第392話 直接対決
フラヴィアさんのお店を訪ねた後、夕食を済ませてからリーゼンブルグ王都アルダロスへ足を運びました。
ハルトを目印にしてカミラを探すと、まだ執務室の机に向かい仕事を続けています。
机の上には分厚く積み上げられた書類の束がいくつもあり、まだまだ終わりそうもない感じです。
少し離れた場所に闇の盾を出し、表に踏み出しながら声を掛けました。
「こんばんは、カミラ」
「魔王様……」
書類から目を上げたカミラは、僕の姿を確かめると蕩けるような笑顔を浮かべました。
「またこんな時間まで仕事をしてるの?」
「いえ、も、もう片付けようと……」
言い掛けて机の上の様子に気付き、カミラは悪戯を見咎められた子供のような表情を見せました。
「まったく、いつも頑張りすぎちゃ駄目だって言ってるのに……」
「申し訳ございません。魔王様」
歩み寄ってクシャっと頭を撫でると、申し訳ないと口にしながら心地よさげに目を細めています。
もしカミラに尻尾が生えていたら、ブンブンと振り回されていそうだよね。
「少し話をしたいんだけど、手を止められるかな?」
「はい。どのみち今夜だけでは終わりそうもありませんので……」
書きかけの書類が飛ばないようにペーパーウエイトを載せ、席を立ったカミラが侍女にお茶を申し付けたので一人分追加してもらいます。
「ベルデッツに御用ですか?」
「いや、騎士団長じゃなくて、ヴォルザードから連れて来るから」
怪訝な表情を浮かべたカミラの前で、召喚術を使って唯香を呼び寄せました。
「こんばんは、カミラ」
「聖女……」
「その呼ばれ方は好きじゃないわ、唯香と呼んでくれない?」
「心得た」
唯香を召喚した途端、執務室に漂っていた甘い空気は霧散して、ピーンと張り詰めた緊張感が漂います。
うん、ぶっちゃけ胃が痛いです……。
応接ソファーに僕と唯香が並んで座り、テーブルを挟んでカミラと向かい合いました。
お茶の支度をしてくれた侍女さんも、ただならぬ空気に表情を強張らせています。
「魔王様、今宵はどのようなご用件でございましょうか」
「今日の午前中、セラフィマを護衛してきた騎士達を送還術を使ってバルシャニアに送り届けた」
バルシャニアの騎士達が再びリーゼンブルグを通ることなく帰国したと聞いて、カミラは少し表情を緩めました。
王城で行われた夕食会で、セラフィマと共に友好関係を築いていくと宣言したとは言え、リーゼンブルグ国民のバルシャニアに対する敵意が完全に払拭された訳ではありません。
輿入れする皇女というシンボルを欠いた状態で、バルシャニアの騎士だけが隊列を組んでリーゼンブルグ国内を通過すれば、いつ不測の事態が起こったとしてもおかしくありません。
そうした事態が発生してしまえば、折角の友好ムードに水が差されてしまいます。
今のリーゼンブルグは国内問題を片付けている最中で、外敵と争うだけの余裕はありません。
まぁ、それはバルシャニアも同じなのですが、心配の種が一つ無くなったと知れば、カミラが表情を緩めるのも当然でしょう。
「それでね。バルシャニアの騎士の壮行会で、ヴォルザードの領主クラウスさんがランズヘルト共和国とリーゼンブルグ王国の友好関係樹立に向かって動くと宣言したんだ」
「それは、真ですか?」
「勿論本当の話だけど、そんなに簡単に進められる話じゃないのはカミラも分かっているよね」
「はい、バルシャニアと違ってランズヘルトとの間には魔の森もあるので、これまで殆ど小競り合いは起こっておりません。その代わり、往来が難しい事もあって緊密な交流も行われてきませんでした」
リーゼンブルグ王国とランズヘルト共和国は、元々は一つの国でしたがトレントの大量発生によって魔の森が出来上がり、往来が困難になった事で二つの国に分かれ現在に至っています。
ランズヘルト共和国の人々は皆が独立したという意識を持っていますが、リーゼンブルグ王国の一部の人々は独立を認めていないそうです。
「バルシャニアに対するような敵意までは持っていないものの、ランズヘルトは属国であるかのような変な優越感を持っている者はおります。ですが魔王様、なぜ今のタイミングなのでしょう? バルシャニアの皇女が輿入れした今、リーゼンブルグを挟む形となり侵略を受ける可能性は低くなったと考えるのが普通ではありませんか?」
「うん、そうなんだけどね……」
ここでリバレー峠で起こった魔物の大量発生について、カミラに詳しく説明しました。
「そんな……それではリーゼンブルグに同様の事態が起こったとしてもおかしくないではありませんか」
「うん、その通り。最近、南の大陸の調査を始めたところなんだけど、まだ原因らしいものは見つかっていないし、それどころか未知の強力な魔物が次々に見つかっている」
「もし、そのような魔物がリーゼンブルグに現れたら……」
「大きな被害は免れないだろうね」
リーゼンブルグとランズヘルトの友好関係と聞いて、不思議に思いつつも期待していたらしいカミラは、空間の歪みがもたらす事態を想像して厳しい表情を浮かべています。
「今は、まだ大丈夫。被害はゼロには出来ないだろうけど、事態を知れば僕や眷属が駆けつけて解決に当たれるけど、これが百年先に起こったらどうだろう?」
「百年先と言いますと、私達の次やその次の世代の時に……という事ですか?」
僕が頷き返すと、カミラは頭の中でシミュレーションを始めたようでした。
三分ほど考えに沈んだ後、カミラは俯けていた顔を上げて言葉を紡ぎました。
「魔王様、もしカバサ峠でリバレー峠と同じような事態が起これば、ラストックはヴォルザードと同じ状況に陥ります。バマタまでの距離は短いですが、そちらの脅威が上がればヴォルザードに助けを求めざるを得なくなるでしょう」
さすがはカミラ、ヴォルザードが置かれている地理的な問題をすぐに理解したようです。
「ラストックは、グライスナー領に編入されたんだよね?」
「はい、地理的にも隣接いたしておりますし、ゼファロスは一連のカルヴァインとの紛争解決に力を尽くしてくれましたので褒賞として与えました」
元々、ラストックは王家の直轄地としてカミラが管理していましたが、王都からは距離があり王位を継承するとなると管理の目が届かなくなる恐れがありました。
そこで第二王子、第三王子の誅殺にも手を貸し、カミラが王位を得る後ろ盾となった隣接地域の領主であるゼファロス・グライスナー侯爵へ与えられる形になりました。
「僕も足を運んだことがあるけど、あの間の森は開墾しちゃった方が良さそうだよね」
「はい、いずれはそうなるでしょう」
「話を戻すけど、そうした将来の脅威に備えて、ヴォルザードはこれまでよりもリーゼンブルグとの友好関係を深めていく方向へと舵を切ることになったんだ」
「なるほど、やはりクラウス・ヴォルザードは一廉の人物のようですね」
これまでのヴォルザードとリーゼンブルグの関係を考えれば、明確な敵意は無いものの侵略される心配は拭えないというのが一般的な考えです。
それを併呑されても社会の仕組み、人々の営みが変わらなければ構わないと言い切れるのですから、非凡な人物であるのは間違いありません。
まぁ、性格的には色々とあれですが……。
「そのような将来を見据えた考えであれば、リーゼンブルグとしても異を唱えるつもりはございません」
「うん、それはカミラならば……だよね?」
「と、おっしゃいますと……先の事までは分からないと?」
「うん。クラウスさんとカミラであれば問題無いだろうし、そもそも僕が生きている間は大丈夫。でも、その先はどうだろう?」
「そうですね。私はディートヘルムに王位を譲るつもりでいますが、その子孫まではどうなるかは分かりかねます」
カミラは僕の質問に答えながら、話がどこに向かっているのか考えているようです。
時折、視線が動くのも、まだ殆ど口を開いていない唯香がどう関わっているのか判断を下せないでいるからでしょう。
「クラウスさんも百年先、あるいはもっと先までは見通せないそうだよ。そこで、僕にリーゼンブルグ王家の血をヴォルザードに引き入れろって言ってきたんだ」
「リーゼンブルグ王家の血……」
カミラはハッとしたような表情を浮かべた後で、今度は視線だけでなく身体ごと唯香へと向き直りました。
数瞬見詰め合った後、唯香が頷くとカミラの瞳が潤みました。
「クラウスさんからは、次男のバルディーニとの縁談も打診されたけど、勿論即座に断った。カミラは僕が娶るって伝えた」
「魔王様……」
カミラの瞳から堪えきれなかった涙が零れ落ちました。
カミラは一度俯いて涙を袖で拭うと、大輪の牡丹がほころぶような笑顔を見せました。
「ありがとうございます、魔王様。大変嬉しゅうございます。ですが……」
カミラは思わず見惚れてしまうような笑顔を消して表情を引き締めると、もう一度唯香に視線を向けました。
だらしのない表情の僕とは違い、唯香が厳しい姿勢を崩していない事に気付いているのでしょう。
「私が魔王様の下へと嫁ぐには、まだ解決すべき事が残されております」
「うん、今夜の本題はそれなんだ」
長い前置きでしたが必要な状況説明を終えて、カミラと唯香は向かい合いました。
ラストックの駐屯地を脱出して以来、唯香とカミラが顔を合わせるのは、カルヴァイン領に雪崩の救助作業に入った時以来の二度目です。
あの時は、お互いに救助作業が忙しく、ロクに言葉を交わす時間もありませんでした。
タブレットを通して、被害者や遺族に送る謝罪文の監修などを行っていたようですが、直接顔を会わせ、じっくりと言葉を交わす機会は今回が初めてと言っても良いでしょう。
カミラと唯香の間には、まるで白刃を構えて対峙するような張り詰めた空気が漂っています。
互いに瞬きすら忘れたかのように視線をぶつける二人の間で、まるで時間が巻き戻っているかのようで、次第に表情が険しく変わっていきます。
僕が何かを言わなきゃいけないのでしょうが、情けないことに掛ける言葉が浮かんできません。
ピリピリとした身動きすら許されないような空気に、キリキリと胃が痛くなってきます。
いや、あと五分もこの状況が続いたら、冗談抜きでマイストマックにホールがオープンしちゃいますよ。
そして、先に口を開いたのはカミラでした。
「すまなかった。父や兄達の振る舞いに絶望し、自分が民衆を救わねばならないと勝手に思い込んで追い詰められていたとはいえ、私の行いは間違いだった。改めて謝罪する、申し訳ない……」
カミラが深々と頭を下げると、唯香はふーっと大きく息を吐いて少しだけ肩の力を抜いたようです。
「召喚した勇者が、後の魔王だと聞いていたのよね?」
「そうだ。だが手持ちの戦力には限りがあり、他に方法はないと思い込み、術式に手を加えて召喚を行った」
「魔王になると思っていたから隷属の腕輪で支配しようとした」
「その通りだ。隷属の腕輪さえ嵌めておけば我々に逆らう事は出来ないと考えたし実際に支配は出来たが、通常の奴隷と同じであると思い込むようになり、結果として酷い扱いをしてしまった」
「船山君のお父さんは、今でも息子の帰りを信じて待ち続けているわ」
船山は、同級生達への見せしめとして使われ、満足な食事も与えられずに痛め続けられた結果、衰弱死してしまいました。
そして、その遺体は魔の森へと運ばれて、ゴブリン達の餌とされてしまったのです。
カミラによって召喚された者は、僕や唯香を含めた居残り組を除けば、命を落してしまった者も殆どが日本へと戻りました。
その中にあってゴブリンの餌とされてしまった船山と、グリフォンに攫われた三田だけが遺体すらも戻っていません。
「すまない……あの者は召喚直後の振る舞いを見て、こいつこそが魔王となる者だと決めつけて、アンデッド化する事を恐れ、それで……」
船山が死んだとフレッドに知らされて、ラストックに向かった時の事を思い出しました。
「船山の遺体を処分した騎士が、カミラに報告をしていたのを影の中から聞いていたんだ。ラインハルトが止めなかったら、影から飛び出してカミラを殺そうとしていたはず……実際、日本に帰る方法が無いと聞いた時には、殴り飛ばした後でナイフで刺し殺そうとしたもんね」
「はい、あの時の魔王様は本当に恐ろしかったです」
「カミラも、最初は健人に敵意を抱いていたのよね?」
「そうだ。私の計画を邪魔する敵、それこそリーゼンブルグ王国に災厄をもたらす魔王だと思い込んでいた」
「それが、好意を抱くようになったのは何故?」
「敵意を抱いていたが、その一方で我々の仕打ちが理不尽なものであることも理解していた。だからこそ、リーゼンブルグには災厄がもたらされると思っていたのだが……魔王様はラストックの民を守るために力を貸して下さった。私の過ちを正し、リーゼンブルグの民を救う手助けをして下さった。私は、魔王様によって本当の私に生まれ変われたのだ。この身も心も、全ては魔王様のものだ」
カミラが僕に向けてくる瞳には、全幅の信頼が込められています。
全てを捧げ、委ねてくる感じは怖いと感じるほどです。
「はぁ……そんな表情を見せられたら認めるしかないじゃない。わだかまりが完全に無くなった訳じゃないわ。それでも、全部引っくるめて認めてあげるわ」
唯香は大きな溜息をついて、芝居がかった口調でカミラを認めると宣言してみせた。
「ありがとう。ユイカ、貴女の寛容さに敬意を表する」
「でも、これは私個人の話よ。日本への賠償の準備はどうなっているのかしら?」
「ニホンに引き渡すための金を集めているが、量が量だけに急激に集めると相場に影響を及ぼしてしまう。なので、もう少しだけ時間をもらいたい。それに……賠償金の支払いが済んだからといって、それで全てが終わるとも思っていない」
「そうね、私は納得しても、召喚に関わって命を落とした方のご遺族は、はいそうですかとは割り切れないと思うわ」
賠償金の支払い額についても日本政府に算定してもらった額ですし、その金額で全ての人が納得するとは限りません。
そもそも船山の父親などは、例え倍の金額の支払いを受けたとしても、納得しないかもしれません。
「私は、私が引き起こした事態だから私自身が非難されるのは当然だと思っている。リーゼンブルグ王国が非難されるのも、私が王族なのだから当然だろう。ただ、私が嫁ぐことで魔王様が非難されるのは……」
「それは違うわ。健人を見くびらないでちょうだい」
唯香は、不安な内心を打ち明けるカミラの言葉をぶった切るように言い放った。
「私達の生まれ育った国では、一人の男性が複数の女性と婚姻を結ぶことは禁じられているの。でも健人は、今の時点でも四人の女性を嫁にすると公言しているわ。当然、ラストックから救出した同級生からも非難された。それでも、健人は真剣に私たちと向き合った結果として、四人と結婚するという結論に至ったの。周囲から非難される事も分かった上での決断よ」
一旦言葉を切った唯香が、確かめるように視線を向けて来たからしっかりと頷き返した。
「当然、カミラを嫁の一人に加えると決断した以上は、召喚の被害者や遺族から非難されると健人は覚悟しているし、私も覚悟しているわ」
正直に言ってしまうと、僕の場合には覚悟出来ている『つもり』だ。
実際に、どんな反応を向けられるか分からないし、どれほど口汚い非難をぶつけられるか予想も出来ない。
僕はヘタレだから、非難に晒されれば凹むし、心が折れそうにもなるだろう。
それでも、身も心も全て捧げて好意を寄せてくれるカミラに応えたい。
たとえ茨の道であっても、迷わずに進みたい。
「カミラ、僕のお嫁さんになってくれるよね?」
大きく見開かれたカミラの瞳から、再び涙が溢れ出ました。
「はい、喜んで……」
唯香の承認を受けて、カミラとも結婚すると決めました。
勿論、日本への賠償が済んでからですし、ディートヘルムへの王位の譲渡を済ませてからです。
カミラとしては、国内問題の整理を付けて、王を頂点とした政治体制の再構築を済ませる事や、バルシャニアとの和平条約締結、ダビーラ砂漠の緑化事業などに道筋を付けてしまいたいと考えているようです。
「健人、私たちの式はどうするの? カミラを待って行うの?」
「まだ、みんなで住む家が出来上がっていないし、衣装も出来ていないから、その辺りの準備が整うタイミングで考えよう」
「そうね。それか、一緒に結婚式を挙げて、引継ぎの残りは新生活を始めてからでも良いんじゃない?」
「いや、さすがに私がアルダロスを離れる訳には……」
「じゃあ、必要なタイミングで健人に送ってもらえば? ヴォルザードからでも、カミラ一人ならば酷く消耗する訳じゃないでしょ」
「そうか、僕が送還術を使って送り迎えすれば、ヴォルザードで暮らしながら昼間はアルダロスで仕事する事も可能か……」
結婚のタイミングでディートヘルムに王位を譲って、ヴォルザードから院政を敷くなんていうのもありかもしれませんね。
「普通の人では考えられないことだろうけど、良いんじゃない? 僕、魔王だし」
「魔王様……」
カミラは呆れたような表情を浮かべていますが、むしろ内心では賛成しているように感じるのは、僕の思い違いではないですよね。
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