第362話 ヴォルザードへと続く道
バルシャニアの一行は川を越え、ダラダラとした坂を上って行きます。
坂を上り切り、少し進んだ場所で行列は止まると、草地へと踏み入って行きました。
一行が足を止めた場所は、僕らと一緒に召喚された校舎です。
数名の騎士が草を薙ぎ、セラフィマのために道を作りました。
「これがケント様の世界の建物……」
セラフィマが少し離れた場所から眺めている間にも、バルシャニアの騎士達が危険は無いか建物の中を調べています。
「ご覧下さい、セラフィマ様。素晴らしい平滑性と均一性です」
一人の騎士が持って来たのは、割れた窓ガラスの破片でした。
「ユイカさんが、タブレット経由で見せてくれましたが、ケント様のいらした世界は、我々の世界よりも遥かに文明が栄えた世界です。バルシャニアでは透明なガラスを作るのは、熟練した土属性の魔術士と火属性の魔術士が、力を合わせねばなりません。ですが、あちらの世界では、こうしたガラスが大量に、しかも安価に作られているそうです」
「建物の壁や柱にも、鉄材が補強として使われているようです」
「あちらの世界では、見上げるほどに高い建物も珍しくないそうですよ」
僕にとっては珍しくもない、椅子や机、とくに鉄のパイプ部分に騎士達は驚いていました。
鉄を薄く均一に伸ばし、更には継ぎ目のないパイプ状にする技術は、まだこちらの世界には無いようです。
鉄製なのに恐ろしく軽いと、騎士の一人が持ち帰りたそうにしていましたが、セラフィマに窘められて諦めていました。
まぁ、椅子の一つぐらい持って行っても構わないけど、道中邪魔だよね。
「セ、セラフィマ様! これをご覧になって下さい!」
血相を変えた騎士が持ってきたのは、シャープペンシルでした。
「どうしたのです、そんなに慌てて……」
「こ、これを……」
シャーペンを持ってきた騎士が、カチカチとノックすると、当然のように芯が出てきます。
「これは! 中心が空洞なのですか?」
「はい、しかもこれは筆記具のようです……」
他の騎士達まで集まってきて、シャーペンを手に取って眺めるセラを取り囲みました。
「それはシャープペンシルと言って、細い芯は炭を固めたものだよ」
「ケント様!」
闇の盾を出して表に出ながら声を掛けると、騎士達は一斉に姿勢を正して敬礼し、セラフィマは悪戯を見られた子供のような表情を浮かべました。
「申し訳ございません、ケント様。これは、さぞ高価な物なのでしょうね」
「ううん、大量生産されているから、一日の給料の何十分の一程度の値段だよ」
「そんな……こんなに精密な作りなのに……」
「僕らの世界には魔法が無い代わりに、機械工業が発達しているんだ。そうした製品は、人間が作るのではなく、殆どは機械が作ってるんだよ」
「熟練の職人の手によるものではないのですね」
「うん、いずれセラも、むこうの世界に招待するつもりだから、ゆっくりと僕や唯香が日本について教えてあげるよ」
「はい、ありがとうございます」
「じゃあ、そろそろ出発しよう。あんまりゆっくりしていると、今夜の野営地に辿り着けなくなっちゃうからね」
道中に、日本の話を聞かせてほしいと頼まれ、僕もセラフィマと一緒に馬車に乗っていくことにしました。
拾ったシャーペンから芯を取り出してみせると、目玉が零れ落ちそうなほど目を見開いて見詰めていました。
一行はダラダラとした坂を下り切り、いよいよ魔の森へと入りましたが、特に助言も注意もしません。
言うまでもなく、コボルト隊が影の中から周囲を巡回していますし、他の眷属も控えています。
サラマンダーだろうが、グリフォンだろうが、ギガースだろうが、邪魔するものは薙ぎ払わせてもらいますよ。
「ケント様、ここが魔の森と呼ばれている森なのですか?」
「そうだよ、でも今日は魔物が出る心配は要らないから安心して」
「ありがとうございます」
バルシャニアの皇女様が乗る馬車だから、振動が伝わらないようにサスペンションのような仕組みが組み込まれていますし、道も綺麗に整備してありますから、実に快適です。
カッポ、カッポという蹄の音を聞いていると眠たくなりそうだと思っていたら、馬車は速度を落として止まりました。
「あれっ? 何かあったのかな?」
「ケント様、ちょっと失礼いたします……」
おっといけない、セラフィマが『お花を摘みに行く』ことを考えていませんでしたよ。
ここの護衛は女性騎士の皆さんにお任せした方が良いかな……なんて思っていたら、侍女のナターシャさんに僕も降りるように促されました。
えぇぇぇ……いくらもうすぐ結婚する相手とはいえ、僕が見守っちゃってて良いんですかね。
馬車を降りると護衛の騎士の皆さんが、馬を森の方へと向けていました。
「捧げぇぇぇぇ!」
護衛騎士の隊長であるエラストさんが号令を掛けると、騎士達が一斉に腰の剣を抜き、顔の前に真っ直ぐ上を向けて構えました。
一糸乱れぬ動きに、周囲の空気がピンと張りつめていきます。
セラフィマが両手を胸の上に重ねるように押し当て、目を閉じて口上を述べ始めました。
「異国の地にて、無念のうちに生涯を閉じたリュウジ・フナヤマ様、どうか心安らかにお眠り下さい。御朋友のケント・コクブ様は和をもって過ちを正し、この地に安寧をもたらして下さいました。どうか、怒りを鎮め、この地に生きる者達を見守って下さい」
セラフィマが深々と頭を下げると、再びエラストが号令を掛けました。
「祓ぇぇぇぇぇ!」
バルシャニアの騎士達は、顔の正面に立てていた剣を振り上げると、虚空に向かって三度振り下ろした後、鍔音高く鞘へと納めました。
シャーン……という鍔鳴りの余韻が、森の空気を清めていくようです。
清浄な空気に包まれながら、僕は気付かないうちに涙を流していました。
胸の前で手を合わせ、船山が成仏できるように祈りました。
「ケント様……」
「ありがとう、セラ……」
まさか、セラフィマが船山のことを知っているとは思っていませんでした。
バルシャニアの皇女様と精鋭騎士百人に送られれば、船山の無念のいくらかは晴れたのではないでしょうか。
いつか船山の父親と和解して、ここへの訪問を望むのであれば、召喚術で連れてきてあげようと思いました。
もう、正確な場所は分からなくなってしまったけど、いつか慰霊の碑も建立しましょう。
「ケント様、まいりましょう……」
「うん、行こう……」
僕とセラフィマが乗り込むと、また馬車は長閑な蹄の音と共にゆっくりと進み始めました。
「船山のことは、唯香から聞いたの?」
「はい、フナヤマ様の他にも、元の世界に戻れずに亡くなられた方がいらしたと伺っています」
「うん、船山が死んだ時は、まだ日本に戻る術が無かったんだけど、他の人達は帰れる方法が見つかってからだったから、何と言うか……凄く勿体ないって感じるよ」
船山の他に、こちらの世界で命を落としたのは、自ら命を絶ってしまった関口さん、オークの投石を頭に受けてしまった田山、グリフォンに攫われた三田の三人です。
この他に、日本で魔落ちして警察官に射殺されてしまった藤井も、召喚による犠牲者に加えるべきでしょう。
「ケント様のいた世界でも、大きな被害が出たと伺っています」
「うん、さっき見ていた建物は、四階建ての校舎の三階部分なんだ。それが突然異世界に召喚されて、元の世界では四階部分が二階に降り注いで校舎が崩壊して、多数の死傷者が出ている」
「それでもケント様は、カミラ様を娶るおつもりなのですね?」
「うん、そのつもりでいるよ」
セラフィマから正面切って尋ねられ、一瞬言葉に詰まりかけたけど、もう僕の気持ちは伝えてあるので、ハッキリと答えられた……はずです。
馬車の車内で、召喚されてから今日までの出来事をセラフィマに話しました。
まぁ、マノンが女の子だと気付いたいきさつとか、同級生を救出するまでに、ラストックで色々と偵察していた事とか、ベアトリーチェの治療の詳細とかは、さらっと割愛させていただきましたけどね。
話をしている間に、セラフィマの隣にはヒルトが現れ、僕の周りにはマルト、ミルト、ムルトが現れて、さぁ撫でろと催促してきました。
ヒルトだけでなく、マルト達まで現れて、侍女のナターシャさんが驚くかと思いきや、ヒルトの所にはコボルト隊がちょくちょく現れているそうです。
さすがにゼータ達は姿を見せていませんが、これからは一緒に暮らすようになりますから、慣れてもらわないといけませんね。
「ストームキャットにサラマンダーですか……?」
ネロとフラムの話を聞いて、ナターシャさんの顔を少し引き攣りましたね。
「大丈夫よ、ナターシャ。ネロはとっても優しいし、それにフワフワで……」
「ヒルトだって気持ち良いもん。ネロみたいに毎日日向ぼっこしていれば、ヒルトだってフワフワなんだもん」
「あぁ、ごめんなさいヒルト。そんなつもりで言った訳じゃないのよ、勿論ヒルトはモフモフで気持ち良いの、それはネロの気持ち良さとは較べられないわ」
「ホントに? ホントに気持ち良い?」
「はい、本当よ」
うんうん、良いですねぇ……トラ耳皇女様に、モフモフヒルトが甘えている様子は眼福ものです。
はいはい、勿論マルト達も気持ち良いし、ゼータ達もだよ。
ちゃんと思いを伝えておかないと、狭い馬車の中へと鼻面を突っ込んで来そうですからね。
それに、ギガウルフが現れたら、馬たちがパニックを起こしかねません。
ヴォルザードへ戻ったら、たっぷり撫でてあげるから、今は大人しくしておいてもらいましょう。
サヘルも、今日は喉を鳴らしてもダメだからね。
昼食は途中にある小川のほとりで、馬達を休ませながら食べるように準備をしておきました。
馬達に与える飼い葉も、騎士達が食べる食事もちゃんと準備してありますよ。
騎士やセラフィマのための食事は、守備隊の食堂にお願いしました。
作ってもらった熱々のスープと、チーズやハムを挟んだサンドイッチ、食後のミルクティーもあります。
「ケント様、この料理は?」
「うん、ヴォルザードから眷属のみんなに運んでもらったものだよ」
「まるで作りたてのように暖かいですが……」
「実際、作りたてだからね」
深い森のど真ん中で、火も焚かずに暖かい食事が食べられるのですから、バルシャニアの騎士達も驚いていました。
道は快適、魔物は出ない、暖かい食事も食べられる、護衛どころか馬でのロングライドを楽しんでいるようなものですよね。
「ケント様、ここは本当に魔物が出没する危険な森なのですか?」
「うん、普段ならば、この辺りまで来るとゴブリンは勿論、オーガやオーク、ギガウルフ辺りと遭遇したっておかしくない場所だよ」
僕が最初に通った時に較べれば減っているとは思うけど、まだまだ安全な場所とは言い難い状態です。
「ケント様。ここを誰もが安心して通れる道には出来ないのでしょうか?」
「やって出来ない事は無いけど、ヴォルザードとリーゼンブルグの関係を考えるとねぇ……」
昨日、クラウスさんに相談した内容を話すと、セラフィマは何度も頷いていました。
「そうですか、そのような事情があるのでは、簡単に道の安全を確保するというのは難しいのですね」
「ただ、今夜みんなに野営をしてもらう場所には新しい街を作って、せめて安全に一夜を過ごせる環境を作れば、交易自体はもっと増えると思っているんだ。それに、魔物が大きな群れを作らないように、僕の眷属達が随時討伐は行っているからね」
「それならば、事実上は安全に通行が出来るのですね」
「ううん、オークやオーガであっても、大きな群れにならなければ討伐しないから、ある程度の力量のある人じゃないと難しいね」
「それは、一定の危険があると知らせる意図もあるのですね」
昼食後の馬車の中でも、セラフィマとの話題の多くは交易についてでした。
中でも、イロスーン大森林を迂回するために、ヴォルザードとブライヒベルグを影の空間で繋いで荷物を運搬している話には興味津々です。
「ケント様、それと同じ仕組みをグリャーエフとの間にも作れませんか?」
「うん、それは可能だよ。そうか、あのやり方なら、バルシャニアとヴォルザードの間で交易が出来るのか」
「はい、バルシャニアは鉱物資源には乏しいですが、織物や紙作りが盛んです。それに、グリャーエフは隣国フェルシアーヌとの交易も盛んです。これまでランズヘルトまで送られてこなかった物も手に入るようになると思います」
「なるほど……これは領主のクラウスさんに相談だね」
「はい、そういたしましょう」
昼食後もバルシャニアの一行は順調に街道を進み、今夜の野営地に到着しました。
コボルト隊の活躍もあって、ゴブリン一匹すら出て来ませんでしたから、当然といえば当然ですね。
野営地に到着すると、騎士の皆さんはテキパキと野営の支度を始めました。
一応、昨夜のうちにトイレも設営しておきましたが、建物は屋根と壁があるだけのです。
「すみません、エラストさん。もっとちゃんとした建物を準備しておけば良かったのですが……」
「とんでもない、天幕を設営する手間が要らないだけでも大助かりですよ。それに、ここまで魔物が一頭も現れていないのは、ケント様のおかげですよね。我らは必要とあらば命を賭してセラフィマ様を護るために戦いますが、戦わずに済めばスムーズに旅程をこなせますから、本当に有難いです」
「そう言っていただけると、ほっとします。夕食も手配してありますし、他に必要な物があれば声を掛けてください」
「はっ、ありがとうございます」
騎士の皆さんには、雨風をしのげるだけの建物ですが、セラフィマが泊まる部屋には手を加えてあります。
床は板敷きにして羊毛織りのラグを敷き、ベッドも運びいれました。
侍女の皆さんが使うものとは別に、トイレと浴室も設けてあります。
「セラは、この部屋を使って。素人仕事なんで内装はイマイチだけど、今夜一晩は我慢してくれるかな」
「ありがとうございます、ケント様。これまで何度も野営は経験しておりますから、ここまでしていただかなくても大丈夫ですのに……」
「そうなの。でも、僕がやりたかったんだ。バルシャニアから、遠路はるばるヴォルザードまで嫁いで来てくれるのだから、出来る限りのことはしたかったんだ」
「ケント様……」
セラフィマは、僕の胸に頬を添えるようにハグしてきました。
侍女のナターシャさんが、ニヨニヨしてますけど、ギュって抱きしめちゃいますよ。
「ケント様、今宵はここで一緒に過ごしていただけるのですよね?」
「えっと、それは……他の三人から待ったが掛かってしまっているので……」
「セラは寂しいです……」
「うっ……あと一晩、あと一晩だけだから……」
「分かっております。でも、ちょっとケント様を困らせてみたかっただけです……」
むむむむ……この小悪魔チックな子猫ちゃんならぬ、子虎ちゃんめぇぇ……可愛いじゃないですか。
泊まっていきたいのは山々なんですが、夕食の手配を終えてからヴォルザードへと戻りました。
ヴォルザードの街を取り囲む城壁は一見すると中世ヨーロッパ風の城壁ですが、良く見るとその精度の高さに驚かされます。
積み上げられた石と石の間には、ナイフを入れる隙間もありません。
これは工事の際に、土属性魔術を使って断面を整えているからです。
石を運ぶ力仕事は街の人達も協力して行いますが、最終的な積み上げの部分は専門の職人さんが行うことで、崩れにくく堅牢な造りになっているのです。
野営地の警備はラインハルトを中心としたコボルト隊に任せ、僕はゼータ達と一緒にヴォルザードを外から眺めています。
いかにも付け焼刃の作業ではありますが、ヴォルザードの城壁をお色直しするつもりです。
ヴォルザードを囲む城壁は、月明かりの下で威容を誇るように聳え立っていて、城壁の上には巡回する守備隊員の姿があります。
「じゃあ、ゼータ、エータ、シータ、城壁に硬化の術を掛けて行ってくれるかな」
「お任せ下さい、主殿」
「門の周囲とかは、念入りにお願いね」
「かしこまりました」
ゼータ達が硬化を掛け終えたところから、僕も作業を始めます。
「では、では……送還!」
送還術を使って、城壁の表面を5センチほど削り取り、ヒュドラを討伐した後に出来た池へと放り込みました。
「うん、うん、良いではないか……良いではないか……送還! んでもって、送還!」
バルシャニアの一行が向かって来る、南西の門を中心に作業を始めましたが、中途半端に残しておくのも嫌なので、三時間ほど掛けて建設中以外の壁のお色直しを終えました。
「よーしよしよし、お疲れ様」
「お疲れ様です、主殿」
硬化の術を掛けてくれたゼータ達を労って、城壁のお色直しは終了です。
まぁ、なんてことでしょう……あれほどゴツゴツとしていた城壁は、まるで鏡のようにツルツルのピカピカです。
「ゼータ、この壁登れる?」
「我々は飛び越えられますが、途中に爪を掛けて登るのは難しいですね」
石を重ねたものですから、全く継ぎ目が無い訳ではありませんが、ゼータ達が硬化の術を掛けたので、隙間に詰まった土埃も硬化させられ、殆ど継ぎ目は目立ちません。
魔物の強力な爪ならば、辛うじて引っ掛けられるかもしれませんが、常人では登ることは不可能と言って良いレベルです。
「見た目も良いよね」
「主殿と一緒に色々な場所に行きましたが、これほどの建造物は、こちらの世界では見たことがございません」
現代日本の技術を使えば、これよりも更に平滑な壁面を築くことも出来るでしょうが、こちらの世界では一番じゃないかと自画自賛してみます。
見た目も良いですが、登りにくいという事は防御力が更に上がったことも意味しています。
いつぞやのゴブリンの極大発生みたいな時でも、壁面に水や油を流せば、それだけでゴブリンなどはお手上げでしょう。
これでセラフィマを迎える準備は万全……のはずだよね。
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