゃんチャレンジャーすぎる。

 見るもの聞くもの、全てが新鮮で、初めての仕事や戦闘講習など、盛りだくさんの1週間を終えて、ようやく安息の日を迎えられた。


 今日はゆっくり寝ていよう……と思ったのに、メイサちゃんに起こされてしまった。


「ミリエ、朝だよ起きて! 早く起きないと朝ごはん無くなるからね!」

「ん、んん……もうちょっと……」

「駄目、駄目、早くしないと、うちは今日も通常営業なんだからね……って、ミリエ?」

「ん……もうちょっと……」


 布団から起き上がれずにいると、メイサちゃんにおでこを触られた。

 洗い物でもしていたのだろうか、ヒンヤリして気持ちがいい。


 私のおでこから手を離したメイサちゃんは、パタパタと階段を駆け下りて行った。


「お母さん、ミリエが熱出してる!」


 あぁ、何だか頭がフラフラするのは、熱があるからなのか。

 またパタパタと階段を駆け上がってきたメイサちゃんは、トイレの方へと駆けて行った。


 うん、いつも通り賑やかだけど、今日はちょっとしんどいなぁ……と思っていたら、またメイサちゃんが戻ってきた。

 私の部屋に入ってきたメイサちゃんは、洗面器を持っていた。

 水に浸した手拭いを絞って、私のおでこに乗せてくれた。


「後で、消化の良いスープを持って来てあげるから、それまで大人しく寝てなさい」

「うん、分かった……」

「まったく、倒れるところまでケントの真似しないの」


 あぁ、ケントさんでも倒れることがあったのか、それはちょっと意外だ。

 この後、アマンダさんもスープを持って様子を見に来てくれた。


「慣れない生活で、頑張りすぎたんだよ。今日はゆっくり身体を休めな」

「はい……」


 スープを飲ませてもらって身体が温まると、途端に眠気に襲われた。

 時々、メイサちゃんが手拭いを取り替えに来てくれていたようで、おでこがヒンヤリして少し目が覚めるけど、すぐに気持ちよくて眠りに落ちてしまっていた。


 途中、冷やした手拭いの上から、手を添えていてくれて、そこからメイサちゃんの元気が流れ込んでくるみたいだった。

 空腹を覚えて目を覚ますと、身体から疲れが綺麗サッパリ抜け落ちている気がした。


「具合はどうだい? ミリエ」

「はい、もう大丈夫です。アマンダさん」

「そうかい、でも今日1日は無理せず休んでおいで」

「はい、そうします。ご心配おかけしました」

「気分が良いなら着替えて降りておいで、これからお昼にするから」

「はい、お腹ペコペコです」


 急いで着替えて一回に降りると、サチコさんに笑われてしまった。


「ニシシシ……ミリエ、頑張り過ぎて熱出したんだって?」

「も、もう大丈夫ですから、ご心配おかけしました」

「いやいや、御礼を言うならメイサでしょ」

「そうだ、メイサちゃん、ありがとう。おでこに手を添えていてくれたのが、すっごく心強かったんだ。本当にありがとう」

「それ、あたしじゃないし……」

「えっ、じゃあ、サチコさん?」

「違う、違う、あたしじゃないよ」

「じゃあ、アマンダさんですか?」

「あたしゃ店をやってるから、そんな暇は無いよ」

「えっ……まさか?」

「ニシシシ……メイサがコボルトに頼んで知らせてもらったんだよ」

「にゃーっ! サチコ、言わないって約束したのにぃ!」


 血の気が引いていく感じがする。

 1週間に2回もSランク冒険者に治療してもらったら、いったいいくら請求されてしまうのだろう。


「ケントは底抜けにお人好しだから、治療代の心配なんかいらないから」

「そうそう、国分は女に弱いからなぁ……」

「ほらほら、呆けてないで、さっさと食べておくれ。あたしの休憩時間が無くなっちまうよ」

「は、はい……」

「あぁ、でも国分に礼が言いたいなら、食べたらあたしの家に来る? あたしらが暮らしている家で何かやるとか言ってたから、いると思うよ」

「ほ、本当ですか? 行っても良いんですか?」

「構わないよ。その代わり、気を失うのは無しだからね」


 ケントさんと、ちゃんと話が出来るかと想ったら、とっても美味しいはずのアマンダさんの料理の味も良く分からなかった。

 気絶……しないように頑張ろう。

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