第345話 領主の矜持

 オークションの会場からギルドの応接室へと戻ってきたブロッホさんは、見ている側が辛くなるほど肩を落としていました。

 僕はフェアリンゲンの財政状況を知りませんが、一億ヘルトという金額は決して簡単に用意出来る金額ではないはずです。


 それだけの金額を注ぎ込んででも、翡翠の加工関連の産業を助けたいという思いは踏み躙られました。

 いや、オークションですから、金額を上積みして落札することは正当な行為なのですが、どうしても心情的に納得が出来ません。


「ケント君、クラーケンの魔石はもう無いのかな? 確か、現れたのは一頭ではなかったはずだが……」

「すみません、もう一つの魔石はリーゼンブルグの王都アルダロスで行われるオークションに出品しちゃったんですよ」

「そ、そのオークションは、いつ行われるのかな?」

「明日です」

「明日……明日かぁ」


 アルダロスのオークションが明日行われると聞いて、ブロッホさんは大きな溜め息を漏らしました。

 ブライヒベルグから馬を飛ばしたとしても、明日ではバッケンハイムに着くのがやっとでしょう。


「いや、そもそもイロスーン大森林の通行が出来ない以上……いや、イロスーンが通れなくなっても、クラウスさんはブライヒベルグに来ていたよね?」

「はい、僕が召喚術を使ってお連れしました」

「それだ! ケント君、私をアルダロスまで連れて行ってくれないか?」

「いや、出来ないことではありませんが……ランズヘルトの領主が、正式な手続きも無しに入国して、あまつさえオークションに参加するのは……」

「そうか、そうだよなぁ……それに、私の資金で落札できるとも限らないし、落札しても問題だよなぁ……」


 再びブロッホさんは頭を抱えてしまい、視線を向けたナシオスさんも苦い表情を首を横に振るばかりです。

 そこへラインハルトが話し掛けてきました。


『ケント様、クラーケンの魔石ならば、もう一つありますぞ』

「えっ? もう一つはアルダロスの商業ギルドに……」

『いえいえ、こちらの影の空間にもう一つ転がっておりますぞ』

「えっ、もう一つ……?」

『ケント様は最初に一頭、二度目の討伐で二頭のクラーケンを討伐してますぞ』

「そうだった。討伐を行ったのが二回だから、回収した魔石は二個だと思い込んでた」


 ラインハルトの念話は、ナシオスさんとブロッホさんには聞えていませんが、僕の独り言のような返事は聞えています。


「ケント君、もしかして、あるのかい?」

「はい、もう一個あったのを忘れていました」

「おぉぉぉ……頼む! そのクラーケンの魔石を一億六千万ヘルトで譲ってくれないか」

「僕は構わないのですが……良いんですかね? こういう感じで売っちゃうのは……」


 片やオークションで二億ヘルトの値段を付けて落札した人が居るのに、そのオークションの直後に四千万ヘルトも安い値段で売っても良いものなのか、少し考えてしまいます。

 アドバイスを求めたナシオスさんも、悩んでいるようです。


「今日の今日、取り引きを成立させるのは、さすがに倫理的に認めにくいが、日を改めての取り引きならば、我々には止める権利は無い。ただし、ブロッホ、君の矜持に反するのではないのか?」


 確かに、僕らと昼食すら共にしなかったのに、ここで僕に直接取引を求めるのはブロッホさんのポリシーに反するような気がします。

 ブロッホさんは、両手を膝に置いて考えに沈みました。


 重たい沈黙が暫し続いた後、ブロッホさんは深い溜め息をついた後で顔を上げました。


「お見苦しい所をお見せいたしました。今回は大人しく帰る事にします」

「いいのか、ブロッホ」

「はい、オークションの裏で、同じ品物をコネを使って安価で手に入れるのは、私の矜持に反します。商売は食うか食われるかの厳しいものだと言う人もいますが、私は信念の無い商売では、長く続けていくことは出来ないし、関わった人全員を幸せに出来ないと思っています。なので、今回は手ブラで帰りますよ」


 たぶん、ナシオスさんは内心では、そんなの気にせずに売ってもらえと思っているのでしょうが、苦笑いを浮かべて頷いています。


「ブロッホさん、それでは僕と情報の交換をしませんか?」

「情報の交換……というと?」

「僕は、あのオイゲウスという男の用心棒を務めているジリアンという男の情報を手に入れたいと思っています。ブロッホさんが御存知の情報を教えて下さるならば、クラーケンに匹敵する魔物の魔石のありかをお教えしますよ」

「クラーケンに匹敵する魔物……それもケント君が討伐したのだね?」

「はい、どこでかは、まだお教えできませんが……」

「良いでしょう。ジリアンについては、むしろケント君に知っていてもらった方が良いと思っていますから、私の知っている全てを教えましょう」


 ジリアンは、フェアリンゲン家の遠縁にあたる家の三男坊として生まれたそうです。

 家は貴族ではないものの裕福で、ジリアンは幼少期から剣の手ほどきを受けていたそうです。


 ジリアンは剣に天性の才能があったらしく、十五歳になる頃には近所の誰よりも腕の立つ剣士となっていたそうですが、それは田舎の村の話で、勇んで出掛けていった大きな街で鼻っ柱を折られ、ガッツリと挫折を味わわされたようです。


 それでも、素質に恵まれていたのは確かで、風属性魔術とレイピアを併用する戦術を編み出して、メキメキと実力を上げていったそうです。

 ただし、そこに純真だったジリアン少年の面影は無く、ドライで打算的な冒険者の姿しかなかったそうです。


「ただね、ケント君。私はジリアンばかりを責める気にはなれないんだよ。Aランクに昇格すると、フェアリンゲンだけでなく他の街からも依頼が来るようになるし、元々人付き合いの上手くないジリアンは、有名になる過程で何度も裏切りを経験したらしいんだ。その結果として、猜疑心が強く、依頼人にすら心を許さない男が出来上がってしまった」

「ジリアンは、バッケンハイムに移籍したんですか?」

「いいや、ギルドの所属としてはフェアリンゲンに残ったままなのだが、実際にはオイゲウスの所に居続けている。なぜ、あのオイゲウスだけは、ジリアンが信用しているのかが分からないが、現状は運命共同体のようだ」


 ジリアンは、バッケンハイムでの依頼をこなしている間にオイゲウスと知り合い、その依頼が完了した後から、ずっと用心棒を務めているそうです。

 よほど報酬が高額なのか、それとも何かオイゲウスを選ぶ理由があるのかは、ブロッホさんにも分からないそうです。


「ジリアンは、どんな戦い方をするんですか?」

「先程少し話したが、ジリアンは自分のレイピアに風の魔術を纏わせて戦う。戦っている相手は、レイピアの長さを攻撃範囲として認識するが、実際には風の刃を使って遥かに遠い間合いから攻撃を仕掛けて来る。一本のレイピアが、風の魔術によって十数本へと変化し、ゴブリンなどは一撃で切り刻まれてしまうそうだよ」

「ジリアンは、魔術を使わないレイピアの腕前も一流なんですか?」

「そうなんだ、そこがジリアンの強みなんだ。剣士としての動きが一流であるから、どうしても敵はレイピアに意識を集中させられる。そこへ風の魔術での攻撃が来るのだから、基本同じ風属性の術士でなければ、防ぐ事さえ難しい」

「なるほど……それは確かに厄介な相手ですね」


 僕は風属性の魔術も使えるので、たぶんジリアンが使う風属性魔術での攻撃を見ることは可能でしょう。

 ですが、見れたとしても、確実に避けられる訳ではありません。


「どうかね、ケント君。ジリアンと戦うことになったら勝算はありそうかね?」

「そうですねぇ……たぶん、近距離で正面からやり合ったら負けると思います」

「ほう……では、その条件じゃなかったら?」

「勿論、僕が勝ちますよ。こう見えても、クラーケンとか倒しちゃいますからね」


 少しおどけた口調で話すと、ようやくブロッホさんは笑顔を見せました。

 ですが、それも一瞬で、すぐに表情を引き締めて質問をぶつけてきました。


「さて、ケント君。僕からの情報は、こんなところなんだが……クラーケンに匹敵する魔物の魔石とは何だね?」

「すみません、実はまだ実物を見ていないのですが、シーサーペントの魔石があります」

「シーサーペント……ジョベートか!」


 さすが真面目な領主様とあって、すぐにありかは分かってしまいました。


「先日の試験航海の最後、コクリナの港がもう見えるという所でシーサーペントに遭遇し、討伐しました。倒したシーサーペントは、一昨日ジョベートに持ち込み、バジャルディーさんと売却の仮契約を結んであります。素材は個人で扱える金額ではないそうなので、入札の上買い取り価格を決定すると言っていましたので、魔石の売却先もまだ決まっていないはずです」

「おぉぉ……それならば、まだ間に合う可能性が高いな」

「ただ、先程も言いましたが、シーサーペントの魔石をまだ見ていません。クラーケンの魔石と同様に、品質の高いものかどうかまでは保証しかねます」

「それは構わないさ。それに、今の話を聞く限りでは、シーサーペントの革などの素材も手に入るようだしね」


 ブロッホさんは、何度も頷きながら、今度こそ満面の笑みを浮かべてみせました。


「うちの領地は、綿花の栽培と絹の生産が盛んでね。それに伴う製糸、織物、縫製といった技術が高いんだ。シーサーペントの革を使った製品作りには、たいへん興味があるよ」

「それでは、大きな儲けになりそうですね」

「まぁ、それはエーデリッヒとの交渉次第だが、赤字になるような事はないだろうね」

「そうですか……では、ガッチリ儲けていただいて、黒字が膨らんだころにフェアリンゲンに行商にお邪魔いたしますね」

「行商……まさか?」

「まぁ、扱う品物はお楽しみ……という事で」

「はははは、いや、参ったな……クラウスさんと商談しているようだよ」


 それは褒め言葉なんでしょうかと、真顔で聞いてみようかと思いましたが、やめておきました。

 この後、ナシオスさん、ブロッホさん、それにクラウスさんの長男アウグストさんと夕食を共にしながら、領地経営の話を色々と聞かせて貰いました。


 僕からは、リーゼンブルグやバルシャニア、そのまた向こうのフェルシアーヌやキリアの話をすると、質問責めにされてしまいました。

 やはり領地を治める立場になると、遠く離れた国の動向も気になるようですね。


 ブライヒベルグでの夕食会の後は、昨日に引き続いてムンギアまで足を伸ばしてきました。

 船を作る工房には、煌々と明かりが灯されています。


「うわぁ……物々しいどころの騒ぎじゃないね」

『昨日の船の消失が、余程大きな騒ぎになったのでしょうな』


 昨晩は作業場の外にしかいなかった見張りが、今夜は船のすぐ近くに立っています。

 視線は完成している三艘の船と、作りかけの二艘を一度に捉えられる位置に向けられていて、たとえ召喚術を使って奪ったとしても、気付かれてしまうでしょう。


『いかがいたしますか、ケント様』

「うーん……そうだなぁ……」


 少し考えた後で召喚術を使い、船の底をヒビ割れぐらいの細い範囲で召喚して穴を開けておきました。

 たぶん、水に浮かべて人が乗り込んだ時点で、ヒビ割れが広がって沈むはずです。


『ケント様、作りかけの船はいかがいたしますか?』

「とりあえず、そっちは放置でいいや。それよりも中洲の工作を進めよう」


 川原にも多くの見張りが配置されているのかと思いきや、船の作業場に人数を割いているせいか、明かりすら灯っていません。

 もしかすると、ムンギアの側でも積極的に抗戦を主張する人は、そんなに多くないのかもしれませんね。


 今夜の工作は、先日爆発で出来たクレーターに施したのと同じ事を、今度はムンギア側から見える川岸で行います。

 魔の森から集めてきた落ち葉をたっぷりと含んだ腐葉土を撒き、土属性魔法で練り込んで、地面の準備が出来たら植樹開始です。


 天然の船着場のようになっている場所も、水飛沫を浴びる岩場のような場所にも、スペースを見つけたら若木を植えていきました。

 昼間のうちにコボルト隊に、たっぷりと若木を集めておいてもらったので、満遍無く植樹を終えられました。


『ケント様、光属性魔術を使われるのですな?』

「うん、少しの間、みんな影の空間に入っていてね」


 闇属性のアンデッドである眷族のみんながダメージを受けないように、影の空間へと退避してもらって、成長促進の光属性魔術を発動しました。

 前回と同様に、体の中からぐぐっと魔力を吸いだされる感覚があり、ザワザワと葉が揺れる音が聞えてきます。


 魔力切れにならない程度まで魔術を発動し続け、解除した後に目を開けると、今度は思惑通りの大きさに若木は成長していました。

 何も生えていなかった川原が、いまや三メートル近い高さの木々で埋め尽くされています。


 これだけの変化があれば、ムンギアの者達も気付いてくれるでしょう。


『なるほど、ムンギアの連中の目に触れる場所で神を騙るのですな』

「そういう事。いずれヌオランネの側にも同じ事をやって、とにかく立ち入らせない。立ち入れば、天罰が下るぐらいに思われたいな」

『天罰ですか……ならば、命の危険を感じる者を配置すればよろしいのではありませぬか?』

「おぅ、なるほど……その手があったか」


 影の空間経由で、サラマンダーのフラムを呼び出しました。


「お呼びっすか、兄貴」

「うん、ちょっと頭の固そうな連中に脅しをかけてやりたいんで、これから言う通りにやってもらえるかな?」

「勿論っすよ、兄貴の頼みとあらば全力でやらせてもらうっす!」

「じゃあねぇ……」


 フラムと打ち合わせを終えた後、ムンギアの船の工房へ戻ってきました。

 果たして、どんな反応をみせますかね?


「グオァァァァァ!」


 フラムの咆哮は川を渡って、工房周辺の空気もビリビリと震わせました。


「何だ、何の声だ!」

「川原の方から聞えてきたぞ!」

「グオァァァァァ!」

「ひぃ……明かり、明かりを持って来い!」

「動ける男は全員武器を持って川原の守りを固めろ!」


 船の工房にいたものだけでなく、集落の方からも川原に向かって槍を持った男達が走っていきます。


「グオァァァァァ!」


 フラムは三度咆哮した後で、天に向かって特大の火の球を吐き出しました。

 中洲の上に、小さな太陽が現れたかと思うほどで、辺りが昼間のように明るく照らされ、炎の熱気が伝わって来ました


「サラマンダーだ! 水属性の魔術士はいつでも詠唱できるように準備しろ!」


 ムンギアだけでなく、ヌオランネの側でも兵士たちが槍を片手に川原に降りていきます。

 川原で篝火を燃やしたり、明かりの魔道具を灯したりしていますが、川の向こう側で木が生い茂っている状態ですから、フラムはシルエットでしか見えません。


「グオァァァァァ!」


 フラムが咆哮をあげ、再び特大の火の球を吐き出すと、集まった兵士達は揃って上空を見上げました。


「兄貴、こんな感じでどうっすかね?」

「うん、ばっちりだよ。また頼むかもしれないから、その時はよろしくね」

「うぃっす、お安い御用っすよ」


 兵士達が上空を見上げている間に、フラムは闇の盾を潜って、影の空間へと戻ってきています。


「ザーエ、明日になったら中洲に渡ろうとする奴が出るかもしれないけど……」

「お任せくだされ、王よ。死なない程度にキッチリと脅してやりましょう」


 雨による増水は収まって来ているようですが、船が無ければ泳ぐしかありませんし、まだ朝晩は冷え込む季節なので、川を渡ろうなんて奴はいないでしょうが、念の為に用意はしておきます。


 手配を終えて、ヴォルザードの迎賓館に戻ったのは、日付が変わろうかという時間でした。

 うん、自分で首を突っ込んでいるのだから、仕方のない話なんでしょうが、ちょっとブラックな毎日です。

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