第399話 フェルの思い

 魔物の死骸を切り刻み、土に混ぜて作った肥料を使うと、薬草の効能が上がるらしいです。

 オイゲウスを調査する過程で知った秘密の一端をクラウスさんに話したのですが、反応は今一つというか良くありません。


「ヴォルザードでも、そういう肥料を使って薬草を育てろって言うのか?」

「いえ、そこまでは言ってませんが……」

「その肥料は、確かに薬草を栽培するには有効な肥料なんだろう。だが、その薬草を使ったポーションを10年、20年、30年と使い続けても魔落ちしないと言い切れるのか?」

「それは……分かりません」


 オイゲウスがポーションで財を築いたのは、今から20年ぐらい前の話だと聞いています。

 ただ、その当時から薬草を自分で育て、その肥料として魔物の血肉や魔石の欠片が使われていたかは分かりません。


「ケント、魔落ちに関しては、まだ分からない事の方が多い。そもそも、何で魔物の肉を食うだけで魔落ちするのかすら分かっていない」

「それは、魔素が含まれているからじゃないんですか?」

「馬鹿言うな。この世界に生きているものの身体には、みんな魔素は含まれている。俺達の身体だって、食用の豚や鶏だって、みんな魔素は持っている」

「えっ、じゃあ何で魔物を食べた時だけ魔落ち……」

「だから、分かってねぇって言ってんだろう」


 ヴォルザードで魔石を机の上に置いても何の変化もありませんが、日本では崩壊を始めてしまいます。

 それは、空気中に魔素が含まれているか、含まれていないかの違いによるものです。


 つまり、ヴォルザードにいる人たちは、空気を吸えば魔素を肺に取り込むし、水を飲めば胃に取り込んでいるのです。

 でも、空気を吸ったり、水を飲んだりしただけでは魔落ちしない。

 魔落ちの条件は、魔素の有無ではないのです。


「魔落ちする理由が分かっていないのに、30年毎日飲み続けたら魔落ちするかもしれない……なんて危険性を、どうやって検証すれば良い?」

「それは……魔物でない動物に、そのポーションを凝縮した物を飲ませて変化を観察するとか……」

「なるほど……だが、動物と人が同じ反応をすると、どうやって証明する?」

「それは……分かりません」


 魔落ちに対する危機感は、僕が思うよりもシビアなのでしょう。

 そしてクラウスさんは、予想外の厳しい措置を口にしました。


「分からないならば、リスクを冒す必要は無い。レーゼが何を考えているのか分からんが、俺ならば魔物の死骸を肥料として使っている時点でオイゲウスのマジックポーションの使用を禁止する」

「えぇぇ……だって、オイゲウスのマジックポーションは市場をほぼ独占しているんですよね? マジックポーションが無くなったら冒険者から不満が出ませんか?」

「出るだろうな。もしかしたら守備隊の連中にも影響は及ぶかもしれん。禁止しても闇で流通する事になるかもしれんが、魔落ちの危険を冒す訳にはいかねぇ。一度魔落ちした奴は、二度と元には戻らねぇ。これまで幾多の治癒魔術士が治療を行っても、ただの一人も元に戻ったことは無いからな」

「まさか、本当に禁止するんですか?」

「当然だ。明日から即販売を停止、手持ちのマジックポーションも全て処分するように通達を出す。ケント、オイゲウスの原液が、何処の薬問屋に卸されているのかレーゼから聞き出して来い!」

「分かりました」


 クラウスさんの剣幕に押されて、夕食もそこそこにバッケンハイムに急行しました。

 バッケンハイムのギルドを訪ねると、マスター・レーゼはもう仕事はうんざりだという感じで、書類を投げ出して煙管をふかしていました。


「ケントです、よろしいでしょうか?」

「入りや……まさか、まだ働けと言うんじゃないじゃろうな?」

「えーっと、そのまさかでして……」


 クラウスさんとの話し合いの内容を伝え、薬問屋を調べてもらうように頼みました。


「ふははは、クラウスめ、考えおったな」

「えっ、どういう事ですか?」

「オイゲウスを日干しにするつもりじゃろぅ」

「そうか、ポーションが売れなくなったら収入が無くなりますもんね」

「それだけではないぞぇ。この措置は、これまでに売ったポーション全てに適用出来る。つまり、怪しげなポーションで成した財は全て吐き出せという事じゃ」

「でも、まだオイゲウスが魔落ちポーションの犯人だと決まった訳じゃないですよね。それなのに、そんな厳しい処分をしちゃって良いんですか?」

「良いに決まっておる……が、ケントよ、例の配合は手にはいったかぇ?」

「いいえ、明後日調合が行われる予定なので、そこで何とか……」

「ならば、そこまで待って処分を開始しようかのぉ」

「うわぁ、それじゃあポーションの配合を奪った上に強制的に潰しちゃうみたいなものじゃないですか」

「まぁ、そうじゃのぉ……ただ、近頃のオイゲウスの専横振りは目に余るものがある。オイゲウスとアンデル、どちらが領主か分からないほどじゃ」


 当初オイゲウスは、私財を寄付する形で街の発展に関わっていたそうですが、その金額が増えるにつれて、街の運営にも注文を付けるようになったそうです。

 その注文も、最初のうちは行政の無駄を省いたり、税の使い道の透明性を求めるなど、住民に寄り添ったものだったそうですが、次第に自分にとって都合が良くなるような注文が増えてきたそうです。


 典型的なのが、公的な研究施設でのポーション関連の予算の増額や、研究データの公開要求などで、自らの懐や取り引き業者が潤うように注文を付けることが多くなったそうです。

 表向きは、あくまでもポーションの安全性と価格引き下げ、効果アップなどが名目になっているので、これまで恩恵を受けて来た住民達も賛同しているらしいです。


「何だか、魔落ちのポーションそっちのけで、権力闘争になってませんか?」

「まぁ、否定はせぬぞぇ。だが、オイゲウスのような存在を放置しておけば、社会構造に歪みが出てくるのも事実じゃ。まして今は、イロスーン大森林が通れぬ事でランズヘルトが分断されてしまっている状況じゃからのぉ、七分の一の騒動ではなく五分の一の騒動になりかねぬわぇ」


 領主一族ではなく、オイゲウスが街の実権を握るような状況が起これば、他の領地にも騒動が波及する恐れがあると考えているのでしょう。

 何となく魔落ちポーション絡みで容疑をなすりつけて、政敵を失脚させる工作のように感じてしまって納得がいかないのですが、領主やギルドマスターの仕事に口を挟むのも、何様なんだって話ですし、どうしたらよいものやら。


「んー……とりあえず、オイゲウスと取り引きのある薬問屋のリストを下さい。その代わりと言っては何ですが、明後日の調合の様子までは捜索を続けます」

「頼むぞぇ。クラウスにも、いま暫く通達は待てと言うておいてくれるかぇ?」

「分かりました」


 ヴォルザードに戻ってマスター・レーゼの要望を伝えると、クラウスさんは少し考えた後で了承しました。


「ケント、明後日までの間、探った内容は全部こっちにも伝えろ。通達を出す上での判断材料にする」

「了解です」


 クラウスさんへの報告を終えた後、迎賓館に戻ろうかと思ったのですが、何となく気分がスッキリしないので外の空気を吸いたくなりました。

 影に潜って、魔の森の訓練場へ移動したのですが、雨が降り始めていました。


 雨に濡れてまで外に出たい訳でもないので、そのまま雨を眺めていましたが、ふと思い立ってフェルの様子を見に行きました。

 この時間は、フェルにポーションを渡した正体不明の男を探している頃ですが、雨模様では現れる可能性は低いような気がします。


 ですがフェルは、裏路地や酒場を丹念に探し歩いていました。

 夜の酒場には、ローブで顔を隠した客など珍しくもないので、そうした者を見かけると、自分にポーションを渡した者か、近付いて丹念に調べているようです。


 酒場の内部を見回して、目的の人物がいないと分かると、フェルは小さく舌打ちした後で次の場所へと移動しかけて僕に気付きました。


「何だよ、俺が真面目にやってるか監視に来たのか?」

「そういう訳じゃないけど、こっちの具合はどうか気になってね」

「生憎と例の野郎は見つからねぇし、何も知らねぇ連中が好き放題言ってやがる……」


 バッケンハイムの酒場では、やはり魔落ちしたフェルとタデーロの話題で持ちきりでした。

 魔落ちした上に仲間を殺してしまったタデーロへの風当たりは強く、ギルドに知らせるように言い残して姿を消したフェルに対する評価は同情的なものが多いようです。


 とは言っても、魔落ちするような得体の知れないポーションに手を出したという事実は動かないので、フェルも嘲笑の対象とされてしまっているようです。

 それと、タデーロと違ってフェルは僕に隷属させられ捜査に協力しています。


 つまり、表向きには死体が見つかっていない事になっている訳です。

 魔落ちして姿を眩ませた冒険者……ネタにするには打って付けなので、様々な憶測が飛び交っているようです。


 曰く、魔落ちした後も冒険者としての記憶を残していて、イロスーン大森林で魔物を狩り続けているとか。

 夜の闇に乗じてバッケンハイムへと戻り、街のどこかで息を潜めているとか。


 ポーションを配っていた連中に捕まって、更なる実験を繰り返し受けさせられているとか。

 本人が影の中から聞き耳を立てているとはツユとも知らず、憶測まじりの話が盛り上がっていました。


「まぁ、得体の知れねぇポーションなんかに頼って、魔落ちした時点でボロカスに言われるのは仕方の無ぇ事だとは分かってる。そんでも何も知らねぇ、なんの迷惑も掛けた覚えの無い連中から笑われるのは腹が立つ。こいつら全員ハゲちまえばいいのにな」


 フェルは影の中を抜けて酒場から出ると、雨模様の裏通りの影を拾うように歩き始めました。

 雨は土砂降りというほどではないですが、傘が無ければ濡れネズミになる程度には降り続いています。


 バッケンハイムの街並みは、最初に出来た私塾や研究機関、公的な教育機関などの大きな施設の隙間を埋めるように広がっています。

 そのため表通りですら道幅が狭く、馬車は一定の方向へしか進めないほどです。


 裏通りに至っては、迷路のごとく入り組んでいて、初めて訪れた者が入り込むと、元の場所まで戻るのは一苦労でしょう。

 その裏道をフェルは迷う素振りも見せずに進んでいきます。


「この辺りは、俺がガキの頃から走り回っていた場所だ。目をつぶってたって迷わないぜ」


 さすがに目をつぶっては歩けないでしょうが、フェルは細い階段を下り、井戸端の広場を抜け、人ひとりがやっと通れる路地を抜けた所でようやく足を止めました。

 見上げたアパートらしき建物の二階の部屋には、まだ明りが点されています。


「今日はギルドに出勤してたぜ。馬鹿みたいに無理して笑ってやがった。いや、別に無理はしてねぇのかな……」


 わざわざ聞くまでもなく、部屋の主はギルドの受付嬢チコなのでしょう。


「ギルドの近くで待ち伏せて、偶然を装って、ちょくちょく送って来てた。あいつドジだからさ、失敗しちゃ凹んでやがって、その度に俺も失敗した振りして笑われてやってたもんさ」

「その言い方じゃ、まるでフェルは失敗なんかしないみたいだね」

「うるせぇよ、俺様はチコのために、わざと失敗してやってたんだよ」

「はいはい、そういう事にしておいてあげますよ」

「こいつ、ホント生意気だな。だいたい俺の方が年上なんだぞ。少しは敬いやがれ!」


 年上なのは認めるけど、敬うほどではないよね。


「様子を見に行かないの?」

「ここまでだ……ずっとここから踏み出せずにいた……」


 フェルが見上げた窓に人影が近づいて来ました。

 カーテンを開けて、チコは窓を濡らす雨を見上げています。


 その姿を見上げるフェルに、チコが気付くことはありません。

 アンデッド化し、僕に隷属させられ、影の中から見上げるフェルの姿は、チコの目には映らないから……。


「俺は自分で言うのも何だけど、粋がってるだけの馬鹿野郎だった。毎日仲間と冒険者ごっこをして遊び呆けてた。でもよ、チコにだけはマジだった。守ってやりたいと思った。けど……俺には力が足りないと思っちまった。だから、送って来てもここまでで、ここから先には踏み出せなかった」


 普段チャラいと感じるフェルの声が、影の空間に苦く響いています。


「仲間とツルんでたおかげでランクもちょっとは上がったが、俺一人ではヒヨっ子に毛が生えた程度で……それでもチコを守りたくて、あんな得体の知れないポーションなんかに頼っちまった。たぶん、タデーロとかいう奴も、俺と同じだったんじゃねぇか」 


 不意にフェルが、チコの部屋に背中を向けて歩き出しました。


「えっ……なんで?」


 チコは後ろから近付いてきた男に肩を抱かれると、カーテンを閉めて部屋の奥へと姿を消しました。

 フェルは振り向かずに歩いて行き、チコの部屋の明かりは消えた。


「フェル……」

「俺はもう少し、あの野郎がいないか探す。お前は邪魔だから帰って寝ろ。俺は……もう疲れる心配も要らねぇからよ」

「分かった……頼むね」

「おぅ……」


 フェルとチコの間に何があったのか知らないし、これ以上は踏み込むべきじゃないと感じます。

 魔落ちしたフェルは、あのままアンデッド化しなかった方が幸せだったのか、それとも、幸せを掴んで歩き出すチコの姿を確認出来て良かったのか、僕には判断が付きませんでした。


 迎賓館に戻ろうと思った所に、フレッドが話し掛けて来ました。


『ケント様……証拠を掴んだ……』

「証拠って、魔落ちの?」

『決定的な……会話を録画した……』

「見せて」


 タブレットに映し出されたのは、館にあるオイゲウスの作業部屋の様子です。

 机に向かって、何やら調合の作業を行っているオイゲウスを斜め前から捉えています。


『薬棚の影から……レンズだけ出して撮った……』


 映像が始まって10秒程経ったところでノックの音が響き、ジリアンが部屋に入って来ました。

 カメラの位置からでは、ジリアンは斜め後方から写されている状態ですが、ジリアンであると判別はできます。


「もう、あのポーションは撒かなくても良いのか?」

「効果はあったようだが、あの程度の期間で魔落ちするようでは使えん」

「ふん、確かにな……では、別の配合を試すのか?」

「そうなるな。さすがにギガースやクラーケンの魔石は、他のものとは一線を画しているようだが……いかに効能だけを抽出するかが課題か……」

「どうせなら、飲んだ直後に魔落ちするものを作れ。Bランクあたりに飲ませて、魔落ちさせたらどのぐらい強くなるのか……」

「お前が斬り刻んで終わりじゃろう。それより新しい剣は出来たのか?」

「ふふっ、いまやらせている。何でもヴォルザードから純度の高い鉄が手に入ったそうだ。こいつが砕けるまでには出来るんじゃないか……」


 ジリアンは、腰に吊った剣を軽く叩いてみせた。


「古今無双の力を手にしても、道具が追い付かぬとは……」

「そう言えば海の向こう、シャルターンの隣国の鍛冶師の話はどうなった?」

「クラーケンの騒動が片付いたとは言え、そんなに早くは戻って来ぬ。今少し待て……」

「そうか、まあいい……その代わり、次にサラマンダーが来たら斬りに行くからな」

「あぁ、好きにしろ……」


 用件が済んだジリアンが退室して、オイゲウスはまた調合に熱中し始めました。


「まぁ、そうだろうとは思っていたけど、やっぱり人体実験みたいなものだったのか……でも、カメラだけだと、さすがのジリアンも気付かないみたいだね」

『これで配合も手に入る……』

「そうか、あの小さな部屋でもカメラだけならバレずに撮影できるか……でも、配合を手に入れて、証拠を揃えたとして、どういう処分を下すんだろう?」

『さぁ……? 事情を聞く振りをして投獄かも……』

「ジリアンは、素直に応じると思う?」

『たぶん……無理……』

「だよねぇ……」


 これまで見ただけでも、ジリアンが素直に事情聴取に応じるとは思えません。

 例え、剣を取り上げられたとしても、風属性魔法は封じられません。


 魔法を封じるには隷属の腕輪を嵌めるのが一番手っ取り早いのでしょうが、それこそジリアンが応じるとは思えません。


『たぶん……ケント様に依頼が来る……』

「かもしれないね。でも、先にラウさんが立ち合うかもよ」

『剣の腕だけならラウ氏……でも、魔法も使うならジリアンが上かも……』

「フレッドなら?」

『勿論、負けない……』


 フレッドの言葉からは、レビンとトレノに不覚を取ったから、これ以上負けられないという気負いのようなものは感じられません。

 ジリアンと自分の技量を較べて、冷静に下した判断だと感じます。


「僕への依頼は、フェルから情報を引き出して魔落ちの原因を作ったものを探し出すところまで。その先の処分は、マスター・レーゼやアンデルさんの領分だから、お手並み拝見といこうか」

『りょ……』


 面倒な魔落ちの黒幕探しは先が見えてきたようですが、フェルをいつ天に送れば良いのか、どういう形が一番良いのか、決断までに残された時間は多くなさそうです。

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