第361話 リーゼンブルグ出立
ダンジョンの水抜きは、翌朝には終わりました。
ダムの緊急放流のような勢いで排水していましたから、思っていたよりも早く終わったようです。
三階層から四階層へと向う回廊の部分は水が抜けましたが、ダンジョンの内部には高低差があるらしく、まだ水が残っている部分もあるようです。
とは言え、僕の背丈を超えるような深さではないので、これはそのままにしておきましょう。
クラウスさんは、流された冒険者はいないだろうなんて言っていましたが、残念ながら二名の冒険者が犠牲になっていました。
影の空間経由の排水と一緒に流されてきたそうですから、すでに事切れている状態です。
岩だらけのダンジョン内部を流れ込んだ雨水と一緒に下って来たからでしょう、遺体は損傷が激しく容貌を確認するのも困難な状態でした。
ただ、一緒に流されてきた荷物の中に、ギルドの登録カードが入っていたので、持ち物や服装などから身元の確認は出来るでしょう。
カードの登録情報を見ると、二人ともDランクの冒険者で、年齢は二十歳前のようです。
ダンジョンに足を踏み入れているのですから、ギルドの戦闘講習は終了していたのでしょうが、急激な水流への対処とかは想定していなかったのでしょうね。
二人の遺体は、ダンジョンの入り口に安置して、発見した経緯を書き記した手紙を添えておきました。
たぶん、ロドリゴさんが対処してくれるでしょう。
三階層と四階層を繋ぐ回廊の下に集まっていた冒険者達は、横穴の掘削に疲れたのか、見張りを残して眠っていました。
「おはようございます」
「おう、魔物使いか、外はもう朝か」
「えぇ、もうすぐ夜が明けるころですね」
「なんだ、お前そんなに早くから動き回っているのか?」
「えぇ、結構損な性分なものでして」
「その様子からすると、水が引いたんだな?」
「はい、掘り進めてもらって構いませんけど、一度崩れてますから硬化を掛けながら作業して下さい」
「了解だ。せっかく助かった命だからな、こんなところでヘマをやらかして死ぬつもりはねぇ。それと、助けてくれてありがとう。感謝するぜ」
見張り役の冒険者と握手を交わし、ダンジョンを後にしました。
ここから先は、冒険者の自己責任ってやつで、頑張って脱出してもらいましょう。
『ケント様、戻られて仮眠なさいますか?』
「うーん、ちょっと行きたいところがあるんだ……」
『行きたいところ……ですか?』
「うん……」
ラインハルトと一緒に向かったのは、魔の森のラストック側の入り口です。
白み始めた空の下で、魔の森は静まり返っていました。
僕が初めてここに来たのは、召喚されてから三時間ぐらい経った後でした。
あの時は、月が沈みかけていて、真っ暗になる前に森を抜けようと足を踏み入れました。
まさか森を歩いて抜けるには、三日以上も掛かる距離だとは知りませんでしたし、ましてや魔の森と呼ばれる危険な場所だとも知りませんでした。
ヴォルザードへと通じる街道に足を踏み入れると、当時の記憶が蘇って身体が震えてきます。
生きたままゴブリンの群れに食われる痛み、身体が冷たくなっていく恐怖は、クラーケンやシーサーペントを瞬殺出来るようになった今でも、完全に拭い去る事が出来ていません。
魔の森を抜ける街道は、あの当時とは較べものにならないほど綺麗に整備されています。
僕が歩いた当時は、凸凹で、馬車の車輪の轍が残り、馬や人の足跡を辿ることも可能でした。
まだ森の中は薄暗いけど、夜目の利く僕には何の支障もありません。
ですが、僕が行こうと思い立った場所がどこだったのか、全く分からなくなってしまいました。
『ケント様、フナヤマの遺体が捨てられた場所ですかな?』
「うん、もう草が生い茂ってしまって、どこだったのか分からなくて……」
『そうですな。ワシらにも、はっきりとした場所は分かりませぬ』
ラストックの駐屯地に囚われていた同級生の中で、唯一命を落とした船山の遺体は、この近くの森に捨てられてゴブリンの餌にされてしまいました。
足を運んだ森で見つけられたのは、血だまりと僅かな肉片だけでした。
あの日、僕は森の中で跪いて手を合わせ、仇を取ると船山に約束しましたが、まだ果たしていません。
時間が経過し、カミラが置かれている状況を知り、リーゼンブルグの立て直しに力を貸しているうちに、いつしか約束を忘れていました。
「ごめん、船山。僕は約束を守れそうもないや……」
この辺りだったと思う場所で足を止め、森に向かって頭を下げました。
たぶん、船山は僕を薄情な奴だと思うでしょう。
僕ばかりが幸せを手に入れて、腹を立てているかもしれません。
船山の父親が僕に向けてきた剥き出しの敵意は、ある意味正しかったのかもしれません。
「ごめん、船山。僕は幸せになる。例え船山に恨まれても、僕を慕ってくれている女の子達と一緒に幸せになってみせる」
もう一度、森に向かって頭を下げてから、元来た道を歩いて森の外へと出ました。
自己満足なんだと思うけど、セラフィマを迎える前に謝罪と決意表明をしておきたいと思ったのです。
森の外へと出たところで、ダラダラと上っていく丘の上へと視線を向けました。
歩いて登ろうかとも考えましたが、時間が掛かりすぎるので影に潜って移動しました。
街道から少し外れた場所に、周囲の風景に溶け込めきれていない廃墟があります。
僕らと一緒に召喚された、光が丘中学校の校舎の三階部分です。
何枚か無事な窓ガラスも残っていましたが、天井は落ち、風雨に晒され、建物の中にも雑草が生えていました。
ぐしゃぐしゃになった教科書やノートの残骸が、まだ床に散らばっています。
まだ一年も経過していないのに、この校舎で勉強していたのが、途轍もなく昔のように感じます。
『ケント様、この建物はこのままでよろしいのですかな?』
「うん、もう使えるものは殆ど残っていないし、かと言って片付けてしまうと召喚された事が嘘だったように思えてしまうから、これはこのまま朽ちていくのにまかせるよ」
僕は、ここで召喚されて、魔の森でゴブリンに食われて転生したようなものだから、この校舎はこのまま残しておく事にしました。
ヴォルザードの迎賓館へ戻って朝食を済ませた後で、クラウスさんに犠牲になった冒険者について報告しました。
「はぁ……十九と十八か、まだまだこれからだってのに……」
「でも、遺体が見つかっただけでも良かったのでは……」
「まぁ、俺らはそう思えるが、家族はそんなに簡単には割り切れるもんじゃねぇ。遺体が見つからない間は、まだ何処かで生きているかもしれないと希望が持てるが、遺体が見つかってしまえば、家族が死んだという現実から逃れられなくなるからな」
クラウスさんの言葉を聞いて、船山の父親を思い浮かべました。
ゴブリンに食われてしまった船山の遺体は、二度と戻って来ませんから、船山の父親とすれば希望を捨てられないし、船山の死を受け入れられないのでしょう。
グリフォンに襲われて連れ去られてしまった三田の家族も、たぶん同じでしょう。
解体されたグリフォンから、三田の痕跡は見つかっていないと聞いています。
鋭い爪で捕らわれて、ヴォルザードから連れ去られたのですから、状況は絶望的です。
それでも遺体が発見されて、死亡が確認されない限りは、法的にも行方不明の扱いのままです。
「ダンジョンに閉じ込められていた連中がゾロゾロと戻って来た後で、数日経ってから遺体が発見されるパターンが一番諦めが付けやすいんだろうが、そんなに思い通りに事が運んでくれやしねぇからな……」
「ヴォルザードでは、行方不明になった冒険者達の扱いって、どうなるんですか?」
「どうなるって、行方不明は行方不明だろう」
「いえ、例えばダンジョンに入って戻って来ない……みたいな状況では、死んだものとして認められるんですか?」
「そいつは状況次第だな。明らかに死んだと分かる証が見つかれば、死んだと認められるが、殆どのケースでは行方不明のままになっている」
こちらの世界では、日本のようなDNA鑑定のような技術は無いので、例えギルドカードと一緒に遺体の一部が見つかったとしても、本人のものだと確かめる術は無いそうです。
それゆえに、行方不明になり本人と確認できる形で遺体が見つからない限り、行方不明の状態が続くそうです。
「でも、さすがに何十年経っても現れないなら、死亡していると考えても大丈夫なのでは?」
「その通りだ。だからランズヘルト共和国のギルドでは、行方不明になってから五十年が経過した場合には死亡したと認定して、ギルドに資産が預けてある場合には家族や子孫に引き渡される」
「五十年……それはまた長いですね」
「そう思うかもしれないが、そうでもなければ誰かを殺して、その財産を手に入れようなんて考える不届き者が現れやがるからな」
「でも、それじゃあ家族が納得しないんじゃ……?」
「それこそ、さっきの話に戻るだろう。もう死んでいると納得するには十分な時間だし、ちゃんと子孫には財産が引き渡されるんだから諦めも付くんじゃねぇか」
遺体の一部から個人を特定する技術が無い以上、犯罪の温床となるのを防ぐためには、有効な方法なのでしょう。
「今回の遺体も、流される途中で岩肌とかにぶつかったらしくて、かなり損傷が激しいですが、大丈夫ですかね?」
「一応、五体満足なんだろう? ダンジョンに潜るには届け出もしているだろうし、家族がいるなら確認もできるだろう。遺体を発見したのはSランク冒険者のお前だし、疑わしい状況は無い。家族さえ納得すれば、ギルドに預けてある財産は引き渡されるはずだ」
「そうですか、ちょっと安心しました」
「まぁ、まだまだ駆け出しのヒヨっ子どもだ、驚くような額を貯め込んでいたとも思えねぇが、家族にとってはそいつらが生きた証でもあるからな」
発見した冒険者のギルドカードの登録内容を書き写したメモを手渡して、クラウスさんへの報告を済ませました。
報告を終えた後、再びラストックへと戻りました。
ラストックの側を流れる川に架かる跳ね橋の復旧も終わり、今日はいよいよセラフィマがリーゼンブルグを離れる日です。
さすがにもうトラブルが起こるとは思えませんが、魔の森を抜けてヴォルザードに着くまでは、影の中から見守るつもりです。
まぁ、魔の森に生息する魔物の数は、コボルト隊が定期的に間引いているようですし、護衛の騎士が百人も付いているのですから、僕の出る幕はないでしょう。
ちなみに今日は、近藤達がリバレー峠を超えるはずですが、オーガの群れは討伐しましたし、新たに眷属にしたロックオーガのイッキ達に遠目から見守るように指示しておきましたので、僕はセラフィマの方へ専念するつもりです。
ラストックへと移動すると、バルシャニアの騎士達が出発の準備を進めていました。
バルシャニアの帝都グリャーエフを出発してから約二か月、煌びやかだった衣裳も風雨に晒されて少々色あせています。
ですが騎士達の表情は、皇女セラフィマを護りながら、長年の宿敵であるリーゼンブルグ王国を西から東へと横断し終える充実感に溢れていました。
これまで、これほどまでに堂々とリーゼンブルグを横断したバルシャニアの騎士はいないでしょうし、これだけの長い期間リーゼンブルグに留まった騎士もいないでしょう。
困難な任務をやり遂げたという自信が、騎士達の風格となっている気がします。
『良いですな。やはり騎士が成長する姿を見るのは良いものですな』
生前、騎士団の分団長を務めていたラインハルトにとっては、国は違えども騎士達が任務を成し遂げて成長する姿を見るのは、感慨深いものがあるのでしょう。
「バルシャニアの騎士のみんなには、ヴォルザードで疲れを癒してもらったら、送還術でグリャーエフまで送るつもりだよ」
『ここにいる騎士達は、この道中で数々の得難い経験をしたことでしょう。それは、騎士個人の経験でもあり、バルシャニアに戻って国の財産として受け継がれていくのでしょうな』
「また、若い騎士をしごきたくなったんじゃない?」
『ぶはははは、それはもう散々やってきましたからな。ですが、新たに加入したイッキ達は少ししごいてやりますかな』
「あー……壊さない程度にしてね」
『ぶはははは、ワシのしごきで壊れる程度では、魔王ケント様の眷属とは申せませぬぞ。ぶはははは……』
高笑いするラインハルトの後ろで、フレッドはお手上げのポーズです。
そこでフレッドと一緒に視線を向けると、『私ですか……?』とばかりにバステンは自分の顔を指差してから、ガックリと肩を落としました。
そんなバステンをマルト達が取り囲み、ポフポフと慰めています。
うん、いつもの眷属の風景って感じですね。
セラフィマの姿を探してヒルトを目印に移動すると、駐屯地の司令官執務室で出立の挨拶をしているようでした。
応接セットのテーブルを挟んでセラフィマと向かい合っているのは、グライスナー侯爵の長男ウォルター・グライスナーです。
次男のヴィンセントに較べると実直すぎると感じますが、善良な人間だという印象がありました。
ですが今日のウォルターは、少し印象が異なります。
「あれほどの雨が降ったのですから、魔の森を抜ける街道はまだぬかるんだままではありませんか? もう二、三日逗留されて行かれた方がよろしいのでは?」
「お気遣いいただきありがとうございます。途中の道については、ケント様の眷属が整えてくれたと連絡をいただいております」
うん、僕が連絡した覚えは無いんだけど、ちゃんと眷属のみんなが連携してくれているんだよね。
「そうですか、では出立なされるのですね」
「はい、ウォルター様には色々とご配慮をいただきありがとうございました」
「いいえ、我々は魔王殿に大変な恩がありますから、この程度のお世話は当たり前のことです」
「ケント様のもとへ嫁げば、魔の森を挟むとは言え、ラストックとヴォルザードは隣り街です。末永く友好関係を続けていければと思っております」
「私どもも、良い関係を続けていきたいと思っておりますよ」
友好関係を続けていきたいと言いつつ、ウォルターはどこか面白くなさそうな表情を浮かべています。
それに、セラフィマを見つめる視線が、なんとなく粘っこく見えるんですよねぇ。
まさか、セラフィマを狙っているなんてことは無いでしょうけど……もしや、ささやかな合法ロリ……おっと、ギロンと睨まれました。
「どうかされましたか、セラフィマ様」
「いえ、なんでも……」
そうそう、セラにはセラの良さがありますからね。
執務室のドアがノックされ、出発の準備が整ったとの知らせが来ました。
ウォルターは、本当に名残惜しそうな表情を浮かべていますが、セラフィマはあっさりと別れの挨拶をして執務室を後にしました。
うん、見送りに同行するウォルターの視線は、日本だったら通報ものですよ。
バルシャニアの一行が駐屯地を出ると、沿道には一目見ようと多くの民衆が集まっていました。
ラストックの駐屯地は、魔の森から襲来する魔物に対する砦でもあるので、街の外れに位置しているのですが、それでも多くの人が集まっています。
セラフィマの乗った馬車は、前後を騎士たちに護られて、民衆の前をゆっくりと跳ね橋に向かって進んで行きます。
馬車の中から笑顔で手を振るセラフィマに、民衆も盛んに手を振り返しています。
王都アルダロスでは、もっとピリピリした印象でしたが、この辺りはカミラが治めていたせいなのか、バルシャニアから一番離れている土地柄なのか、いずれにしても友好的で良い雰囲気です。
『ラストックの民は……ケント様の活躍を忘れていない……』
「えっ、でも僕は表だっては大したことはしてないよ」
僕の言葉に、フレッドもバステンも、何を言うのかとばかりの表情を浮かべています。
『ネロの時も……投石するオークの時も……』
『ヒュドラに追われてニブルラットが押し寄せた時も、ケント様がいなければ甚大な被害がでてましたよ』
『ケント様の話は……もう語り継がれる伝説……』
「えぇぇ……そんな事はないでしょう……」
あれあれぇ、またフレッドとバステンが、やれやれみたいなポーズなんですけど……。
やがて集まった民衆から、セラフィマに向かって声が掛かりました。
「皇女様、おめでとう!」
「魔王様とお幸せに!」
「魔王様と一緒に遊びに来てくださ~い!」
ヤバい……ちょっとウルってしちゃいますよ。
ラストックのために頑張ったことは、ちゃんと伝わっているみたいです。
『カミラも……ディートヘルムも話してた……』
『王女と王子が賞賛すれば、当然民衆の間で広まっていきますよ』
「なるほど……」
ラストックの人々に見送られながらセラフィマ一行は跳ね橋を渡り、魔の森へと向かう街道を進んで行きました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます