第403話 ダンジョン
ダンジョンに連れて行ってほしい……と、 メリーヌに頼まれた。
弟のニコラが命を落とした場所を自分の目で見たいそうだ。
ケントから聞いた話では、ニコラがギガアントに襲われたのは7階層らしい。
資格の無い者が6階層から下に潜る場合、Aランク以上の冒険者の護衛が必要になる。
俺は守備隊の隊長を務めているから腕っぷしには自信があるが、冒険者として活動していないので今から登録してもCランク、コネを使ってもBランクだろう。
7階層まで潜るならば、冒険者を雇うしかないだろう。
俺の知り合いの中で一番頼りになる冒険者は間違いなくケントだが、Sランクの冒険者としてランズヘルト中を忙しく飛び回っていると聞く。
ケントに護衛を引き受けてもらえるならば、大船に乗ったつもりでダンジョン見物が出来るのだろうが、それでも俺はメリーヌを連れていきたくない。
ダンジョンの内部はヒカリゴケなどで照らされて、手持ちの明かりが無くてもなんとか移動が出来るが、あの陰鬱とした空気を今のメリーヌに味わわせたくない。
ニコラが死んだと聞いて以来、メリーヌは酷く落ち込んだままだ。
今のメリーヌをダンジョンの内部まで連れて入ったら、そのまま戻って来なくなってしまいそうで恐ろしいのだ。
それでも、どうしてもと言うメリーヌに抗いきれず、入口までで内部までは潜らないという約束で、連れて行くことになってしまった。
「無理を言ってしまって、ごめんなさい」
「いや、俺の方こそ希望を叶えてやれず申し訳ない」
ヴォルザードの街からダンジョンまでは、大人の足ならば半日ほどの距離だが、憔悴しているメリーヌを連れて行くので、守備隊から小型の馬車を借りてきた。
出立は朝の混雑を避けて少し遅い時間にして、昼過ぎにダンジョン近くの集落に到着、守備隊の連絡所に一晩泊まってから戻ってくる予定だ。
ダンジョンの内部には、多くの魔物が生息している。
そこで繁殖しているのか、それともどこからか湧いて出てくるのかまでは不明だが、過去には内部から大量の魔物が溢れ出たこともある。
そうした状況を想定して、ダンジョン近くの集落には守備隊の連絡所が設けられていて、何か異変が起こった場合にはすぐ街に知らせる体制が整えられている。
守備隊の連絡所も、馬小屋などは地上に作られているが、隊舎や宿泊所は地下に作られている。
街の隊舎と較べれば規模は小さいが、地下3階まで掘り下げられ、内部には頑丈な鉄の扉を3箇所潜り抜けて入るようになっている。
守備隊の研修などで何度も訪れているが、まさか婚約者を連れてくるとは思ってもいなかった。
ダンジョンへと向かう道中は、春の日差しに照らされて、のどかとしか言いようが無いぐらい平和そのものだった。
途中にある池に遊びに行くのであれば、どんなにか心浮き立つ時間になっていただろうが、メリーヌの表情は沈んだままだ。
こんな時に、バートならば上手く話を盛り上げられるのだろうが、何と話し掛けて良いのか全く分からない。
「寒くないか?」
「はい……」
「疲れたら、言ってくれ」
「はい……」
まるで話が続かず、春の風景の中で俺達の時間だけが止まってしまっているようだった。
途中、二度ほど馬に休息を与えたのだが、その間もメリーヌは空を見上げていて、道端に咲いている蓮華の花にも気付いていないようだった。
メリーヌとニコラは、母親を早くに亡くしたそうだ。
父親は店の営業で手一杯だったので、自然とニコラの面倒はメリーヌが見るようになり、姉として母親代りとして接してきたらしい。
それだけに、ニコラのわがままな性格は自分に責任があると思い込んでしまっているようだ。
父親の死後、ニコラが店を継ぐと言いだした時には、これで少しはシッカリするだろうと喜んでいたが、その後は表情を曇らせる日を過ごしていた。
ケントがヴォルザードに現われてから、事態は良い方向へ動き出したように見えた。
父親の遺した店を自分で継ぐと決めてから、メリーヌにも笑顔が戻っていた。
だが、その影でニコラは質の悪い連中に唆されて、多額の借金を抱えることになっていた。
店を放り出して冒険者になるなんて言いだした時に、俺が半ば強制的にでも守備隊の訓練に参加させて、性根を叩き直していれば……とも思ったりもするが、今さら言っても時間が戻る訳でもない。
ニコラは遅かれ早かれ、こうした結末に辿り着いてしまったのだろう。
誰かの責任とかではなく、やはり本人の行いなのだろう。
そう言っても、メリーヌは曖昧に頷くだけで、自責の念に囚われているのは間違いない。
今は、なるべくメリーヌの希望を叶えてやって、時間が心を癒してくれるのを待つしかないのだろう。
途中、ヴォルザードの人々が行楽に訪れる池の畔で早めの昼食にしたが、メリーヌは殆ど口を付けなかった。
「メリーヌ、少しは食べないと身体を壊してしまうぞ」
「はい……分かってはいるのですが、食べたいと思えなくて……」
「メリーヌがニコラを思う気持ちは、きっと伝わっているはずだ。それに、メリーヌが苦しむことをニコラが望んではいないだろう」
「でも、私がもっとニコラの気持ちに寄り添えていたら……」
「ニコラは、唐突に現れたギガアントの群れから逃げ切れなかったらしい……これはベテランの冒険者でも時には助からない状況だ。ダンジョンは、それだけ危険な場所なんだよ」
「はい……」
もう少し、メリーヌの気持ちを和ませてやりたいのだが、良い言葉が見つからない己の口下手が恨めしい。
ダンジョンまでの道程は、快晴の天気とは裏腹に重たく沈んだものとなってしまった。
途中、ダンジョンから街へと戻る冒険者達と擦れ違った。
意気揚々と足取り軽く歩いている者もいれば、どこかに傷を負っているのか歩くのさえ辛そうな者もいた。
そうした冒険者と擦れ違う度に、メリーヌは目を皿のようにしてニコラの姿を探していた。
手元に戻って来たものは、ニコラのギルドカードと家の鍵だけ。
ダンジョンに出入りする冒険者であれば、これだけでも持ち主の死を確信するが、ダンジョンと無縁な生活を送ってきた者にとっては、これだけで身内の死を受け入れろというのは酷な話なのだろう。
だからこそ、気持ちに区切りを付けるためにもダンジョンへと向かっているのだが、メリーヌはもしやという気持ちを捨てきれずにいるようだ。
俺達がダンジョン近くの集落へ到着したのは、丁度冒険者達が探索へと出掛けていく時間だった。
冒険者達がポーターと交渉を重ね、契約を成立させてダンジョンへと向かう様子をメリーヌは馬車の上からじっと見守っていた。
「ニコラも、あんな感じで冒険者と交渉していたんでしょうか?」
「たぶん、そうだろうな。新人冒険者の中には、ポーターの報酬は要らないから連れて行って欲しいと頼む者もいるそうだ。おそらく、ニコラもそんな感じで声を掛けて、ダンジョンの内へ連れて行ってもらったのだろう」
「どうして……どうして連れて帰ってくれなかったのでしょう」
「契約した冒険者達にしても予想外の相手だったのかもしれないし、自分の身を守るのが精一杯だったのだろう」
ダンジョンに向かう冒険者達を見送りながら、メリーヌが呟いた。
「皆さん、ご無事で……」
ダンジョンに挑む者達は、命の危険と儲けを秤に掛けて、暗い地の底へと挑んで行く。
知識、腕力、経験、逃げ足……己と仲間だけが頼りで、助けは期待できない世界だ。
一夜で数年分の稼ぎを得る者もいれば、ニコラのように一生を終えてしまう者もいる。
成功と破滅の縮図のような世界だからこそ、人はダンジョンに引き寄せられるのかもしれない。
「私は、貧しくても、成功しなくても良いから、ニコラに生きていてほしかった」
「そうだな……もう少し時間をやれば良かったのかもしれないな」
ニコラの自立を促す意味で、俺が同居を始めたのだが、少し焦りすぎたのかもしれない。
ただ、まさか出て行った足でダンジョンへと向かい、そのまま潜ってしまうとまでは思いもしなかった。
あまりにも無計画だし、この結末もある意味仕方ないとさえ思えてしまう。
せめて、もう少しだけニコラに分別があれば、違った結果になっていただろう。
守備隊の連絡所へ馬車を預け、宿泊所へ荷物を置きに行った。
地下にある建物をメリーヌは初めて見たそうで、外からは想像も出来ない地下空間と頑丈な入口の扉に驚きを隠せずにいた。
宿泊所で少し休憩した後、今度はダンジョンの入口近くまで足を運んだ。
入口の前には、管理人のロドリゴが、鉄棒を片手に睨みを利かせていた。
俺は仕事の関係で何度も顔を会わせているが、スキンヘッドに片目は黒革の眼帯という凄みの有る見た目に、メリーヌは気後れしているようだ。
ロドリゴは俺の顔を見て、何か言いたげではあったが、同行するメリーヌの表情を見て事情を察したようだった。
メリーヌは門の外からダンジョンの入口を見詰め、静かに手を合わせた。
その姿を見守っていると、ロドリゴが声を掛けて来た。
「身内が戻らないのか?」
「あぁ、彼女の弟なんだが……」
簡単に事情を話すと、ロドリゴは納得したようで頷いてみせた。
「ギルドからも通達が来ている。若い者をポーターとして連れて入る奴には、戻った時に無事を確認させるようにした。若い連中を守る意味では、そのニコラの死は無駄になっていない」
ロドリゴの言葉を聞いて、メリーヌが両手で顔を覆って嗚咽を洩らし始めた。
そっと抱き締めると、俺の背中に両手を回してしがみついて来た。
「うぅぅ……ニコラ……」
力を入れたら折れてしまいそうなメリーヌを両腕で抱え、必ず守り続けるとニコラに誓った。
入口で身を寄せ合う俺達を、ダンジョンから戻って来た冒険者達が、不思議そうな顔で眺めて通り過ぎて行く。
肩を震わせていたメリーヌも、冒険者達が戻って来た気配に気付いて顔を上げた。
ポツリ、ポツリといった感じで戻って来るパーティーは、稼ぎの違いはあるのだろうが、無事に地上に戻れて安堵の表情を浮かべている。
メリーヌは、その中にニコラの姿が無いか真剣な眼差しで見守っていたが、その希望が叶うことはなかった。
「おかしいぞ……」
最初のパーティーが戻って来てから暫く経った頃、ロドリゴが厳しい表情で呟いた。
「どうかしたのか?」
「戻って来るパーティーの数が少なすぎる」
言われてみれば、確かに戻ってくる連中が少ないように感じる。
ダンジョンへは昼過ぎに潜り始めて、到達階層によって滞在日数こそ異なるが、殆どの者は夕方近くに戻ってくる。
以前来た時に帰還風景を見たが、ダンジョンから続々と冒険者達が戻って来ていた。
ところが、今日は数える程度しか戻って来ないし、戻って来ている連中は殆どが若い冒険者だ。
「中層から下で何かあったな……」
「落盤で道が塞がったとかか?」
「いや、落盤ならば地響きなどで気付くはずだ」
「じゃあ、何故戻って来ないんだ?」
「分からん。分からんが、良い話でないことだけは確かだ」
ロドリゴは、ダンジョン入口前の両開きの扉を片側閉め始めた。
いつでもダンジョンを封鎖出来るように備えているのだ。
更に時間が経過したところで、ロドリゴは人一人が通れる隙間を残して扉を閉ざした。
この扉を閉めて、錠前を掛けてしまえばダンジョンの封鎖は完了する。
ロドリゴが西の空の残照を見やり、門を閉じようとした時だった。
慌てふためく足音が聞こえて来て、ダンジョンの入口から冒険者が飛び出して来た。
「ロドリゴ、5階層に見たこともない魔物だ!」
「何だと、どんな奴だ?」
「真っ青な馬鹿デカい蟻だ。恐ろしく硬いし、恐ろしく速い、あんなもの手に負えねぇぞ」
戻って来た冒険者の話では、蟻は人よりも遥かに大きく、顎の大きさはおとなの腕ぐらいあるそうだ。
屈強な冒険者が、一噛みされただけでほぼ即死状態らしい。
俄かには信じがたい話だが、冒険者が嘘を言っているようには見えない。
「上がって来ると思うか?」
「さぁな、3階層の回廊は狭いから、暫くは上がって来ないだろうが、何せ蟻だからな穴を掘るのはお手の物だろう」
「お前のパーティーはどうした?」
「自分が逃げるだけで精一杯だ。たぶん……」
全力疾走してきたための汗なのか、それとも魔物に追われた冷や汗なのかは分からないが、門の外に出た冒険者はしきりに額を拭っていた。
「ロドリゴ、街には守備隊から知らせる。念のためにダンジョンを封鎖しよう」
「分かった。おい、ワレス、集落の連中に知らせて回れ。Cランク以上の者は招集、宿の連中には扉を閉める準備しとけってな」
「分かった!」
ダンジョンの見張りはロドリゴに任せて、俺はメリーヌを連れて守備隊の連絡所へ戻った。
当番の隊員に状況を話し、街に状況を伝えるよう命じた。
馬を飛ばせば今夜中にヴォルザードの街まで戻れるし、朝一番に応援を出せば、昼には到着するはずだ。
「メリーヌ、悪いがここで待っていてくれ。俺はここの連中と一緒にダンジョンの入口を固める。もう伝令を出したから、明日の昼には応援が到着するはずだから、そうしたらヴォルザードに戻ろう」
「はい、どうかお気を付けて」
「あぁ、無理をするつもりは無い。ここで待っていてくれ」
メリーヌを宿泊所へ残し、防具と武器を借りてダンジョンの入口まで戻った。
封鎖を終えた入口の前では、ロドリゴの指示の下で篝火などの準備が進められていた。
「ロドリゴ、俺達も応援に入る」
「べっぴんさんを一人にして良いのか?」
「そんな事を言ってる場合じゃないだろう?」
「まぁ、そうだな。さっきのワレスはCランクだが、なかなか腕が立つ。そいつが成す術なく逃げ帰って来たのだから、相当な相手だと考えるべきだろう」
「作戦は?」
「基本は柵の外から魔術での攻撃、柵に取り付かれたら槍で追い払う。まずは相手がどの程度なのか見極めて、攻勢を仕掛けるのはその後だ」
ダンジョン入口の柵は、俺が両手で掴もうとしても指が届かないぐらいの太さがある。
普通の魔物では曲げることすら叶わないだろうし、押し倒されないための補強が着々と行われている。
土嚢が積まれ、補強の柱が組まれ、門には頑丈な閂が下ろされた。
これならば、サラマンダーの突進を食らっても大丈夫だろう。
「ロドリゴ、出て来ると思うか?」
「さぁな……だが、あれだけ入っていった冒険者が、ほんの一部しか戻って来ない。考えたくないが犠牲になったのだろう。それで満足していれば出て来ないかもしれないが、そのデカい蟻の数次第だろうな」
魔物の行動パターンは、殆どの場合はシンプルだ。
腹が減れば襲い、満たされれば無理に襲ってきたりはしない。
「それにしても、どこから現われやがったんだ?」
「もしかすると、南の大陸かもしれないな」
「南の大陸だと? そうだとして、どこを通って来たって言うんだ」
「少し前に、リバレー峠で大量の魔物が現われたことがあったが、あれは空間の歪みによって南の大陸と繋がっていたのが原因らしい」
「なんだと! 誰がそんな……魔物使いか?」
ロドリゴは、話の途中でケントの存在を思い出したようだ。
「そうだ、あの時も地震の後だったし、今回も……」
「だが、地震があったのは3日前だぞ」
「空間は繋がっていたが、魔物は出て来なかっただけじゃないのか?」
「うむ……可能性は無くもないが、いずれにしても確かめに行くのは難しいだろう。ダンジョンの構造は、蟻にとっては天然の巣みたいなものだからな」
「確かに、中で戦うのは不利だろうな」
6本の脚で動き回り、強力な顎を武器とする魔物を2本脚の我々が相手にするには、ダンジョンの内部は足場が悪すぎる。
かと言って、表に出してしまうと、一般の者達に被害が出かねない。
「また魔物使いにお出まし願うしか無さそうだな」
「だとしても、ケントが到着するまでは、俺達が何とかするしかないぞ」
「まぁ、流石にこの柵を壊されるとは思わないが、念には念を入れておくか……」
ロドリゴが歩み寄った樽の中身は、どうやら油のようだ。
「攻撃魔術が通じなかったら、こいつを浴びせて火を点ける。場合によってはダンジョンの内部へと流して火を点けるつもりだ」
例えどんなに硬い殻を持つ魔物であっても、サラマンダーのような火属性の魔物でない限り火による攻撃は有効だ。
ダンジョンの入口に火を放たれれば、無理やり通り抜けようとまではしないだろう。
入口の警備に集まった冒険者達は、長柄の槍を携えている。
こうした封鎖の状況を想定して、ギルドで用意しておいたものだ。
危険な魔物はダンジョンの外へ出ないように、柵の外から槍で突き、内部へと追い立てるのだ。
集まった冒険者達の話題は、ワレスから聞いた大蟻の魔物一色だ。
「本当に、そんなにデカい蟻がいるのか?」
「疑うなら見に行ってみろよ。嘘やネタだと言うなら、なんで潜った連中が戻って来ないんだ」
「そりゃそうだが、人よりも大きい蟻って、ギガアントの何倍だよ」
「相手が蟻なら、狙うのは関節だな」
「恐ろしく硬いらしいから、胴体を狙うのは難しいらしいぞ」
「てか、仕留めたら金になるのか?」
未知の魔物なので、素材としての価値も、魔石の価値も未知数だ。
そして、冒険者達が心配するのは、ダンジョンの封鎖がいつまで続くかだ。
ダンジョンに入れば、一攫千金を夢に見る事も出来るが、外から眺めているだけでは1ヘルトの儲けにもならない。
ロドリゴが、今夜の封鎖に参加した者には褒賞金を出すつもりだと言っても、空手形では盛り上がりに欠ける。
日が沈み、夜が更けて篝火が焚かれ、集まった冒険者達にも気の緩みが見え始めた頃、真っ青で巨大な蟻がダンジョンから姿を現した。
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