第396話 魔落ちした男

※ 今回はフェル目線の話になります。


 やっちまったと思った。

 気付いた時には剣を握る手が、ヌメヌメとした人とは思えない肌に変わっていた。


 同時に、意識が閉じ込められていくような感覚に襲われる。

 俺の身体が俺の意思とは関係なく、破壊や殺戮といった衝動で塗りつぶされていくようだった。


 原因は、あのポーションに決まっている。

 魔力が増える。それも一時的じゃなく、ずっと増えた状態が続く。


 そんな都合の良いポーションが存在するとは思えなかったが、悪魔に魂を売り渡してでも今の状況を変えたいと思っていた。

 だから、得体の知れない男に貰った得体の知れないポーションなんかに手を出しちまった。


「追って来るな! 俺が魔落ちしたとギルドに伝えろ!」


 それだけでも一緒に討伐に出た仲間に伝えられたのは、自分でも良くやったと思う。

 仲間から離れ、とにかく森の深い場所を目指した。


 俺と親しい冒険者は、殆どがランクの低い冒険者ばかりだ。

 森の深い場所に入ってしまえば、追って来られなくなる。


 誰かに討伐されるとしても、顔も知らない高ランクの冒険者に魔物としてあっさりと殺されたかった。

 だから森の奥へ、奥へと足を進めたのだが、俺の意識は急速に閉ざされていった。


 途中で十頭程度のゴブリンの群れに遭遇した。普段の俺なら隠れてやり過ごす数だが、身体は迷うことなく突っ込んでいく。

 剣を使うことは覚えていたが振り方は滅茶苦茶で、それでも以前とは較べものにならないほど力が湧いて来て、ゴブリンを紙切れみたいに斬り捨てた。


 数頭のゴブリンを斬り捨て、残りが逃げ去ると肉を食らった。

 生のまま、ゴブリンの肉を食らうなんて正気の沙汰ではないが、まだ暖かい血を啜る快感に酔って魔物みたいな咆哮を上げていた。


 魔物みたいじゃない。そんな人間はいやしない。俺はもう魔物だった。

 オークに出会った。普段なら絶対に逃げているのに恐怖の欠片も感じない。


 斬り掛かった。よく剣が折れなかったと思うような滅茶苦茶な剣筋だが、オークを防戦一方に追い込み、切り刻み、倒した。

 倒したら食う、そこに理由など必要ない。


 突然、人間が現れた。何時の間に近づいたのか、気付いたら俺を見て立っていた。

 まだ十代半ばぐらいの少年は、俺に向かって何か話し掛けて来たが、話の意味が良く理解出来ない。


 それでも、この人を小馬鹿にしたような話し方に覚えがあった。

 同時に身体が危険を感じて剣に手を伸ばす。


 掴んだと思った瞬間、手に衝撃が走り、剣が飛ばされる。

 同時に、チコの怯えた顔が頭に浮かんだ。


 ビビってる場合じゃねぇと気合いを入れた瞬間、意識が途絶えた。

 全く太刀打ち出来なかった悔しさを感じると同時に、これで終わったんだとホッとしていたと思う。


 心残りがあるとすれば、最後に思い出したチコの顔が怯えていた事だろうか。

 チコには笑っていて欲しい。子供みたいに無邪気に笑っていて欲しい。


 俺の意識が、深い闇へと沈もうとするのを邪魔する奴がいた。

 馬鹿丁寧な話し方が鼻につく。


 笑い掛けて来るけれど、笑顔の裏に嘘がある。

 チコのように透明な笑顔じゃなく、作りものの笑顔だ。


 もう騙されるのはウンザリだ。

 話し掛けるな、黙ってろ。


 作り笑いを浮かべて差し出す手を打ち払うと、奴は本性を現した。

 俺には一生掛かっても手に入れられなかった圧倒的な魔力を使い、俺を縛り上げ、沈もうとする闇から無理矢理引き上げやがった。


 ヴォルザードのSランク冒険者、レアな魔法と魔力に恵まれたクソガキだ。

 誰がお前なんかに従うものか。


 身体の底から湧き上がってくる怒り、憎しみ、憤りをぶつけて抗ったが、絡め取られて引き戻された。

 イロスーン大森林へと引き戻された俺は、目には見えない首輪が嵌められているのに気付かされた。


 奴は、俺が魔落ちした理由を根堀り葉掘り聞いて来た。

 ムカつくから答えたくないのに、俺を閉じ込めている魔物の身体を抉じ開けて、俺を締め上げて無理矢理答えさせる。


 それだけでは飽き足らず、俺の身体を改造すると言い出した。

 こいつも、俺に得体の知れないポーションを渡した奴と同じで、自分の利益の為ならば、他人がどうなろうと構わないと考えていやがるに違いない。


「良いんですか? チコさんにサヨナラを言わなくても?」


 クソガキの一言に頭の中で怒りの炎が吹き上がった。

 ふざけるな! お前みたいなクソガキが、チコの名を口にするな!


 だが、俺もこいつと一緒だ。

 チコに結婚を申し込むどころか、正式に付き合ってほしいとすら言い出せず、その理由をしょぼい魔力だと自分に言い訳をし続けていた。


 魔力さえ増えれば……得体の知れないポーションに手を出したのは、チコの為じゃなくチコに好かれたい自分の為だった。

 もう全て手遅れだと思っていたのに、まだ出来る事があるとクソガキが囁く。


「変な希望を抱かせるような事は言いません。チコさんと結ばれるには手遅れですが、チコさんを危険に晒すかもしれない男を探し出す事は出来る。バッケンハイムの冒険者としての最後の仕事をやり遂げる気はありますか?」


 これは悪魔の囁きだ。

 だが、俺には抗う術など無い。

 チコを守れるならば……俺は悪魔に魂を売り渡した。


 奴らが強化と呼んでいる行為を行うと、俺を閉じ込めていた魔物の身体が砕け散り、俺の身体は殆ど俺のものに戻った。

 ほんの一部だけ、俺の思う通りに出来ない事が残されていた。


 クソガキに危害を加えること、クソガキの意思に背いて行動すること。

 言い様によっては腹が立つが、制約はさして厳しいものでは無かった。


 常識的な人間として行動する限り、クソガキの意思に背くことにはなりそうもない。

 ただし、闇属性の力がもたらされたのに、チコの風呂場を覗けないのは納得がいかねぇ。


 それでも俺をアンデッドに変えて、好き勝手に利用しようという考えではなさそうだし、ポーションがばら撒かれる状況を危惧しているのは確かのようだ。

 仕方がないから、クソガキじゃなくケントと呼んでやろう。


 強化を終えた俺の腰には、細身の剣が吊られていた。

 柄を握った瞬間、剣先にまで俺の意識が繋がるのが分かった。


 鞘から引き抜いた剣身は漆黒で、色こそ俺の思い描いたものではないが、形やバランスは俺の理想を形にしたようだ。

 今ならCランクどころかBランクの冒険者にも負けない気がしたが、ケントの従えている眷属には全く勝てる気がしない。


 異様な姿のスケルトンは勿論だが、とぼけた顔をしているコボルトにも勝てないと分かってしまうのだ。

 だが、俺にヤバいポーションを押し付けた野郎を探すだけなら問題無い。


 強化を終えた後、ケントはバッケンハイムの俺の部屋へと案内させ、ボロボロの服を着替えさせた。

 小綺麗な服装になればアンデッド感も薄れるかと思ったが、かえって普通の人間ではない違和感が強調されてしまったようにも感じる。


「ま、まぁ、さっきよりは良いよ」

「うっせぇ、変な慰めなんていらねぇよ」


 どう足掻いても人間には戻れないし、もし顔を合わせるとしても、チコには俺がアンデッドになったと理解してもらわないといけないのだから、この顔色で良いのだろう。

 ケントは着替えを終えた俺をギルドへと連れていった。

 向かった先は、ギルドマスターのレーゼの部屋だった。


「ケントです、よろしいでしょうか?」

「入りや……」


 背中がゾクリとするような艶めかしい声の主は、ソファーに横たわって長キセルをふかしていた。

 わざと見せつけているとしか思えない、布の少ない衣装に目を奪われると、胸がチクチクと痛みだす。


 見せつけてるんだから、見たって構わないだろうに、思わずケントを睨みつけてしまった。


「無事に隷属できたのかぇ……」

「はい、おかげさまで」


 マスター・レーゼとケントの視線に晒されて、居心地の悪さを感じてしまう。

 そもそも、俺みたいな下っ端冒険者が、マスター・レーゼとこんなに近くで話をする機会は殆ど無い。


 緊張する素振りすら見せずに話しているケントは、やはりSランクの冒険者なんだと再認識させられた。


「それで、魔落ちの原因はなんじゃ?」

「どうも、得体の知れないポーションを配っている人間がいるようです」


 ケントに促され、得体の知れない男に出会ってから、魔落ちするまでの様子をもう一度話すことになった。

 マスター・レーゼは、途中で口を挟む事も無く、俺の話に耳を傾け続けていた。


「ポーションかぇ……」


 話を聞き終えたマスター・レーゼは、チラリと視線を逸らした。

 何処を見たのかと視線を追うと、ソファーに埋まるようにして年寄りが座っているのに初めて気付いた。


 一見すると、ただの小さなお爺さんだが、元はSランクの冒険者だとグラシエラさんが言っていたラウ氏は、無言でマスター・レーゼに頷き返してみせた。


「ケントよ、オイゲウスという男を知っておるかぇ?」

「オイゲウス……なんか聞いたような覚えがありますが」

「ギガースの魔石を落札した男だぇ」

「あっ! そいつ、クラーケンの魔石も落札してました。確か、ポーションで富を築いたって……」


 ケントが俺に視線を向けたのは、そいつが黒幕という事なのだろう。


「まぁ、待ちや。まだオイゲウスが犯人と決まった訳ではないわぇ」

「でも、フェルが魔落ちした姿は、青いヌメヌメした肌でしたし、クラーケンの影響が出ているんじゃ……」

「そうだとしても、まだ何の証拠も掴んでおらぬ」

「俺は、そいつが何をやっているか暴いてくれば良いんだな?」

「オイゲウスの屋敷を知っておるかぇ?」


 影に潜って飛び出して行こうとした俺をマスター・レーゼが呼び止めた。

 恥ずかしいことに、そいつの屋敷の場所は知らない。


「まったく……考え無しの行動が、今の己の状況を招いているのを自覚せぇ。そんな事では守りたいものを守れんぞぇ」


 マスター・レーゼの叱責に、返す言葉がみつからない。


「屋敷を探るとして……そなたらジリアンという男がオイゲウスの近くにいるのを知っておるかぇ?」

「確か、元はフェアリンゲンのギルドに所属していたSランクの冒険者ですよね?」

「その様子では、ケントはジリアンを見知っているようじゃのぉ」


 ケントがブライヒベルグのオークション会場でジリアンと遭遇した時の様子を話したのだが、俄かには信じられない内容だった。


「冗談だろう? そんな状況でも見られていると気付けるものなのか?」

「冗談でも何でもないし、間違いなくジリアンは僕らが覗き見しているのに気付いていた。影の中からだとしても、ジリアンに視線を向ければ気付かれるかもしれない」


 俺に向かっては舐め切った口の利き方をするケントが、これほどまでに真剣に語るのだからジリアンの話は本当なのだろう。

 元々、国に数人しかいないSランクの冒険者として、ジリアンの逸話は知っている。


 ゴブリンが一瞬で骨まで細切れにされたとか、二十人を超える盗賊を一人で討伐したとか、雨のように射かけられた矢を全て斬り落としてみせたとか、人間離れした噂はSランク冒険者特有の作り話だと思っていた。


「でもよぉ、気付かれたとしても影の中にいれば大丈夫なんだろう?」

「何言ってるの? 気付かれれば証拠を破棄されるだろうし、その証拠を守るには影から出なきゃいけなくなるかもしれないんだよ。影から出て姿を晒せば、ジリアンの刃は届くんだよ」

「そ、そうか……」


 史上最年少のSランク冒険者などと言われて、ケントは何でも出来ると増長しているかと思いきや、意外にも慎重なようだ。


「さて、ケントよ。どのように調べを進めるつもりだぇ?」

「とりあえず、一度オイゲウスの屋敷の様子は見ておきます。僕らが見て簡単に違法だと分かるものは置いてないかもしれませんが、怪しい動きをしているのであれば、監視して意図を探ります」

「フェルにポーションを渡した男の方は、どうするつもりだぇ?」

「そっちは、僕らでは探しようがないので、フェルに探してもらうしかないですね」

「そんな面倒な事をしなくても、オイゲウスの屋敷を探ってれば済むんじゃねぇの?」

「オイゲウスが犯人だったらね。別に犯人がいたらどうする?」

「そうか……」


 こうした犯人捜しの経験が無いとは言え、年下のケントに諭されるのは情けない。

 結局、ケントが他の眷属も使ってオイゲウスの動きを探ると同時に、俺が得体の知れない男の行方を捜す事になった。


 行動の方針が決まったところで、まずはオイゲウスの屋敷へと向かった。

 オイゲウスの屋敷は、バッケンハイムの街からはブライヒベルグの方へと外れた場所に建っていた。


 バッケンハイムの街は、最初に学校や研究機関が作られ、それらの広大な敷地の間を埋めるようにして商店や個人の住宅が建てられ発展してきた街だ。

 新たに大きな屋敷を建てるような土地は無く、建てるのであればオイゲウスの屋敷のように街の外に建てるしかない。


 そして、新しい屋敷や施設が建てられても、いずれは広がっていくバッケンハイムの街に飲み込まれていくのだ。

 オイゲウスの屋敷は、建物の面積よりも菜園の面積の方が遥かに広い。


 オイゲウスは、この菜園で栽培された薬草を使ってマジックポーションを販売しているそうだ。

 マジックポーションといっても、一時的に魔力を回復、増強させるための一般的な物で、俺が魔落ちさせられたヤバい代物ではない。


 その銘柄は多くの冒険者が使っている俺も良く知っている物だが、オイゲウスが製造しているとは知らなかった。

 俺も何度か使った事があるが、マジックポーションは元の魔力量によって効き目が大きく違ってくる。


 元々の魔力の弱い俺では、回復はするが増強の割合が少ないので費用の割りには効果が薄いのだ。

 オーククラスを討伐する冒険者にとっては便利な代物だが、俺がもっていても宝の持ち腐れになるだけだった。


 広大な菜園から見ると僅かな面積に感じるが、屋敷自体も決して小さくはなかった。

 オイゲウスが暮らしているのであろう屋敷の他にも、いくつかの建物がある。


 使用人の為の住居、馬小屋を併設した車庫、農作業小屋、そしてポーションの製造を行っている作業棟などだ。


「くそデカイ屋敷だな。一体いくつ部屋があるんだよ。これだから成金野郎は気に入らねぇんだ。んっ? どうかしたのか、ケント」

「い、いや別に……それより、作業棟を覗くよ。念のためにジリアンには気を付けて」

「分かってるって、心配すんな」


 影の中から覗き込んだ作業棟の内部には、薬草を煮込むための大きな窯や成分を抽出するためであろう特殊な形の金属容器が並んでいて、何人もの使用人が働いていた。

 マスター・レーゼの話によると、この作業棟で作られたマジックポーションは大きなガラス容器に入れられて薬問屋へと出荷されるそうだ。


 そして、薬問屋で冒険者が購入する数種類のサイズの容器に分けられ、店頭で販売されるらしい。

 それは良いのだが、俺が渡された得体の知れないポーションは見当たらない。


「おいケント。どこにも無ぇじゃんか。オイゲウスが犯人じゃないのか?」

「あのねぇ、人を魔落ちさせるようなヤバい代物を普通のポーションと一緒に作ってる訳ないだろう」

「じゃ、じゃあ、どこで作ってるって言うんだよ」

「それを調べるのが僕らの仕事でしょ。ちょっとは落ち着いて頭を使いなよ」

「う、うるせぇな……分かってるよ」


 ケントは作業棟の偵察を打ち切ると、オイゲウスの暮らす屋敷へと移動した。

 玄関や応接間、食堂など、一つ一つのサイズが普通の家とは段違いで、まるで高級な旅館のようだ。


 オイゲウスの自室は、屋敷の二階にあった。

 寝室は南東の角に作られ、いかにも日当たりが良さそうだ。


 一階に広い風呂場があるのに、寝室にも風呂場とトイレが併設されている。

 この風呂場とトイレだけでも、俺が暮らしていた部屋の倍以上の広さがありそうだ。


 寝室の隣は書斎で、その隣りは書庫、そして階段を挟んだ北側にオイゲウスの専用の作業部屋があった。

 壁一面に薬屋のような小さな引き出しが並んだ薬種棚が並べられ、作業棟に置かれていた窯をずっと小さくした物や、薬草を磨り潰すための道具などが所狭しと置かれている。


「ここか、ケント。ここだな?」

「だから、最初から決めつけて掛からないの」

「何でだよ、見るからに怪しいじゃんか」

「オイゲウスは元々研究者で、ポーションの売り上げで財を築いた人なんだよ。自分用の研究室を持っていたって不思議じゃないでしょ」

「そうなのか? 個人用に研究するとしても、ここじゃなくて作業棟に作れば良いじゃんか」

「たぶん、作業棟で働く人にも明かしていないレシピがあるんじゃないの?」

「何だそれ、何でそんな面倒な事をするんだ?」

「そんなの真似されないために決まってるじゃん。製造方法、薬草の分量などが分かれば、同じ効き目のポーションを真似されて作られて、自分の所の売り上げが落ちちゃうでしょ。繁盛している食堂の秘伝の味みたいなもんだよ」

「そうか、なるほど……じゃあ、犯人は誰なんだよ?」

「はぁぁ……だ、か、ら、それを調べるのが僕らの仕事でしょ」


 ちっ、またケントに呆れられちまった。

 それにしても、チマチマ調べて回るのは面倒臭ぇ……もっとバーンと殴りつけて解決するような方法はねぇのか?

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