第385話 授業料

 アマンダさんの店の裏に出て、井戸端で手を洗ってから裏口を入ると、店の中からは賑やかな声が聞こえてきました。

 女性が三人揃うと姦しいと言うそうですが、十人以上集まってますから賑やかなのは当然ですね。


「ただいま、お裾分け行脚は終わったよ」

「おかえりなさい、もう少し待ってて」


 厨房に入りきれない人達は、店のテーブルの上でも作業をしています。

 作業が一段落しないと昼食にはありつけそうもないですね。


 ふと店の隅に目を転じると、手持ち無沙汰な様子のアマンダさんの姿があります。

 僕の視線に気付くと、肩をすくめた後で手招きしてみせました。


「どうしたんですか、アマンダさん」

「今日は、あたしを休ませる日だからって作業はしないで待っていろってさ」

「なるほど、そういう事ですか」

「ありがたい話ではあるんだけど、どうもジッとしているのは性に合わなくてねぇ……」

「なるほど、なるほど……ではでは、私めが肩でもお揉みいたしましょう」

「はぁ? やめとくれよ、あたしはそんな年寄りじゃないよ」

「まぁまぁ、ヴォルザードの息子のたまの親孝行と思って諦めて下さいな」

「はぁ……なんだろうね。今日は本当に調子が狂っちまうよ……」


 溜息を洩らしたアマンダさんでしたが、好きにしろと言うので、好きにさせていただきます。

 アマンダさんが座った椅子の後ろへ回り込み、両肩に手の平をあてがいました。


 肩から首筋を摩るようにしてマッサージ……する振りをして、治癒魔術でアマンダさんの内臓回りを診察します。

 アマンダさんは、椅子に座って退屈そうな表情を浮かべていましたが、それだけでなく何だか疲れているように感じたのです。


 ヴォルザードに来て以来、毎日のように顔を合わせてきたアマンダさんは、いつでも元気一杯で、身体の中に原子炉でも入っているんじゃないかと思うほどでした。

 それが、ここ何度か昼食を御馳走になりに来た時に、何だか元気が無いように見えたのです。


 顔色も冴えないような気がして、少し心配なんですよね。


「あぁ、こりゃ気持ちがいいねぇ……知らないうちに疲れていたのかねぇ……」

「そうですよ。アマンダさん、休みの日だって新作メニューの試作とかやってるんでしょう。たまにはゆっくりしなくちゃ駄目ですよ」

「そうだねぇ……でもまぁ、メイサが嫁に行くまでは安心できないからねぇ。いっそケントが貰ってくれれば、あたしだって安心してノンビリできるのに」

「まぁ、おねしょの心配が無くならないと、ちょっと無理ですね」

「あははは、違いないね……」


 アマンダさんと冗談を言い合いながらも、背中に冷たい汗が流れて行きます。

 危なかった、気付かずにいたら取り返しの付かない事になっていました。


 治癒魔術を流して探ってみると、アマンダさんの肝臓には卵ぐらいの大きさの腫瘍が出来ていました。

 たぶん、これが原発の病巣で、肺や胃にも感じる腫瘍は転移病巣でしょう。


 勿論、こんな腫瘍なんかにアマンダさんを奪われる訳にはいきません。

 そりゃもう、全力全開で治癒魔術を流して、全身隈なく腫瘍という腫瘍を根こそぎ退治していきます。


「あぁ、いい気持ちだった。ケント、もう大丈夫だよ」

「いえ……もうちょっと。まだまだメイサちゃんはお嫁に行きそうもないですし」

「そうかい……それじゃあ仕方ないねぇ……」

「はい……」


 たぶん、アマンダさんは僕の様子がおかしいと気付いているでしょうし、自分の身体の不調にも気付いているはずです。

 メイサちゃんだけでなく、僕やメリーヌさん、綿貫さんと助けを求めてくる人には決してノーとは言わずに受け入れて、惜しみない愛情を注いでくれる一方で、自分の具合が悪いことは隠し続けていたのでしょう。


 他人の世話ばっかり焼いて、自分は世話になりたくない……本当に優しくて、本当に頑固なヴォルザードのお母さんを病魔なんかに奪われてたまるもんですか。

 腫瘍という腫瘍を叩いて壊して治癒させて、全身隈なくチェックをしたら、僕のマッサージは完了です。


「はい、完了です。肩のこりは解れましたか?」

「はぁ……すまないねぇ。あぁ、本当に楽になったよ」

「これからは、たまにマッサージに来ますからね」

「そんなに気を遣わなくてもいいよ」

「いいえ、必ず来ますから、お昼を食べ損なった時には何か食べさせてください」

「あははは、それじゃあ仕方ないね」

「はい、いつまで経っても世話の焼ける息子ですから、覚悟しておいて下さい」

「はいよ、いつだって戻っておいで、ここはケントの家だよ」


 仕込みの作業が一段落したところで、ようやく昼食にありつけることになりました。

 魚介の料理は夕食だそうで、昼はあらかじめ用意してきたバルシャニア風のカレーでした。


 地球の料理だと、グリーンカレーが近いのでしょう。

 緑色の葉物野菜をふんだんに使い、数々の香辛料とミルクを加えた黄緑色のカレーは、辛さ控えめのマイルドな味わいです。


「どうですか、ケント様」

「うん、美味しい! これはセラが食べ慣れているバルシャニアの味なの?」

「そうですね。厳密には野菜の種類が違うので微妙に風味は異なりますが、正統的なバルシャニア料理です」

「どうですか、アマンダさん」

「スパイスの使い方が複雑で、味に深みがある。バルシャニアの歴史を感じる味だね」


 調理を担当したバルシャニアから来たヤブロフとルドヴィクは、アマンダさんの評価を聞いて満足そうに頷いています。

 二人は喜んでいるようですが、たぶんこの味は、アマンダさんにコピーされて、アレンジされて、店の新メニューになるでしょうね。


 アマンダさんと同様に、メリーヌさんも真剣な表情でカレーを味わっています。

 店を手伝っている本宮さんや、フラヴィアさんの服屋で働いている相良さんとも意見を交わしていますから、こちらにもコピーされそうですね。


「そうだ、ケント。小麦の配送は滞っているのかい?」

「えっ? そんな話は聞いてませんけど……」


 アマンダさんに尋ねられましたけど、そうした話は聞いていません。


「そうなのかい。イロスーン大森林が通れなくなって、これまで運ばれて来ていた小麦とかの穀物は、ケントが魔術を使わないと運べなくなってるんだろう? それで小麦とかの穀物が足りなくなるって噂だよ」

「確かにイロスーン大森林は通れなくなりましたし、バッケンハイムより東の荷物は一旦ブライヒベルグに集めて、そこから僕の魔術で運ぶようになっています。でも、今は闇属性のゴーレムで輸送経路は一日中確保されている状態です。荷物のやり取りも基本的に僕や眷属が居なくても大丈夫ですし、それこそ右から左に移動させる感じでドンドン運んでますよ」

「それなら良いんだけど、小麦などの穀物が品薄になっているからちょっと心配だったのさ」


 アマンダさんの話では、小麦を扱っている問屋にも注文が殺到しているようで、知り合いのパン屋さんも心配しているそうです。


「アマンダさんの所は大丈夫なんですか?」

「うちは……今のところはね。メリーヌの所はどうだい?」

「うちは……ちょっと心細い状態です」

「そうなのかい、少し持って帰るかい?」

「いえ、大丈夫です……たぶん」

「遠慮しなくて良いんだよ、あたしの所は何とかするからさ」


 ぜんぜん知りませんでしたが、何だか深刻なことになっていそうです。


『ケント様、小麦ならばございますぞ』

『えっ? あぁ、そうだ。あるよ小麦』


 すっかり忘れていましたが、僕がヴォルザードに来る途中で、魔の森の中で魔物に襲われた馬車からいただいた品々の中に、小麦の袋がありました。


「メリーヌさん、小麦あるんで差し上げますよ」

「えっ、でも……」

「影の空間に仕舞い忘れてたものなんで、使ってもらった方が助かります。アマンダさん、ここにも一袋置いて行きますね」

「あぁ、ありがたいね。いくらだい?」

「それは、今後の僕の昼飯代にして下さい」

「それじゃあ、これからは御馳走作ってやらないとだね」


 アマンダさんの一言で、店は笑いに包まれましたが、これはクラウスさんに相談しないといけませんね。

 善は急げ、昼食を終えた後、ギルドの執務室にクラウスさんを尋ねました。


「って、いないし……」


 穀物の品薄について相談しようと思ったのに、執務室はもぬけの殻です。

 執務室にいないとなれば、行先はあそこでしょう。


 ギルドの酒場を覗くと案の定、カウンター席に陣取って、マスターと何やら会話しています。

 もぅ、予想が当たって発見できたのは良いとしても力抜けちゃいますよ。


 人目を避けて階段下で表に出て、酒場に向かいます。

 ちょっとお灸を据えてやらなきゃと思っていたのですが、クラウスさんは真剣な表情を浮かべていました。


 いやいや、ここで騙されちゃいけません、真剣な表情で下らない話をしているに決まってます。


「小麦はあるのに不足するってか……?」


 おや? 本当に真面目な話をしているみたいですね。


「なんだ、ケント。邪魔だって追い出されて来たのか?」


 近づいてきた僕に気付くと、クラウスさんは普段のチャラけた表情に戻りました。


「違いますよ。たぶん、今話していた件です」

「小麦か?」

「はい、そうです」


 クラウスさんは、また厳しい表情に戻りました。

 まったく器用だよね。僕なんか表情読まれ放題なのに。


「一杯やるか……と言いたいところだったが、一緒に来い」

「はい」


 クラウスさんはカウンター席から立ち上がると、ギルドの訓練場の方向へと足を進めました。

 てか、あのグラス……一杯やってましたね。


 ギルドの訓練場では、駆け出し冒険者達が大ムカデを解体中ですが、別の一角はブライヒベルグとの輸送拠点となっています。

 ブライヒベルグとヴォルザードの間を影の空間で結び、それぞれの入り口は闇属性のゴーレムが維持しています。


 バッケンハイム側はアウグストさん、ヴォルザード側はアンジェお姉ちゃんが責任者となり、闇の盾の間はローラーコンベアで繋いでいます。

 闇の盾の特性上、人の行き来は出来ませんが、声は届きますし、盾と盾の間が狭いので荷物を押し込めば向こう側へ届きます。


 クラウスさんは離れた場所から荷物の流れを見守っていましたが、僕に視線を向けると頭を掻いてみせました。


「問題ねぇよな?」

「そうですね、問題無く荷物は流れてますね」


 ブライヒベルグとヴォルザードの距離は、馬車で片道一週間以上掛かる距離です。

 それが魔物や盗賊に襲われる恐れも無しに、ほぼ一瞬にして届いてしまうのですから、輸送の状況は以前よりも良くなっているぐらいです。


 クラウスさんは、荷物の流れを見守りながら、荷運びをする人達に指示を出しているアンジェお姉ちゃんに歩み寄りました。


「アンジェ、小麦の入荷状況は分かるか?」

「上に行かないと正確な数字は分からないけど、例年よりも多くなっているわ」

「おおよそどの程度だ?」

「んー……二割から三割増しぐらい」

「あっちの作柄が悪かったとかいう話は?」

「全く無いわ。むしろ去年は豊作だったって」

「分かった……いくぞ、ケント」

「はい」


 クラウスさんは、集荷場に背を向けるとギルドの建物へと戻って行きます。

 建物の中へと戻ったクラウスさんは、てっきり執務室へ向かうのかと思いきや、酒場に足を向けました。


「えっ、ちょっと……クラウスさん?」

「まぁ、いいから一杯付き合え、親父、リーブル酒だ」

「ちょっ、こんな時に昼間から不味いですよ」

「いいから、座れ!」

「はぁ……」


 カウンターを指先でトントンと叩かれ、仕方なくクラウスさんの隣の席に腰を下ろしました。


「どうぞ……」


 酒場のマスターが、グラスを二つ並べてからリーブル酒を注いでくれました。

 琥珀色の液体がグラスに踊ると、芳醇な香りが鼻をくすぐり、思わず唾を飲み込んでしまいました。


「やっぱ、止めとくか?」

「そんな殺生な……」

「ぎゃははは……そんな捨てられた犬みたいな面してんじゃねぇよ。リーブル酒ぐらい手前の金でいくらでも飲めるだろう」

「それはそうですけど……でも、飲んでて良いんですか?」

「まっ、実際に小麦が無いって言うなら呑気に酒なんか飲んじゃいられねぇが、小麦はある。普通に使う分には十分に足りる量が入って来ている」

「でも、不足してるんですよね?」

「だな、どこかのアホが買い占めてるか……みんなが疑心暗鬼になって余計に買い込んでいるか……その両方か、だな」


 飲め飲めというクラウスさんの手振りに従ってリーブル酒を口元へと運ぶと、馥郁たる香りと味わいが口一杯に広がります。


「ふっ、美味そうに飲みやがるな」

「あぁ、こうして僕は駄目な大人になっていくんですね」

「どうだ、昼間の酒は美味いだろう?」

「くっ……悔しいけど美味しいです。それで、どうするんですか? 小麦の輸入量をもっと増やすんですか?」

「増やさねぇよ。いいか、ケント。小麦やら芋やら豆やらは、余分に買い込んだって虫やネズミに食わせるだけだ。それに、前にも教えたよな、外から入れた小麦は、古い物から市場に流すって……」

「あっ、そうでした。今年食べる麦は去年の物で、今年の麦は来年食べる……って、ヴォルザードには一年分の備蓄があるのか」

「な、酒飲んでても問題無いだろう?」

「でも、それじゃあなんで小麦が足りなくなってるんです?」

「まぁ、噂に踊らされてるんだな。不安を煽るような話を聞けば、念のため……って思うのが人の性ってやつだ」


 実際には小麦が不足するような事態は起こっていないのに、不安に駆られた人達が余分に小麦を買ったことで市場の小麦が不足する事態になったという訳ですね。


「でも、実際に小麦が足りなくて困ってる人も出始めているみたいですよ」

「すぐに通達は出すし、無駄に買い込んでる奴からはふんだくる」

「ふんだくるって……払い戻しさせるんですか?」

「馬鹿、金なんか払うか。世間様に迷惑掛けてんだぞ、徴収だ徴収!」

「えぇぇぇ! ただで取り上げるんですか?」

「当ったり前だ。小麦に関しては、ちゃんと規則を設けている。その家や店で、半年間に消費する量を超えて買い込むことは禁止だ」


 これは、食料を輸入に頼るヴォルザード特有の規則で、かつて飢饉が起こった時に決められたものだそうです。

 今でも小麦を扱う業者には、この規則を周知徹底するように指導が行われているそうなのです。


「そんな規則があるのに、今回みたいな事態が起こるんですか?」

「まぁな、食料事情が良くなると、こうした規則は忘れられがちなんだよ」

「でも、どうやって徴収するんですか? 一軒一軒調べるとか?」

「そうだぜ、一軒一軒、それこそ虱潰しに調べ上げ、違反している者からは容赦なく取り上げる! 取り上げた小麦を市場に流せば問題解決だ」

「えっ、もしかして徴収した小麦を販売するんですか?」

「その通り! 仕入れはタダで販売すれば丸儲けだ、ぎゃはははは!」


 ギルドの酒場に、クラウスさんの高笑いが響き渡りました。


「えぇぇぇ……そんなの許されちゃうんですかぁ?」

「当然だ、規則だからな。ただし、返品の猶予期間は与える。小麦は一旦販売したものでも、品質、分量に問題が無ければ、販売価格で買い戻すように規則で定めてある。徴収されるのが嫌ならば、さっさと返品しろってことだ」

「はぁ……でも、面倒くさがって返品しないんじゃないですか」

「ばーか……」


 クラウスさんは、僕の頭を軽くはたくと席を立ちました。


「誰が通達を流すと思ってる。この俺だぞ……調べない、徴収しないと思うか?」

「確かに……」

「俺は仕事に戻る……まぁ、ゆっくり飲んでいけ」


 あれだけ話をしながら、いつの間に飲んだのか、クラウスさんのグラスは空になっています。

 軽く一杯引っかけて、颯爽と仕事場に戻る。


 駄目だけど、本当に駄目な大人だと思うけど、ちょっとだけ格好良いよね。

 小麦の不足と聞いて、ちょっと不安になったけど、どうやら心配要らないようですね。


 さて、僕も残りのリーブル酒を飲み干して、アマンダさんの店に戻りますか。


「どうも、御馳走さまでした」

「ケントさん、お勘定をお願いします」

「えっ? あっ、やられた……」


 ヴォルザードの小麦流通の仕組みや規則を教わる授業料、リーブル酒は年代物だったらしく、ちょっと良いお値段でした。

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