第393話 大森林での依頼

 唯香と一緒にアルダロスを訪ねた翌朝、朝食の席でクラウスさんから声を掛けられました。


「ケント、指名依頼だ」

「依頼主はクラウスさんですか?」

「俺じゃねぇ。マスター・レーゼだ」

「場所は、バッケンハイムですね?」

「いや、イロスーンだ。工事が思うように進んでいないらしい」


 マールブルグとバッケンハイムの間に広がるイロスーン大森林では、魔物の生息数が増加したことで通行が出来ない状態が続いています。

 おそらく原因は空間の歪みだとは思うのですが、大森林の面積が広大すぎて、どこから魔物が湧いて出ているのか探し出せません。


 すでに魔物は大森林の各地に散らばってしまって、定住している状態です。

 言ってみれば、ただの森が魔の森へと変貌してしまった感じです。


 イロスーン大森林を抜ける街道が通れないので、当然物流に支障をきたしていましたが、ヴォルザードとブライヒベルグを影の空間で繋ぎ迂回する措置を取り、なんとか物資は届けられています。

 ただ、物資は送れるようになっていますが、人の往来が出来ない状態が続いています。


 そこで、ランズヘルト共和国の各領主がお金を出し合って、イロスーン大森林を通る街道を魔物に襲われない形に整備しなおす工事が始められました。

 道幅を広げ、道の両脇には深い堀を穿つ予定です。


 思うように進んでいない工事とは、この道路工事のことでしょう。


「すみません。南の大陸の調査などにも眷属を駆り出したので、魔物の密度が上がったんですね。すぐにでも間引くように……」

「いや、イロスーンの魔物の調整、南の大陸の調査……いくら自分の生活に関わることとは言っても、片や報酬を得て工事を行っている人間がいるのに、これ以上お前にタダ働きさせていると、他の領主が金を出さなくなる。Sランクの冒険者を泣き付けば見返り無しで働いてくれる存在には出来ねぇんだよ」

「じゃあ、僕は何をやれば良いんですか?」

「ケントには、工事の方を担当してもらう事になる。まぁ、詳しい話はレーゼから聞いてくれ」

「了解です」


 かくして、久々にバッケンハイムのギルドにマスター・レーゼを訪ねる事になりました。

 ぶっちゃけ、バッケンハイムのギルドとは、何となく相性が悪い気がしてるんですよね。


 理由は言うまでもなく、グラシエラとの一連のゴタゴタです。

 グラシエラ本人は、クラウスさんの嫡男アウグストさんを襲撃した罪で処刑されましたが、元Aランクの冒険者ですから多くの知人がバッケンハイムには居ます。


 マスター・レーゼの右腕としてギルドを仕切っているリタさんも、グラシエラとは旧知の間柄です。

 蒼きなんちゃらとかいう冒険者のチームにも、グラシエラの息が掛かっていました。


 バッケンハイムに出向くのも、イロスーン大森林の中にあったスラッカの集落から住人を救出した時以来です。

 あの時、グラシエラがランクを剥奪されてバッケンハイムを追放になりましたが、まさか処刑されるような事をやらかすとまでは思っていませんでした。


 グラシエラの最期がどのように伝わっているのか次第では、リタさんから恨まれているかもしれません。

 正直、バッケンハイムを訪問するのは、ちょっと気が重いです。


 影に潜ってバッケンハイムのギルドに移動し、朝の混雑が終わるまで影の空間で待機する事にしました。

 すかさずマルト達が擦り寄って来ます。


「わぅ、ご主人様、大丈夫?」

「えっ、なんで?」

「何だか辛そうだから……」

「ありがとう、みんながいるから大丈夫だよ」


 リタさんとの対面に備えて緊張しているのが伝わったのでしょう。

 マルト達をモフっていたら、嫌な緊張も解れていきました。


 朝の混雑が一段落した所で、人気のない廊下で表に出てカウンターに歩み寄りました。

 新人さんではなく、中堅っぽい受付のお姉さんに声を掛けました。


「おはようございます」

「いらっしゃいませ。依頼の申し込みでしょうか?」

「マスター・レーゼに取り次いでいただけますか?」

「事前のお約束はございますか?」

「いえ、約束はしていないんですが……」

「申し訳ございません。ギルドマスターは多忙でして、あらかじめ約束している方でないとお取次ぎいたしかねます」


 言葉使いは丁寧ですけど、分かるわよね坊や……みたいなニュアンスが込められています。

 まぁ、パッと見では、そこらの子供と変わらないですから、この対応は当然ですよねぇ。


「すみません。ケント・コクブが指名依頼の内容を伺うために来たと伝えていただけませんか?」


 影収納からSランクの冒険者カードを取り出してカウンターの上に置くと、受付のお姉さんの表情が一変しました。


「し、失礼いたしました! ただ今お取次ぎいたしますので、少々お待ち下さい」


 受付のお姉さんの慌てた声を聞いて、カウンター内の職員の視線が集まってきました。

 その中には、一番奥のデスクに座っているリタさんの視線も含まれています。


 目が合ったので軽く頭を下げると、リタさんはデスクを離れて歩み寄って来ました。

 アイスブルーのショートヘアーのリタさんは、いかにも切れ者というシャープな感じのオオカミ女子ですが、今日はいつもよりも鋭い雰囲気をまとっています。


「お久しぶりです、ケントさん」

「ご無沙汰しています」

「シェラの件では大変なご迷惑をお掛けして申し訳ございません」


 リタさんはマナー講座のお手本のような、非の打ちどころのない動きで頭を下げました。


「いえ、グラシエラさんは、こちらの所属ではありませんし、リタさんが謝罪することではありませんよ」

「そうかもしれませんが、それでも申し訳ございませんでした」


 リタさんは、再度僕に向かって頭を下げました。


「どうぞ頭を上げて下さい。グラシエラさんについては、僕ももう少し違った形で対応できれば良かったのでしょうが、まさかあんな行動に出るとは予想できなかったので……」

「いえ、ケントさんが気に病むことではございません。あれはシェラ自身の不徳が招いた結果です」

「それでも、実力のある方でしたから……残念です」

「はい……では、ご案内いたします」

「お願いします」


 一応、グラシエラの件については、これで幕引きなのでしょうが、マスター・レーゼの部屋に向かう間も、以前のような打ち解けた空気にはならず、会話もありませんでした。

 狭い廊下をグネグネと曲がり、辿り着いた部屋のドアをリタさんがノックしました。


「リタです、ケントさんが見えられました」

「入りや……」


 声さえも艶めかしいマスター・レーゼの返事の後、ドアを開いたのはボディーガードのラウさんでした。


「お久しぶりです、ラウさん」

「ふむ……だいぶ鈍ってそうじゃのぉ」

「うぇっ、そ、そんな事はなくもないかと……」

「ほっほっほっ、若いうちに鍛えておかぬと、歳をとってから後悔するぞ」

「うっ、気を付けます……」


 にこにこと笑顔を浮かべる小さいお爺ちゃんにしか見えないけど、絶対に敵に回しちゃいけない人です。

 なにせ、ロックオーガすら一刀両断しちゃう達人ですからね。


 通された部屋の中には、いつものごとくアラビアンナイトに出てくる踊り子さんのような衣装に身を包んだマスター・レーゼがソファーに寝転んでいます。

 相変わらず露出過多で目のやり場に困りますけど、このボン・キュ・ボンのスタイルで実年齢は二百五十歳を超えているというから信じられませんよね。


「ふっふっふっ、相変わらず落ち着きのない目線よのぉ、遠慮などせずに存分に見れば良かろうに……」

「ご、御無沙汰しております、レーゼさん。指名依頼の件で参りました……」

「なんじゃ、バルシャニアから輿入れしてきた皇女殿下に義理立てかぇ? それとも同居を始めた嫁達と毎晩めくるめく夜を過ごしているから、我などには興味がないとでも言うのかぇ?」

「いやいや、そんな寄せて上げて揺らさなくても十分視線は奪われてますし、気付いてますよね」

「ならば、これも指名依頼の報酬に加えてやるかぇ?」

「はぁ……僕で遊ぶのはそのくらいにして依頼の中身を教えてください」

「仕方ないのぉ、そうまで言うなら先に仕事を片付けるとするかぇ」


 マスター・レーゼは横たわった姿勢から起き上がり、長キセルの灰を落として僕と向かい合うように座り直しました。


「ケントも知っての通り、イロスーン大森林では街道の工事が行われておる。ところが最近、森から出てくる魔物の数が増えて、ギルドに討伐の依頼が殺到するようになってのぉ。工事に関わっていた冒険者どもが、手っ取り早く稼げる討伐の方に流れてしまい人手が足りない状況になっておる」

「なるほど、それで僕に工事を進めろという訳ですね?」

「そうじゃ、人手が一定しない状況では、思うように工事が進められん。それならばケントに工事を担当させ、冒険者どもは討伐に専念させようという訳じゃ。聞けばケント、そなたバルシャニアの皇女が輿入れしてくる際に、リーゼンブルグ国内の街道を整備したそうじゃな?」


 さすがランズヘルト共和国の本部ギルドを統括するギルドマスター、リーゼンブルグ国内の情報まで仕入れてるんですね。


「はい、セラフィマに対する印象を少しでも和らげようと思ったからですが、整備したのは眷属たちで、僕は殆ど何もやってないんですけどね」

「先日の大雨でリバレー峠のあちこちが崩れた時は、ケントが活躍したと聞いておるぞぇ」

「あぁ、確かにあの時は復旧工事に参加しましたけど、それでも眷属たちのサポート無しでは出来ませんでしたよ」

「ふむ、まぁ良い。ケントであろうと眷属であろうと、工事が進めば文句はないぇ」


 立ち上がったマスター・レーゼは、書棚から週刊誌程の厚さに纏められた書類を取り出して来ました。


「イロスーンの工事計画書の写しじゃ、概ねこれに沿った形で工事を進めてくれるかぇ?」

「工事はバッケンハイム側から進めた方が良いですか?」

「いいや、まずは領地の境となる森の中央から元のスラッカまで、次はマールブルグ側のモイタバまでを進めてもらう」


 工事の計画書には、街道の工事の他に集落の建設が予定されています。

 バッケンハイム側のスラッカ、領地の境、マールブルグ側のモイタバの三か所にヴォルザードのミニチュア版みたいな城塞集落を築く計画です。


 城壁内部の建物については依頼に含まれていないので、とにかく安全にイロスーン大森林を抜けられるように街道を通すのが目的のようです。

 これで街道が復旧したら、城壁内部には建物が作られ、新しい集落として機能していく事になるのでしょう。


 その過程は、魔の森の中に新しい集落を作ろうと考えている僕にとっては、大いに参考になるはずです。


「スラッカからモイタバまでの街道の整備に四億ヘルト。集落の城壁建設が一か所一億ヘルト。総額七億ヘルトでどうかぇ?」

「な、七億ヘルトですか?」

「どうじゃ、不満かぇ? 足らぬと言うなら、我の身体で……」

「いえ、ちょっと金額もそうですが、仕事量がどの程度になるのかピンとこなくて……」


 依頼の中身は、工事全体の半分以上の工程になります。

 眷属のみんなに動いてもらうとして、どの程度の工期が必要で、この報酬が妥当なのか判断が出来ません。


「これだけの工事じゃ、慌てて進めなくとも構わぬが、人の往来を回復させるためにもなるべく早く終わらせたい」

「ですよねぇ……」

「それとも、ランズヘルトの物の流れを自分の手に握っておきたいのかぇ?」

「えっ、いえいえ、あれは応急処置みたいなものですから、街道を整備した方が良いに決まってます。分かりました、お引き受けいたします」

「そうかぇ、引き受けてくれるか。ならば前祝いに一杯……」

「やりませんよ。いくら工事の主力が眷属のみんなでも、僕が酔っぱらってちゃ格好がつきませんからね」

「なんじゃ、堅物のアンデルみたいじゃな。まぁ、ケントは我の服装にケチなどつけぬがな」


 バッケンハイムの領主アンデルさんは堅物で、事あるごとにマスター・レーゼに服装がはしたないと文句を言うそうです。

 勿論、僕は文句なんて言いません……いや、もっと際どくと注文は付けるかも。


 僕は飲まないと言っているのに、マスター・レーゼはキャビネットから酒瓶とグラスを持ち出してきました。

 蓋を取り、グラスに琥珀色の液体を注ぐと、たちまち芳醇な香りが漂ってきます。


「くぅ、リーブル酒の年代物……」

「どうじゃ、一杯?」

「う──っ、駄目、今日は飲みません。僕は現場を確認に行きます!」

「頑固者め……まぁ良い、依頼が完了したら、たらふく飲ませてやるわぇ」


 リーブル酒の香りを振り切るように影に潜り、イロスーン大森林へと移動しました。

 最初に訪れたのは、バッケンハイム側の森の入り口です。


 工事の基本となる道路の形を、実物で確かめておきたかったからです。

 さすがにランズヘルトの全領主がお金を出し合った公共事業とあって、路盤は綺麗に舗装されていますし、堀の内壁もガッチリと硬化させられているようです。


 ただし、工事が始まってから一ヶ月以上が経っていますが、まだ500メートルも出来ていません。

 現場の最前線へ移動してみても、作業に関わっている人は数えるほどで、工事が急ピッチで進められているようには見えませんでした。


「うーん……これじゃあ僕に依頼が来るのも分かるね」

『さようですな。明らかな人手不足ですし、現場に熱気が感じられませぬ』


 この人数では、イロスーンを抜けてマールブルグ側へ到達するまで何年掛かるか分かりません。

 これで魔物の襲撃とかがあれば、また工事が中断するのでしょうし、とにかく人手不足が深刻に感じます。


「とりあえず、領地の境に行ってみよう。あれからどうなったのか見ていないからね」

『そうですな。魔物が増え始めた時点で検問所は襲われておりましたな』


 イロスーン大森林で魔物の数が増加し、街道を行く馬車がキャラバンを組み始めてた頃にマールブルグとバッケンハイムの境にある検問所は放棄されました。

 僕が見に行った時には、小屋の中には血飛沫が飛び、ゴブリンが床を漁っている状態でした。


「うわぁ……巣になってるよ」

『雨風がしのげて近くに水場もある。ゴブリンどもにとって格好の住み家ですな』


 バッケンハイム側の検問所は荒れ果てて屋根が落ちてしまっていましたが、マールブルグ側の検問所にはゴブリンが住み着いていました。

 建物の中だけでなく床下にも穴を掘り、五十匹以上の大きな群れが暮らしているようです。


「はぁ……何から手を付けようかね?」

『まずは、この地が我らのテリトリーであると知らしめる事からでしょうな』 

「あぁ、前にスラッカでやった方法だね。じゃあ、ゼータ、エータ、シータ、出番だよ。それとレビンとトレノも周辺の魔物を蹴散らして。後始末が面倒だから殺さずに追い払うだけで良いからね」

「お任せ下さい、主殿」

「蹴散らしてくるみゃぁ」


 ゴーサインを出した途端、イロスーン大森林にゼータ達の遠吠えが響き渡り、木立の間に電光が走りました。

 マールブルグの検問所を不法占拠していたゴブリンどもは、大パニックを起こしてそれこそ散り散りに逃げ出していきました。


「今度作る場所は、城壁の中を二つに区切って内部に検問所を設けるんだね」

『これだけ魔物が増えると、各々で守りを固めるよりも共同で守った方が効率が良いでしょうな』


 ラインハルトに図面を見てもらい、集落の敷地を線引きしてもらいました。

 愛剣グラムの一振りで、地面が抉られ、真っ直ぐな線が引かれていきます。


 敷地の内側にある立ち木や建物の残骸は、送還術を使って敷地の外になる森へと廃棄しました。

 建物といっても木造ですし、放置してもいずれ朽ちて無くなるでしょう。


「ここを地均しして、高い塀を作らなきゃいけないんだよね」

『ケント様、ラストックの駐屯地を砦にした方式がよろしいのではありませぬか』

「なるほど、堀を作って出た土で塀を作るんだね」

『街道も周囲の堀を作った土で転落防止用の壁を作りますぞ』


 リーゼンブルグの国内を横断するように、道の整備をやり遂げたラインハルトを始めとする眷属達ですから、道の整備はお手の物です。

 設計は既に出来ていますから、ガンガン進めてもらって大丈夫でしょう。

 今回ばかりは、ラインハルト達にやり過ぎてもらう位で丁度良いかもしれません。


「コボルト隊とゼータ達を工事に取られちゃうと、魔の森の監視とかが手薄にならない?」

『その辺りは、警戒する者を先に決め、手の空いている者で工事を進めるようにしますから問題ありませんぞ。ですが、南の大陸の探索までは手が回らなくなりそうですな』

「だよね。あっちもこっちも同時というのは、ちょっとばっかし無理があるよね」


 とりあえず南の大陸の探索は、僕が星属性魔術で見て回り、重点的に調べたい場所がある場合には眷属のみんなを集める形にします。

 両面作戦のような形になるのは少々不安ではありますが、どちらかに問題が発生した場合には、即応出来るような心構えはしておきましょう。

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