第365話 空間の歪み

 夕食会の会場では余裕たっぷりに話していたクラウスさんでしたが、移動する最中に地図を持って来るように言いつけ、別室に入った時には厳しい表情を浮かべていました。


「ケント、ヴォルザードからリバレー峠までにある集落は全部で七つ。そのうちの五つがヴォルザードの領内だが、残りの二つも見殺しにする訳にはいかねぇ」

「はい、取り敢えず峠から一番近い集落の守りを固めさせます。ラインハルト、お願い」

『了解ですぞ、先に行って集落への守りを固めておきますぞ』


 別室に地図を持って現れたのは、迎賓館の職員ではなくドノバンさんでした。


「クラウスさん、地図です」

「おう、広げてくれ」


 テーブルに広げられた地図には、ヴォルザードからマールブルグまでの道程が描かれていました。


「ケント、さっき報告に来た奴を呼び出して、魔物の群れがどの辺りまで来ているのか示させてくれ」

「分かりました。イッキ、頼めるかな?」


 僕が設置した闇の盾から踏み出してきたイッキの姿をみて、一瞬クラウスさんとドノバンさんが身構えるのが分かりました。

 まぁ、紅の夜叉という感じの風貌ですから、それも当然でしょうね。


「若、申し訳ございませんが、正確な位置は分かりかねます。ゴブリンどもは大きく広がりながら峠を下ってくるので、現在はこの辺りかと……」


 イッキが指でなぞったラインは、峠に一番近い集落にかなり迫って来ています。


「一体どこから、そんな魔物の大群が現れやがったんだ?」

「それも分かりかねます。峠の中腹にいた我々の、すぐ上から急に現れた感じでした」


 クラウスさんの質問に答えるイッキの様子からして、突然現れたことだけは間違いないようです。


「もしかすると、サラマンダーのフラムが現れた時のように、南の大陸に通じる穴が開いたのかも……」

「それじゃあ、何か? その穴が開いている限り、魔物が溢れ出し続けるってのか?」

「その可能性はありますし、大昔にダンジョンが溢れたという話も、これと同じような感じだったんじゃないですかね?」

「そうか……ケント、その穴を見つけ出して塞げるか?」

「やってみます。マルト、コボルト隊全員に通達。リバレー峠で魔物が溢れ出ている穴を捜索して」

「わふぅ、了解!」

「ゼータ、エータ、シータ、穴が見つかり次第、山を崩してでも塞いで、ガチガチに硬化させちゃって」

「承知しました、主殿」


 コボルト隊を投入しても、リバレー峠から穴を探し出すのは容易な作業ではないでしょう。

 それまでの間は、魔物の群れが溢れ続ける事になります。


「クラウスさん、集落の住民を避難させた方が良いのでは?」

「そうしたいのは山々だが、この二つの集落はヴォルザードではなくマールブルグの領地だ。俺に避難を命令する権限は無い」

「でも、このままじゃ魔物の群れに飲み込まれる可能性もありますよ」


 ラインハルトを始めとして、僕の眷属の強さは出鱈目ですが、それでも数の暴力の前には押し切られる可能性もあります。

 以前、ラストックを襲ったニブルラットは、単独ではゴブリンよりも弱い魔物ですが、大群となるとその小ささゆえに摺り抜けられてしましました。


「ケント、この集落よりも東に群れを誘導しろ」

「東ですか?」

「そうだ、西に回り込まれると、街道を通って一気に南下しかねない。逆に東側に誘導できれば、この渓谷へと追い込む事が出来る」

「渓谷は、どこに繋がっているんですか?」

「峠を回り込むようにして、イロスーン大森林の南西の端にぶつかる。渓谷の南側は丘になっているから、これ以上の南下を食い止めやすい」

「イロスーン大森林に追い込んで、森のなかで間引く感じですね」

「そうだ。大森林に追い込むのは良いが、その先の峰を越えられると、ヴォルザードのダンジョンの裏手に出ちまう。そこから森の方角に行けば良いが、街道沿いに進んでこられたら。半日と掛からずにヴォルザードまで到達しちまうからな」

「分かりました。ラインハルト達と合流して、魔物を渓谷へと追い落とします」

「俺は夕食会のホストを務めておく。そっちは頼んだぜ、婿殿」

「はいっ!」


 クラウスさんと頷きあってから、影に潜って峠の麓の集落へと移動しました。


「ネロ、ちょっと身体を見ていて」

「ネロにお任せにゃ」


 状況を把握するために、星属性魔術で意識を空へと飛ばして偵察を開始すると、既に峠の中で街道に到達し、駆け下っている魔物の姿がありました。

 このままでは、魔物の群れを渓谷に誘導するのは困難です。


 こうなってしまっては、少々手荒な対処が必要でしょう。

 とにかく西に向かおうとする群れの動きを止める必要があります。


「ただいま。フラム、一緒に来て」

「了解っす、俺っちの出番っすね」

「ミルト、コボルト隊に通達、麓の集落から西よりには近づかないことを徹底させて」

「わふぅ、分かった。言ってくる」


 ミルトを伝令に飛ばした後、フラムと一緒に麓の集落から、少し峠を登った所に陣取りました。

 ここには、もうすぐ魔物の群れが殺到してくるはずです。


「兄貴、どこを燃やせば良いんすか?」

「まずは、この街道の左手の山を燃やしちゃって、次に街道を下ってきた連中に向けてぶっ放しちゃって」

「了解っす!」


 魔物の群れが、集落から五百メートル程に接近してきたタイミングで、フラムに攻撃開始を命じました。

 ゴゥっと熱気を感じるような大きな火の玉が、街道の西側の森を蹂躙していきます。


 走りやすい街道を下ってきた魔物の群れですが、すぐ脇の森が燃え始めたことで、一部は反対側の森へと入り始めました。

 ですが、後ろからの圧力が強すぎるのか、火の勢いに顔を顰めながらも街道を下ろうとする者も見受けられます。


「フラム、二発目を準備して」

「何時でもオッケーっすよ」

「じゃあ、街道を下ってく魔物を狙って……撃て!」

「グォァァァァァ!」


 風属性魔術を使って、フラムが放った特大の火の玉を、街道に沿うように誘導すると、突っ込んできた魔物の群れは炎に包まれました。

 命からがらフラムの火の玉から逃れた者達は、再び街道の東側の森へと足を踏み入れていく。


「わふぅ、ご主人様、穴を見つけたよ。今、ゼータ達が塞いでる」

「よし! ご苦労様、後でみんな撫でてあげるからね。フラム、三発目。今度は街道の右側を狙って……撃て!」

「ゴワァァァァァ!」

 

 五日前に大雨が降って、峠の木々は湿っているはずですが、街道の両側には炎の帯が出来上がりました。

 たぶん、これで魔物が街道を駆け下ることはないはずです。


「主殿、穴を塞ぎ終えましたが、魔物の数は三万を超えているかもしれません」

「マジで? そうだ、ゼータ達で、魔物が集落の東側の渓谷に向かうように、声で威嚇して追い込んでくれるかな?」

「了解しました、主殿」


 燃え盛る炎の向こう側から、ギガウルフの咆哮が響いてくるような状況で、あえて集落の西側を通ろうとするような命知らずの魔物はいないでしょう。

 その集落の正面では、ラインハルト達が死の壁となって立ちはだかっていました。


 ラインハルトの愛剣グラムと、バステンの愛槍ゲイボルグが、まとめてゴブリンを薙ぎ払い、打ち洩らした魔物をフレッドの双剣レーヴァティンとダーインスレイヴが切り刻んでいきます。

 それでも圧倒的な数の力によって三人の間を摺り抜けた魔物は、ザーエ達リザードマンが待ち構えてククリナイフで切り捨てていますが、押し寄せる津波のごとき群れに飲み込まれそうです。


「ムルト、全員に通達。ラインハルト達より先には出ないで、後ろ側をフォローして」

「わふぅ、了解!」


 このままでは押し切られそうな気配なので、ちょっと範囲攻撃を仕掛けます。


「送還!」


 集落へと迫っていた魔物の群れの先頭付近を、幅200メートル、奥行50メートル、高さは50センチから2メートルの範囲で切り取り、後ろから来る群れの上空200メートルへと送還しました。

 当然ですが、魔物たちと一緒に森の木々も一緒に切り取られて、運ばれて行きます。


 高さ50センチですから、ゴブリンは胴体を輪切りにされ、オークやオーガは膝の辺りで切断されて上空へと送られ、死のダイブを強制されました。

 上に運ばれれば、重力によって後続の魔物の群れへ落下するしかありません。


 200メートルの高さから降って来た、オークやオーガ、それに丸太の直撃を食らえば無事では済まないでしょう。

 送還を三回ほど繰り返すと、集落へ迫る魔物の圧力は目に見えて減ってきました。


「ラインハルト、集落の東にある渓谷に追い込んで」

『了解ですぞ、ここまで減らしていただけたなら、後はお任せ下され』


 ラインハルトの指揮の下で、眷属総出の追い込み作戦が始まりました。

 峠の上からは、イッキ達ロックオーガが追い落とし、街道側からは、フラムとゼータ達が声で脅し、集落側はラインハルト達三騎士とザーエ達が食い止めます。


 コボルト隊は、それぞれの場所をカバーして、水も洩らさぬ体制を作り上げていきます。

 眷属のみんなが追い込みをかけている間に、僕は燃え盛る森の消火を始めようかと思った時、タルトが報告に来ました。


「わふっ、ご主人様、でっかいムカデがいっぱい!」

「ムカデって、どのぐらいの大きさなの?」

「えっと……このぐらい」


 タルトは両手を大きく広げて見せます。

 どうやら僕が考えているようなサイズじゃないようです。


「案内して!」

「わぅ、こっち!」


 タルトに案内してもらって影に潜って移動したのは、魔物の群れの後方でした。

 ザワザワ、ガサガサという音が周囲を支配し、地面が赤黒くテラテラと光って波打っています。


 胴体の太さは20センチ以上、長さは軽く1メートルを超えています。


「グギャァァァァァ!」


 巨大なムカデの群れは、逃げ遅れたゴブリンに群がり、鋭く大きな顎で噛みつき、沢山の脚が生えた胴体を巻き付けて拘束し、食いちぎり始めました。


「ぐふぅ……」


 初めて魔の森へ足を踏み入れた時、ゴブリンの群れに襲われて生きたまま食われた記憶が蘇って、胃液が逆流してきました。


「こいつら……土を掘って出て来たのか」


 更に後方まで移動すると、ゼータ達が埋めたと思われる場所の脇からムカデ共が湧き出していました。

 土の下に潜ってみると、固めた土の奥に裂け目のような穴があり、その奥からムカデが出てきているようです。


「フラム、穴の奥に向かって炎弾を撃ち込んで」

「了解っす、兄貴! ゴアァァァァァ!」


 フラムの炎弾は、洞穴一杯に広がって、全てを焼き尽くしながら奥へ向かって突き進んで行きました。

 炎弾を追いかけて、洞穴の奥へと進んで行くと、陽炎のように空気が揺らめいている場所がありました。


「兄貴、これっすよ、これ。このユラユラしたのに入って、俺っちはこっちに来たっすよ」

「これが南の大陸に続いているのか?」


 陽炎のような揺らめきは、直径五メートルほどの洞穴を塞ぐように立ちはだかっています。

 これを放置すれば、土を掘り起こすような魔物が湧いて出てくる可能性があります。


「よし、送還!」


 陽炎のような境界面を中心にして、十メートル四方を切り取るようにして、南の海上へと送還術を発動させました。


「えぇっ! これ消えないのか……」


 洞窟の土や岩は消失しましたが、揺らめくような境界面が残っています。

 このまま残ってしまうのかと不安を感じていると、揺らめきは徐々に薄れて、やがて何もなかったように消えました。


「兄貴、消えたっすね」

「うん、何だったんだろう……とりあえず、ここは完全に埋めて固めてしまおう」


 土属性の魔術を使って、陽炎のような物があった場所を埋め、更にガチガチに硬化させておきました。

 ただし、空間の歪みのようなものは消えましたが、外に出たムカデまで消えた訳ではありません。


「行くよ、フラム。もう一働きしてもらうからね」

「うぃっす、お任せっすよ」


 麓の集落近くでは、魔物の群れを追いかけて、巨大ムカデの津波が迫っていました。


「ラインハルト、全員影の中からムカデの頭を狙って殲滅して」

『ケント様、それでは集落を飲み込むのは止められませんぞ』

「分かってる。フラム、集落の手前を横切るように炎弾を打ち出して」

「了解っす!」


 街道の両脇で燃え盛る炎の列と交わるように、フラムが新たに炎弾を打ち出しました。

 炎弾は、ラインハルト達に討伐された魔物の死体や召喚術によって倒れた木々を巻き込んで炎の帯を作り出しました。


「群れの西側から東に向かって討伐を進めて、渓谷に向かった魔物は後回し、今はムカデの殲滅を優先して!」


 巨大なムカデの背中側は、ぶ厚く硬い殻に覆われいますが、お腹側は比較的殻も薄く、特に関節部分ならば容易に刃が通りそうです。

 普通の人が戦う場合、腹側から攻撃する手段がありませんが、僕の眷属達ならば影の中から攻撃が仕掛けられます。


 まぁ、みんなの攻撃は強力だから、背中側の殻も斬り裂いちゃうんだろうけど、これって防具とかの素材に使えそうだよね。

 やっぱりSランクの冒険者ともなると、後々のリサイクルも考えて、環境に優しい討伐を心掛けないといけないよね。


 なんて、盛大に森を燃やしておいて言うことじゃないけど、こうでもしないと集落の人達が、さっきのゴブリンみたいになっちゃうもんね。

 それにしても、この大量のムカデは、またマール、リドネル、タリクの三人に解体してもらわなきゃいけませんかね。


 スカベンジャーを解体してもらった時は、全部で二千匹弱だったと思うけど、今回は軽く万を超える数のムカデが討伐されているはずです。

 運搬は影の空間を経由すれば、たいした事は無さそうですが、解体の手間は大変なものになりそうです。

 これは討伐が終わった時点で、ドノバンさんに相談ですね。


『ケント様……魔物の群れが溢れそう……』

「えっ、どういう事?」

『途中で流れが滞ってる……』


 イロスーン大森林へと続く渓谷の途中には、小さな滝があり、後ろから押されてドンドン落ちてはいるものの、そこで躊躇する分だけ流れが滞っているようです。


「案内して」

『りょ……』


 フレッドに案内された滝では、滝の上で止まろうとするゴブリンやオークが、後続に押されて悲鳴を上げながら次々に落下していました。

 落差は7、8メートルぐらいあるので、崖下には落下の衝撃や、後から落ちて来た者に潰された魔物の死骸が積み重なり始めています。


「うん、もう少しすれば、高さも減って流れも良くなりそうだけど……」


 後続に押されて、崖下ではなく横の斜面を登り始めている者が見えました。


「とりあえず、送還!」


 滝の上から中程までをスロープ状になるように送還術で切り取り、崖下目掛けて落下させました。

 突然足下が消失して落下、その頭上から大量の土砂が降り注ぐ……魔物達にとっては悲惨な状況ですが、まぁ諦めてもらいましょう。


「これで流れもスムーズになるんじゃないかな。あとは斜面を登ってる奴らを追い落としておいて」

『りょ……』


 揺らめくようにフレッドが姿を消すと、斜面を登ろうとしていたゴブリンたちの首がコロコロと落下しました。

 集落へと戻ると、ムカデの大群も徐々に渓谷側へと流れを変え始めたようです。


 ゴブリンやオークの群れならば、ゼータ達の遠吠えに恐れをなして向きを変えますが、大ムカデは炎以外での誘導は難しいようです。

 とにかく倒して、倒して、倒して……眷属達が全力で動き回っても、討伐し終えたのはまだ三割程度のようです。


「よし、僕も手伝おうか」


 風属性魔術で竜巻状の渦を作り、そこへ風の刃と火属性魔術の炎を混ぜ込みます。

 どの道、全部を解体処理なんか出来ませんから、吸引、粉砕、焼却します。


 ラストックをニブルラットが襲った時にも同じような魔術を使いましたが、あの時は川の水を巻き上げた所に火を混ぜたので、水蒸気爆発が起こってしまいました。

 今回は川ではないので、巻き上げられたムカデや倒木は粉砕されながら燃やされて、灰になって飛んでいくだけです。


 まぁ、日本で言うなら、桜島的な降灰の被害は出そうだけど、ムカデの大群が集落を襲う事態だけは防がないといけませんからね。

 バリバリ、バキバキと凄まじい音を立てながら、凶悪なサイクロン焼却炉を一時間ほど稼働させ続けました。


『ケント様、ムカデは粗方片付いたようですぞ』

「魔物の方はどうなってる?」

『先頭がイロスーン大森林に入ったようです。渓谷を抜ければ森が広がっていますし、後ろからの圧力も減りますから移動速度は落ちるでしょうな』

「それじゃあ、一応の危機は去ったと考えても良いのかな?」

『あとは、ダンジョンの裏手に回り込みそうな一団を我ら眷属が間引いておきましょう』

「うん、そっちはお願いするね。僕はヴォルザードに戻って報告を入れておくよ」

『了解しましたぞ』


 討伐したムカデやゴブリン達の片付けは残っていますが、一応集落が襲われる危険は去りました。

 ザーエ達に燃えている森の消火を頼んで、ヴォルザードに報告に戻ります。


 てか、お腹ペコペコなんだけど、夕食会のメニューは残ってないだろうなぁ……。

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