第349話 最後の帰還作業
晩餐会の翌朝、ヴォルザードの守備隊の食堂へ、唯香と一緒に足を運びました。
今日は安息の曜日ですが、守備隊自体は年中無休、隊員達は交代で勤務しています。
食堂にも、今日の当番に当たっている隊員達の姿があります。
その隊員さん達の向こう側から、手を振っている一団がいます。
「おーい、国分、浅川、こっちだ」
「はい、すぐ行きます」
声を掛けてきた加藤先生に手を挙げて応えてから、本日の朝食メニューを食堂のおばちゃんから受け取りました。
目玉焼きにソーセージ、蒸かしたガーム芋、ポタージュスープに丸パンという、ヴォルザードでは平均的な朝のメニューです。
「おはようございます。先生達、早いですね」
「遠足に行く小学生みたいに目が覚めちゃったわ」
トレイを置いて席に着くと、向かいの席で僕の元担任、佐藤先生が穏やかな笑みを浮かべています。
食堂で僕を待っていたのは、本日帰還する先生達と、女子生徒が二人。
最後の帰還作業を行う前に一緒に朝食を食べようと、加藤先生から誘われていたのです。
僕の右隣が加藤先生、加藤先生の向かい側が古館先生、僕の左隣に唯香、その向かい側が千崎先生、その隣に彩子先生の並びです。
「国分、今日はよろしく頼むな」
「はい、加藤先生もようやく帰宅できますね」
「あぁ、とんでもなく長い出張になっちまったよ」
ラストックからヴォルザードに来た当時は、肩に力が入りすぎているようにも見えましたが、今は良い感じに力が抜けているように見えます。
「でも先生、戻ったら戻ったで、色々と報告が大変なんじゃないですか?」
「まぁ、それは仕方ないだろうが、下らないことをウダウダ言ってきやがったら、怒鳴り付けてやる」
「そういえば彩子先生は、教育実習の最中だったんですよね? 大学の方は大丈夫なんですか?」
うわぁ、彩子先生がズーンって感じで肩を落として、聞いちゃいけなかったみたいですね。
「杉山は四年次だったから、卒業できず留年扱いだ」
「えぇぇ、不測の事態だったし、何とかならないんですかね?」
「ヴォルザードに来てからは、中川先生があの調子だったから、英語の授業を担当してもらっていたし、経験としては十分だと思うが、役所ってのは融通が利かんからな」
加藤先生は納得出来ないといった口振りですし、他の先生達も思いは同じのようです。
「もう、新しい年度が始まってしまっていますし、教員として採用してもらうとしても来年度からになってしまいますからね。でも、召喚されてから今日まで、本当に色々な経験をさせてもらいましたから、来年度からは自信を持って教壇に立てると思います」
僕らよりも八歳ぐらい年上なのに、時には同級生に慰められていた彩子先生ですが、なんだかちょっと頼もしくなったような気がします。
「古館先生は、ヴォルザードに残るんですよね?」
「そうだよ。宿舎は引き払って、ギルドで下宿を紹介してもらう予定だけどね」
「先生って、何をやって食べていくつもりなんですか?」
「僕は、日本政府からの頼み事をこなして生活していくよ。土壌や水質などのサンプルとか、植物標本とか、色々依頼されているからね」
「それって、どうやって日本に送ってるんですか?」
「どうやってって、国分君の眷族に頼んでいるに決まってるだろう」
「えっ、そうなんですか?」
古館先生の話では、ベアトリーチェを経由して、コボルト隊に運搬を依頼しているそうです。
全く、全然知りませんでしたが、ベアトリーチェ経由ということは、しっかりと報酬が支払われているのでしょう。
うっ、何だか唯香の視線が厳しいような……。
「佐藤先生と千崎先生は、戻ったら復職なさるんですよね?」
「私はそのつもりですが、佐藤先生は……」
「えっ、佐藤先生は復職しないんですか?」
「少し考えている事があってね。今回の事態を伝える仕事をしようかと思っているの」
国語の教師ということで、佐藤先生が召喚後の詳細を示した報告書を提出しているそうです。
召喚され救出に至るまで、救出後に帰還方法が見つかるまで、帰還方法が見つかった後から現在に至るまで、先生達の状況や同級生たちの詳しい様子を記した報告書は、関係各所から高い評価を得ているそうです。
中学校の一学年全員が異世界に召喚される……なんて出来事は、今後また起こるとは考えにくいですが、大勢の生徒が事件や事故に巻き込まれるような状況は、いつ起こったとしても不思議ではありません。
佐藤先生の下には、色々な団体から講演の依頼が舞い込んでいるそうです。
文章を書いて、講演を行う……これって、八木がやりたかったパターンだよね。
八木に佐藤先生の半分でも文才があれば……いや無理か。
「千崎先生のところには、講演の依頼とか来てないんですか?」
「いくつか話はいただいているけど、私には……」
千崎先生は、表情を曇らせて視線を伏せました。
たぶん千崎先生は、自ら命を断ってしまった関口さんを思い出しているのでしょう。
「そうだ国分、お前に頼みがある」
「なんですか、加藤先生」
その場の雰囲気を読んでか、加藤先生が話し掛けてきたのですが、頼み事の内容は薄々気付いていたけど、思い出さないようにしていた事でした。
「八木を頼んだぞ」
「えぇぇ……僕が面倒見るんですかぁ?」
「俺たちが帰国したら、あいつを監視する人間が居なくなっちまうからな」
「そりゃそうですけど……」
魔の森の訓練場での合同訓練でも、以前よりはまともに動けるようになってきています。
それでも相手はあの八木です、油断なんて出来ませんよね。
「いつものように馬鹿をやらかして、多少痛い目を見る程度なら構わんが、命を落としたりせんように気を配ってやってくれ」
「まぁ、僕としても同級生が命を落とすのは、これ以上見たくはありませんが……うーん、やっぱり近藤達のパーティーに入れてもらう方が良いよなぁ……」
近藤、新田、古田、鷹山、それに本宮さんに八木とマリーデを加えて、七人パーティーで動いてもらえば、僕としてもカバーがしやすくなります。
全員が一箇所にいるなら、コボルト隊の誰かを監視に付けておけば、いざという時に駆けつけられます。
「分かりました。ちょっと近藤と相談してみます」
「すまんな、何から何まで頼っちまって」
「いえ、あんなのでも、居なくなると寂しいですからね」
「そうだな……」
言葉を切った加藤先生の脳裏に浮かんでいるのは、ネット配信中にオークの投石を食らった田山でしょうか、それともグリフォンに連れ去られた三田でしょうか。
僕が思い浮かべたのは、やはり船山の顔です。
こちらに来て、初めて失われた命ですし、救えたかもしれないという思いがどうしても拭いきれません。
それでも、脳裏に浮かんだラストックで虐待されていた船山の姿が、以前に較べて鮮明さを欠いてきています。
騎士達が通った跡を辿り、魔の森の中で血溜まりを見つけた時に、殺してやるとまで思ったカミラを今は娶ろうと思っています。
時間の経過がそうさせるのか、それとも僕が薄情な人間なのか、考えに沈んでいたら加藤先生に肩を叩かれました。
「大丈夫か、国分」
「えっ、あっ、はい、大丈夫です」
「そうか……それと浅川、綿貫の事を頼めるか?」
「はい、綿貫さんは、本宮さんや相良さん達と一緒に暮らすそうですし、鷹山君の奥さんになるシーリアさんも妊娠中ですから、色々と面倒は見てもらえると思います。私の方でも、時々様子を見にいくつもりです」
「そうか、よろしく頼むな」
加藤先生は大きく頷いた後で、姿勢を正して表情を引き締めました。
「国分、改めて礼を言わせてもらう。本当にありがとう」
加藤先生が頭を下げると、他の先生達も頭を下げました。
「いや、僕は自分に出来ることをしただけですから……」
「それでもだ。国分が居なかったら、どれ程の者が命を落としていたか、考えるだけでもゾっとするぞ」
あの当時、カミラがどの程度の訓練期間を想定していたのか聞いていませんが、八木や新旧コンビ、凸凹シスターズの五人を見殺し覚悟の実戦訓練に送り込んでいた事を考えると、相当な犠牲者が出ていてもおかしくなかったでしょう。
それに、ラストックから逃げて来る時には、ゴブリンの極大発生に巻き込まれました。
なんとかヴォルザードに逃げ込めたけど、あと少しタイミングが遅かったら、ゴブリンの群れに押し包まれ、食い殺されていたかもしれません。
てか、久々にゴブリンに食われた時のことを思い出して、背中がゾーっとしちゃいましたよ。
あの時に、ラインハルト達が助けに来てくれていなかったら、みんなも助かっていなかったかもしれません。
僕はヴォルザードに辿り着いて以来、まともな生活を送れていましたが、先生達は収容所での生活に苦労したみたいです。
「あのラストックの訓練施設は酷いものだった。若い頃は柔道部で厳しい練習に耐えたものだが、この年になって、リーゼンブルグの若造にしごかれるなんて思ってもいなかったから、腰は痛いわ、膝は痛いわ、泣きたくなったぞ」
「私達は、訓練なんてやったことないし、ろくにお風呂にも入れない生活は辛かったわ」
先生達が囚われていた施設に潜入した時、佐藤先生とかお婆ちゃんかと思うほど老け込んでましたからね。
今は、日本から化粧品も送ってもらっているらしく、だいぶ若作り……げふんげふん、身だしなみもシッカリ整えていらっしゃいます。
「そう言えば、彩子先生って、やっぱり生徒と勘違いされてたんですか?」
「はぅぅ、国分君、そこには触れないでほしかった……」
彩子先生が、両手で顔を覆うと、みんなから笑い声が上がりました。
「最初は、大学四年生にもなって中学生に間違えられるのはどうなのって思ったんだけど、間違えられたおかげで生徒のみんなと一緒にいられるんだって気持ちを切り替えて、少しでもみんなの支えになれればって思ったんだけど……ごめんなさい」
少し俯いた彩子先生の目から、涙が零れ落ちました。
彩子先生は船山のことを思い出しているのでしょう。
同じ土属性の術士として訓練を受け、船山が暴行される様子を近くで見て、必死に庇っていました。
それだけに、船山が死んだ時には、人一倍ショックを受けていましたもんね。
「彩子先生」
「は、はい、何でしょう」
「彩子先生は、カミラの事を許せませんか?」
彩子先生の表情の変化は劇的でした。
カミラの名前を聞いた途端、普段ポヤポヤしている彩子先生の眉間に深い皺が刻まれ、きゅうっと目が吊り上がりました。
「勿論、許せないわ。確かに船山君は問題の多い生徒でした。でも、まだ十四歳だったのよ。これから色んな楽しい事、嬉しい事、感動する事をいっぱい、いっぱい経験出来たはずなのに、失敗したっていくらでもやり直せたはずなのに、もうやり直すことも出来ない。しかも、遺体をゴブリンに食べさせたなんて……酷過ぎる! 絶対に許せない!」
予想していなかった彩子先生の剥き出しの敵意に、ちょっと怯んでしまいました。
佐藤先生や千崎先生も険しい表情を浮かべています。
頻繁にカミラと会って、言葉を交わしてきた僕と違い、先生たちには大まかな召喚の理由、虐待の理由が伝えられただけなので、認識に大きな差があるのでしょう。
そこへ、加藤先生から質問されました。
「国分、リーゼンブルグの賠償の件はどうなっているんだ?」
「はい、日本政府に算定してもらった金額を元にして、それと同等の純金で支払う予定です」
「そんな金が、あの国にあるのか?」
「今、掻き集めているところですね」
アーブル・カルヴァインの策略によって多くの王族が殺され、結果として膿が全部出されて改革が始められた状況を説明しました。
「我々にとっては憎たらしい王女が、リーゼンブルグにとっては救国の王女という訳か? 皮肉なもんだな」
「たらればになってしまいますけど、せめて僕らを普通に扱ってくれていたら、あれほど酷い状況にはなっていなかったんでしょうね」
「こちらで死者を出さずに済んでいたとしても、日本では多くの犠牲者が出ている。まだまだ、この問題が解決するには時間が必要だろうな」
唯香には、昨晩の晩餐会の話はしてありますが、カミラを娶ると宣言した事を先生達には伝えられませんでした。
朝食が済んだ後、先生達は食堂のおばちゃん達と挨拶を交わしていました。
ヴォルザードに来て以来、ずっと食事を作ってもらっていたのですから、色々な思いがあるのでしょう。
彩子先生は、おばちゃん達から頭を撫でられ、抱きしめられて、ボロボロと涙を零しています。
ここにも、僕の知らない日本とヴォルザードとの交流があったのですね。
「じゃあ、国分、準備を頼むな」
「はい、いつもの場所で……」
食堂を出て、いつも帰還作業を行っている訓練場の隅へ足を向けると、八木達残留組が集まっていました。
「よぅ国分、体調は万全か? 先生達はまだ来ないのか?」
「八木に言われるまでもなく、体調は万全だし、さっき加藤先生から八木を監視しておくように頼まれたばかりだよ」
「ははっ、そいつは無理な相談だな。いくら魔王と言われる国分であろうとも、俺様に首輪を付けるなんて不可能だぜ」
中二病っぽいポーズを決める八木を見ていると、加藤先生の心配が良く分かります。
「ふーん……そんじゃマリーデに、八木が外で女を作ろうとしているみたいだって言って監視してもらうよ」
「ちょっ! お前、言って良い冗談と言っちゃ駄目な冗談があるんだからな。お前がそのつもりなら、俺だって浅川さん達に……」
「よーし八木、そこまでだ。無益な争いは何も生み出さないからな」
「はっはー! 国分、いつも俺がやられっぱなしだと思うなよ」
八木の話は八割以上がガセネタだと唯香は分かっているけれど、マノンやベアトリーチェは本気にしちゃうかもしれないからね。
「ちっ、八木のくせに……さっさと幸せな家庭を築け。ポコポコ子供作ってパパになってしまえ」
「あれあれ、おかしいぞ。普通に聞いたら負け惜しみの台詞なのに、まるで優越感が無いどころか、なんで俺がダメージ受けてんだ?」
「ふん、さっさとパパになってしまえ」
「ぐふぅ、お前だって……くそぉ、このリア充野郎、爆発しろ!」
「健人、遊んでないで準備しないと先生達が来ちゃうよ」
「そうだった、準備、準備……」
闇の盾を出して、コボルト隊に帰還用のケージを出してもらいます。
その間に、僕は自衛隊練馬駐屯地へと移動して、目印用のゴーレムを設置しました。
「おはよう、国分君」
「おはようございます、梶川さん。今日もよろしくお願いします」
「いよいよ、今日で一区切りだね」
「はい、あっ、そう言えば、古館先生の荷物とかは、ここに届けるんですかね?」
「そうだよ。警備という面では、自衛隊の基地以上の場所はちょっと無いからね。市ヶ谷は、皇居や国会議事堂に近すぎるし、かと言って遠すぎても困る。ここか朝霞駐屯地が立地条件としては一番都合が良いんだよ」
うちのコボルト隊が、古館先生が採取したサンプルを届けるだけなので、不測の事態は起こらないだろうが、まさかの事態に備えているのでしょう。
ゴーレムの設置が終わったら、ヴォルザードへと戻り、いよいよ最後の送還作業です。
「加藤先生、準備は良いですか?」
「オッケーだ。国分、本当に色々と……」
「先生、僕も練馬までは確認に行きますので……」
「そうか、じゃあやってくれ」
「はい、送還!」
またしても八木のアホが送還範囲に飛び込もうとしていたけど、近藤が羽交い絞めにして止めてくれていました。
うん、さすがジョー、グッジョブです。
影に潜って練馬駐屯地に向かうと、ケージから先生達が下りて来るところでした。
「国分、ここは……」
「自衛隊の練馬駐屯地の倉庫ですよ。おかえりなさい、加藤先生」
「おおぉぉぉぉぉ……」
突然、加藤先生は両手で顔を覆って跪くと、嗚咽を漏らし始めました。
「帰って来た、帰ってきたぞぉぉぉ……」
考えてみれば、加藤先生にも家族がいて、早く日本に帰りたいとずっと思っていたんですよね。
先生という立場上、生徒を差し置いて日本に戻る訳にはいかず、今日という日を一日千秋の思いで待ち続けていたのでしょう。
ようやく日本に戻り、色々なプレッシャーからも解放されて、思わず感情を抑え切れなくなったのでしょう。
佐藤先生や千崎先生、彩子先生も目元を押さえています。
ひとしきり涙を流した加藤先生は、目元を拭って立ち上がると、僕に歩み寄って来ました。
「国分、ありがとう、本当にありがとう!」
「うわっ、先生……」
元柔道部の加藤先生の熱烈なハグは、プロレス技かと思うほど強烈でした。
「これから、まだお前にはやらなきゃいけない事が沢山あると思うが、これだけは忘れるな。どこに居ようと、何をしてようと、俺達はお前の味方だ。日本中がお前の敵に回ったとしても、俺達は国分健人の味方であり続ける! これは、絶対だ!」
「ありがとうございます。まだ、リーゼンブルグとの賠償に関する交渉が残っていますが、それにも一定の目途が立ちそうですので、ケリが着いたら連絡します」
「そうか、頼んだぞ、国分」
「はい!」
この後、佐藤先生達ともハグを交わして、最後の帰還作業は無事に終了しました。
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