第348話 演説

 大騒ぎの風呂場から脱出すると、世話役のお姉さん達が待ち構えていて、髪や眉などを整えて、王族の衣装の着付けも手伝ってくれました。

 何ということでしょう、匠の技によってケントは一国の王子様のように……見えなくもない程度に整えられました。


『これはこれは、リーゼンブルグを治める若き王に見えますぞ』

「いやいや、服に着られている感じなのは、僕が一番分かっているからね」


 ラインハルトは褒めてくれたけど、こうした貴族っぽい衣装は着慣れていないせいで、妙に落ち着きません。

 ディートヘルムならば、しっかりと王族オーラを発揮出来るのでしょうが、僕の場合は借りてきた猫感が半端無いです。


 晩餐会が始まるまで、別室で待たせてもらっていると、コクリナで偵察を行っていたバステンが報告に現れました。


『ケント様、ドミンゲス侯爵の動きが不穏です』

「不穏って、まさか力ずくで従わせようとか?」

『はい。五百人ほどの兵を送ってきました』

「えぇぇ……戦争でも始めるつもりなの?」

『いえ、実際に戦闘を行うつもりは無いようですが、大勢の兵士を送り込めば、Sランク冒険者でも恐れをなして従うだろう……という見込みのようです』


 エーデリッヒの船を任された船長のカルドーソは、あくまでも僕の引渡しについては拒否の姿勢を貫いていて、ドミンゲス侯爵側にはギルドマスターのミーデリアから報告されているそうです。

 ミーデリアからの報告を聞いたドミンゲス侯爵は、例えSランク冒険者であろうとも、船と乗組員を人質に取られてしまえば従うしかないと目論んでいるようです。


『五百人もの兵士を相手に、船を守りながら戦うという状況は、普通の者にとっては不可能と思えるはずです』

「まぁ、一人で戦うのは少々厳しいけど、僕の場合は眷族のみんなが居るから不可能ではないね」

『はい、我々ならば対処は可能ですが、ドミンゲス侯爵側にはケント様の能力は伝わっていないので、考えが及ばないのでしょう』


 コクリナのギルドから、僕が一瞬にして姿を消したり、シーサーペントの巨体が消えたのも、何らかのトリックだと侯爵側は考えているようです。

 というか、闇属性魔法を使わずに、そんな芸当が出来るなら、手品師として食っていけるんじゃないですかね。


「それじゃあ侯爵側からは、相変わらず僕とシーサーペントの両方を引き渡せって言ってきてるの?」

『その通りです。侯爵側は一歩も譲歩しないつもりです』

「譲歩しないって、こっちも応じるつもりなんて無いよ」

『シャルターン王国では、貴族の権力がランズヘルト共和国やリーゼンブルグ王国よりもかなり強いようで、拒否されるとも考えていないようです』

「でも、既に拒否してるよね」

『それに関しては、恩賞目当て、金目当てでゴネていると思い込んでいるようです』


 シャルターン王国の全ての貴族がそうとは限らないでしょうが、少なくともドミンゲス侯爵に関しては、相当横暴な人物のようです。


「これは、侯爵に直談判しなきゃ駄目かな?」

『その侯爵なのですが、コクリナには来ていません』

「えっ? 部下任せって事なの?」

『いえ、侯爵の息子が兵を率いています』

「例の王家との縁談の相手か……どんな人物なの?」

『フシュターラ・ドミンゲス、年齢は二十六歳、体格の良い男で槍術には自信があるようですが、実際の腕前は大した事はなさそうです』


 槍の達人であるバステンから見れば、普段の身のこなしや足捌きで力量が測れてしまうようです。


「そう言えば、王家側の相手、王女様っていくつなの?」

『はい、十二歳と聞いています』

「えぇぇ……親子とまでは言わないけど、半分以下じゃん、ロリコンか!」

『王家は元々乗り気ではないようですし、その年齢差も障害の一つのようです』

「それじゃあ、僕を歳の差の障害を埋めて、幼な妻を娶るための材料にするつもりなんだね」

『そうなります』


 アーブルのような悪賢さは感じられませんが、欲深さは負けていなそうですね。


「そう言えばさ、ミーデリアが交渉の最中にシーサーペントの肉にも価値があるとか言ってたけど、何か特別な用途でもあるの?」

『それについては、どうやら迷信があるようです』

「迷信……?」

『はい、シャルターン王国では、シーサーペントの肉を口にした者は、不老不死の力を手に入れられるという迷信があるそうです』

「それじゃあ、シーサーペントを港に引いて行った時、潜って近付いて来た連中は鱗とか皮が目当てじゃなくて、肉が目当てだったのか」

『はい、どうやら、そのようです』


 魔物の肉は少量であれば問題無いそうですが、継続的に摂取したり、大量に食べると魔落ちする原因となります。

 シーサーペントの肉は、何か特別な加工をして薬にでも使うのかと思っていましたが、どうやら日本での人魚と同じような扱いのようですね。


「ちなみに、シーサーペントの肉には、不老不死になる効果なんか無いんだよね?」

『たぶん無いとは思いますが、我々も生前に口にした訳でもありませんので、実際のところは分かりかねます』


 試すにしても完全に命賭けですし、怖ろしく分の悪い勝負であることは間違いないでしょう。


「あれっ? ジョベートの人達は大丈夫なのかな?」

『さぁ、それも我々には分かりかねます』


 バステンにはコクリナで偵察を行ってもらっていますし、海のこちら側の様子までは窺い知れないでしょう。

 バジャルディさんが取り仕切っていましたし、大丈夫だと思いたいです。


「確か、僕の引渡し期限は、明日の夕方だったよね?」

『はい、ですがコクリナとヴォルザードでは時差がありますので、お気をつけ下さい』

「分かった。期限の前に仕掛けて来るようだったら、知らせてもらえるかな。すぐ駆けつけるからさ」

『了解です。万が一、ケント様が間に合わない時には、我々が船と乗組員を守ります』

「うん、その時にはラインハルトにも向かってもらうよ」

『ぶはははは、ケント様が御不在でも、猫の子一匹船には近付かせませんぞ』

「出来れば穏便にね……」


 ラインハルト達が、本気出して暴れ回ったら、五百人程度の兵士じゃ相手にならないでしょう。

 命まで奪ってしまうと、今後の交易に支障を来たすでしょう。


 ですが、侯爵の言いなりになるつもりはありません。

 とりあえず、明日の引渡し期限までに、侯爵側が方針変換しないなら、Sランク冒険者の実力をたっぷりと味わってもらいましょう。


 晩餐会の時間が近付き、支度を終えたセラフィマが姿を見せました。

 今日も、皇族のみに許されるエメラルドグリーンの民族衣装で、一挙手一投足に皇族オーラが滲み出ています。


「綺麗だよ、セラ」

「ありがとうございます……」

「ん? どうかしたの?」

「ケント様も素敵ですが、出来ればバルシャニアの衣装にしていただきたかったです」

「あぁ、そうだね。そこまで気が回らなかったよ。ゴメンね」

「仕方ないですねぇ……許してさし上げます」


 セラフィマは、僕の隣に腰を下ろすと、ちょっと拗ねたような仕草で腕を絡めてきました。

 何でしょう、この可愛らしい生き物は、もう僕のお嫁さんにしちゃいますよ。


「ケント様、クラーケンの魔石のオークションも見学いたしましたので、明日にはアルダロスを出立しようと思っています」

「それじゃあ、ヴォルザードまで、あと十日も掛からないね」

「はい、早くユイカさん達にもお会いしたいですし、アマンダさんとメイサちゃんにも……」


 意外な名前が出て来て、ちょっとビックリしましたけど、二人はヴォルザードの母さんと妹ですから、ちゃんと紹介しないといけませんよね。

 唯香やマノン、ベアトリーチェとビデオメールを交換する中で、僕のヴォルザードでの暮らしぶりが話題にのぼったそうです。


 クラウスさんは勿論、ドノバンさんやカルツさん、メリーヌさんといった名前が次々にセラフィマの口から飛び出してきます。

 みんな、とても親切な人ばかりですから、セラフィマとも仲良くしてくれるでしょう。


「ケント様、私、ヴォルザードに着いたら、是非やってみたい事があるんです」

「やってみたい事?」

「はい、冒険者ギルドに登録して、依頼を受けて働いてみたいのです」

「えぇぇ、セラが?」

「いけませんか?」

「いや、いけなくはないけど……」


 セラフィマは、バルシャニアの皇族として箱入りも箱入り、超箱入り娘として育てられ、皇族として働く事はあっても、一般庶民に混じって働くなんて許されなかったそうです。


「バルシャニアの国内では、ムンギアなどの過激な反体制派がどこに潜んでいるか分からないので、致し方ないと分かってはおりましたが、出来るなら街の人々と一緒に汗を流してみたいと思っておりました」

「なるほど、ヴォルザードだったら、さすがに反体制派も手を出してこないだろうね」

「では、よろしいのでしょうか?」

「うん、僕はセラの意思を尊重するよ」

「ありがとうございます、ケント様」


 セラフィマにはヒルトが付いていますし、マノンかベアトリーチェに仕事を選んでもらえば、危ない場所に連れて行かれることもないでしょう。

 問題があるとすれば、セラフィマの護衛としてヴォルザードに残る女性騎士達が納得するかでしょうね。


 セラフィマと、僕がヴォルザードに着いた当時の話をしていると、支度を終えたカミラが迎えに来ました。

 オークションの会場ではワインレッドのドレスでしたが、今はスミレ色のドレスに着替えています。


 胸元の露出は少なめですが、ウエストが絞られているので、胸の膨らみがこれでもかと強調されています。

 うん、実にけしからん。


「魔王様、セラフィマ様、御案内いたします」

「カミラ……」


 先に立って案内しようとするカミラに、右の肘を張って、腕を組むように促しました。


「よろしいのですか?」

「アルダロスに来ている、主だった貴族が顔を揃えるんだよね?」

「はい、そうです」

「この際だから、僕の考えとか、意思を示しておこうかと思ってね」

「畏まりました。では、失礼いたします」


 左腕にはセラフィマ、右腕にカミラ、ロイヤルな両手に花ですよねぇ。

 会場の入口を守る騎士は、僕らの姿を見て驚いていましたが、キビキビとした動作でドアを開けました。


 晩餐会が行われるのは、城の中でも一番大きな食堂で、パッと見ただけでも二百人近い列席者がいます。

 天井からは大きな魔道具のシャンデリアが吊るされ、煌びやかに着飾った出席者を照らしています。


 ドアが開き、セラフィマやカミラの姿を認めた人々は、その美しさに目を見開き、次の瞬間眉をひそめました。

 一部の出席者は僕が誰だか分かっていますが、今夜の出席者の多くは魔王の実物を見るのは初めてのようです。


 会場の一番中央の席に僕が座り、左右にはセラフィマとカミラ。

 向かいの席にはディートヘルム、グライスナー侯爵、騎士団長らが座っています。


 全員に食前酒のグラスが配られたところで、カミラが席を立って、僕を紹介しました。


「皆の者、こちらにいらっしゃる方が魔王ケント・コクブ様だ。晩餐会を始めるにあたって、一言ご挨拶をいただく。心して聞くように……」


 カミラは僕に向かって軽く頭を下げると、席に着いた。

 会場の中に、ヒソヒソ声がさざ波のように広がっていく中で席を立ち、会場を見回しました。


「こんばんは、ケント・コクブです。御存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、僕はカミラによって召喚された異世界人です」


 異世界人と聞いて、先程よりも大きなざわめきが起こりましたが、疑問や抗議の声をあげる者はいません。

 当事者であるカミラが黙っている以上、僕の話に疑いを挟む余地は無いのでしょう。


「僕を含めて召喚された約二百人、それに、元の世界で召喚に伴う建物の崩落に巻き込まれた人々や家族は、多大な迷惑を被り、命を落とした者もいます。当然、僕らはカミラを恨み復讐するつもりでいましたが、この国の置かれた状況を知るほどに、認識を改めていきました。この国は、リーゼンブルグは腐っていた」


 語気を強めて言葉を切り、居並ぶ参列者を眺め回すと、会場は水を打ったように静まり返りました。


「先代の王、アレクシス・リーゼンブルグが、ランズヘルトで何と呼ばれているか知っていますか? 愚王、愚かな王だ。国の舵取りは宰相に丸投げし、昼間から女を侍らせ、風呂に浸かって酒を飲む……愚王と呼ばれるのも当然だ」


 自分の国の前国王が、素性も知れぬ小僧に貶されても、誰一人抗議の声を上げないことが、前国王の人望の無さを物語っています。


「国王ばかりではない、第一王子のアルフォンス、第二王子のベルンスト、第三皇子のクリストフ、揃いも揃って、王位継承争いにばかり夢中で、国民の苦境を知ろうともしなかった。カミラが召喚に頼ったのは、砂漠化によって土地を失った民を受け入れるために、魔の森を切り開く戦力が必要だったからだ」


 勿論、王位継承争いに熱を上げていたのは、王族ばかりではなく、ここに列席している貴族達もなのだが、そこは指摘しないでおきました。


「カミラが民を思う王族であり続けるならば……という条件の下に、僕は協力を約束した。魔の森から押し寄せる魔物の大群を退け、逆賊アーブル・カルヴァインを捕らえ、カルヴァイン領の平定にも力を貸した。だが、僕はリーゼンブルグを支配するつもりなど毛頭無い。これまで、この国のために十分働いたのに、なぜ国の舵取りなんて面倒な事までやらなければならないんだ」


 リーゼンブルグを支配する意思が無いと聞いて、再び列席者からざわめきが起こりました。

 真偽のほどを見定めようと、更に視線が集まって来るのを感じます。


「これからは……これからは、皆さんに働いてもらう。僕は近々、ここにいるバルシャニアの皇女セラフィマを娶ると同時に、ヴォルザードの領主の娘ベアトリーチェも娶る。そして、ここリーゼンブルグが安定し、王位をディートヘルムに譲ったら、カミラも娶るつもりでいる」

「おぉぉ……」


 湧き起こったどよめきを両手で制して、話を続けます。


「僕が存命している限り、バルシャニアからも、ヴォルザードからもリーゼンブルグを侵略させないと、ここで約束する。だから皆さんには、リーゼンブルグの建て直しに専念してもらいたい。民の端々に至るまで、食べるもの、住む場所、着るものに困らなくて済むように、力を合わせて国を栄えさせてもらいたい」


 ただの小僧の言葉だったら一笑に付されて終っていただろうが、カミラが認め、セラフィマが認め、ディートヘルムやグライスナー侯爵、騎士団長も認めた男の言葉ならば、貴族たちも認めざるを得ないでしょう。

 再び言葉を切って会場を見回すと、先程と同様に静まり返っているものの、熱気のようなものが確かに感じられます。


 目の前のテーブルから、食前酒を満たしたグラスを手に取って掲げました。


「リーゼンブルグの未来のために! 乾杯!」

「乾杯!」


 グラスが打ち鳴らされ、一気に熱のこもった話が会場に溢れました。

 言っちゃったよ。面倒な仕事はしないし、将来カミラを貰っていくって。


 これって、リーゼンブルグの貴族どもからは同意を得られたってことだよね。

 カミラに視線を向けると、薄っすらと涙ぐんでいました。


「魔王様、私も……」

「却下! ディートヘルムは次の王様としてリーゼンブルグの舵取りをするんだからね。言ったよね、王様になりたいって、言ったよね?」

「言い、ました……」


 いやいや、そんな不満そうな顔したって、君は娶らないからね。


「実に素晴らしい演説でしたよ、魔王殿」

「ありがとうございます。そう仰って下さるということは、バッチリ働いてくださるんですよね? グライスナー侯爵」

「無論です。カミラ様の下、我等は一枚岩となり、リーゼンブルグを豊かな国にするべく邁進いたす所存ですぞ」


 グライスナー侯爵の言葉に、騎士団長も力強く頷いていました。

 外交上の懸念が消えたからといって、国内の問題がスンナリ片付く訳でもありませんが、少なくとも列席した貴族の多くは、やる気を出してくれたようです。

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