第380話 街の空気

『ケント様、昼食はいかがいたしますか?』

「うーん……さすがに二日連続でアマンダさんに頼るのは気が引けるから、今日は屋台で何か買って食べるよ」


 ヴォルザードの周囲で異変が起こっていないのを確認した後、市内の様子を確かめようと思い、路地裏で表に出てから北東の門を目指して歩きました。

 北東の門は、マールブルグへと向かう街道の入り口なので、早朝には多くの旅人で賑わいます。


 その後もダンジョンに向かう人、マールブルグから来る人などで、一日を通して多くの人が行き交います。

 門の近くの通りには、そうした人達を目当てにした屋台が並んでいます。


 詳しいことまでは知りませんが、こうした屋台から商売を始めて、ゆくゆくは旧市街の目抜き通りに店を構えるのが商人を目指す人のサクセスストーリーだそうです。

 屋台の種類は様々ですが、多くは旅の途中で使うものと食べ物屋です。


 出発前の腹ごしらえ、旅の途中の軽食、食事の合間に小腹を満たすための甘味など、食べ物の屋台にも色々な種類があります。

 本日は、ケバブのようなパンを食べた後で、チュロス風の菓子パンを追加、バターミルクティーと一緒に頂きました。


 北東の門には、早めに出発したマールブルグからの旅人が到着し始めているようで、砂埃にまみれた馬車が通り過ぎていきます。

 馬車の中には乗り合い馬車もあったようで、停車場で降りた人の下へは宿屋の客引きが集まっていました。


『ケント様、少し空気がおかしいですな』

『うん、何だか活気が無いというか……人が居ない訳じゃないんだけどね』


 ラインハルトが言う通り、旅人が到着し始める時間は、朝の出発時と並ぶ商売のチャンスタイムです。

 普段なら、街に威勢の良い声が響いている時間ですが、今日はなんだか空気が重たく感じます。


『ケント様、どうやら先日の魔物の大量発生が原因のようです』

『そうなの? でも、どうしてだろう?』

『街道脇の巨木が消し炭になっていたとか……街道に死臭が立ち込めているとか……』

『あぁ、なるほど……』


 バステンとフレッドが調べてくれましたが、大ムカデ討伐の痕跡が旅人達の不安を煽ってしまっているようです。

 リバレー峠の中腹に現れ、街道を駆け下ってきた魔物の群れを排除するために、街道の西側、街道、そして東側もフラムに燃やしてもらいました。


 魔物の群れから集落を守るための措置でしたが、街道を辿ってきた者には燃えた理由が伝わっていないので、魔物によって燃やされたという話が広がってしまっているようです。

 討伐の経緯を報告してありますし、こうした噂話に対してもクラウスさんが手を打っているはずですが、マールブルグから来る人々には伝わっていないのでしょう。


『人づてに聞いただけの話と、自分の目で見てきた話とでは信憑性というか、説得力に違いがあるのでしょう』

『なるほど、クラウスさんの措置は聞かされただけ、一方の旅人は自分で見て感じた話だもんね』


 これまで魔物の大量発生と言えば、魔の森から押し寄せてくるものだと決まっていました。

 それが、先日のリバレー峠の一件や、通行止めとなっているイロスーン大森林など、これまでには考えられなかった場所からの発生が重なり、いわゆる終末論的な話が噂となって流れ始めているようです。


 バステンとフレッドが拾って来てくれた噂話は、これまでにない規模と範囲で魔物が現れ、ヴォルザードが飲み込まれるというものを基本として、何通りかのパターンがあるようです。

 その中には、頻発する地震が原因とする噂話もあって、あながち間違いでないので頭ごなしの否定が難しいものもありました。


『こうした不安は、どうやって打ち消していったら良いのかなぁ……』

『なかなか難しいですな。噂の根底にあるのは民衆の不安ですので、それを一掃するのが一番良い方法なのですが……空間の歪みに関しては、我々も分からない現象ですし、全てを払拭出来ないのが現状ですな』

『うーん……困ったなぁ。実際には、殆ど被害らしい被害も出ていないんだけどな』


 先日のリバレー峠の一件も、魔物は沢伝いにイロスーン大森林に誘導し、大ムカデも討伐したので、集落に被害は出ていません。

 確かに、街道の両脇が焼け野原になってしまっていますが、それも僕がフラムに命じてやらせた事です。


 南の大陸も、今まで調査した範囲では、危険な魔物はいるけど対処は可能でしょう。

 あとは、何時どこに空間の歪みが生じるかが問題で、生じた時に即応できる体制さえ作れれば問題無いような気もしています。


『眷属を増やして、集落ごとに常駐させる……とか?』

『ぶははは、それではまるで世界をケント様の手中に収めるようなものですぞ』

『だよねぇ……それを始めたら、どこまでカバーするのかが問題になっちゃうだろうな』


 僕はヴォルザードで暮らしていくと決めたから、ヴォルザードの安全は守りたいと思ってるけど、世界の平和まで守るのは違うような気がします。

 世界の平和を守るのは僕の役目じゃないと思うけど、僕の知り合いの人達、カミラとか、コンスタン一家とか、ブライヒベルグのダナさんの店とかは守りたい。


『ここまでは守る、ここから先は知らない……とか線引きは難しいな」

『でしょうな。ケント様はお優しいので、特に難しいでしょうな』

『でも、少なくともヴォルザードの人達には、安心して毎日を過ごしてもらいたいんだけどなぁ……』


 何か良い方法は無いものだろうかと考えながら歩いていると、見覚えのある馬車の一団がいました。

 近藤、鷹山、新旧コンビに八木とマリーデ、それにマールブルグの女冒険者が二人。


 どうやら無事に護衛の仕事をやり遂げて、ヴォルザードまで戻って来たようですね。

 歩み寄っていくと、真っ先に気付いた八木が声を掛けて来ました。


「よぅ、国分! あの焼け野原は、お前の仕業だろう!」


 無駄に大きな声を出すものだから、周りの人の視線が集まって来ました。


「うるさいなぁ、溢れ出してきた魔物を誘導するために、ちょっと燃やしただけだよ」

「お前……あれのどこがちょっとなんだよ。街道の両側が消し炭になってたぞ、どんな魔術使ったんだ」

「眷属のサラマンダーが、炎弾三発、ドン、ドン、ドンってやっただけだよ」

「うわぁ……恐ろしいやつだな。環境破壊の権化、この星まで温暖化させよってか?」

「あのねぇ……ああでもしないと、魔物の群れが街道を駆け下って集落を直撃するところだったんだよ。沢沿いに追い込んで、山の向こう側のイロスーン大森林に誘導したんだからね」

「それじゃあ、大森林の魔物が増えちまうじゃんか、どうすんだよ」

「増えた分は、僕の眷属が間引いてるから大丈夫だよ。だいたい、マールブルグから無事に戻って来てるじゃん。途中で魔物に襲われた?」

「いや……遠くにオークがいるのは見たけど、一頭だけで襲って来る気配も無かったな」

「当たり前だよ。ちゃんと僕の眷属が、大きな群れが出来ないように巡回してるんだよ。一時期オーガが増えたみたいだけど、それも討伐済みだし、普通に護衛していれば何の問題も無いよ」

「おう、そうか! ご苦労!」

「はぁ……何がご苦労だよ、まったく……」


 近藤とマールブルグの女冒険者は、雇い主との最後の確認を行っているようで、完了確認のサインを貰えば依頼達成でしょう。

 鷹山がイライラと足踏みしているのは、さっさと帰ってシーリアさんに会いたいからでしょうね。


 そして、新旧コンビの二人は、なんだか妙に疲れているような気がします。


「新田、古田、やけに疲れてそうだけど、何かあったの?」

「うるせぇな、性獣には関係……」

「よせ、達也。国分は敵じゃない……」

「おう、そうだった。すまねぇ、ちょっとイライラしてたもんでな?」


 古田が食って掛かってきたけれど、新田に窘められて頭を下げてきました。

 何があったのか知りませんが、かなりイライラする事があったみたいですね。


「せいじゅう……って、何の話?」

「いや、それはこっちの話だ。てか、八木との話を聞いてたけど、マジで国分の仕業だったのか……まぁ、あんな事が出来るのは、国分ぐらいしかいないけどな」


 何となく新田に話をはぐらかされた気はするけど、まぁいいか。


「かなり景気よく燃やしたのは確かだけど、非常事態だったからね」

「てか、どんだけ魔物を倒したんだよ」

「うーん……正確な数字は分からない」

「大体では?」

「でっかいムカデが八千匹ぐらい……あとは、ゴブリンとかは数えてないや」

「うぉぉ……マジか。それってゴブリンの極大発生規模か?」


 古田に言われて、同級生を救出した時の極大発生を思い出したけど、今回のリバレー峠の一件は、あれほどの規模ではありませんでした。


「いや、あれほどではないよ。だってあの時は見える範囲がゴブリンで埋まるほどだったじゃん」

「まぁ、そうだな。あんなのが何度もあったらたまらんもんな」

「いやぁ、それにしても達也、国分が俺らの友人で良かったよな」

「その通りだな和也、ホントに国分が俺たちの、俺たちの友人で良かったよな」


 新旧コンビの話しぶりには、何か引っ掛かりを感じます。


「二人とも……何かあった?」

「まぁ、あったと言えばあった……な、達也」

「あぁ、でも無かったと言えば、無かった……な、和樹」

「何だよそれ、やけに思わせぶりだね」

「国分、お前この後は暇か?」

「まぁ、暇って訳じゃないけど、絶対に外せないような約束は無いよ」

「よし、ちょっと飯付き合え、てか奢れ。どうせリバレー峠の一件で稼いだんだろ?」

「あのねぇ……二人だって依頼を達成したばかりじゃん。これからギルドに行けば報酬貰えるんでしょ?」

「まぁまぁ、国分の稼ぎに較べれば、俺らの報酬なんて雀の涎だよ」

「それを言うなら涎じゃなくて、涙でしょ……まぁいいや、付き合うよ。何か話があるんでしょ?」

「ほほう、さすがSランク、察しが良いな」

「とは言え、焦りは禁物だぞ、達也」

「だな……」


 新旧コンビの二人は、何やら意味ありげな笑みを交わしています。

 飯に行く、奢りと聞いて八木が混じってきました。


「なになに、飯に行くの? 国分の奢り? 俺も……」

「うるせぇ、サル野郎はさっさと巣に帰りやがれ」

「おうよ、達也の言う通り、話のネタにされてぇか?」

「くぅ……国分、あとで俺にも奢るのを忘れるなよ」

「何でだよ……飯ぐらい自分で稼いで食べなよ」


 どうやら、新旧コンビのイライラの原因は八木のようですね。

 訳の分からない捨て台詞を残してマリーデの所に戻る八木に、新旧コンビは中指を立てています。


 まぁ、八木の行動に問題があるんでしょうが、こちらに残る者同士なんだから仲良くやってもらいたいものです。

 新旧コンビとは、ギルドで待ち合わせをする事にして、僕は一足先にクラウスさんの執務室へと向かいました。


 南の大陸の報告をするついでに、夕食を外で食べてくるとセラフィマとベアトリーチェに伝えておくつもりです。

 闇の盾を出して影に潜ると、ラインハルトが待っていました。


『ぶははは、さすがはケント様ですな。周囲の空気が一変してましたぞ』

「えっ、何の話?」

『ユースケとの話を聞いて、街の者達が噂しておりました。魔物使いがいる限り、ヴォルザードは安泰だと……』

「あぁ、言われてみれば、不安の原因が街道脇の炎上跡だとしたら、僕がやった事が何だったのか上手く伝わったのかな」

『その通りですな。フラムを眷属に加えている事や、魔物の大群を思った方向へと誘導するような力があると聞いて、ヴォルザードが襲われたとしても大丈夫だろうと思ったようです』

「そうか……たまには八木も役に立つもんだね」


 何にしても、ヴォルザードの人々の不安が解消されたならば、文句を言う必要はありません。

 ついでに噂になって流れてくれれば、手を打つ必要もなくなるかもしれませんね。


 日が西へと傾き始めたギルドでは、そろそろクラウスさんが仕事に倦んでいる頃かと思いきや、そもそも姿がありません。

 執務室にいるのは、セラフィマ、ベアトリーチェ、アンジェお姉ちゃん、それに護衛騎士のナターシャとネシュカです。


「ケントです。入りますね」

「おかえりなさいませ、ケント様」


 一声掛けて闇の盾を出して執務室へ出ると、素早く席を立ったベアトリーチェがハグしてきました。


「おかえりなさいませ……」


 一瞬出遅れた……といった表情を見せたあと、セラフィマも笑顔で席を立ってきました。


「ただいま、リーチェ、セラ……ふぐぅ」

「おかえりなさい、ケント」


 クラウスさんの不在について聞こうと思ったのですが、その前にアンジェお姉ちゃんに抱き締められてしまいました。

 この圧倒的なまでの柔らかさを温もりと……い、息が……。


「むぐぅ……ふぐぅ……」

「お姉様、ケント様が死んでしまいます」

「あら、ごめんなさい……リーチェとセラが見せつけるから、ついね」

「ぷはっ……アンジェお姉ちゃん、僕で遊ばないで下さい」


 ほらほら、セラフィマに抱き締められた左腕がミシミシと悲鳴を上げてるんですから。


「そう言えば、クラウスさんは?」

「ケント様、今日は風の曜日ですよ」

「あっ、そうか……城壁工事の日か」


 風の曜日は、週に一度クラウスさん自らが城壁工事の現場に立つ日です。


「本当に領主様ご自身が、工事の現場に出ていらっしゃるのですね」

「セラは見学してきたの?」

「はい、お話を伺って、午前中に見学させていただきました。私の家族も砂漠の開拓現場に出ることはございますが、指示を出すだけで工事を担当する者と一緒になって汗を流すことはないので、本当に驚きました」

「うん、僕もヴォルザードに来たばかりの頃は、話を聞いて驚いて、実際に工事に参加してみて更に驚いたよ」


 クラウスさんが城壁工事の現場で行っているのは、現場監督の仕事ではなく、一作業員としての仕事です。

 石を担いだり、漆喰を捏ねたり、汗と埃にまみれる現場仕事です。


 日本の政治家などが、やたらと綺麗な作業着に身を包んで、説明を聞くだけの視察とは大違いです。

 何より、分厚く節くれだったクラウスさんの大きな掌が、日頃からの働きを証明しています。


「領主という立場だから、住民からは税金を集めなきゃいけないし、さまざまな決まり事を作らなきゃいけないから、時には反対されたり批判されることもあると思う。でも、あの現場で働いているクラウスさんを見れば、誰だって本気でヴォルザードを守ろうとしているんだって分かるはずだよ」


 ぶっちゃけ、ちゃらんぽらんに見える時の方が多いくらいだけど、領主として、一人の人間として、本当に信頼し尊敬できる人物だと思っています。

 勿論、本人に面と向かっては言わないけどね。


「ケント様、南の大陸の様子はいかがですか?」


 父親を褒められるのが照れくさいのか、ベアトリーチェが違う話を切り出しました。


「うん、確かに人が暮らせず、魔物が支配する土地と言われるだけあって、強力な魔物が生息してる。今日もグリフォンに遭遇したしね」

「グリフォン……大丈夫だったのですか?」

「うん、僕らは影の中から見ていただけだからね。でも、さすがに迫力があったよ」

「また、ヴォルザードに飛来するのでしょうか?」

「うーん……子育て中だったから、たぶん来ないと思う」

「子育て……私も早くケント様の赤ちゃんを……」

「私も……」

「うっ……それは、正式な結婚式を済ませてから……」

「じゃあ、私も一緒に……」

「お姉様!」

「冗談よ、もうリーチェったら、すぐ本気にするんだから」


 今度は、ベアトリーチェがアンジェお姉ちゃんに抱き締められています。

 うん、いいな、いいな、あの温もりにもう一度……痛たた、冗談ですよセラフィマさん。


 クラウスさんが不在では、南の大陸についての報告は出来ないので、新旧コンビと夕食を共にする件を伝えました。


「マールブルグからの道中が、普通の冒険者にはどう見えていたのか聞いておきたいし、居残り組の間がギクシャクしているようにも見えたから、その辺のことも聞いておきたいんだ」


 セラフィマもベアトリーチェも、ちょっとだけ不満そうな表情を見せましたが、理由を話すと納得してくれました。

 そして、珍しく鋭い視線を向けていたアンジェお姉ちゃんも、納得したように頷きました。


「アンジェお姉ちゃん、何か気になる事でもありました?」

「ううん、大丈夫よ。お父様がお母様に話す時のように、目が泳いでいなかったから大丈夫ね」


 あぁ、どうやら新旧コンビと連れ立って、いかがわしい所にでも行くのかと思われたようですね。

 それにしても、娘にまで見透かされているなんて、クラウスさん……。


 と言うか、クラウスさんよりも遥かに顔に出やすい僕の場合を考えたら……その手の場所への立ち入りは諦めた方が賢明でしょうね。

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