第416話 ミューエルへの報告

 特別訓練を終えて、居残り組のみんなをヴォルザードまで送り届けると、フレッドが声を掛けて来ました。


『ケント様……歪みが縮小してる……』

「ホント? すぐ行く」


 近藤に空間の歪みを見に行かなきゃいけないと断わり、影に潜って南の大陸へと移動しました。

 南の大陸の中央にある大きなカルデラの中から、大陸の東側の平原を繋いでいた空間の歪みは、最初の半分以下の大きさになっています。


 相変わらずゴブリンの大きな群れが近くにいて、そのうちの何頭かが空間の歪みを出入りしています。

 前回、ダンジョンに出来た空間の歪みが消えた時には、丁度こちら側へと出て来ようとしていた大蟻が、歪みの消失と同時に身体を真っ二つにされていました。


 たぶん、この空間の歪みが消える時も、通過中のゴブリンがいれば切断されてしまうでしょう。

 ちょうど、僕が使う送還術で切り取られるのと同じ感じだと思われます。


「フレッド、歪みが開いている間、何か特別な事は無かった? 例えば、誰かが歪みの状態を確認しているとか……」

『特に無し……ゴブリン以外は近付いていない……』


 南の大陸は、魔物の密度が高すぎて人は暮らしていけないとされていますし、こんな物が人為的に作られていたら大変ですが、どうやら人の手による物ではなさそうです。


「てことは、今のところ分かったのは、どうやら自然現象らしい。発生する場所は、火口の近くで魔物がたくさんいる場所。放置しても数日で消えるらしい……ぐらいかな?」

『たぶん……でも歪みが大きいと、消えるまで時間は掛かりそう……』

「そうか、今回のは規模が小さかったけど、消えるまでに縮小を続けるのであれば、規模の大きいものほど消えるまで時間も掛かりそうだもんね」


 フレッドと話をしている間にも空間の歪みは縮小を続け、ゴブリンが通り抜けられない程小さくなると、最後はふっと消えてしましました。


「ギャァァァァァ……」


 最後の最後に、空間の歪みに手を突っ込んでいたゴブリンは、スッパリと腕を斬り落とされ、悲鳴を上げて転がり回っています。


「馬鹿だねぇ……そんな得体の知れない物触ろうとするからだよ」

『ゴブリンに……自重を求めるのは無理……』

「そうなんだろうね」


 空間の歪みが消えてしまえば、観察を続ける理由も無いので、ヴォルザードへと戻りましょう。

 一風呂浴びて、着替えて、夕食の席でクラウスさんに報告をしました。


「……という訳で、現状では空間の歪みは自然現象のようです」

「そうか、誰かに仕組まれていたのではないのは良かったが、自然現象だとすると、次に現れる場所の特定や解決するのは難しいな」

「はい、それに、発生する場所は魔素が多く魔物が多く生息している場所みたいなので、突然現れると同時に、強力な魔物に襲われる危険もあります」

「はぁ……厄介すぎるだろう」


 クラウスさんは溜息を洩らした後で、カップの酒を一息に煽りました。

 腕組みをして宙を睨み、何やら考えを巡らせているようです。


「ケント、その空間の歪みを消すには、お前の送還術しか方法は無いのか?」

「どうなんでしょう。今の所、僕が出来るのはそれだけですね」

「だが、それはお前にしか出来ない方法でもあるよな?」

「そうですね。送還術は全属性を手に入れてから出来るようになった魔術ですから、全属性を使える人なら……」

「そんな奴がいたら苦労しねぇよ。他に何か現実的な方法は無いのか?」

「現実的な方法ですか……」


 送還術以外の方法が無いかと考えていたら、フレッドがアイデアをくれました。


『ケント様、歪みの向こう側は見えない……丈夫な壁を立ててしまえば、魔物の流入は防げるかも……』


 フレッドが空間の歪みを潜ってみた時、歪みの先の風景は見えていなかったそうです。

 歪みの向こうに出ようとしても、壁が立ちふさがっていれば出られません。


「なるほど……それは良いアイデアかも」

「おいケント、何の話だ?」

「すみません。フレッドが良いアイデアを教えてくれました」


 空間の歪みの向こう側は目視出来ないので、壁を立ててしまえば魔物が溢れ出すのを止められそうだと話すと、クラウスさんは『それだ』と手を叩きました。

 ただ、壁を作ってしまえば魔物を封じられそうですが、危険な空間の歪みの近くまで行き、壁を立てるのは至難の業です。


「とりあえず、うちのコボルト隊かギガウルフ達にやってもらいましょう」

「それしかなさそうだが……そうじゃねぇんだよなぁ……」


 クラウスさんは、ガシガシと頭を搔き毟りました。


「ケントの眷属は頼りになる。間違いなく頼りになるが、頼りきりじゃ駄目だ」

「それは、将来的な話ですよね?」

「そうだ。空間の歪みが自然現象だとするなら、この先50年後、100年後にも起こらないとは限らない。南の大陸からの距離を考えれば、ヴォルザードが被害を受ける可能性が一番高い。その時に、ケントがいなかったから全滅しましたじゃ洒落にならんだろう」

「そうですけど……」


 僕の眷属が対応する以外の方法は、すぐには思い浮かびません。

 冒険者のレベルを上げると言っても限界がありますし、まさか勇者召喚する訳にもいきませんよね。


「他の集落にもヴォルザードみたいな城壁を作るのは……?」

「それ、本気で言ってるのか?」

「いえ……思い付きです」

「城壁があるのと無いのとでは大違いだが、規模が小さいと効果を発揮しない。それに、いざという時には防衛する戦力も必要だ」


 確かに、高さ2メートルぐらいの壁では、ゴブリンにだって乗り越えられてしまうでしょう。

 かと言って、ヴォルザード並みの規模で作るには、時間も費用も掛かりすぎます。


「あっ、地下のシェルターはどうですか? ダンジョン近くの集落みたいに」

「なるほど、地下か……水と食料を確保出来れば、籠城は可能だな」


 先日、大蟻に襲われて被害は受けましたが、そもそもダンジョン近くの集落が地下にあるのは、大量の魔物への備えです。

 魔物の数が増える以前のイロスーン大森林にあった集落でも、地下のシェルターを備えていました。


「まぁ、現実的な備えとしては、それが妥当だろうな」

「じゃあ、早速……」

「だから、お前頼みじゃ駄目だろう」

「そうでした……」


 どうもヴォルザード絡みだと、採算度外視で仕事を引き受けてしまいがちです。

 それを察したのか、ベアトリーチェが渋い表情をしてますね。


 駄目駄目、そんなに眉間に皺を寄せたら可愛い顔が台無しになっちゃいますよ。

 ニヤニヤしながら見ていたら、今度は膨れっ面になって、この後たっぷりお説教されちゃいました。


 翌朝、特別訓練は昨日までの予定だったので、領主の館から裏通りを通って一軒のお店を訪ねました。

 漢方薬の匂いがする、コーリーさんの薬屋です。


「おはようございます」


 店に入ると、カウンターの向こうには、いかにも魔法使いのお婆さんという風貌のコーリーさんが座っていました。


「おや、ケントの坊やかい、おはよう。今日は何の用だい?」

「えっと、ミューエルさんはいらっしゃいますか?」

「あぁ、裏で作業してるよ。ミューエル! ケントの坊やが来てるよ」

「は~い、今行きます!」


 何やらガタガタと物音がした後で、洗った手を拭いながらミューエルさんが現れました。


「おはよう、ケント。お魚かな?」

「ごめんなさい、今日は別件です」

「あー……残念、この前のお魚も美味しかったなぁ……」

「いやぁ、そんなチラチラと見られても、無いものは無いですよ。仕入れた時には、ちゃんと持ってきますから」

「ホント? 約束だからね」

「はいはい……約束です」


 ヴォルザードと海の間には魔の森があるので、海産物を仕入れるのは困難です。

 生の魚と言えば、川魚かダンジョンに行く途中にある大きな池の魚ぐらいしか手に入りません。


 僕がジョベートで仕入れてくる魚は、別格と言ってよい美味しさですが、意外にミューエルさんって食いしん坊だよね。

 そう言えば、最近ふっくらして……いえ、何でもないです。


「ところで、今日は何の用なのかな?」

「はい、実は昨日、カズキやタツヤ達を魔の森の奥にある訓練場に連れて行って、魔物の討伐訓練をやってきたんです」

「へぇ、そんな事をしてるんだ……」


 魔の森奥の訓練場で、用意した魔物を使って実際に討伐する訓練を行っていると話すと、ミューエルさんもコーリーさんも驚いていました。

 それと同時に、ミューエルさんの表情が曇りました。


「ミューエルさん、最近ギリクさんって顔を出しています?」

「ううん、全然……でも、噂は耳にしてる」


 あれだけ付きまとっていたから、ミューエルさんとギリクの関係は良く知られているらしく、知り合いから色々な噂を聞いているそうです。


「ギルドの訓練場でタツヤ達に手酷くやられてたって聞いたけど……」

「あぁ、みたいですね。タツヤから聞きました」

「じゃあ、本当なんだ……」

「でも、その時はギリクさん酷い二日酔いだったみたいですよ」

「えっ、そうなの? もぅ、そんな状態じゃ負けて当然だよ。だってタツヤもカズキもケントの訓練を受けてるんでしょ?」

「はい、でも昨日はギリクさんも参加してましたよ」

「えぇぇぇぇ! それ、本当なの?」

「はい、本当ですよ」


 ギリクが僕に頭を下げて、訓練への参加を頼んで来た時の様子を話すと、ミューエルさんは信じられないとばかりに目を見開いていました。


「ひっひっひっ、ようやくギリクからも甘えが抜けたんじゃないのかい?」


 コーリーさんに言われたミューエルさんは、小さく頷きながら少し涙ぐんでいるようにも見えます。


「あー……でも、朝は神妙でしたが、訓練が進むとだいぶ元に戻ってましたね」

「あぁ、やっぱりか……ごめんねぇ」

「いえいえ、くそチビ扱いでなく、名前で呼ばれるようになりましたから、かなりの進歩でしょう」

「はぁ……それは進歩とは言わないよ。でも、ありがとう。これまでのケントとギリクの関係を見ていたら、断わられても仕方ないと思うのに……」

「いえいえ、ヴォルザードの冒険者の底上げになるのですから、断わる理由はありませんよ。それに、もしミューエルさんが僕を選ぶなら、身を引いても良いって言質は取りましたから……」

「えっ? 本当にギリクがそんな事を言ったの?」

「はい……この通り」


 実は、後々の事を考えて、ギリクとの交渉は影の中からマルトに撮影してもらってました。

 タブレットで昨日の朝のギリクを見る、ミューエルさんの目は真剣そのものです。


「ひっひっひっ、よっぽどタツヤに負けたのが応えたんだろうよ。あのギリクが他人に頭を下げるなんて、こりゃ槍でも降らなきゃ良いけどね」

「うん、そうだね。でも、身ぎれいにしてるし、ちょっと安心した」

「まぁ、これでミューエルの貰い手も心配なくなったようだし、さっさと坊やに決めちまいな」

「うーん……ケントは有能だけど、お嫁さんがいっぱいいるからねぇ……」

「ですよねぇ……」


 ぶっちゃけ、ミューエルさんもハーレムに……なんて思わない訳じゃないけど、実際問題としては難しいでしょうね。


「ところで、坊や。何を企んでいるんだい?」

「えっ、企む? 僕がですか?」

「ほぅ、少しはとぼけるのが上手くなったみたいだねぇ。ミューエルが目的じゃなければ、何のためにギリクを鍛えているんだい?」

「いや、それは……ヴォルザードの冒険者の底上げのためにですねぇ……」


 と言ってみたものの、コーリーさんには通用しないようです。


「はぁ……ヴォルザード出身の人材が欲しいかなぁ……と思いまして」

「ヴォルザード出身じゃなきゃ駄目なのかい?」

「まぁ、絶対に駄目じゃないとは思いますが、誰かの上に立って指示を出す役割は、余所者がやると反感を招く場合がありますからね」

「そんなものは、坊やが力を見せつければ黙るんじゃないのかい?」

「そうですねぇ……でも、やっぱり反発されると色々と面倒じゃないですか。これまでも、いろいろと経験してきましたんで……」


 今でこそ居残り組も受け入れているみたいですが、僕がハーレムを選択した時の反発は、それはそれは酷いものでした。

 まぁ、今現在も完全に解消されているのか分かりませんが、反発していた連中の多くは帰国させちゃいましたしね。


「ふむ、坊やは人を纏めて何かを始めようとしているが、表には出ずに裏から糸を引くつもりなんだね?」

「いやぁ、そんな大それた事じゃないですし、別に悪企みをしてる訳じゃないですよ」

「ねぇ、ケント。それは危ないことなのかな?」

「どうでしょう。冒険者という商売をしていれば、ある程度の危険は付きものですし、それよりも突出して危ないという話ではないです。それに、まだ先の話ですし、今のギリクさんでは実力も人望も足りませんね」

「ふーん……何だか良く分からないけど、ケントがギリクを買ってくれているようなのは分かった。それと、ケントの期待に応えられるようになれば、ギリクも一人前の男になるんだろうね」


 ミューエルさんからは、くれぐれもやり過ぎないように言われたので、大丈夫ですよと安請け合いしておきました。

 何かあったら、美味しいお魚で許してもらいましょう。


 まだちょっと不安げなミューエルさんと、楽しくてしかたなさそうなコーリーさんを残して店を出ました。

 影に潜ると、話を聞いていたらしいフレッドが問い掛けてきました。


『ケント様……例の新しい街……?』

「そうそう、ヴォルザードとラストックの間に作ろうかと思ってる、あれね」

『ギリクだけで大丈夫……?』

「駄目だろうねぇ……人望無さそうだし」

『では、誰かの補佐……?』

「うん、ギリクの人望の無さは、近藤にカバーしてもらおうかと思ってる」

『でも、ジョーを引き抜くと……他が危ない……』

「そうなんだよねぇ……新旧コンビや鷹山から近藤を取り上げたら、無茶してコロっと死んじゃいそうだからなぁ……」


 魔の森のど真ん中、ヴォルザードとラストックの中間に街を作る計画では、ドノバンさんのような顔役が欲しいと思っています。

 今現在は、適当な人材に心当たりがありません。


 なので、人がいなけりゃ作れば良いんじゃないかと思ったのです。

 街も今すぐ作る訳でもありませんし、人材などが見つかったらユルユルと始めようかと思っているだけです。


『ケント様が……領主をすればいい……』

「ううん、僕はマイホームでお嫁さんとノンビリ暮らすつもりだから」

『それは……絶対に無理……』

「だよねぇ……でも少しぐらいはノンビリしたいよねぇ」


 そのマイホームの庭では、今日も毛玉が三つ、ノンビリと昼寝を楽しんでいます。

 フレッドは無理だと言うだろうけど、いつか存分に昼寝を楽しんでみせる!


 ネロやレビン、トレノと昼寝したい誘惑に抗って影へと潜り、リーゼンブルグ王国の王都アルダロスを目指して移動しました。

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