第395話 隷属

 指名依頼を請け負った翌日、影の中からイロスーン大森林を見張っています。

 と言っても、監視の対象は工事の現場ではなく一頭の魔物です。


『ケント様……もう完全に魔物……』

「うん、そうみたいだね……」


 ブライヒベルグとバッケンハイムを繋ぐ街道の周辺で、ゴブリンの数が増えていると報告した際に、マスター・レーゼから新たな指名依頼を発注されました。

 報酬は二千万ヘルト、日本円だと二億円ぐらいの感覚です。


 依頼の内容は少々複雑で、正直に言って気が乗りません。

 ただ、マスター・レーゼがこれだけの金額を提示するだけあって重要度の高い依頼であるのは間違いありません。


 監視対象の魔物は、倒したオークの腹に頭を突っ込むようにして貪り食っています。

 青くヌメヌメとした肌は軟体生物のようですが、骨格を持ち、二足歩行する生き物です。


『ケント様……余り時間を掛けると、他の冒険者が来る……』

「うん、もう救う手立ては無いんだよね?」

『ここまで変化したら……打つ手無し……』


 僕とフレッドが監視している魔物は、魔落ちしたバッケンハイムの冒険者です。

 性別は男性、年齢は二十歳、最近Cランクに昇格したばかりだそうです。


 オークに襲い掛かる前は、剣を腰の鞘に納め、少し前屈みではあったけど人間っぽい歩き方をしていました。

 ですが、剣を抜いて襲い掛かった後は、人としての理性を留めているようには見えませんでした。


 剣の振り方は滅茶苦茶で、急所を狙うような素振りも見せず、ひたすらに力任せに斬りつけているだけでした。

 そして倒した後は、叩き割った頭蓋骨から脳漿を啜り、腹を食い破って手掴みで内臓を食らっています。


 真っ赤に染まった瞳は、虹彩が爬虫類のように縦に割れ、辛うじて服を身に着けているものの人間らしさは感じられません。


「よし、討伐しよう」

『任せて……』

「いや、僕がやる……」

『ケント様……?』

「僕が殺す。フレッドは、他の魔物が寄って来ないか見ていて」

『……了解』


 オークを貪り続けている魔物の正面、10メートルほど離れた場所に闇の盾をだして表に踏み出しました。


「お食事中に失礼します……って言っても、もう理解出来ないかな?」

「ヴゥゥゥゥゥ……」


 声を掛けると、オークの腹から引きずり出した腸を咥えながら、低い唸り声を上げ始めた。

 あきらかに人間とは異なる牙を剥き、真っ赤な瞳で僕を射抜くように睨みつけている。


「これから、あなたを討伐します。理由は言わなくても分かりますよね?」

「グゥゥゥゥゥ……」


 もしかすると、まだ人間としての意識が残っているのか、咥えていた腸を噛み千切ると、放り出していた長剣に手を伸ばした。

 血まみれの剣を掴んだ瞬間、用意しておいた風の弾丸を撃ち出す。


「グワゥ……」


 剣を弾き飛ばされた魔物は、痺れた右手を抱えて怯んだような表情を浮かべた。


「今日は手加減する気はありませんよ。申し訳ないですが死んで下さい」

「ガァァァァァ!」


 己を奮い立たせるように咆哮をあげた魔物の額に、光属性の攻撃魔法を撃ち込んで命を奪った。

 大きく口を開いたまま動きを止めた魔物は、スローモーションのようにゆっくりと崩れ落ち、そのまま動かなくなった。


 こうして僕は、蒼き疾風のメンバー、フェルの一生に幕を下ろした。


『ケント様……ゴブリンが集まって来てる……』

「移動しよう。フェルの遺体を持って来て」

『了解……』


 魔落ちした冒険者は、鷹山と一緒に初めてバッケンハイムのギルドを訪れた時に絡んで来たフェルでした。

 僕がSランクの冒険者であることを隠して仲間を集め、夜の公園で再び返り討ちにされ、蒼い疾風のメンバーやグラシエラから制裁を受けた後も行動を共にしていたそうです。


 ただ、イロスーン大森林で魔物が増殖し、グラシエラや蒼き疾風のメンバーがスラッカで足止めを食った時には、体調を崩して同行していなかったそうです。

 グラシエラや蒼き疾風の他のメンバーは、積み荷をネコババしたと嘘をついて僕を陥れようとした罪で、ランクを剥奪されてバッケンハイムから追放されました。


 フェルは体調を崩していたことが幸いし、ランクの剥奪や追放の処分からは免れ、あの騒動の後もバッケンハイムに残って活動していたそうです。


『ケント様……魔の森の訓練場……?』

「んー……昨日行った検問所の跡地にしよう」


 マスター・レーゼからの依頼は、フェルの討伐だけではありません。

 急激な魔落ちの原因を探るために、フェルからの聞き取りも依頼されています。


 身体の一部だけ魔落ちの兆候がある程度ならば、断片的に話を聞ける場合もあるそうですが、完全に魔落ちした者は自我を失い、まともな受け答えは出来なくなります。

 フェルの場合、発見した時点で肌の色の変化は全身に及んでいるようでしたし、身のこなしが人間離れしていました。


 ですが、完全に魔落ちしたフェルから話を聞き出す方法が、一つだけ残されています。

 命を奪い、僕の眷属としてアンデッド化すれば、他の眷属同様に話が出来るようになるはずです。


 既に地均しを終えた集落の予定地にフェルの遺体を横たえると、ラインハルトやコボルト隊やゼータ達も作業の手を止めて集まってきました。

 魔物を眷属にする作業は、もう何度も行ってきて慣れているはずなのに、今日は何だか勝手が違うように感じてしまいます。


「僕の眷属になってくれるかな?」


 いつものように、魔力のパスを繋ぐように意識しながら呼び掛けましたが、全く反応が返ってきません。

 これまでは、僕の呼び掛けに応えてパスが繋がり、魔力的な結びつきが出来たのですが、今日はいくらパスを伸ばしても拒絶されているように感じます。


「はぁ、やっぱりか……」


 マスター・レーゼから依頼を受けた時に危惧していたのは、フェルが僕に対して反感を持っていて、眷属化を拒絶される事でしたが、どうやら心配が的中したようです。

 僕の眷属化の方法では、要請に相手が応えてくれないと眷属としての繋がりが出来あがりません。


「うーん……あんまりやりたくないんだけどなあ……」


 僕の要請をフェルに拒否されるのは想定の範囲内です。

 こうした状況が起こった場合に備えて、昨日マスター・レーゼから対策を教わっています。


「我に従え……隷属!」


 普段の眷属化が手を差し伸べるような感じだとすると、これは闇属性の魔力で相手を絡め取るようなイメージです。

 伸ばした魔力の網を引き千切ろうとするフェルを縛り上げ、隷属のボーラーを使うように締め上げました。


「グゥゥゥ……オマエ、ナンカニ……」


 閉じていた赤い瞳を見開いたフェルは、牙を剥いて四つん這いになり、僕に向かって飛び掛かろうと四肢に力を込め始めました。

 すかさず、ラインハルトとフレッドが、僕の両脇を固めています。


「僕に従え!」

「ガァァァァァ!」


 魔力の鎖の先に付けた隷属の首輪を嵌め込むイメージを作り上げると、フェルは苦しげに吼えた後でガックリと地面に突っ伏しました。


「キザマ……ヨグモ! グァァァ……」


 起き上がったフェルは、僕に飛び掛かろうとした途端、胸を押さえてのたうち回り始めました。

 眷属化と違い、隷属化では心が通じ合っていない相手を魔力によって強制的に縛っています。


 そのため、僕の意思に反した行動を取ろうとすると、魔石に激しい痛みが走るようになるそうです。

 危害を加えられる心配は無いけれど、あまり気分の良いものではありませんね。


「コロジタ、ウエニ……ドレイニ、ズルノカ……」

「そうだよ。いくら恨んでも構わない。その代わり、魔落ちの原因について話してもらう」

「ダレガ……オマエ、ナンカニ……グゥゥゥ」


 返答を拒むフェルに、強制的に返事をさせます。


「話せ……何があった」

「ガァ……ポーションダ……」

「ポーション?」


 魔落ちしたせいで聞き取りにくくなったフェルの話を根気よく聞いていくと、バッケンハイムの裏町で、正体不明の男から試作品だというポーションを貰って飲んだようです。


「そんな怪しい男に貰った得体の知れないポーションなんて、どうして飲んじゃうかね……馬鹿なの?」

「ウルザイ……サイノウニ、メグマレダヤヅニ……ワガルモンガ……」


 昨日マスター・レーゼから聞いた話では、蒼い疾風を抜けて一人バッケンハイムに残った頃は精彩を欠いていたが、近頃は吹っ切れたように依頼をこなしていたそうです。

 恐らく、その頃にポーションを入手したのでしょう。


『ケント様、こやつを強化して人に近い姿に戻されてはいかがです? 今のままでは話の聞き取りに時間ばかりが掛かりますぞ』

「そうだね、そうしよう。聞いての通り、あなたを強化します」

「イヤ、ダ……サッサド、コロゼ……」

「良いんですか? チコさんにサヨナラを言わなくても?」

「ウ、ウルザイ! コロゼェ!」


 フェルがグラシエラ達と一緒にブライヒベルグに移籍しなかった理由は、ギルドの受付嬢チコの存在が大きかったようです。

 バッケンハイムギルドの待合室で、僕に絡んで来た原因もチコでした。


 フェルとチコの関係は、いわゆる友達以上、恋人未満という感じで、プロポーズする切っ掛けとしても依頼をこなし、ギルドのランクを上げたかったのでしょう。


「チコさん、憔悴して仕事を休んでいるそうですよ」

「ダ、ダガラ、ナンダ! モウ、モドレナインダ……サッサド、コロゼェ!」

「本当に良いんですか? あなたに得体の知れないポーションを渡した人物は、まだバッケンハイムの何処かに潜んでいるんですよ。また別の誰かが、そのポーションを飲んで、ギルドの中で魔落ちするような事になったら、チコさんに危害が及ぶかもしれないんですよ」

「ダガラッテ……モゥ、テオグレダ……」


 オークの血に塗れた、ヌメヌメとした青い肌になった両手を見詰め、フェルは絶望の表情を浮かべた。


「変な希望を抱かせるような事は言いません。チコさんと結ばれるには手遅れですが、チコさんを危険に晒すかもしれない男を探し出す事は出来る。バッケンハイムの冒険者としての最後の仕事をやり遂げる気はありますか?」


 僕の言葉を聞いて、俯いていたフェルが顔を上げた。


「デギル、ノガ……?」

「Sランクの僕にも出来ない事はあります。出来るか出来ないかは、あなた次第ですよ」

「ヤル……ヤラゼテクデ!」


 フェルが叫ぶように応えるのを待ち構えていたかのように、すかさずフレッドが魔石を三つ手渡しました。


「それじゃあ、強化するから生前の自分の姿を思い浮かべて……」


 魔石の取り込みを始めると、黒い靄がフェルの身体を包んでいきました。

 魔力のパスを通して伝わって来た、生きていた頃のフェルの姿に近づくように、少しでも人間らしい肌の色になるようにイメージを補助します。


 雷鳴が轟き、紫電が走り、黒い靄が爆散すると、強化を終えたフェルが現れました。


「んー……これが限界かぁ……」

「おい、どう見ても死人の肌だろ。もうちょっと血色良く出来なかったのかよ!」


 フェルの容姿は、ギルドで会った時と変わらない完全な人の姿だが、肌の色が青みがかったグレーです。

 ゾンビとかフランケンシュタインが、アニメなどに登場する時に使われる肌の色と言うと分かりやすいでしょう。


「ポーションの影響が完全に抜けきっていないんじゃない?」

「そうだとしても、これじゃ人前に出られないぞ」

「大丈夫だよ、僕に隷属しているんだから、影に潜って移動できるから」

「影に潜るだと?」


 普通の人は影に潜る事なんて無いけど、隷属させたフェルは一度経験させると感覚的に理解できたようです。


「過去に訪れた場所ならば一瞬で移動出来るし、僕らが目印になれば行った事の無い場所にも行けるよ」

「凄ぇな。これなら表の世界にいる人に気付かれないように尾行も出来るし、見張ったり、会話を盗み聞きする事も出来るじゃねぇか」

「そうだよ。基本的にどこにでも入れるけど、チコさんの入浴を覗くとか駄目だからね」

「ば、馬鹿言ってんじゃねぇよ。そ、そ、そんな事は考えてもいねぇよ」


 そんなはずは無いよね。僕なんか、影に潜れるって知ったら真っ先に考えたぐらいだし、隷属させてるから発言の真偽は伝わってくるんだよね。


「まぁ、僕の意思に反する行動には、引き続きペナルティが課せられると思うから、覗きに行くなら覚悟を決めて行ってね」

「はぁ? ペナルティって、さっきの痛みか? 冗談だろう、死ぬかと思うほど痛いんだぞ!」

「いやいや、もう死んでるし、覗きに行かなきゃ良いだけでしょ? それとも、やっぱり覗きに行きたかった?」

「ば、馬鹿言うな。あんな貧相な身体なんか、別に見たくねぇし……」


 いやいや、そんなに歯を食いしばって言わなくても……。

 ポーションの黒幕を探し出せたら、ご褒美として覗かせてあげますかね。


「さて、冗談はこの辺にして、ポーションについてもう少し詳しく聞かせてもらえるかな?」

「分かった。お前らが言う通り、俺だって怪しいと思ったが、一時的じゃなく永続的に魔力が増えるって言われたら、魔力の弱い冒険者だったら手を伸ばすんじゃねぇのか?」

「えっ、永続的って、ずーっと効果が続くの?」

「そうだ。実際、試してみたら魔力が高まっているのを実感できるほどだった」


 魔力の弱さは、フェルにとっては冒険者を続けていく上で大きなコンプレックスになっていました。

 水属性のフェルが一度に使える魔力は、コップ一杯分の水を出す程度だったそうです。


 攻撃として効果があるほどの魔術は放てないし、身体強化をしても実感できるほどの強化は出来ません。

 それこそ、喉の渇きを癒す程度の使い道しか無かったようです。


「お前みたいに、強力な魔術を連発出来るならば冒険者として活躍出来るだろうが、例え素の状態で同程度の力量であっても、魔力の少ない俺は実戦に出た時に見劣りしちまったんだよ」

「だから得体の知れないポーションに手を出した?」

「ブースターを使えば魔力を一時的に高められるが、副作用があるらしいし、そもそも値段が高くて俺達みたいなランクの低い冒険者では使えない。あいつが寄越したポーションは無料だし、ずっと魔力が高まった状態が続く。正直、神の使いかと思ったほどだ。それが、まさか魔落ちするなんて……」


 フェルはガリガリと頭を掻きむしったが、今更後悔しても後の祭りです。


「魔落ちの前兆みたいなものは無かったの?」

「魔力が高まった以外は、特に……いや、良く考えてみると怒りっぽくなってたような気はする」

「身体の外見的な変化とかは?」

「無いな。女みたいに長々と鏡に向かっていた訳じゃないから、もしかしたら何か変化はあったのかもしれないが、少なくとも普段目に入る手とか足には変化は無かったはずだ」


 フェルは自分の手を眺めながら、さっきまでのヌメヌメした青い肌を思い出したのか盛大に顔を顰めてみせました。


「魔落ちは、いきなり来た?」

「そうだ。気心の知れた冒険者仲間と一緒にオークを探していた時に、急に胸が苦しくなって、反射的に押さえた手がもう変化していた」

「何で、仲間から逃げ出したの?」

「そりゃあ、あんな肌になったんだ、魔落ちしたって気付いたし、このままじゃ仲間に殺されるか、仲間を殺しちまうと思ったからだ」


 フェルは、同行していた仲間に追って来るな、ギルドに知らせろと言い残して森の奥に逃げ込んだそうだ。


「なるほど……魔落ちするまでの経緯は分かった。それで、ポーションを持ち掛けて来たのは何者なの?」

「分からねぇ。フードの付いたローブを着込んで、口元以外を覆う仮面まで被っていた。本人曰く、実験中の事故で酷い火傷を負ったって話だったが、本当か嘘かまでは分からねぇ」

「性別、年齢、身長とかは?」

「性別は男。年齢は若くはないが、皺枯れた声を作っているようだったから、年寄りではなかったと思う。体格は背中を丸めていたから分かりにくかったが、俺と同じぐらいだと思う」


 フェルは、こちらの世界の成人男性としては平均的な身長で、話を聞いただけでは問題の男には特徴らしき特徴が無いように思えます。


「どうやって接触していたの?」

「長く話したのは最初の一回切りで、後は飲み屋がある裏通りを約束した時間に歩いていると、どこからともなく現れてポーションを手渡して来る。後を付けようかと考えた事もあったが、下手に尾行して気付かれたらポーションが手に入らなくなると思って止めておいた」

「今度は、気付かれずに尾行出来るよね?」

「任せろ。こんな能力が手に入ったんだ。必ずアジトを突き止めてやる」

「それじゃあ、早速今夜から男を探して。フレッド、サポートしてくれる?」

『了解……』


 紆余曲折はあったけど、フェルから話を聞き出して、問題の人物の捜索にも協力してもらえる事になりました。

 あとは、その男が姿さえ現せば、指名依頼は達成したも同然でしょう。


「なぁ、チコに何て言えば良いと思う?」

「それは僕には分からない。僕はあなたじゃないから」

「そうか……なぁ、もう一度強化って奴をやったら、もっと血色が良くなったりするのか?」

「それも、やってみないと分からないけど……」

「そうだな。人間に戻れる訳じゃねぇよな」


 空を見上げて黙り込んだフェルに、掛ける言葉が見つからなかった。

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