第407話 信頼される男

「ケント様……ケント様……」

「ん、んー……あと5分」

「お疲れみたいですね」

「うん、ちょっとね……」


 鈴を転がすような声の主は、あと5分の猶予をくれるようで、ベッドに腰を下して僕の頭を撫で始めました。

 うん、僕に撫でられて、くーくーと喉を鳴らすサヘルの気持ちが、ちょっと分かったかも。


「ケント様……5分経ちましたよ」

「んー……あと5分」

「もう、駄目ですよ。起きてくださいませ……はむっ」

「ひゃう! セ、セラ……?」

「はい、おはようございます、ケント様」

「おはよう……」


 あぁ、ビックリした。耳を甘噛みされました。

 予想もしていなかった起こし方だったので、ビックリして目が覚めましたよ。


 でも、これって僕がお返ししてもオッケーってことだよね。

 チャンスがあれば、トラ耳をはむってしても良いんだよね。


「ケント様、何を考えていらっしゃるのですか?」

「はむ……」

「はむ……?」

「ハム……エッグが食べたいなぁ……って」

「では、調理場の者に……」

「い、いや、それは明日でもいいよ」


 思い付き……というよりも誤魔化しのために口にしただけだからね。


「よろしいのでございますか?」

「うん、セラが起こしに来たってことは、もう朝食の準備は出来てるんだよね?」

「はい、そろそろ皆様お集まりかと……」

「じゃあ、急いで着替えるよ」

「はい、御召し物はこちらに用意してございます」

「ありがとう」


 サイドテーブルには、僕の普段着が用意されていました。

 あれっ? 確か影収納に仕舞っておいたはずだけど……。


「ホルトに取って来てもらいました」


 なるほど、ホルトなら影の空間に出入り出来ますからね。

 着替えたらセラに撫でられて自慢げなホルトを僕も撫でてあげましょうね。


 着替えを終えて、ホルトを撫でて、いざ領主の館の食堂へセラフィマと腕を組んで向かいます。


「ケント様……」

「何かな?」

「式が終わりましたら、してもいいですよ……はむっ」

「ひゃう!」


 セラフィマは、耳元で囁いた後、また耳たぶを甘噛みしてきました。


「セ~ラ~……よーく覚えておくからね」

「うふふふ……」


 僕よりも、ちょっと年上の皇女様は、バルシャニアで色々お勉強してきたんでしょうかね。

 式が終わったら、色々はむってしちゃいましょうかね。


 食堂には、既にクラウスさんとマリアンヌさんの姿がありました。

 さすがにクラウスさんも眠たそうですし、マリアンヌさんは守備隊の制服姿です。


「おぅ、ケント。昨夜はご苦労だったな」

「いえ、ギリギリでしたが、カルツさんの救出が間に合って良かったです」

「まだ寝足りないとは思うが、朝食を食べながら詳しい話を聞かせてくれ」

「分かりました」


 昨晩、クラウスさんが知らせに来た後から、迎賓館に戻ってくるまでを順番に話していきました。

 ダンジョンの入口付近が突破されたのではなく、宿屋の地下の壁が破られて大蟻が出て来ていたと話すと、クラウスさんもマリアンヌさんも驚いていました。


 外側からしか見ていませんが、集落が大きな被害を受けていることや、守備隊の連絡所も大蟻に侵入されて多くの犠牲者が出たらしいと話すと、二人は表情を曇らせました。

 それでも、9階層よりも下にいた冒険者は無事だったと話すと、安堵の表情を浮かべました。


「ケント、やはり空間の歪みが原因だったのか?」

「はい、6階層の奥まった場所にあって、僕の眷属の話では向こう側は大蟻の巣に繋がっていたようです」

「何だって、そんな面倒な場所と繋がりやがるんだ」

「さぁ、そればっかりは、僕にも分かりません」


 実際、闇の盾では僕の眷属や、僕の魔力を分け与えた人でなければ入れませんが、空間の歪みは闇属性以外の生きている魔物が出入りしています。

 南の大陸では普通の魔物なのかもしれませんが、こちら側の大陸で暮らしている者にとっては脅威そのものです。


 何とか発生源を突き止めて、これ以上の被害が起こるのは防ぎたいところです。


「ケント、その空間の歪みがどうやって発生しているのかは分からねぇが、これまでは地震の後に起こってるよな」

「そうですね。前回リバレー峠で発生した時も、今回も地震が起きた後です」

「だとすると、火山の近くに原因があるんじゃないのか?」

「そう考えた方が良さそうですね」


 これまで南の大陸の調査は、新種の魔物や魔王同士の戦いの痕跡などを探していましたが、少し方針転換をした方が良さそうに感じます。


「ちょっと、南の大陸の火山周辺を重点的に調べてみますね」

「そうしてくれ。あぁ、だが始めるのは明日以降にしろ。昨夜も遅くに叩き起こして働かせちまったから、倒れられでもしたら、えらい顰蹙を買うことになっちまうからな」


 ベアトリーチェはその通りとばかりに頷いているし、唯香もマノンも苦笑いを浮かべています。

 僕のお嫁さんが4人、その他にマリアンヌさんとアンジェお姉ちゃんで女性は6人。


 対する男性は僕とクラウスさんの2人ですから、女性陣の顰蹙を買う訳にはいかないのです。

 尻に敷かれるのは辛いですねぇ、クラウスさん……って、僕もですけどね。



 今日は一日大人しくしているように、セラフィマがお目付け役として一日一緒に行動することになりました。

 そんなに僕は信用無いのかと尋ねたら、倒れたり、刺されたり、数々の前歴を列挙されちゃいました……てへっ。


 朝食の後、唯香とマノンは守備隊の診療所へ出掛けて行きました。

 二人とも、昨夜はメリーヌさんとカルツさんの看病をしていたはずなのに、僕に休めと言いながら働きに行くとかおかしくない?


 二人にも倒れられたら困るので、出掛ける前にギューってハグして、思いっきり治癒魔術を掛けておきました。

 治癒魔術が目的じゃなくって、ハグしたかっただけだろうって? 当たり前じゃないですか。


 唯香はふにゅんふにゅん、マノンはプニプニ……ベアトリーチェにもおねだりされたので、勿論ギューってしましたよ。

 はぁ……癒してるんだけど、めっちゃ癒されます。


 唯香とマノンを見送ってから、カルツさんとメリーヌさんを見舞いました。

 昨晩、ここ迎賓館へと転送した二人は、唯香が仕上げの治療を施した後、一緒の部屋で休んでもらっています。


「おはようございます、ケントです」

「お、おはよう。ちょ、ちょっと待ってくれ……」


 ノックをすると少し慌てたようなカルツさんの声がした後、ちょっと間を置いてドアが開かれました。


「おはよう、ケント……と、セラフィマ嬢。さぁ、入ってくれ」

「おじゃまします」

「失礼いたします」


 二人が使っている部屋は、要人の随行員のための部屋で、シングルベッドが2つとテーブルセットがあるだけのシンプルな作りです。

 昨夜は大量出血のせいで、二人とも青白い顔をしていましたが、今朝は血色も戻って……って、カルツさんの顔が赤いみたいですが、僕らが来た時、何かしてました?


 本当に僕ら、おじゃまでしたかねぇ……。

 寝巻き姿でベッドに腰を下ろしていたメリーヌさんが、立ち上がって歩み寄って来ました。


「ケント……昨日は本当にありがとう。私もカルツも、もう駄目だ、死んじゃうんだと思ってた……」

「ふごっ……ふぐぅ、うぐぅ……」

「あっ、ごめんなさい。これじゃ喋れないわね」


 メリーヌさんの熱烈なハグは、埋没感が凄いです。

 そして突き刺さって来るカルツさんとセラフィマの視線が凄く痛いです。


「ぷはっ……お二人とも顔色も良くなったみたいで安心しました。僕も昨日は背筋が寒くなりましたよ」


 こちらの世界に来てから、人の死に立ち会う機会も増えましたし、自分の手で命を奪ったこともあります。

 それでも親しくしている人が死ぬかもしれない場面に遭遇して、とても冷静ではいられませんでした。


 こちらの世界に召喚されて、チートな力を手に入れたけど、時間を遡ったり、未来に行ったりは出来ません。

 日本に戻れる力を手にしても、過去に戻って母さんが命を断つのを止められませんでした。


 もし昨日、あの場所に駆けつけるのが5分遅れていたら、こうして二人と話せなくなっていたんだと思ったら、涙が溢れてきてしまいました。


「良かった……本当に良かった……二人がいなくなってたら……」

「ケント……大丈夫、ケントが助けてくれたんだよ。私もカルツも、いなくなったりしないよ」

「うん、うん……」


 もっと早く日本に戻れると気付いていれば、母さんを助けられたかもしれないけど、それはもうどうにも出来ない事だし、今はメリーヌさんとカルツさんを助けられたことを喜ぶべきだと思い直しました。

 しっかり朝食も食べて、体調もよくなったカルツさんとメリーヌさんは、一緒にお店に戻るそうなので、セラフィマと一緒に送って行くことにしました。


 二人が着ていた服は血まみれだったので、カルツさんは守備隊の制服、メリーヌさんはマリアンヌさんの普段着を借りて帰ります。

 二人はダンジョンから迎賓館まで送還術で移動したので、門の警備をしていた守備隊の隊員さんが驚いていました。


 領主の館に入る人は、全員門の所で身元をチェックするのに、入った記録のない2人が出てくれば驚くのも当然ですよね。

 まぁ、カルツさんは守備隊の隊長さんですし、メリーヌさんはカルツさんの婚約者として知られているので、事情を話せば問題なく通してもらえました。


 ヴォルザードの裏通りを歩いてメリーヌさんのお店に向かう二人ですが、これまでよりもピッタリと寄り添っているように見えるのは、僕の見間違いではないでしょう。

 うんうん、カルツさん至福の感触を堪能していることでしょう。


「痛たた……なんで抓るの?」

「知りません……」


 むふふ……拗ねてるセラフィマは年上だけど可愛いですよねぇ。

 はむってしちゃいましょうかねぇ。


 雨降って地固まるじゃないけど、散々ニコラに振り回され続けた二人が、ようやく在るべき形に収まった気がします。

 これからは、2人で幸せな家庭を築いてほしいですね。


 メリーヌさんのお店に近付くと、入口の前で抱き合う男女の姿がありました。

 真昼間の通りの真ん中で、けしからんですねぇ。


 どこかで見たような感じがしますが、女性は背中を向けていますし、男性もうつむいているので顔が見えません。

 女性は、男性の胸に顔を埋めて肩を震わせています。


 これは、もしや修羅場ってやつですか……と思いつつ近づいて行くと、うつむいていた男性が顔を上げ、ついでに驚きの声を上げました。


「えぇぇぇぇ! た、隊長……メリーヌ……」


 見覚えがあるのも当然で、男性はバートさんでした。

 そして、バートさんの声を聞いて勢い良く振り返った女性は本宮さんでした。


 本宮さんは、涙でぐしょぐしょになった目を真ん丸に見開いて、こちらに向かって歩き始めましたが、二歩ほど歩いた所でバートさんに向き直りました。


「嘘つき!」


 本宮さんの平手打ちがバートさんの頬を捉え、パチーンっと小気味良い音が響き渡りました。

 うわぁ、痛そう……。


「メリーヌさーん! メリーヌさん、メリーヌさん、メリーヌさん……」


 駆け寄ってきた本宮さんは、メリーヌさんの胸に顔を埋めて号泣し始めました。

 てか、これってどんな状況なんでしょうかね?


「た、隊長……デカい蟻に襲われて、死んだって……」

「縁起でも無いことを言うな……まぁ、実際かなりヤバかったがな」


 どうやら、昨夜ダンジョンから逃げてきた人から、カルツさんの死亡説が流れたみたいです。

 それを守備隊で聞いたバートさんが、ショックのあまりフラフラとメリーヌさんの店を訪ねて来たようです。


 そこで、メリーヌさんの様子を見にきた本宮さんと遭遇、死亡説を伝えられた本宮さんがショックで泣き出した所だったようです。


「お前は、真偽の分からないことをペラペラと人に喋るな」

「いや、だって壁を掘り抜いて連絡所の中にまで侵入して来たって聞いたし、連絡所の入り口で大蟻と鉢合わせになって、命からがら逃げて来た奴の話だったから、てっきり……」


 どうやら、カルツさんの後に連絡所に戻ろうとした守備隊員がいたようで、大蟻に占拠された状況を見て生存は絶望視されたのでしょう。

 てか、マリアンヌさんが出勤しているはずですが、まだカルツさんが無事だった話が流れてなかったんでしょうね。


 メリーヌさんに宥められて、ようやく落ち着きを取り戻した本宮さんは、僕が窮地を救ったと聞いて、こちらに向き直りました。


「国分ぅぅぅ……ありがとうぅぅ……」

「ストップ! 分かったから、そこでストップ!」

「なんで……?」

「なんでって……お嫁さんが一緒なのに、同世代の女の子に抱き付かれる訳にいかないでしょ」

「あっ、そうか、ごめん……」


 いや、自覚してないみたいだけど、本宮さん、涙と鼻水でズルズル、ぐちょぐちょの放送禁止レベルですからね。

 セラフィマを利用して拒否らせてもらいました。


 てか、痛いんですけど、何で抓るの? セラフィマさん。

 セラフィマがハンカチを貸してあげて、どうにか本宮さんもお見せしても大丈夫レベルに戻りましたが、兎みたいに目が真っ赤です。


「いやぁ……申し訳ない。俺が噂話を信じてしまったばかりに……」

「ふん……知らない」


 頭を掻きながらバートさんが謝りましたが、本宮さんは取り付く島もない状態です。

 よほどショックだったんでしょうねぇ……。


 と言うか、この様子だとカルツさんは自分とメリーヌさんの無事を知り合いに知らせて歩いた方が良いかもしれませんね。

 悪い噂は広まりやすいけど、なかなか本当の話は広まらなかったりしますからね。


 という訳で、少し早いけどお昼を食べにアマンダさんの店に向かいました。

 アマンダさんのお店は、目抜き通りを挟んだ反対側なんですが、カルツさんが通りに姿を見せると驚く人が続出です。


「なんだよ、カルツさん無事じゃないかよ!」

「どこのどいつだ、死んだなんて縁起でもない事を言った奴は!」


 カルツさんの無事な姿を見て、わっと人が集まって来ました。

 これまでカルツさんが、守備隊の隊長として誠実に仕事を続けてきた証ですね。


「ケント様、カルツさんは皆さんから信頼されているのですね」

「うん、そうだよ。僕もヴォルザードに着いた時に色々と面倒をみてもらったんだ」

「そうなのですか……」

「魔の森に接しているヴォルザードでは、守備隊は命懸けで街を守ってくれる存在だから、住民からは尊敬される存在なんだよ」


 目抜き通りで突然始まったカルツ祭りは、まだ続きそうなので、先にアマンダさんの店に行って席を取っておきましょう。

 お店の扉には、準備中の札が掛かっていますが、勝手知ったる我が家のごとく入っちゃいますよ。


「こんちわ~」

「すみません、まだ準備中で……って、国分! お前なんでメリーヌさんを……」

「あー……はいはい、大丈夫だからね。メリーヌさんもカルツさんも無事だから」


 食って掛かって来そうな綿貫さんを押し留めると、厨房からアマンダさんも顔を出しました。


「ケント、そりゃ本当なんだろうね?」

「勿論です。今、表通りでカルツさんが街の人達に囲まれちゃってますけど、もう少ししたらメリーヌさんも一緒に顔を出しますよ」

「はぁぁ……ケントが助けに行ってくれたのかい?」

「はい、ちょっと危ないところでしたが、なんとか間に合いました」


 二人の無事を知らせると、アマンダさんはホッと胸を撫で下ろしていました。

 アマンダさんにとってメリーヌさんは、弟子であり娘のような存在でしょうから、婚約者であるカルツさんと一緒に亡くなったなんて聞けば、気落ちするに決まっています。


「まったく、どこのどいつだい、こんなとんでもない噂を撒く奴は、ひっぱたいてやるよ!」


 アマンダさんは、いつもの威勢を取り戻して、厨房へ戻っていきました。


「国分……グッジョブ!」


 サムズアップをしながら笑顔を浮かべた綿貫さんとハイタッチを交わし、今日は人数が多いので奥の席へと座りました。


「アマンダさん、お腹空きました!」

「はいよ! もうちょっと待っておいで、腕に縒りをかけて美味しいものを食べさせてあげるよ」


 厨房からは、いつもの美味しい匂いが漂ってきます。

 美味しい料理が出て来るのは間違いないので、セラフィマとイチャイチャしながら大人しく待っていましょうかね。

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