第386話 食事会
「ケント──!」
ギルドの酒場からアマンダさんの店の裏へと移動すると、路地の向こうからメイサちゃんの声が聞こえてきました。
「ケント、ケント、ケント──!」
ボールにじゃれ付く子犬のように、メイサちゃんは路地裏の道を駆けて来ます。
駆けて……駆けて……ちょっ、メイサちゃん、そのスピードは……。
「ふごぁ……」
「ケント、ケント、ケント!」
「メイサ……ちゃん……危ないって」
てか、こんだけの勢いで突っ込んで来て、何でケロっとしてられるかなぁ……。
僕の胸に猫みたいに頬擦りしていたメイサちゃんは、急に身体を離して顔を顰めました。
「うっ……ケント、お酒くさい……お母さ──ん! ケントが昼間から酔っ払ってるぅ!」
「ちょっ、メイサちゃん、これには深い事情が……」
メイサちゃんを追い掛けて店の裏口を潜ると、腕組みをしてジト目の唯香が待ち構えていました。
はい、ごめんなさい……てか、最近おっかなくないですか、唯香さん。
お酒を飲んじゃったのは、クラウスさんに一杯付き合えと誘われちゃったからで、小麦に関する授業料で……と、モゴモゴと言い訳を致しましたところ、見かねたアマンダさんが助け船を出してくれまして、無事無罪放免となりました。
うん、これで一家の大黒柱としての威厳……なんてものは無いですよ。
ギルドに出掛ける前には、アマンダさんの危機をさりげなく救ったというのに、まったくメイサちゃんはロクな事をしませんね。
そんな事では、いつまで経っても嫁の貰い手が現れず、アマンダさんに楽をさせてあげられないぞ。
夕食の準備が終わるのを待つ間、アマンダさんとメリーヌさんには小麦に関するクラウスさんの政策を話しました。
小麦の販売に関する規則は、アマンダさんもメリーヌさんも知っていましたが、すっかり忘れていたそうです。
「なるほどねぇ……それじゃあ、小麦不足はそのうち解消されそうだね」
「たぶん、大丈夫だと思いますよ」
「うちもケントから分けてもらった分で、当分の間はしのげるはずだから大丈夫だと思う」
メリーヌさんの店も、今やアマンダさんの店と並ぶほどの人気店ですから、小麦一袋程度では買い置きしすぎにはならないでしょう。
折角僕が融通したのに、クラウスさんに取り上げられたらかないませんからね。
「メリーヌさん、まだカルツさんとは一緒に暮らさないんですか?」
「えっ……うん、弟がねぇ」
メリーヌさんは、守備隊の隊長であるカルツさんのプロポーズを受けて、結婚すると決めましたが、お邪魔虫のニコラが居座っているようですね。
「僕が言う事じゃないでしょうが、独り立ちさせないと駄目なんじゃないですか?」
「そうなんだけど……借金があるし」
「ちゃんと働きに行ってるんですか?」
「うん、まぁ……」
メリーヌさんの弟ニコラは、当時Aランクの冒険者パーティーだったフレイムハウンドの面々に唆されて、分不相応の防具やら遊興費やらで多額の借金を作り、危うくメリーヌさんの店まで人手に渡るところでした。
借金の裏側を暴いて、フレイムハウンドの三人や歓楽街のボスであるボレントをやり込めて、僕が肩代わりする形で話を付けました。
それでも百万ヘルトの借金が残っていて、ニコラは半分の五十万ヘルトの返済義務を負ってます。
メリーヌさんの分の五十万ヘルトは、いずれ僕から結婚祝いとして贈る予定ですが、ニコラの分をメリーヌさんが背負いこんでは意味がありません。
メリーヌさんのバツが悪そうな表情を見ると、真面目に働いてはいないのでしょう。
このままでは、また誰かに唆されたり騙されたりして借金を背負わされたりするんじゃないですかね。
「メリーヌさん、一緒に住んで世話を焼いていたら、いつまで経っても独り立ち出来ないし、それではニコラ本人のためにならないと思いますよ」
「そう、だよねぇ……」
ニコラの件は、すっかり片が付いたと思っていましたが、どうやら完全解決とはいっていないようです。
「メリーヌ、とっとと家から追い出しちまいな。何なら、うちの二階に下宿させようか?」
「駄目、駄目、駄目ですよ、アマンダさん。メリーヌさんには申し訳ないけど、ニコラなんてメイサちゃんと一緒に住ませられません。駄目、絶対に駄目!」
アマンダさんは、ニコラに会った事が無いから気軽に言ってるけど、あんなチャラい怠け者をメイサちゃんと同居させるなんて言語道断です。
てか、僕が真面目に話しているのに、なんでみんな笑ってるんですか。
「はいはい、分かったよ。そうだね、メイサもそろそろ年頃になるし、下宿人は女性限定にしてもらうかね」
「そうです、そうです、そうした方が良いですよ」
「はいよ、分かったよ、そうしようねメイサ」
「べ、別に、あたしは男の冒険者が下宿したっていいと思うけど……でも、ケントがどうしても駄目って言うなら、女性限定にしてもいいんじゃない」
そうそう、たまにはメイサちゃんも僕の言う事を聞いておいた方が良いよ。
てか、なんでみんな生暖かい視線を向けて来るのかねぇ。
「メリーヌ。追い出せないなら、さっさと隊長さんと一緒に住んでしまいな」
「でも、アマンダさん。うちの二階も広い訳じゃないですし、荷物も色々あって……」
「だからさ。狭い所に、あの大きな隊長さんが来てごらん、そりゃ邪魔だろう。しかもニコラにとっては煙たい存在ならば、自分から出て行くようになるさ」
「そうか、それもありかもしれませんね。ちょっとカルツさんと相談してみます」
さすがアマンダさん、グッドアイデアです。
狭い家の中に、あのカルツさんがウロウロしていたら僕でも邪魔だと思いますよ。
それにしても、さっきからメイサちゃんは、なにをウロウロしてるのかな。
厨房の方を覗きに行ったかと思えば僕の椅子の後ろまで戻って来て、どうしたのかと視線を向けるとメリーヌさんの作業を覗きに行く。
さては、何かイタズラでも仕掛けて来るつもりですかね。
ここは、何も気づいていない振りをしてあげましょうかね。
「メイサ、あんた宿題は無いのかい?」
「宿題? あっ、ある、ある!」
アマンダさんに言われて思い出したらしく、メイサちゃんは二階に宿題を取りに向かいました。
てか、勉強嫌いのメイサちゃんにしては、やけに弾んだ足取りですね。
「ケ、ケント……勉強教えて」
「あれ? 宿題算術なの?」
「そ、そう……こ、ここが分かんないから教えて」
「どれどれ、しからば僕が教えてしんぜよう」
「ケ、ケントのくせに生意気……」
僕が下宿を出てから算術に苦労してたんでしょう、戻って来た機会に家庭教師をさせようって魂胆なんですね。
僕も勉強は好きでは無いけれど、小学生レベルの算数ならば教えられます。
メイサちゃんの宿題は、三桁までの掛け算と割り算です。
数字だけを並べた式の計算は、どうにかこうにか出来るようですが、文章から読み取る応用問題が苦手みたいですね。
「アダムさんが、お皿を12枚買うと、代金は216ヘルトでした。お皿は1枚いくらでしょう?」
「えっと……えっと……」
メイサちゃんは、グネグネとした暗号のような計算式を書き、両手の指を折って考え始めました。
時折、チラチラと僕の顔を見てくるけど、途中で教えたりはしませんよ。
「えっと……16ヘルトで、おつりが24ヘルト」
「メイサちゃん。この問題は、お皿12枚で216ヘルトでおつりは無しって事だから、おつりが出て来ちゃうのは間違いだよ」
「えっ、えっ……?」
メイサちゃんは、顔中にクエッションマークを浮かべて目を白黒させてます。
「代金の合計が216ヘルトだから、それをお皿の枚数の12で割れば良いんだよ。216÷12は、いくつになる?」
「えっと、えっと……18?」
「はい、正解」
「やった!」
どうにか正解できたので、頭を撫でてあげると、目を細めながら満足げな笑みを浮かべています。
メイサちゃんに尻尾が生えていたら、きっとブンブン振り回されているでしょうね。
まったく、猫みたいになったり、犬みたいになったり忙しいですね。
「ではメイサちゃん、エビ15尾を使う料理を23人のお客さんに出そうと、エビ350尾仕入れました。使うのは全部で何尾で、何尾あまりますか?」
「えっ……えっと……」
またしても両手計算機を使い始めたメイサちゃんは、額に薄っすらと汗さえ浮かべています。
「えっと……365尾! あれっ、足りないよ……」
「ここ、ここ……足し算間違えてるよ」
「あっ、えっと345尾!」
「あまりは?」
「あたしが食べる!」
「はいはい、メイサちゃんはエビ多めにしてもらおうね」
みんな作業をしながら僕らの話を聞いていたらしく、フロアは笑いに包まれました。
何だかんだと言っても、メイサちゃんがいると場の雰囲気が明るくなるのは母親のアマンダさん譲りの人柄なんでしょうね。
メイサちゃんの宿題を片付けているうちに、厨房からは良い匂いが流れてきました。
途端に僕の腹の虫が鳴り始めた……って、メイサちゃんもかい。
「鳴ってないもん……」
「はいはい、僕のお腹です」
別に腹の虫ぐらい、おねしょに較べれば何でもないですよ。
てか、メイサちゃんも腹の虫程度で恥ずかしがるようになったの?
まさか、学校で気になる男子が出来たとかでしょうか。
これは、コボルト隊に監視させないと……いや、ここはチャラ男が寄り付かないように、僕自身が見張った方が良いですかね。
作業の様子を見ていると、ヴォルザード組は手慣れた感じですが、バルシャニア組のセラフィマと護衛騎士の四人の手元が危なっかしいですね。
それでも、みんな楽しそうですし、確実に心の距離は縮まっていそうです。
「みんな、ケント抜きでも楽しそうだね」
「な、な、なにを言ってるのかなぁメイサちゃん。ぼ、僕は扇の要というか、野球でいったらキャッチャー的ポジションというか……」
「はいはい、あたしが一緒にいてあげるから大丈夫だよ」
「メイサちゃ……ん?」
てか、メイサちゃんだって今まで散々邪魔だとか、二階に行ってろだのと言ってたのに、さてはお裾分けに行ったついでに買っておいた雌鶏亭のクッキーの気配を感じ取ったのかな。
椅子をくっつけて擦り寄ってくるメイサちゃんは、チュールに引き寄せられた猫っぽいもんね。
「ねぇねぇ、国分君」
「何かな、相良さん」
「今度、うちの店にセラフィマさんを連れて来てよ」
「フラヴィアさんのお店に?」
「そう、バルシャニアの民族衣装の話とか聞きたいから」
「うん、いいよ。というか、いずれみんなで行くと思うよ」
「まぁ、そうだけど、唯香達も忙しそうだしね」
「あっ、良く考えたら、結婚式の衣装を作ってもらわなきゃだ」
「えっ、うちにやらせてくれるの?」
「日本風、ヴォルザード風、バルシャニア風の良い所取りで……」
「うわぁ、それは難しそうだけど、フラヴィアさんが聞いたら目を輝かせると思う」
「じゃあ、近いうちにお邪魔するね」
「うん、待ってる」
僕はすっかり忘れていましたが、唯香達が忘れているはずが無いので、蚊帳の外にならないように一緒に行きましょう。
いえいえ、採寸とか仮縫いを覗こうなんて気はサラサラありませんよ。
だって、マイホームが完成したら、引っ越して、一緒にお風呂にも入っちゃう予定ですからね。
あとちょっと、あとちょっとの辛抱です。
フロアでの下準備が終わる、テーブルの上が片付けられ、いよいよ夕食会の始まりです。
僕のテーブルは、下宿していた頃の定位置で、アマンダさん、メイサちゃん、メリーヌさんと一緒です。
四人のお嫁さんは、それぞれの護衛騎士や侍女さんと同じテーブルで、あとは居残り女子三人組が一緒です。
居残り女子三人組が、売れ残り女子三人組にならなければ……ひぃ、睨まれました、本宮さんに抜き身の日本刀みたいな視線で睨まれました。
大丈夫、君らにはミューエルさんという先達が……何でもないです。
大丈夫、君らには新旧コンビという……冗談だって。
料理の仕上げは、バルシャニアから来た料理人ヤブロフとルドヴィクが担当してくれています。
最初に運ばれて来たのは、サマーラと小エビのカルパッチョです。
サマーラは鰹に似た肉質のようで、表面を軽く焙ってから少し薄めの切り身にしてあります。
頭を取ってむき身にした小エビと一緒に、幾何学模様に盛り付けられ、黄緑色のソースが掛けられていました。
ソースは、オリーブオイル、おろしたニンニクと玉ねぎ、ショウガなどと一緒に隠し味として醤油が使われているそうです。
強めの味付けですが、サマーラの切り身は少しネットリとした舌触りで、ソースに負けない濃厚な味わいです。
小エビもソースが甘味を引き立てていて、こちらも絶品です。
「あぁ、美味しいねぇ……こんなに美味しい魚は、ヴォルザードでは普通には食べられないよ」
「甘い! おかーさん、このエビ凄く甘いよ」
「こんなに美味しい魚を毎日食べられるなんて、ジョベートの人は幸せね」
「でも、メリーヌさん、海が荒れると何日も漁に出られないし、大変なこともあるそうですよ」
こうして食卓を囲んでいると、下宿していた頃に戻ったような気がします。
二品目は、アワビのパイ包み焼きです。
賽の目に切ったアワビとズッキーニ、人参などをパイ生地で包んでオーブンで焼いたものです。
外側のパイはサックリとした歯ざわり、貝特有の噛み応え、野菜との触感や味の違いが楽しめます。
甘辛いソースとの組み合わせも良好です。
みんなが作業していたのは、このパイ生地みたいですね。
三品目は、定番とも言えるエビのマヨネーズ炒めでした。
加熱用に買って来たエビは、マヨネーズが脇役に霞んでしまうほど濃厚な甘味と旨味、プリプリの食感で天にも昇る味わいです。
「美味っ! このエビ凄い!」
「まったくだよ。こんな美味しいエビは初めてさ」
「やばっ、これまた買いに行こう」
「ケント、ケント、うちの分も買ってきて」
「んー……どうしようかなぁ……」
「きーっ! 生意気、生意気、ケントのクセに生意気!」
そうそう、メイサちゃんはこの調子じゃないとね。
忘れなかったら買ってきてあげましょう。
四品目は、サマーラのフライです。
醤油とニンニクなどで下味を付けた後、粗めのパン粉を付けて揚げてあります。
サマーラの芯までは火が通りきらない絶妙な揚げ加減で、ザクっとした衣の触感と下味のおかげで何個でも食べられそうです。
居残り女子三人組も、熱々をハフハフ頬張っていますが、気を付けないとカロリーが……いえ、なんでもないです。
サマーラのフライと一緒に、アサリのスープパスタも並べられました。
クラムチャウダー風のスープには、小エビの頭から取った出汁も加えられているそうで、味に一層の深みを感じます。
パスタは、みんなで打った生パスタだそうで、厚みや幅が不揃いなのは御愛嬌。
少し幅広でモチモチとした食感はなかなかのものです。
パスタまで平らげると、お腹がパンパンになりました。
「碧、これヤバイよ、完全に食べすぎ」
「だよねぇ……美味しすぎて、全部食べちゃったよ」
「国分に責任取ってもらうしかねぇな」
「いやいや、そこのお三人さん、治癒魔法は肥満……いえ、食べすぎには効かないからね」
「じゃあ、まとめて嫁に貰ってもらうしかねぇな」
「そんな事言って、僕を財布代わりにしようとしても駄目だからね。そう言えば、新旧コ……」
「却下!」
「そうですか……」
哀れ新旧コンビは、コンビと言い切る前に却下されてしまいました。
まぁ、あの二人は下心丸出しだからねぇ……。
美味しい食事の後の〆には、シフォンケーキが出てきました。
こちらは、綿貫さん特製だそうで、プレーンとチョコの二種類、ホイップした生クリームが添えられています。
「うわっ、ニホンで食べたケーキだ」
「しっとりとしていて美味しいよ、サチコ」
「へへぇ、ありがとうございます」
綿貫さんは、子供を産んで落ち着いたら、ケーキ屋を始めようかと考えているそうです。
「なぁ、国分。あたしにもう一度魔術を付与するって出来ないのか?」
「綿貫さんは、水属性だったよね?」
「そう、水属性魔術が使えるようになれば、生地の撹拌とかが出来るんじゃないかと思ってさ」
「なるほど……眷属のみんなには付与出来るから、元々持っていた属性だったら付与出来るかもよ」
「マジか、だったら子供が生まれた後で試してみてくれよ。それと、あたしで上手くいったら子供にも」
「そっか、赤ちゃんからも属性魔術を奪取しちゃったんだったね。確か風属性だったから、少し大きくなったらやってみるよ」
「悪いな、こっちで暮らしていくなら、魔法は使えた方が良いからな」
属性魔術が使えたからと言って、全員が冒険者になる訳でもないし、魔道具があれば自分の魔術を使う必要もありません。
それでも、自分の子供の可能性を限定したくないという親心なのでしょうね。
デザートまで食べ終えた後は、みんなで後片付けに取り掛かりました。
僕は……邪魔だから大人しくしていろと言われてしまいました。
「ケント、いつもありがとうね」
「いえいえ、僕の方こそアマンダさんにはお世話になりっぱなしですから、この位は当たり前ですよ」
雌鶏亭のクッキーの箱を取り出すと、メイサちゃんが飛び上がって抱き付いてきました。
リボンは……特に使う用事はないからいいか。
こうした幸せな時間が守れるように、南の大陸の調査を進めましょう。
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