第398話 オイゲウス

 オイゲウスは、バッケンハイム郊外の屋敷の他にも土地や建物を所有していました。

 マスター・レーゼが調べてくれた物件の中には、名義は別の人物になっているが、実質上の所有者はオイゲウスである物も含まれています。


 中には、明らかに薬品の調合を行う施設もありましたが、調査を始めてからは使われていないようです。

 監視対象が増えたので、フレッドとフェルの補助としてコボルト隊の何頭かを派遣したが、まだ決定的な証拠を掴むには至っていません。


 調査を進めていくと、オイゲウスとジリアンは常に行動を共にしているのかと思いきや、別々に行動する時間も多い事が分かってきました。

 そうした場合、オイゲウスはフェルが監視し、ジリアンはフレッドに監視してもらっています。


 やはりジリアンは、一筋縄ではいかない相手でした。

 屋敷の農園を見て歩くオイゲウスを見守っていたジリアンに影の中から接近を試みたのですが、30メートルほどの距離に近づいたところで反応されました。


 勿論、僕らは影の中からジリアンを観察していたので、何処にいるかまでは気付かれませんでしたが、僕らの視線を感じ取ったらしく辺りを探り始めました。

 たぶん、普通に物陰から接近するような形だったら、たちまち居場所を突き止められていたでしょう。


 僕やフェルではジリアンに気付かれずに行動を監視するのは難しいと判断し、偵察に慣れているフレッドに頼むことにしたのです。

 フレッドはジリアンの行動を遠目から撮影して、報告してくれました。


『オイゲウスの菜園の肥料には……魔物の血肉が使われている……』


 フレッドが撮影してきたのは、オイゲウスの所有物件の一つ、堆肥の製造所でした。

 ここはバッケンハイムの南側、森から然程離れていない場所にあります。


 オイゲウスは屋敷に隣接する菜園の他にも、二か所の菜園を所有していて薬草の栽培を行っています。

 合計三ヶ所の菜園で使われる堆肥は、全てこの製造所で作られているそうです。


 広さは学校の体育館の倍ぐらいあり、内部には土が積み上げられています。

 土は森から掘り出してきた腐葉土で、そこに馬糞などを加えて発酵させて堆肥にしている……というのが表向きの説明で、実際には意外な物が加えられていました。


 フレッドが撮影してきた映像は、ジリアンが馬車を建物へと乗り入れる所から始まっていました。

 御者台にはジリアン一人だけで、周囲にも人影はありません。


 御者台から下りたジリアンは、荷台からゴブリンの死体を投げ下ろしました。

 全部で二十頭以上のゴブリンは、その殆どが眉間の刺し傷で仕留められています。


 討伐の様子を見ていたフレッドによれば、ジリアンは持参した血を振りまいてゴブリンを誘い出し、近付いて来たものを片っ端から討伐していったそうです。

 レイピアの一撃で、苦しむ間も無く倒れていくので、生き残っているゴブリンは恐怖を感じずにジリアンを襲い続け全滅したらしいです。


 ゴブリンを下ろしたジリアンは、馬車を建物の外へと移動させると一人で戻って来ました。

 手拭いで鼻と口元を覆うと、おもむろに腰に吊っていたレイピアを抜き放ち、口元で何事か呟いた後、風属性の魔法を発動しました。


 その様子を例えるならば、竜巻のヒュドラのようです。

 五本の細い竜巻が、まるで生き物のように蠢き、積み上げられていたゴブリンの死体に襲い掛かりました。

 触れた所からゴブリンの死体は肉片に変わり、竜巻はまるで赤黒いヒュドラの五本の頭のようです。


 赤黒いヒュドラの五本の頭は、そのまま堆肥の山へと突っ込んで暴れ回り、ジリアンが十字を切るように鋭く振ったレイピアを鞘へと収めると、堆肥場は何事もなかったような元の姿へと戻りました。


「凄いね。やっぱりSランクとして認められるだけの事はある」

『これほどの凄腕は……我々が生きていた頃でも稀有な存在……』

「でも、負けないよね?」

『勿論……』


 同じく風属性の使い手として、フレッドからは対抗意識と共に揺るぎない自信が伝わってきます。

 うちには、普段は全く本気を見せず寝てばかりの風使いもいますし、戦闘力では負けていませんが、ジリアンの敵を察知する能力は侮れません。


『ジリアンの作業は……他の作業員には秘密……』

「つまり、オイゲウスのポーションの効果が高いのは、自家菜園の薬草の肥料に魔物の血肉や魔石を混ぜ込んでいるから……ってことかな?」

『おそらく……』


 そのオイゲウスの屋敷にある菜園の一角には、柵で区切られた菜園があります。

 この菜園の手入れは、オイゲウス自らが行っているようで、特別な肥料が与えられているようです。


 肥料は魔石を粉にしたものと、魔石から成分を抽出したもののようです。

 それらの肥料作りは、オイゲウス専用の作業場で行われていました。


 魔石の成分の抽出は、アルコール度数の高い酒を使って行っているようです。

 魔素が存在していない日本では、普通の水にさえ魔石は溶け込んでいきますが、こちらの世界では魔石は水には溶けません。


 フレッドの話では、普通のお酒にも溶けないそうですが、オイゲウスは度数の高いアルコールに粉状になるまで磨り潰した魔石を入れ、時間を掛けて溶かし込んでいるようです。


 この魔石を溶かし込んだアルコールと薬草などから作った液体を合わせ、熱してアルコール分を飛ばしたものを肥料として与えているそうです。

 手間と原価を考えたら、肥料なんて呼べる価格じゃないですね。


「魔石は魔素の塊みたいな物だから、それを肥料にすれば効果の高い薬草が育つ……って理論なんだよね?」

『たぶん……そう……』

「他の畑もゴブリンのミンチ入りの肥料だから効果の高いマジックポーションが作れるって事なのかな? でも、魔物の成分をそんなに入れて魔落ちの原因にならないのかね?」

『たぶん、一度薬草を通すと……魔落ちする要素が削がれるのかも……』

「なるほど、直接食べると駄目だけど、薬草でワンクッション置けば良いってことなのか」


 そう言えば以前、薬草は普通の畑でも育つけど薬効が薄れるという話をミューエルさんから聞いたような気がします。

 山の土には、魔物の死骸など魔素が多く含まれているので効果が高く、普通の畑ではその養分が足りないから薬効が薄れるのかもしれませんね。


 オイゲウスには、研究者と事業家という二つの顔があります。

 研究者としての顔は、言うまでもなくマジックポーションの研究と改良に向けられていて、昼の間の多くの時間を占めています。


 一方の実業家としての顔は、ポーションの製造元としての薬問屋との交渉を行う時に発揮されます。

 オイゲウスのマジックポーションは、従来品よりも効果が高く、しかも値段が安かったので市場を席捲し独占していきました。


 現在では、ヴォルザードのコーリーさんのような薬師が注文に応じて調合を行う以外は、市場の殆どをオイゲウスのポーションが独占している状態だそうです。

 それでも、市場にいくつかの銘柄のマジックポーションが出回っているのは、オイゲウスが製造したポーションに、薬問屋が独自の薬効を追加して付加価値を付けた商品として出荷しているからです。


 市場を独占している状態ですから、事業家としての交渉といっても主導権は常にオイゲウスが握っていて、ポーションを作れば作るだけ儲かっているようです。

 オイゲウスの扱うマジックポーションの量が増えるほど、それに付随する業種で仕事をする人間も増えていきます。


 儲けが増えれば、当然収める税金の額も増え、それ以外にも慈善事業などにも私財を投じているオイゲウスは、街の有力者として認識されています。

 例えば、マジックポーションを卸している薬問屋が気に入らなければ、オイゲウスはいつでも取り引きを止められます。


 取り引きを止められた薬問屋は売れ筋の商品を一つ失うことになり、マジックポーションを小分けして販売するための容器を納入している業者にも影響が出ます。

 オイゲウスは、バッケンハイムの居心地が悪くなれば、いつでも他の領地へと移転すると公言しているそうで、そうなれば多くの人間が働く場所を失いますし、領主であるアンデルさんは多額の税収を失うことになります。


 オイゲウスは、財力とマジックポーションの利権を背景にして、バッケンハイムで幅を利かせているようです。

 これは、余程しっかりと裏を固めてから告発しないと、面倒な事になりそうですね。


 調査を始めてから四日目、フェルが痺れを切らし始めました。


「ケントよぉ、いつまでチマチマ調べてんだよ。あんなヤバいポーションを作るなんて、オイゲウスしかいないだろう」

「まぁ、そうだと思うけど、まだ確証は無いから……」

「俺が飲まされたのがクラーケン、タデーロが飲まされたのがギガースの魔石を使ったポーションなんだろう。そんなもんオイゲウスしか手に入らねぇじゃんか。さっさと締め上げて口を割らせろよ」

「まだクラーケンやギガースの魔石が使われたという証拠は無いんだよ。もしかしたら違う魔物の魔石かもしれないし……」

「ちっ、面倒くせぇな! 楽して儲けた金で、女侍らせている爺なんざ、ちょいと締め上げてやれば白状すんだろう」


 オイゲウスは、時折歓楽街に出掛けて派手に金を使っているらしく、影から監視していたフェルにしてみれば、貧乏冒険者だった自分には縁の無いような金使いが気に入らないのでしょうかね。

 

「フェル、ちょっと教えてほしいんだけど、マジックポーションって必要なもの?」

「はぁ? 必要に決まってんだろう。戦闘中に魔力切れ起こしたら、死ぬかもしれねぇんだぞ。俺みたいに元がショボイ奴は飲んでも効果が限定的だけど、中堅クラスの奴は必ず持ってるぞ」

「そうなんだ、でも毎度毎度使うものじゃないよね?」

「そりゃそうだが、マジックポーションは使用期限があるから、古い奴は使えねぇんだよ。てか、ケントは使ったこと無いのか?」

「ポーションじゃないタイプは使った事あるけど、僕の場合は眷属のみんなとの集団戦だからね」

「そうか、カバーしてくれる奴がいれば、そんなに必要性は感じねぇのか。でも、バッケンハイムの冒険者は、万が一の為に依頼に出る時には一本は持ってるもんだぜ」


 マジックポーションが有用だとは思うけど、そんなに頻繁に使うものではないと思っていましたが、使用期限があるのでは買い替え需要がある訳ですね。


「そのマジックポーションが、手に入らなくなったら不味いよね?」

「そりゃそうだ。特に今は討伐の依頼が増えてやがるから、手に入らなくなると怪我したり死ぬ奴も出てくるかもな」


 元々持っていないなら、マジックポーションに頼らない戦い方をするのでしょうが、逆にマジックポーション頼みの戦い方をしていると、手に入らなくなった場合には致命的な状況に陥る恐れがありそうです。


「だとしたら、オイゲウスを告発しても、マジックポーションの生産は続くようにしないと不味いかもね」

「あの爺ぃ、自分を告発したらマジックポーションが手に入らなくなるから、少々ヤバい事をやらかしても大丈夫だろうとか思ってんじゃねぇのか?」

「思ってるだろうね、実際そうだし」

「けっ、気に入らねぇな!」


 魔落ちポーションに関する調査は思うように進まないし、冒険者仲間に会いにいく訳にもいかない。

 ギルドの受付嬢であるチコにも会えず、ただ見守るだけという生活でフェルはストレスを溜め込んでいるようです。


 オイゲウスが眠りについた後、フェルは森に出掛けてゴブリンなどを斬り捨てて憂さを晴らしているらしいです。

 魔物の数が増えている状況ですから、この程度の憂さ晴らしに文句を言うつもりも無いですが、逸ってオイゲウスに手を出すような事だけは止めてもらいたい。


 僕自身も、進展の見えない状況に少し焦りを感じていたので、マスター・レーゼに今後の対応を相談しました。


「まだ、尻尾を出さんかぇ?」

「はい、決定的なものは……」

「ケントが心配する通り、ある日突然マジックポーションの供給が止まるのは、ギルドとしても困る」

「じゃあ、オイゲウスが黒幕だった場合には、どうするつもりですか?」

「最終的な裁定は、アンデルが下す事になるが、被害者や遺族への賠償と高額な罰金という線が濃厚じゃろうな」

「ふざけんな! 二人も……いや、タデーロが殺した仲間を加えれば三人死んでんだぞ! それを罰金で済ますのかよ!」


 マスター・レーゼが話した処罰案を聞いて、フェルが激高したのは当然でしょう。


「まぁ、落ち着きや。普通三人も殺せば処刑されるのだし、殺された本人なら猶更納得出来んのは当然じゃろう。じゃが、オイゲウスを処刑するとマジックポーションのレシピが失われる……そうじゃな、ケント」

「はい、途中の工程は雇い入れた者達に任せていますが、最終的な調合はオイゲウスが行っています」

「そのレシピ、盗み出せんかぇ?」

「最終調合を行う時は、必ずジリアンが近くで見守っています。影の中からでも気付かれます……てか、ギルドマスターが盗み出すとか反則じゃないんですか?」

「相変わらずケントは真面目じゃのぉ……どうじゃ、上手く手に入れられれば、我を好きにしても構わんぞぇ」


 マスター・レーゼが寄せて上げて揺らして見せますが、その程度では……その程度……いやいや屈しませんよ。


「はぁぁ……もっと真面目にやって下さい。結局、マジックポーションの配合が分からない事にはオイゲウスは処刑できないんですね?」

「それは、オイゲウス次第じゃろうな。自分を処刑する訳にはいかぬじゃろうと高を括り、不遜な態度を続けるのであればアンデルとて容赦はせぬはずじゃ。例えオイゲウスのマジックポーションが生産出来なくなっても、それ以前のレシピは残されておる。多少は効き目が悪くなろうともマジックポーションとして成立してる品物が作れるならば、オイゲウスは存在しなくとも良いという訳じゃ」


 あんまり舐めた態度を取るならば処刑されるだろうと聞いても、フェルは納得がいかない様子です。


「ちっ、結局世の中は、金や魔力に恵まれた奴が美味しい思いをするように出来てやがんだよ」

「そうじゃのぉ、その通りじゃが……調子に乗った愚か者は、あとでツケを払うことになる。それには金持ちも貧乏人も違いはない。いずれ必ず報いを受けることになるそぇ」


 フェルのように声を荒げた訳ではありませんが、マスター・レーゼの言葉には決意の重みが感じられます。

 マスター・レーゼの人生経験を舐めているようなら、オイゲウスは間違いなく手酷いしっぺ返しを食らうでしょう。


「フェルよ……」

「な、なんすか……」

「大物を仕留めたければ焦らないことだぇ。人も、獣も、魔物も、長く生きて多くの経験を重ねているものほど手強いが、そうした連中とて過ちを犯し隙を見せる。そなたを魔落ちさせたポーションがオイゲウスの手によるものならば、人を魔落ちさせた時点でオイゲウスは失敗しておるのじゃぞ。魔落ちの知らせを聞いて、どれだけ気持ちを引き締めたかは分からんが、油断を続けているならば付け入る隙を必ず見せる。それを見逃すでないぞぇ」

「わ、分かったよ。待てばいいんだろう、待てば……」


 その晩、オイゲウスは使用人を全員遠ざけた状態でマジックポーションの調合を行いました。

 最終的な調合を行う部屋は狭く、我々もジリアンに気付かれずに覗く事は難しそうなので、調合が終わるまで部屋の外から監視するしかありません。


 調合作業が終わると、50リットルぐらい入りそうな大きな容器を抱えてジリアンが先に出て来ました。

 小部屋で調合されたこの容器の液体を、マジックポーションの原料が入ったタンクに投入し撹拌を始めます。


 ジリアンがタンクを撹拌している間に、オイゲウスが余った材料を戻していきます。

 片づけを終えたオイゲウスは、ジリアンが調合液を投入したタンクの撹拌状態を確認して、最終の調合作業を完了させました。


「ちっ、結局あの小部屋の中の様子を見られないと、配合は分からないって事かよ」

「ジリアンが一緒じゃなく、オイゲウスだけだったら影から覗いているのには気付かないと思うけど」

「じゃあ、あのジリアンを誘き出せば良いんじゃね?」

「どうやって?」

「そりゃあ、建物の外で物音を立てるとか、他の使用人に姿を目撃させて騒がせるとか……」

「でも、騒ぎが起こったら、調合自体を取りやめないかな?」

「そんなもの、やってみなきゃ分かんねぇだろう」


 確かに試してみないと分かりませんが、あまりジリアンに探りを入れている人間がいると思わせたくないのも事実です。

 僕らの存在を匂わせるほどに、ジリアンの警戒度は上がっていくでしょうし、そうなれば、今後の監視が益々難しくなる恐れがあります。


『ケント様……任せて……』

「フレッド、大丈夫? かなり狭いよ」

『お任せ……』


 僕の眷属の中でも、姿を隠して情報を探る腕前はフレッドが一番です。

 フレッドに頼んでも駄目ならば、僕らでは到底無理ですし、何か違う方法を考えるしかありません。


「じゃあ、次の調合は二日後だから頼むね、フレッド」

『りょ……』


 フレッドならジリアンの尾行もやり遂げていますし、大丈夫でしょう。

 ただ、マジックポーションの配合が手に入ったとしても、魔落ちポーションがオイゲウスの仕業である証拠が見つからないと、告発は出来ません。


 マスター・レーゼは焦るなと言うけれど、オイゲウスが隙をみせるのがいつになるのか、まだジリジリする日は続きそうな気がします。

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