第370話 カミラへの報告

 工房ジールの倉庫に二千匹の大ムカデを出すと、老ドワーフだけでなく、若手の職人、それに居合わせていた冒険者までが加わって解体作業を始めました。

 解体の手間賃も取り決めず、その場のノリと勢いでワイワイと始めている感じでした。


 ベルクマン商会では店員とお客の間には一線が引かれている感じでしたが、工房ジールは店員と客が一体となってるように感じます。

 ネルヴァからは、銀貨や銅貨も混じった二十万ブルグを受け取りました。


「こんな小銭まで出しちゃって、大丈夫なんですか?」

「ははっ、店の品物が無くなった訳じゃなし、何とでもなるさ」


 まぁ、本人が大丈夫と言っているならば、僕が心配する必要はありませんね。

 それでも、気になっていることを尋ねてみました。


「まだ、お父さんの遺言書は偽物だと思っていますか?」

「いや、あのベルクマン商会を見た時には、俺も頭に血が上って冷静な判断が出来なかったが、親父の遺言書は本物なんだろう。ただ、ラバールの野郎が親父の意思を裏切ったのは間違いない」


 ベルクマン商会の先代会長だったネルヴァの父親の遺言書には、店の経営権を弟のラバールに譲ると書かれていましたが、経営方針の維持または変更については一言も書かれていなかったそうです。


「レガルスの爺さんはベルクマン商会の職人を束ねていたんだが、親父が死んだ後に俺が王都に戻って来ると、ラバールと対立して店を追い出されて酒場で飲んだくれる日々を送っていたのを探し出して、ここに引っ張って来た。俺は親父や爺さんのような防具は作れないが、冒険者としての経験で使う側の意見は言える。王都一の防具工房が無くなっちまったのなら、俺たちが作るしかねぇだろう」

「なるほど、ではいずれ王都の一等地の店を取り戻すつもりなんですね」

「けっ、店なんかどこだって構いやしねぇよ。防具ってのは命を預ける代物だ。本当に良い品物を取り揃えておけば、まともな冒険者なら探し出してでも手に入れようとするもんだ」


 確かに、現在のベルクマン商会と工房ジールを較べれば、冒険者がどちらを選ぶかは言うまでもありません。

 大ムカデの件も、すぐに噂になって伝わっていくでしょう。


 あまり長居をしても商売の邪魔になりそうなので、約束が守られているかたまに見に来ると伝えて店を後にしました。


『あのように安価で売り渡してしまって、よろしかったのですか、ケント様』

『いいの、いいの、四百万ブルグ程度は、僕にとってははした金みたいだし』

『ぶははは、さすがは魔王ケント・コクブ様ですな』


 商工ギルトのマスター、クデニーヌさんの話を聞いた時には、ネルヴァの方が悪党だと思っていましたが、こちらに関しては問題は無さそうです。

 むしろベルクマン商会の方が、汚職の温床となりそうな心配があります。


『ちょっとカミラの所へ寄っていくよ』

『ベルクマン商会の件ですな?』

『それもあるし、リバレー峠のような状況が、リーゼンブルグでも起こらないとは限らないからね』

『なるほど、いつどこで発生するのか分かりませんが、情報があると無いでは大違いですからな』


 人目を避けて路地裏で影に潜り、ハルトを目印にして探すと、カミラの姿は王城の執務室にありました。

 机の上に積み上げた書類の山と格闘中のようで、部屋の隅に控えているメイドさんが何事か言いたそうにしています。


 また根の詰め過ぎといった所なんでしょう。

 メイドさんの後ろには、カートの上に昼食が準備されているようです。

 そういえば、僕も昼ご飯を食べ損なってますね。


「カミラ、お腹空いたよ。何か食べさせて」

「魔王様! あぁ、もうこんな時間なのですね。ロザリー、魔王様の分の食事も用意してくれ」

「かしこまりました」


 たぶん、そろそろ昼食にされた方が良いと声を掛けようとしていたのでしょう、メイドさんは僕に笑顔で会釈をすると、追加の料理を手配しに向かいました。

 ペンを戻しながらメイドさんを見送ったカミラは、席を立って歩み寄り、僕に抱きついてきました。


「カミラ……?」

「セラフィマは、無事にヴォルザードに着いたそうですね」

「うん、昨日の夕方ね」

「私も、早く魔王様のお側に行きとうございます」

「賠償に使う金の手配は?」

「今、クデニーヌにも手伝ってもらい、集めているところでございます」

「賠償が終わったら……ね」

「はい、分かっておりますが、もう少しだけ……」


 僕の肩に頭を預けているカミラから漂ってくる香りや、柔らかな温もりにドキドキしてきます。


「カミラ、疲れてない?」

「は……いいえ、大丈夫です」

「ちゃんと食事と睡眠は取らないと駄目だからね」

「はい」


 この体勢をメイドさんに見られるのは少々恥ずかしいので、カミラを促して応接セットのソファーへと移動しました。

 テーブルを挟んで腰を下ろすと、カミラは一つ深呼吸した後で表情を引き締めました。


「魔王様、本日は魔物の大量発生に関することでございますね」

「うん、少々厄介なことが起こっているから、リーゼンブルグでも可能な対策を講じてもらいたい」


 どうやらリバレー峠で起こった魔物の大量発生に関しては、コボルト隊を通じて情報が伝わって来ているようですが、改めて僕の方からも説明をしました。


「では、その空間の歪みを通じて南の大陸と繋がって、そこから大量の魔物が現れたのですね?」

「うん、百パーセントの確率では無いけれど、ほぼほぼ間違いないと思う」

「そうですか……ですが、対策と言われましても……」

「そうだよね。いつ、どこで起こるのかも分からないんじゃ対策の立てようがないよね」


 今回の事態は、例えるならば地震と同じレベルの天災です。

 台風や大雨などの場合には、雲の動きや風の強さである程度は予測できるでしょうが、突然発生する空間の歪みは予測のしようがありません。


「でもさ、それこそ街の真ん中に空間の歪みが発生したら対処出来ないけど、街の外で発生した場合には、ほんの少しだけど時間的な余裕……とまでは言えないかもしれないけど、猶予はある訳だよね」

「そうですね。僅かな時間でも、避難できる場所などを整えて……」

「カミラ?」

「魔王様。小さな集落などに、それほどの数の魔物が押し寄せたら、例え避難していても助からないのでは……まして、今回の大ムカデは土を掘り進むと聞きます。それこそ地面を含めて要塞レベルに作られた施設でなければ、侵入を許して犠牲になるでしょう」

「それもそうか……」


 こちらの世界の建物は、日本の建築に例えるならば、木造モルタル造りレベルの強度です。

 例え屋内に避難をしても、オーククラスの魔物に襲われても危ういレベルの強度しかありません。


「それに、例え籠城できたとしても、それが解消されるまで何日、何週間掛かるのかも分かりません。水や食料の備蓄をしておいても、そもそも助けが来るかどうかすら分からないのでは……」

「うーん、そうだよねぇ……」


 魔の森に接するヴォルザードのような街では、魔物の大量発生に対する備えがなされています。

 イロスーン大森林の中にあった集落でも、魔物の大きな群れへの備えはされていました。


 ですが、例えばアルダロス周辺の集落などでは、オークの群れが現れたとしても精々五頭程度の規模です。

 集落全体が大量の魔物によって陥落するような事態は『起こるはずがない』と考えられているそうです。


「それでも……それでも魔物は食料が無くなれば、次の獲物を探して移動するんじゃない? それまで耐えきれれば、生き延びる可能性はあるんじゃない?」


 イロスーン大森林で魔物の大量発生が起こった時、壊滅したと思われたモイタバの集落の地下で生き延びた人々の話をカミラにしました。


「確かに、今回のように地面を掘り進むような魔物が大量に押し寄せた場合には守りきれないかもしれないけど、普通の魔物に対してなら生き残るチャンスはあると思うよ。ヴォルザードにあるダンジョン近くの集落などは、地上にあるのは出入り口の建屋だけで、住居部分は殆どが地下に建てられているからね」

「そうですね。最初から諦めてしまっては、出来ることも出来なくなってしまいますね。分かりました、騎士団長とも相談して、出来るところから着手しようと思います」


 昼食の支度が整ったので、防具工房の話は食事をしながら進めました。


「ベルクマン商会ですか……確かに騎士団に防具を収めている工房として存じております」

「そうなんだけど、代替わりしてから店の様子が変わっているんだって……んほっ、この肉美味っ!」


 昼食のメニューはローストビーフですが、厚く切られた肉は柔らかく、噛みしめるたびに旨味がジュワっと口の中に広がっていきます。

 トロリとしたソースも甘味と酸味のバランスが絶妙で、肉の旨味を一層引き立てています。


 ブライヒベルグのダナさんの店の豚ステーキが庶民の豪快な美味さだとすれば、こちらは洗練された王侯貴族の美味さの結集のように感じます。

 防具工房の話なんか忘れて、料理に集中したくなっちゃいますよ。


「うふふふ……魔王様は本当に美味しそうに召し上がりますね」

「えっ、だって実際に美味しいよ。カミラはいつもこんなに美味しいものを食べているから、有難味が分からないんじゃない?」

「そうかもしれません。ラストックにいた頃には、兵士たちと同じものを食べていた頃もございましたし、街に出て庶民の食を味わうこともございました。ですがアルダロスに戻ってからは、気軽に街に出る機会も無くなりましたので、少し贅沢になっているかもしれませんね」


 やっぱり次期国王ともなれば、良いものを食べているのでしょう……と思いきや、チラリと視線を向けたメイドさんはプルプルと首を横に振っています。

 もしかすると、これは僕のために急遽用意されたもので、カミラだけの場合には、もっと簡単なメニューだったのかもしれません。


「なるほど……それでは魔王様はベルクマン商会が、また賄賂を使った商売を始めるのではと懸念なさっておられるのですね」

「うん、この前、商工ギルドを中心として改革を進めたばかりだから、そうならないと良いとは思っているけど……」


 騎士団の仕入れ担当に袖の下を使い、質の悪い防具を高い値段で買わせるような事が行われたら、財政面のみならず騎士団の質まで低下しかねません。


「分かりました。そちらの一件も騎士団長に伝えて、目を光らせておくことにいたします」

「うん、よろしくね」

「しかし……お手を煩わせておいて言う事ではないのかもしれませんが、このような些事は我々にお任せいただいて、魔王様は魔王様にしか出来ないことをなされた方がよろしいのではございませんか?」

「えっ、いや……そうなんだろうけど、乗りかかった船みたいな話だし……」

「魔王様、魔王様はこの先どのような人生を歩まれるおつもりですか?」

「どのような人生……?」


 いつもとは少し違ったカミラの雰囲気に、ちょっと気圧されてしまいました。


「はい。魔王様のおかげで、私が召喚してしまった御学友や教師達は帰国が叶いました。アーブル・カルヴァインの企みも、王位の争奪争いも、バルシャニアとの紛争すらも片付けていただきました。魔王様の祖国への賠償も、いま暫くすれば終わらせられる目途が立ちつつあります」


 カミラから改めて言われてみると、こちらに召喚されて以後、もの凄い勢いで色々な問題を解決してきています。

 召喚に絡んだ賠償の問題にしてみても、日本国内で同じような事件や事故が起こった場合、お金が支払われるまでにはもっと長い年月が必要になるでしょう。


「ランズヘルト共和国内でも、イロスーン大森林の横断が出来ない状態が続いていると聞いておりますが、それも魔王様の眷属によって現状を維持し、将来的な状況の改善も諸領主合同で進められていると聞いております。では、魔王様は将来どのような人生を歩まれるのでございますか?」

「僕の将来……」


 正直に言ってしまえば、周りの状況に振り回されて、あっちへこっちへ走り回っているだけで、具体的な将来像とかは描けていません。

 マイホームを完成させて、お嫁さんたちとイチャイチャ甘い生活を続けたい……なんて考えていますけど、それだけじゃ駄目な大人になってしまいそうです。


「私が言えた義理ではございませんが、魔王様は周囲の者達の期待に応えようと奔走なさっていらっしゃいますが、それは魔王様ご自身が望んでいらっしゃる事ではないように感じます」

「僕の望み……か」


 日本には帰らない、ヴォルザードで暮らしていくと決めたけれども、具体的な将来については考えて来ませんでした。

 ランクはSまで上がっていますから、いきなり冒険者を辞めて料理人になります……とはいかないでしょう。


 普通にオークやオーガなどの魔物を倒して、魔石や素材で稼ぐ冒険者……いやいや、素材も魔石も山になるほど持ってるし、普通の冒険者というのも違う気がします。

 その気になれば、治癒士としても活動出来ますけど、僕一人に頼るような医療体制が出来上がるのも問題です。

 そう、僕頼みの状況が続くようでは、僕が居なくなった後に大きな問題が起こっちゃうんですよね。


「あらためて聞かれると答えに困っちゃうな。僕は、僕の周囲の人が笑って暮らせていければ、それで十分なんだけどねぇ……」

「そうですか。では、その為に障害になる事は?」

「南の大陸か……」


 これまでは、召喚に絡む問題を片付けるので精一杯の状況が続いていましたが、これからヴォルザードで甘い生活を続けるための最大の障害は南の大陸です。


「ねぇ、カミラ。最初の魔王は死んだんだよね?」

「そう聞いておりますし、そもそも遥か昔の話で、今も生きているとは到底考えられませんが……」

「そうだよねぇ……でも例の空間の歪みからは、生きた魔物が現れている。あれは、僕が使っている闇属性の移動法じゃなくて別の属性……たぶん、全属性を合わせた星属性のような気がするんだよね。王家に伝わっている魔王の最期って、どんな状況だったのかな?」

「以前、少しお話しいたしましたが遥か昔、南の大陸には別の王国が存在しておりました」

「確か、今は魔の森になっている細い半島部分を使って往来が行われていたんだよね?」

「おっしゃる通りです」


 魔王となった勇者や南の大陸については、同級生や先生達を救出した後に少し聞いただけで、詳しく話しは知りません。

 リーゼンブルグ王家に伝わっている話ですから、王家にとって都合の良い話に改変されている可能性が高いですが、それでも知らないよりはマシでしょう。


「南の大陸は、レホロスという王国が治めていたそうです」

「そのレホロスとリーゼンブルグが戦争になって、レホロスが攻め込んで来たんだよね?」

「はい、おっしゃる通りです。当時のリーゼンブルグは、現在のランズヘルト共和国も合わせた大きな国でしたが、一時はアルダロスの放棄が検討されたほどレホロスに攻め込まれたそうです」

「そうした窮地を挽回するために、最初の勇者召喚が行われた」

「はい、その通りです」


 召喚の術式は、王都アルダロスの地下に眠る遺跡から発見された、古代文明の魔法陣によって行われたそうです。

 カミラが僕らを召喚した魔法陣は、その中から解読されている年齢や人数などの部分を改変し、規模を大きくしたものです。


「召喚した勇者の圧倒的な力により、リーゼンブルグは窮地を脱し、レホロスを元の通りに南の大陸へと押し返しました」

「リーゼンブルグからはレホロスへと攻め込まなかったの?」

「はい、王家に伝わる話では、レホロスを追い返した時点で戦を終えたようです。ただ、その辺りの詳しい記述は残っておらず。実際には攻め込んで撃退されたのか、あるいは多額の賠償金を請求したのかなどは分かりません」

「まぁ普通に考えれば、リーゼンブルグのような大きな国が滅亡寸前まで追い込まれたんだから、簡単に手打ちにはならなかっただろうね」


 南の大陸からアルダロス近くまでレホロスの侵入を許したのであれば、現在のグライスナー侯爵領などは占領下にあったはずです。

 占領されるまでには、当然大きな戦いがあり、多くの人々が傷付き命を落としたはずです。


 レホロスを追い返しました、良かった良かった……で終わるほど、人々の恨みは軽くはなかったはずです。

 それとも、最近のリーゼンブルグのように王家が腐敗しきっていて、住民はむしろ喜んでレホロスの軍勢を迎え入れたりしたのでしょうか。


「大きな戦いが終わり、召喚した勇者も戦いの日々から解放されました」

「勇者がおかしくなり始めたのは、その頃からなんだよね?」

「いえ、戦いの最中でも、過激な言動はあったようです」


 最初の勇者召喚が行われたのは、今から何百年も前の話で、日本でいったら戦国時代か更に先の時代だと思われます。

 ですが、召喚された勇者は地球から来たとは限りませんし、今の日本のような平和な国から来たかもしれません。


 僕は召喚されて以後、戦ってきた相手は殆どが魔物でした。

 山賊に身をやつしたアーブルの仲間など殺したこともありましたが、数えられるほどの回数です。


 もし自分が連日のように人を殺し、追い詰めていくような暮らしを続けていたら、精神が病んでしまっていたことでしょう。

 召喚直後の鷹山のようにチヤホヤされた結果、増長して悪事を繰り返していたと思い込んでいましたが、PTSDのような状況だったのかもしれません。

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