第394話 バッケンハイムに漂う暗雲
「バステン、あれは……誰?」
『アウグスト殿……のようですよ』
イロスーン大森林のど真ん中で作業を始め、新しい集落の区割りを終えた辺りで続きは眷属のみんなに引継ぎ、お昼はブライヒベルグのダナさんの店で済ませました。
ダナさんの焼くブライヒ豚のステーキは相変わらずの絶品で、お腹がパンパンになるまで楽しませていただきました。
食後はクラウスさんを真似てブライヒベルグの街の様子を見て歩き、ヴォルザードへと荷物を送っている集荷場までやって来たのですが、良く見たような見慣れないような人物が作業員を取り仕切っています。
着古したような革のジャケットは、たぶん冒険者風を意識しているのでしょうが、なぜだかピシっと折り目の入ったスラックスと、ピカピカに磨かれたブーツがコレジャナイ感を醸し出しています。
ピッチリと撫でつけられた髪にピンっと立ったウサ耳、父親のクラウスさんと同様の口髭に加えて顎髭も蓄えているのですが、なぜだか山羊みたいになってます。
たぶん、たぶんですが、ワイルドさを演出しているのでしょうが、このチグハグ感を狙わずにやっているとすれば、ある意味恐るべき才能です。
「おぅ、ケントじゃないか」
「お久しぶりです、兄貴」
「聞いたぞ、イロスーンの指名依頼が来たそうだな」
「はい、今朝マスター・レーゼの所に顔を出して正式に依頼を受諾、午前中から着手したところです」
「ほぅ、さすがケントだ仕事が早いな。昼飯は食ったのか?」
「はい、ダナさんの店に寄ってきました」
「おぉ、そうかそうか、俺もたまに寄らせてもらっている。あそこのブライヒ豚のステーキは旨いからな」
「はい、今日も変わらぬ旨さでしたよ」
クラウスさんと一緒に、ブライヒベルグを訪れた時には、砕けた口調に四苦八苦していたアウグストさんですが、すっかり板についたようですね。
「ラウドス! 少し頼んでいいか?」
「へい、お任せ下さい!」
アウグストさんは、近くにいた屈強な中年男性に集荷場の監督を頼むと、僕を事務所へと誘いました。
「親父からの手紙で簡単な話は聞いているが、ケントが見た南の大陸やリバレー峠の件を少し詳しく説明してくれ。こっちに居るからといって情報に遅れたくはないからな」
「分かりました」
外見は、ちょっと妙な感じにアップグレードしちゃっていますが、生真面目な中身までは変わっていないようです。
豪雨による土砂崩れやダンジョンの水没、リバレー峠の魔物の大量発生騒ぎ、南の大陸の偵察、そしてセラフィマの輿入れについても詳しく話しました。
話を聞いている時の姿勢も以前と同様で、余計な口は挟まずメモを取り、話が一段落した所でまとめて質問をぶつけて来ます。
質問の内容も実に的確で、僕が話し忘れた部分をフォローしてくれる感じです。
僕なんかとは、頭の出来が根本的に違っている気がします。
クラウスさんの下を離れて、ブライヒベルグで集荷場を取り仕切るようになり、格段に柔軟性も高まっているようですし、これで冒険者になるとか突飛なことを言い出さなければヴォルザードの将来は安泰でしょう。
「ところでケント、バッケンハイムの冒険者達の討伐の様子は見てきたか?」
「いえ、マスター・レーゼからは僕は工事に集中して、討伐については冒険者に任せるという話だったので、確認はしていません」
「大丈夫だと思うか?」
「と言いますと……?」
「いや、バッケンハイムの連中は、イロスーン大森林で魔物が増殖するまでは、あまり討伐の経験が豊富だったとは思えないから、経験不足を露呈していなければ良いと思ったんだ」
「なるほど……」
確かに、これまでを振り返ってみると、オーガの群れの討伐やサラマンダーの対処でも危なっかしい所が多々見られました。
イロスーン大森林で魔物が増殖した時も、街道近くに出て来たゴブリンなどを追い払うのではなく投石や弓矢などで殺していたので、結果的に大型の魔物を引き寄せていました。
「気にならないか?」
「まぁ、気にならないかと言われると、正直とっても気になりますが、討伐に横槍を入れるのは冒険者としてのマナー違反ですからね」
「そうだな。それにケントも暇を持て余している訳ではないから、ちょっと見て来てくれと頼む訳にはいかないが、最近バッケンハイムへ向かう街道でゴブリンを見掛ける事が増えていると聞いている」
アウグストさんは、イロスーン大森林の工事が滞り始めたと聞いた頃から、バッケンハイムから荷を運んで来た者達に、それとなく道中の様子を聞いていたそうです。
「最初の頃は、魔物を見かけたなんて話は殆ど聞かなかった。それが最近だと、ゴブリンを見掛けなかったと話す者の方が少ないぐらいだ」
「それって、イロスーン大森林から溢れた連中が、バッケンハイムのこちら側まで移動し始めているって事ですか?」
「それ以外に考えられるか?」
「まぁ、規模にもよりますが、リバレー峠で起こった空間の歪みがどこかに発生している可能性も全く無いとは限りません」
「そうか、その可能性もあるか……」
アウグストさんは、腕組をして宙を睨み考えを巡らせ始めました。
その姿は、やはり父親であるクラウスさんを彷彿とさせます。
「今はまだ大丈夫だが、更にブライヒベルグの間に魔物が増えるようになると、最悪バッケンハイムが孤立する事態になりかねない。ケントも知っての通り、バッケンハイムは学術都市として多くの子女を迎え入れているが、その人口に対して冒険者の数は多くない」
「ヴォルザードのような城壁もありませんしね」
「その通りだ。まぁ、マスター・レーゼも考えてはいるだろうし、俺ごときが心配する事ではないのかもしれんが……」
「バルディーニさんですね?」
「あぁ、あんなのでも俺にとっては可愛い弟だからな」
事あるごとに僕に突っ掛かってくるバルディーニは、ぶっちゃけ鬱陶しい存在ではありますが、ヴォルザード家の次男である事に違いはありません。
ベアトリーチェと結婚すれば、義理の兄貴になる存在です。
「もし、この先もゴブリンの目撃情報が相次ぐようになったら、コボルト隊に伝言を頼んで知らせて下さい。ゴブリンが増えれば、それを狙う魔物が増える可能性が高まります。これまで殆ど魔物が現れなかった場所にオークやオーガが現れるようになると、当然被害も増えますからね」
「その通りだ。俺もそれを懸念している所だ。何か異変が起これば、早めに知らせるようにするので、ケントも頭の片隅に置いといてくれ」
「分かりました」
正直、バッケンハイムとブライヒベルグの間の街道なんて管轄外も良い所ですが、アウグストさんの弟思いの気持ちに応えて……なんて僕は騙されませんよ。
アウグストさんが、この問題を注視しているのは、ブライヒベルグの領主ナシオスさんの娘カロリーナさんのためでしょう。
事務仕事の手伝いをしているカロリーナさんとアウグストさんの醸し出す空気は、コーヒーに砂糖大匙三杯ぐらいぶっ込んだ感じです。
この二人が結婚して、安心してクラウスさんの後を継いでくれるように、イロスーン大森林をチャッチャと終わらせないといけませんね。
すっかりアウグストさんと話し込んでしまったので、ブライヒベルグとバッケンハイムを結ぶ街道の様子と、バッケンハイムの冒険者の討伐の様子を確認してからヴォルザードに帰ることにしました。
ブライヒベルグとバッケンハイムの間には、農地や牧草地などが広がっていますが、丘があったり川があったり、途中何か所か木立の間を抜ける場所もあります。
『ケント様、あちらにゴブリンが居ます』
『ケント様……むこうにも……』
林と呼ぶ規模で木が生えている場所では、五ヶ所の内の三ヶ所ぐらいの確率でゴブリンの姿がありました。
群れの規模としては多くても五頭程度で、街道を行く人を狙っているような個体は見受けられません。
「この感じだと、空間の歪みから出てきたって感じじゃないね」
『そうですね。恐らく、どこかの森で住み家を追われたものが安住の地を求めて辿り着いた感じですね』
『でも、ゴブリンは……放置すると増える……』
「討伐の依頼を出すか、護衛の強度を上げないと、いずれ被害が出そうな気がするね」
『ケント様、これは戻られてアウグスト殿に知らせた方がよろしいです。バッケンハイムに知らせても、イロスーン大森林側の討伐に人を取られている状態ですし、獲物がゴブリンでは人が集まらないでしょう』
「そうだね。そうしよう」
影移動を使えば、ブライヒベルグの集荷場に戻るのは一瞬で済みます。
集荷場で立ち働いているアウグストさんに、影の中から声を掛けました。
「兄貴、ケントです」
「おぅ、どうした?」
「思っていたよりもゴブリンが多いですね」
闇の盾を出して表に出ながら見て来た状況を話すと、アウグストさんは顔を顰めてみせました。
「そうか、やはりケントに話しておいて良かった。分かった、ブライヒベルグのギルドには俺の方から話しておこう。助かったよ」
「いえ、お役に立てて何よりですよ。マスター・レーゼにも一応話をしておきます」
「そうか、頼む」
「お任せ下さい、兄貴」
アウグストの兄貴と握手を交わして、影に潜って移動します。
向かう先は、勿論バッケンハイムのギルドです。
マスター・レーゼの居室には、タイミング良くリタさんが業務の報告に訪れていました。
こちらでも、一声掛けてから外に出ます。でないと、ラウさんにバッサリやられかねませんからね。
「ケントです、よろしいでしょうか?」
「入りや……」
闇の盾を出して部屋へと踏み出すと、リタさんが一礼して退室しようとしたので待ったを掛けました。
「あぁ、リタさん。ちょっとだけ待って下さい」
「はい、何でしょう?」
「ブライヒベルグとの間にある林などで、ゴブリンが増えてるのはご存知ですか?」
僕の言葉を聞いて、リタさんはマスター・レーゼとラウさんに視線を向けましたが、二人とも首を横に振りました。
「詳しく聞かせていただいてもよろしいですか?」
「はい、実はブライヒベルグにいるアウグスト・ヴォルザードさんから話を聞かされて、さっき見て来たばかりなのですが……」
林に六割ぐらいの確率でゴブリンを見掛けたと話すと、リタさんは右手で額を押さえてみせて、マスター・レーゼとラウさんは苦笑いを浮かべています。
「イロスーン大森林から溢れた連中でしょうかね?」
「そう考えるのが妥当じゃろうな」
僕の問いかけにラウさんは頷いてみせました。
「ケントさん、この話はブライヒベルグのギルドにも知らせていただけましたか?」
「アウグストさんが届け出ると仰ってました」
「そうですか……マスター・レーゼ、うちでは依頼を出しても人が集まらないかもしれません」
「じゃろうな。だが、護衛の依頼には少なからぬ影響がでるわぇ。バッケンハイムへの物の流れはブライヒベルグ方面に限られておる。護衛の依頼を出す者には情報を開示して、料金の割り増しを飲ませるしかないじゃろう」
やはり、よりお金になるオークなどの討伐を目指して、バッケンハイムの多くの冒険者はイロスーン大森林方面の討伐に向かっているようです
いくらゴブリンであっても、ヴォルザードからマールブルグへ向かう街道に出没した群れのように、二十頭を越えて統率する上位種が現れたりすると被害が出ます。
現状でも、徒歩での移動をする者にとっては、安全とは言えなくなっています。
「あのぉ、僕がチャチャッと……」
「駄目じゃぞ。バッケンハイムの住民をバッケンハイムの冒険者が守れないでどうする。そもそも、その程度の数のゴブリンであれば、少し腕の立つ者であれば難なく討伐できるじゃろう。手出しは無用だぇ」
「ですよねぇ……」
まぁ、オーガ騒動の時でも、僕には討伐に参加しないように釘を刺したぐらいですから、ゴブリン程度じゃ以下同文でしょう。
「リタ、この件はブライヒベルグと連携して事に当たりや。それか、駆け出しの小僧どもを焚き付けても構わんぞぇ」
「そんな、怪我人や死者が出たら……」
「なぁに、今でもオークやオーガに突っ込んで行きそうになっておるんじゃ、むしろゴブリンの相手をさせておいた方が安全じゃろうて」
「はぁ……それもそうですね」
どうやら話を聞いた感じでは、この年明けから冒険者稼業を始めた駆け出しのヒヨっ子共が、討伐の依頼に飛びつこうとしているようです。
直接見た訳じゃありませんから、実力のほどは分かりませんが、新人の冒険者が挑む相手としてはオークでも荷が重たそうです。
リタさんは、重たい溜息を残して自分の持ち場へと戻っていきました。
相変わらず苦労が絶えないようですね。
「ケント、イロスーン大森林はどんな状態じゃった?」
「はい、検問所がゴブリン共の巣になっていました」
「ほう、そいつらはどうしたんじゃ?」
「眷属のギガウルフに遠吠えさせて、追い散らしましたよ」
「討伐しなかったのかぇ?」
「討伐したら、死体の処理とか面倒じゃないですか。ゴブリン程度の魔石じゃ割に合いませんし。血を流すと余計な魔物が寄って来るでしょうからね」
「ふふっ、さすがはSランクじゃな、ゴブリン程度の魔石など必要ないのじゃな」
「まぁ、魔石は一杯持ってますから、否定はしませんよ。てか、Sランクじゃなくてもゴブリン程度じゃ相手にしないから、リタさんが苦労してるんじゃないんですか?」
魔物の情報とあらば、種族は問わずに討伐に向かうような冒険者ばかりだったら、ギルドが頭を悩ませることも無いでしょう。
先日のヴォルザードから北に向かう街道に出没した群れも、討伐の報酬を設定したから多くの冒険者が参加を検討したのだし、討伐する冒険者が見つからないという意味ではゴブリンは厄介な存在です。
「でも、駆け出しの冒険者に任せて大丈夫なんですか?」
「大丈夫か、大丈夫じゃないか、ゴブリン相手に判断が出来ないようでは、冒険者としてやっていくなど無理じゃろう?」
「まぁ、そう言われればそうですけど、駆け出しの冒険者の中にはゴブリンを見たことのない者も居るんじゃないですか?」
「いるじゃろうが、それもまた経験というものだぇ」
実際にゴブリンに食われて死にかけた経験のある僕としては、身の程知らずの特攻を仕掛けるようなヒヨっ子がいないか心配なんですが、珍しくマスター・レーゼはリタさんが持ってきたらしき書類の束に目を通し始め、その話は終わりといった雰囲気です。
「では、僕はヴォルザードに戻りますね」
「あぁ、ちょっと待ちや。ケント、そなた魔落ちを知っておるかぇ?」
「魔落ちって、魔物肉とか魔石とかを口にして、魔物になってしまう事ですよね?」
「そうじゃ。実物を見たことがあるかぇ?」
「いえ、実物はありませんが、バルシャニアで魔落ちした人が暴れる事件が連続していたので……」
「何じゃと! ケント、その話を詳しく聞かせてくれりょ」
「構いませんが、もしかして魔落ちした人が現れたんですか?」
マスター・レーゼは、チラリとラウさんに視線を向けた後で頷いてみせました。
「討伐に参加しておった者が一人、急に無茶苦茶な戦い方を始めたかと思ったら、魔落ちして森の中へと姿を消したらしい」
どうやらマスター・レーゼが目を通していた書類が、その報告書のようです。
「バルシャニアの状況とは少し違うみたいですね……」
バルシャニアの王都グリャーエフや、セラフィマの輿入れ一行を狙った魔落ちテロのような状況について説明しました。
「何じゃと、魔物の血と強い酒を混ぜて、人の血脈に流し込むじゃと? 何という恐ろしい事を考えるのじゃ……」
「この話は外には出さないで下さい。真似をしようと思えば出来なくありませんから」
「無論じゃ、そのような恐ろしい事を真似されてたまるかぇ。ただ、この状況とは違っておるようじゃの」
「そうですね。血脈に注ぎ込む方法では、恐らくですが行ってすぐに反応が出始めるはずです」
「そうじゃのぉ、それでは討伐に参加することすら難しいじゃろう」
バッケンハイムの事例では、魔落ちする直前までは普通に討伐に参加していたのに、突然おかしくなり始めたという話です。
その間、静脈注射のような行為はしていなかったようです。
「普通に魔石を食べただけでは、急に魔落ちしないんですよね?」
「そうじゃな。蓄積されたものが……蓄積か……」
マスター・レーゼは腕を組んで考え込み始めたのだが、その姿勢は際どい踊り子風の衣装では危険です。
真面目な場面なのに、ついつい視線が釘付けにされてしまいます。
「何らかの方法で、そやつは魔物成分を口にしておったのだろう。それが蓄積していって、ある所で一気に噴き出して来たと考えるべきじゃろうな」
「でも、そんなに急に魔物の成分を取り込めるのですか?」
「にわかには信じがたいが、そう考えるべきなのじゃろう」
「これ、他にも起こりそうですよね?」
「そこじゃ……少々リタには荷が重いやもしれぬのぉ」
いつになく思慮深いマスター・レーゼの口ぶりが、事態の深刻さを物語っているような気がしました。
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